- 2015/8 キューバ旅行記(10) レンタカー事情、そして博物館、コブレの聖母教会などを訪問 -



はい、このあと7日間もの間われらの足となってくれた愛車です。ルノー車ってたぶん初めてだ♪



さて、Takemaはこれまでに四輪=30万km以上、バイクは16万km以上乗ってきましたが、海外の右側通行国の運転となるとぐっと少なく四輪=アイスランド3/4周とバヌアツのエファテ島1周、バイク=ハワイのオアフ島一周しか経験がありません。というわけで、今回のキューバでのレンタカードライブにはやっぱり事前にかなりキンチョーしていたのです(自分で決めたことだけれどさ)。結果は‥まぁ問題なく何とか運転しきりましたけれどね(途中ヒヤリ2回あり)。

日本からの予約時にレンタル料金そのものは支払い済みでしたが、保険料1日20CUC*7+デポジット200CUC+ガソリン代47CUC=400CUC近くは現地払いであることをほぼ失念していてびっくらこいた次第です。まぁもちろん支払えますが(さっき追加両替したばかりだし)、ここで一部だけでもクレジットカードで支払えないか聞いてみると、デポジットだけはカードでもよいとのこと。もちろん嬉々としてしてお願いしました。結局キューバでカードを使ったのはこの時だけでした(というか高級ホテル以外では基本的に使えないので)。懐かしのスライド式&感圧紙によるカードデータの記録器を見たのは本当に久しぶりでした(笑)。

ちなみにAMEXとかCITICARDとか、アメリカ資本が関わっているクレジットカードをキューバで使うことは出来ません(帰国後の2015/9現在においてもそうです)。わたしのメインカードはCITICARDなので、この時は予備のセゾンVISAカードを使いました。
「お車の返却後、問題がないことが確認された時点でこのカード情報の用紙は破棄しますので」と言われました。2015/9現在、変な請求はありませんのでたぶん大丈夫でしょう。

ところで車種ですが、国内でレンタカーを借りる場合と違い、海外では「高くても信頼性」を重視します。その昔のNZワーホリ時代、「安いレンタカーは状態もやっぱりそれなり」という状況をいろいろ見てきましたから(知り合った人たちの状況や体験談など)。また海外で車が故障してしまったとき、どう対応をとればいいのかについてはレンタル時に説明はしてくれるものの、そんなトラブルがないに越したことはないですし、その場合スケジュールの大幅な変更を余儀なくされてしまうわけで‥



しかし、キューバには外国資本のレンタカー会社は進出してきていないようです。その代わり上画像にあるような「REX」「CUBACAR」などの国内資本(ヨーロッパ諸国からの資本提携があるかどうかは不明)のレンタカー屋があり、国内主要都市に本支店を持っています。

ほかにもハバナにしか拠点を持たない会社もありましたがそれはソッコーでパス。トラブルがあったときに近隣の支店に直接出向いて相談できる安心感は捨てがたいですから。

さらに、「車種がある程度選べる」ということも重要です。キューバの場合、最安グレードは全て中国韓国車です。偏見も入っているのかも知れませんが「何だか信頼度に欠ける」のですよ自分の中では。というわけで予約時のグレード指定は「プジョーおよび同クラス」として予約しました。まぁこれでも中国車のやや高めグレード車に当たる可能性はあったわけですが(笑)。

そして最後に「オートマ車であること」。マニュアル車を運転できないわけではないですが、右手でのギア操作が不慣れな分「余計なことに気をとられる」瞬間は出来るだけ少なくしたいですからね。

そうなってくると、予約対象はもう国内大手の2社にほぼ絞られていたというわけです。

ちなみに現地支払いの中に「ガソリン代47CUC」というのがありましたが、キューバのレンタカーは満タン返しではありません。自分の前の借り主が車を返却したあとにレンタカー会社の方でタンクを満タンにしておき、その時のガソリン代が借り出し時に請求されるというわけです。だから返却が近くなると「いかにしてガソリンをタンク残量ぎりぎりまで使い切るか」というさもしさが頭をもたげます(笑)。

ところで今回、旅行中に「レンタカーの不具合」がありました。ぎりぎりで何と乗り切りましたが、もし可能であれば「レンタカーだから整備はしているだろう」と過信せず、オイルの量や前回交換時の走行距離、ラジエータータンクの予備水の残量、バッテリーの電圧、またタイヤの圧や溝の残量(さすがに大丈夫だと思いますがタイヤの側面にヒビが入っている場合はタイヤそのものが劣化しているので要交換状態です)、さらには予備タイヤにきちんと圧が入っているか等を一緒に確認した方がいいと思います。

