- 2015/8 キューバ旅行記(8) まずは定番のハバナ市内観光から(その4) -



この日もいい天気というか‥相変わらず暑い!午前中は市内観光の続きです。

明けて翌朝。この日は午後の航空国内線でサンティアゴ・デ・クーバに一気に移動してしまう算段で予約もバッチリ。でもクバーナ航空だからなぁ、飛んでくれれば御の字です(笑)。

というわけで午前中は革命博物館(旧大統領官邸)やカピトリオ(旧国会議事堂)、その隣にあるハバナ大劇場などの見学なのですが、残念ながら後者2つはただ今改修工事のため内部の見学が出来ないのだとか。そういえばオビスポ通りも一部では道路そのものの舗装工事を行っていたし、早くも観光客の増加をあてこんだ準備が進んでいるのでしょうか?
というより、すでに観光客の増加ははっきりした形で表れており、オバマ大統領が関係改善を表明した翌月の2015/1には外国人観光客数が前年比で16%増加したということで、われわれが訪問した2015/8も当然増加傾向に変わりはなかったことでしょう。要は「みんな似たようなことを考える」というわけですね(笑)。


この朝も充実の朝ごはん。特にマンゴーがすっごく濃厚な甘さで「秀樹、還暦!」といったところであります(わからん人はスルーね)。すでにイバンさんたちは出発したあとでしたが、ドアの隙間にイバンさんの名刺が挟み込まれておりました。トイレに行ったときにはまだ出発の準備をしていたのでちゃんと挨拶しておけばよかったなぁ。

というわけでスペイン語オンリーの宿の方に、お昼に戻ってきてから13:00までの間にシャワーとかを使っていいかを確認し(「もちろん!」と快諾を得ました)、お支払い(宿泊代*2泊+朝食代2日分+冷蔵庫のビール消費分を合わせてトータル80CUC=1人1泊あたり約2600円でした。明朗会計)をこの時点で済ませた上でさて午前中の観光へと出かけましょう。

メインストリートの23号線に出てみると、われわれの他にもタクシー待ちとおぼしき女性がいたので「彼女がいなくなってから空車を探そう」と思って手を上げていなかったにもかかわらず、われわれの前に1代のクラシックタクシーが。ドライバー氏が「乗るか?どこへ行く?」と聞いてきたので「ええっと、革命博物館」と答えると「OK」とのことで、すでに2名の先客ありだった乗り合いタクシーに初乗車。

結局8CUCで博物館まで乗せてくれたわけですが、考えてみるに外国人の我々を乗せた方がCUC払いゆえに儲かるのだと思います(地元民はCUP=ペソ・クバーノ払い)。先に待っていた女性の方ゴメンナサイ。ちなみにこの日の帰り道には乗り合いにも積極的に手を挙げるようにしました(結局貸しきりでしたが)。



ただし車中では乗り合いゆえ無言(笑)。あ、黄色い車は珍しいかも!

最後はわれわれだけになった車で革命博物館へ。全国各地にいろいろな革命系の施設がありますがここがその総本山だろうと考えて行くことにしたわけです(裏を返せば「ここ行っときゃあとはパスしてもいいだろ」という安直な発想でもあります)。



最初左側画像の前で「あれー、案外質素な入口なんだな」と思って進んでいったら裏口でした(大笑)。「こっちじゃないよあっち」とジェスチャー混じりで示されたのが右上画像。そうそう、元官邸なんだからこのくらいのいかつさがあるはずですよね。で、いきなり笑えたのが官邸正面の駐車場のペイントです。



バイクはまだわかるとして、ヘリコプターに戦車、そしてさらにはミサイルや意味不明の生き物まで(上画像マウスオン)。

アメリカによる経済制裁を長年受け続け、さらには旧ソビエトからも見捨てられ自主独立の道を選ばざるを得なかったキューバではありますが、この国は単にGDPの数字だけで国力を推し量れない遊び心を随所に感じます。地方に行っても、道の両側の植栽がソファーの形に刈り込まれていてびっくりしましたし、芸術的センスも面白い。

革命を主導したフィデル・カストロ氏はもともと弁護士でしたし、チェ・ゲバラ氏は医師。それぞれ高度な教育を得ていたこともあってこの国の教育レベルは高く、識字率は日本を上回るレベル、また医学の分野でも「お金をかけずにいかに人々の健康増進を目指すか」という目的に向かって邁進した結果、平均寿命は男女平均でアメリカと同じ79歳です(日本は83歳:2012年の統計、出典はこちら)。

キューバという国は、自分も含めてその現状をよく知らず「キューバ危機に関係した国」という50年以上前の歴史的事実だけを鵜呑みにしてしまいがちですが、実際のところこの国は「結構深い」よなぁと思います。闇の部分も含めて。

さて話を戻して革命記念館です。と、その前に‥



さて館内に入ろうと思ったところで、右上画像の車が目に入りました。そして(画像にはありませんが)、1人の男性が1匹の犬の首根っこを掴みながら、車の後部に投げ入れました。



拙サイトでもどこかに書きましたが、わたしは個人的に犬嫌いというよりは「犬恐い」の人間でありまして、犬はそういう自分の深層心理をしっかり見抜くのか、カンボジアでもパプアニューギニアでもしっかり噛まれました(苦笑)。その根本には小学生の時逃げ場のない場所で犬に噛まれたという幼少時体験があるのですが、今でもやっぱり犬と接するときは猫とは違う緊張感を感じています(だから完全に「猫派」です)。

でもそれはともかくとして、野犬狩りの現場を見るのは初めてでした。「キュンキュンと鳴く犬の首根っこを掴み、荷台の回収箱に投げ込む係員さん」。しかし日本でも昭和30-40年代には野犬狩り作業はごく普通に行われていたようです。

 


かつて訪れたブータンの首都ティンプーでは、折衝禁断の教えから野犬を捕獲しても殺さず、「野犬センター」のような収容施設に集めていたようです(それについてのページはこちら)。しかしこの問題は実は現在の日本でも解決などしておりません。

2002年の古い記録ですが、Googleで「四国新聞 犬」で検索するとトップに出てくる記事は、野犬こそいなくなっても飼い主の一方的な考え一つでセンターに持ち込まれ「処分」される状況が続く日本(記事は香川県)の現状を伝えたものです。同新聞の2015/7の記事には「犬猫の譲渡数2.7倍、殺処分率も改善」というタイトルが付けられ、状況が改善傾向にあることを示していますが、それでも8割以上の犬(猫は9割)が今も「処分」されています。

人間も犬も猫もみな動物であり命に優劣はないはず。その上でわれわれも犬も猫も「別の命を口にしなければ自らの生を保てない」存在であり、だからこそ日ごろから「命をいただくことへの感謝」が必要なはずです。飼い主はペットの運命を決定する上位者としての神ではないはずなのに‥以前もどこかで書いたこのことを、あらためて書きます。「飼い主はペットの命に責任を持て」と。



さて話を革命博物館に戻しましょう。受付で料金を支払い、荷物を預けた上でまずは2Fへ。中庭もある立派な造りで、内部の造作もかなり豪華なのは、ここが元大統領官邸だったことを考えれば当然でしょう(右上画像マウスオンで天井絵の詳細画像に変わります)。もっともエレベーターの設置工事中だったのは、新規設置なのかそれとも老朽化による取り替えなのか?(たぶん後者)。




窓から外を見ると、この国の旧宗主国であるスペインの大使館と、どのような建物なのかはわかりませんが壁面に大きく3人の肖像を設置した建物が(両上画像マウスオン)。スペイン大使館に国旗と並んでEUの旗がはためいていることに時代が流れたことを感じます。かつてはそんなグループの一員におさまることなくなく世界を牛耳っていたわけですからねぇ。

いっぽうで右上画像の肖像ビルは、その配置からすると建築時からここに肖像を設置することを前提に設計された可能性が高そうな気もします。ということは政府系の建物でしょうかね。