レンタカー会社であればメカニックもいるでしょうし(いなくてもそこの従業員の誰かは自分よりも車の構造に詳しいはず)、その方面に素人であっても、「ボンネットを開けて再確認してもらう」ことによりトラブルを未然に防ぐことに役立ちます。この時の自分の場合、「予備タイヤの圧」しか確認しなかったことでトラブル直前まで行きつきましたから。

続いてはこの車「ルノー フルーエンス」についてですが、2009年から売り出された車で、wikiの画像のフロントマスクから判断するにもともとは中国向け車両かも知れません。ルノーサムスンという会社もあることから、フランスのメーカーとはいえ実際には中国や韓国から輸入された車両なのかも。

年式は不明ですが走行距離は借り出し時点で120,900km。さすがに走ってますが、Takema家のフォレスターがこの時点で165,000kmですからまぁ大丈夫でしょう(笑)。ただし写真ではわかりませんが小さな傷は無数にあり、「こりゃちょっと擦ったくらいじゃわからないな」とは思いましたよ(実際はそういうことも一切ありませんでしたが)。

さて借り出した後はいったん宿へと戻ります。なぜかというと、ある作業をするためです。それは‥



実は以前アフリカの某国でレンタカーを返す前、この車載カメラを固定していた(フロントガラス内部に貼り付けていた)テープの粘着部が完全に剥がれないまま「素知らぬふりをして返却した」という前歴があります(もちろんアルコール等を含ませた布で擦れば剥がれるレベルのものですが)。ただそうでなくても、会社からすれば「自社所有の車両に一時的とはいえ細工をされる」ことにいい思いはしないでしょう。それゆえ場所を移動したわけです(なお、この旅行の返却時には「実に見事に痕跡なく剥がれた」ことを付け加えておきます)。



画像に写ってはいませんが車載カメラはあっさり取り付け完了(ちょっと斜めになりましたがこれはバックミラー周辺の空きスペースの関係でやむを得ませんでした)。またGPSナビアプリをインストールしておいたスマホ台座は、最初こそ接着で行こうと思いましたが全然安定せず、「こりゃ駄目かも」と思いながら吸盤を直接付けてみたらバッチリで、この旅行中「台座ごと外れる」ことはありませんでした。優秀優秀!

続いてはそのGPSアプリです。何度も書きますが2015/9現在(旅行したのは8月)、キューバ国内にはごくごく一部を除きデータ通信の電波は飛んでいません。ですからグーグルマップ等の「サーバーとのやりとりにより使えているアプリ」は全滅です(翻訳アプリ等もそれ系ですからご注意下さい)。

自分が事前にダウンロードしていったのは「MapFactor Navigator」というアプリです。ただし大容量の地図データはアプリとは別にダウンロードしておく必要がありますし(アプリのメニュー内から選べます)、日本語版がないのでメニューでの操作&設定、さらには音声ガイドも全て英語です。でもまぁ海外、しかも3G電波すら飛んでいない国に行く人なら簡単な英語は大丈夫ですよね(実際英語そのものは簡単です)。

ただし使い勝手については多少習熟しておく必要があります。現地(キューバに限らずネット環境に不安のある国)に行く前に日本のデータをダウンロードしておき、日本のカーナビと併用する形で何度か試用してみることを強くお勧めします。

なおその際、「アナログの地図」が必要となることをお忘れなく。ダウンロードしたデータはあくまで地図データだけであり、日本のカーナビのように住所や電話番号等での検索が出来ません。目的地の設定はあくまで地図を見ながら行います。だからたとえば宿を目的地にする場合は、宿周辺の詳細/周辺/広域地図を紙媒体で持っていないと現地で絞り込めません。

自分の場合は各宿につき上記3枚を日本でプリントアウトして持参していました。これは車を借りなかったハバナでもタクシーで移動する際(スペイン語しか通じないドライバー氏にも)とっても有効でしたのでお勧めします。

また日本や、電波バッチリのはずの海外でも当然「圏外」の場所は存在します。そうしたときに「少なくとも今の自分の居場所だけはわかる」という安心感は何物にも代えられません。GPSアプリをインストールした上で「海外に行くときは念のためその国の地図データをダウンロードしておく」ということをお勧めします。いざというときに役立つはずです。

なお日本の登山に利用する際は、登山専用アプリの方がはるかに優れていますので念のため。

さらに今度はハード面の話です。今回の自分の場合「常時撮影の車載カメラ」「GPSアプリスマホのため常時電源供給」「iPodで音楽を流すためのFMトランスミッター」という「常時電気食うよ系トリプルトリオ」を使用していたわけですが、日本で普段使っているシガーソケットからの3穴アダプターを持参して何の問題もありませんでした。ご参考までに。

また事前に気になっていたのがGPSナビ使用時の「スマホ常時オンによる熱暴走」でした。これについては危惧の通り何度か警告が出ましたので、その間は 1.スマホの表示画面をオフにするなり(触った感じが軽症時)、2.エアコンの風にダイレクトにあてて物理的に冷やすなり(そこそこ重症時=でもあまりお勧めしません)、さらには 3.「どうせしばらく一本道だし」というときには電源自体をオフにするなり(重症時)して対処しました。確かにかなりの熱を持ちましたので、いろんな常時起動のアプリをインストールしている場合はご覚悟あれということで(Takemaのスマホアプリは中身スカスカです)。なお本当の正解は3かなと思いますが。

さてそんなわけでセッティング完了、いよいよこのあとサンティアゴ・デ・クーバ市内へレンタカーで再突入します。いきなり都市部を走るわけですから、右左折時の進入車線を間違えたりしたら事故に直結するわけですが、この日の日記をここに引用してみましょう。
いざ走り出してみると、勿論いきなりキューバ第二の都市のど真ん中から走り始めるわけだからそこそこ緊張するが結構すぐに慣れた気がした。やっぱりアイスランドでの運転経験は大きいぞ。

市内に限らず人のいるところではどこでも、人が渡る機会をうかがっている。日本ならそういう人を見たらこっちが止まってハイどうぞだが、ここキューバでは「車が止まってくれるはずはない」という前提で動いているので、その流れを乱すと人も動揺するし、下手をすれば後続車の「だろう運転の虚」を突くことともなりキケンきわまりなし。またクラクションも「ここにいるからわかっててな」と相手に確認を促す目的で鳴らしているのが大部分で、こちらの心臓には悪いが相手は「これで万が一を防げて安全」と考えているのだからこちらの常識を大前提として文句を言う筋合いの話ではない。ま、郷に入りては云々である。



まず目指したのは「7月26日モンカダ兵営博物館」。博物館名としてはちょっと変わっていますが、キューバ革命に至る前哨戦として、1953年7月26日にフィデル・カストロを含む反バティスタ政権グループがここモンカダ兵営を襲撃しました。しかしこの蜂起は失敗に終わり、結果としてメキシコに亡命したフィデルはそこでチェ・ゲバラと出会い、のちに再起することとなるわけです。キューバ革命の端緒として位置づけられており、キューバの革命記念日はバティスタ政権を打倒した日ではなく、この7月26日に設定されています。



建物の入口には弾痕が無数にあり、ここがまさに「現場」だったことをうかがわせます(余談ですが、この弾痕はあとから付けられたものだという話もありますが、一方で武装蜂起鎮圧後一度埋め戻されたが、革命後再び埋め戻しのモルタル?が撤去されたという話もあり、こちらの方が現実的な気もします)。



内部には当時の様子を紹介する掲示や模型もありますが、



やっぱり当時の新聞や写真に目がいきます。捕縛されたラウル・カストロ氏、やはり若い(当時22歳)。



「26 JuLio」の腕章。別の部屋には心象芸術的な絵画の展示もありました。



博物館にあたるスペースはそれほど大きくなく、一通り見終わって中庭に出てみると、ご覧のように綺麗に刈り込まれた植栽がありました。なかなか見事。というわけで隣の建物に近づいていくと、若い女性が「すみません、そちらには行かれません。そちらは小学校になっていますので」と声をかけてきました(左上画像をよく見ると右側の椅子に女性が座っています)。

博物館の受付のおばちゃんはいわゆる「ぞんざい系」でしたが、こちらの女性はとっても丁寧で、「もしよろしければお2人の写真をお撮りしましょうか?」とまでおっしゃって下さいました(そして撮ってもらいました=左上画像マウスオン)。

あとから思ったのですが、あの女性はこの小学校の先生だったのかなぁと。英語も堪能でしたし、椅子を用意しているところをみるとこの建物の関係者でしょうし‥。当番制で部外者が小学校に入らないようにしているのかなと思った次第です。

さて続いて向かったのはサンタ・イフィヘニア墓地。19世紀の独立思想家でありキューバの英雄と称えられているホセ・マルティの墓所がある場所です。最初混同していたのですが、現在のキューバに至る革命とは直接の関係はありません(19世紀の人ですから)。しかし現政府においてもホセ・マルティの精神は高く評価されています。



そんなわけでやってきました。墓地の入口からして立派です。

所定の駐車場に車を駐め(駐車料金1CUC)、「入口は右奥だよ」と言われるがままに進んでいくと、確かに木陰で女性が待機していました。興味半分で来てみた訪問地だったわけですが、入場料を支払うとこの女性が「Hurry up!」と何かをせかします。何で?と思ったら近くで音楽が流れ出しました。