そんなわけで内部の見学へ。



首都のど真ん中にある「革命博物館(Museo de la Revolucion)」ですから、当然革命のプロパガンダ(宣伝)施設であることは確かです。そういう意味ではバランスを取りながら見ていく必要があるのですが、ここでTakema&おしんこどんは「重大なミス」を犯しました。それは‥



でも、この見学順は失敗ではありませんでした。もちろん写真に添えられている説明文は全てスペイン語なのでよくはわかりませんが(でも英語と類似した単語も多いのでわかる部分もそこそこあります)。

でもそれよりも、タイムラインを巻き戻す系の見学により「なぜこんな革命行動に至ったのか、それは‥」その次の部屋(一つ前の年代)に行くと、「だってこういうことが大問題になっていたのだから!」という感じで説明されていて、キューバ革命に至る流れはかえってよくわかった気がします(ただしあくまでプロパガンダの施設なのですからバランスを取りながら‥)。



「やったー革命成功!」のところから「トライしたけれど失敗」、「反政府主義者への拷問」と戻っていくにつれ「なるほどねぇそれは確かに!」となっていくうちに洗脳されそうです(笑)。よってそういう画像は載せませんし自分にとってはどうでもいいのです。それよりも自分としては、





というほうが衝撃的でした(笑)。そして観客席も見事に満員だし。ちなみに国策野球王国キューバですから、もちろん国内主要都市には大きな球場があります。また関係ない話ですが、日本で活躍するキューバ選手は、日本のシーズンオフにキューバ国内リーグおよびキューバ代表選手としての活動が義務づけられています。よってかなり過酷なスケジュールを強いられているわけですし、ある種の国家公務員ですから国家による「手数料(契約金の20%だったかな)」も徴収されるわけです。

一方で、国交がなかった米国MLBの選手になるためには、これまでは亡命するしかなかったわけですが、今後このあたりがどんなふうに進んでいく(or 交渉が停滞する)のかは気になるところです。

ハイ話をもどして革命博物館の続きです。とりあえず革命精神にそのまま洗脳されることなく進んだわれわれは(もちろん「それまでの政権のひどさ」も理解した上で)、さらに別ブースの「革命後エリア」に進みました。が‥!



いうまでもなく1990年代初頭のキューバは「ソビエト」という最大の後ろ盾を失ったことにより絶対的な経済的窮地に立たされたわけです。その意味では今も政体が存続しているというのはある意味の奇跡です(一方で多数のキューバ人がアメリカに亡命したわけですが)。しかし政体および国内経済をどう維持したのか、それを現政府の側からアピールしてもいいのではないでしょうか?ここは政府の対外宣伝の総本山なわけですから。

そんなふうに思いつつも、今度はお隣の建物を目指します。ん、窓から見下ろすとキューバ軍の兵士が警護に立っているようです。



隣接する建物は革命遺跡を集めた博物館で、フィデル・カストロ率いる革命軍(人数的には「革命を目指すシンパ82人」)が乗り付けたグランマ号(実物らしいがこれに82人が乗り込んで上陸したってって?と思うしかないクルーザーサイズ)などが展示されています。革命のシンボルゆえここにあるわけなのでしょうが、建物のガラス越しにしか見ることは出来ませんでした。

ちなみに左上画像の右側には炎が燃えている場所があります(左上画像マウスオン)。1989/4にフィデル氏自らが点火したモニュメントで、「英雄を称える碑」という名が付けられているそうです。もちろんこの火を煙草などの点火に利用することは禁じられています(当然)。



近くには当時の戦闘機やら撃ち落としたアメリカの機(部分)やら、銃撃を受けた車両やらが展示されていました(左上画像にマウスオンで拡大)。というわけでざっくりと見学完了、博物館の母屋に戻ろうとしてふと見ると、あれま、裏側は足場が組まれて塗装作業中なんですね(右上画像マウスオン)。何とも人海戦術ですが、足場が鉄骨製なのを見てふむふむと。木製や竹製じゃなくてよかった感ありでした。



そんなわけでこのあとは旧国会議事堂を目指して歩いていきます。沿道は古い水道管?の交換工事中。オビスポ通りでも一部は再舗装の工事中でしたし、インフラの再整備真っ盛りという感じです。

また沿道の建物の壁には絵が描かれていましたが(右上画像マウスオン)、これってどうみても落書きじゃなくて芸術家が描いてますよね(署名付きだし)。ハバナ市内もどんどん変わろうとしているようです。というわけで歩いていき‥





上画像にマウスオンすると建物全体を写した画像に変わりますが、走っている車の数こそ違え、違和感はまったく同じだと思います。これ、たとえばフォトショなどでくすんだ色とかセピア色に加工してみたら1950年代撮影の画像っぽくなるんでしょうね(ついでにピントもちょっと甘くして)。やりたい人はご自由にお試し下さい(ただし撮影者の著作権を放棄するわけではありません)。

そしてこの劇場の並び(南側)にはカピトリオ(旧国会議事堂)があるわけですが‥




(ちなみにビシタクシー=Bicycle Taxiも走ってますが、「この界隈に関する限り」観光用かなと)。

後方の黄色い自動車がなければ全然わかりませんよね。ちなみに旧議事堂自体はワシントンDCの国会議事堂デザインをパク模して1929年に建てられたそうです(「旅行人」記事より)。なお上画像もマウスオンで別角度からの画像に変わります。

しかし、この旧国会議事堂も大劇場もメンテナンス中ということで内部の見学は出来ません(議事堂上部には足場と幕が掛けられていますし、大劇場もよく見ると周囲が工事用の柵で囲われています)。ちょっと残念ですが、実際のところ内部を見学している時間的余裕もなかったのでその点では結果オーライだったのかも。



ハバナ市内には観光客専用といえる交通機関もあります。1つが左上画像の「Habana Bus Tour」バス。5CUCを払えば1日乗り降りし放題なんですが、いかんせん事前&現地でも走行ルートがわからず利用を諦めました。「旅行人」でも利用を勧めていましたが、できればルートを市内地図に書き入れておいてほしかった!まぁ2009の発刊なのでそれはしょうがないとして、最新の「地球の歩き方」にもそれはないんですよね(駄目じゃん)。

高級ホテル内のツアーデスクとかに行けばそういうルートマップとかも用意されているのかも知れませんが(未確認)、カサパルティクラルには観光パンフとかの類は皆無ですからご留意下さいませ。

さて次の交通機関(手段)はクラシックカーのタクシーです(右上画像)。カピトリオ前に並んで駐められているこれらの車は、たぶんチャーター利用が基本なのだと思いますがご覧のようにピッカピカです。だいたいにしてオープンカーですからね。

でもおそらくは「オープンカーに改造」したのでしょうし、エンジンもほぼ間違いなく載せ換えた「ナンチャッテ系のクラシックアメ車」なのだとは思います。でも特にアメリカ人には今後大人気になるんだろうなぁ(2015/9現在、まだアメリカ人のキューバ自由渡航は公式には認められていません)。



この日も当然ながらクソ暑い日でしたので、議事堂の真向かいにあるアイス屋は大繁盛で列が出来ていました。1CUCで味は‥日本と比べなければOKかな。渡されるやいなや溶け始めるのでダッシュでペロペロし始めないと手がベトベトになります。当然手を洗える場所などありませんのでお気を付けあれ(ウェットティッシュのポータブル包装品はこの国で案外役に立つと思います)。

さて、お昼近くになったのでそろそろ宿に戻って午後のフライトの準備をしなければなりません。すでに大汗小汗でべっとべとなのでシャワーも浴びたいしねぇ。

ではこのページの最後には、ハバナ市内の車窓風景をご覧下さい。車だけでなく、人の横断もこんな感じです。この翌日から自分も車を借りて運転するんですが‥不安(苦笑)。



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