時刻は正午。急いで指示された建物まで(歩いて)いき、それでも何とか間に合いました。



この衛兵交代式の動画を撮ってみましたので興味ある方はご覧下さい。なお日々の定期行事なので音楽は生演奏ではなく放送によるものです。





交代式完了後、ホセ・マルティ氏の廟堂へ。上から見下ろすと、キューバの国旗が載せられています。調べたところによると、氏は1895年の第二次キューバ独立戦争で命を落としたということです。今こうして衛兵に護られながらの日々を氏はどのように感じているのかなとふと思ってしまいました(まぁ自分の仏教徒的死生観を氏にあてはめることに意味があるのかどうかはわかりませんが)。

このあと向かったのはずっと郊外にあるコブレの聖母教会。この墓地からだと県道みたいな道路経由で行くのが近いのですが、山道っぽいし‥よし行ってみよう!(天の邪鬼)。



ええっと、予想通りというかそこそこ荒れた舗装路でした。アスファルト舗装なのですが、基礎施工に手を抜くとこうなっちゃうんだなぁ的な大穴があちこちに。時には大穴だらけでしたが、普通のセダンでも通れます。ま、そもそも自分は「行っちゃえ派」なのでもありますがここは誰でも余裕で大丈夫でしょう。

で、走行中に何やら広場に出てきたわけですね。でも畑というわけでもなさそうな割には車両の轍がいくつもあるし、ここは?と思ってよく見てみたら‥(左上画像マウスオン)、



もちろん砲弾をぶっ飛ばすような本格演習場ではなく「初心者講習」のような施設なのだと思いますが、それにしてもダミーとはいえこんなものを一般道沿いに設置しているっていったい?

さてこのあとは地域主要道に出て少し走り(日本の地方主要3桁国道のような感じ&交通量)、Melgarejoという場所で左折。ここからはぐんぐんと山を登っていきます。最後は門前町のような家並みの道をさらに上って、一番上にあるのがコブレの聖母教会(Basílica del Cobre)です。



ヘミングウェイの「老人と海」に出てくる教会のモデルになったというこちらの教会。すぐ上で「門前町」と書きましたが、実際にこの教会を訪問する信者はかなり多いようで、道沿いには教会に献納するための花売り屋台や、信者向けのおみやげを売る店も多く見られました。



内部も公開されていて、誰でも自由に見ることが出来ます。



信者が祈りを捧げて献納したロウソクの数々。「開閉式のステンドグラス」って初めて見たかも。



風は強いのですが日差しは強く、おしんこどんもかぶり物で対応中。Takemaはなされるがままでしたが、最近頭皮が日焼けするんだよなぁ(大笑)。

さて、駐車場の前には「信徒会館」とでもいうべき立派な建物がありまして、ここで休憩できるようです。多くの人たちがくつろぐ建物内に入ってみると館内の案内看板が(右上画像マウスオン)。なるほど、宿泊施設でもあるようです。「Restaurante」ともあり、よしよしここでお昼ごはんが食べられ‥ませんでした。明らかに営業しておらず、おそらくは宿泊客用のレストランであり、ランチ営業はしていないのでしょう。



建物の近くの木陰でお昼ごはん中だったご夫婦とロバ。
でもこちらもそろそろお腹が空いてきたし、しかしここに食堂はないとなると、すぐ下の門前町に何かあるかなぁ、でもピザとかの屋台はあったかもしれないけれど何だかなぁ。というわけで、メインロードと合流するMelgarejoの交差点角にあったカフェテリアまで一気に降りることにしました。



営業中なのは確かですが、完全に地元民向けのお店でありスペイン語オンリーで読めません。英語のできる人もおらず‥うーむ。

しかしここで役に立ったのが日本から持参の「旅の指さし会話帳 キューバ編」なる本でありました。厨房にいた男性に食材ページを見てもらうと‥





そんなわけで席に着き、まずは乾杯!(ちなみにTakemaは「色つきジュース」でしたので念のため)。ちなみにこのあとこの本(会話帳)はそこそこの場面で役立つことになるのでした。持ってきてよかったぁ。



そうこうしているうちに本日のランチ歓迎光臨っ!まさか丸揚げで出てくるとは思いませんでしたが、これがまた結構美味しかったのでありますよ!完食&満足でありました。



そんなわけで厨房のお二方とそれぞれ記念写真。左側の女の子のとっても無邪気な笑い声が印象的。



ここはローカルバスの停留所でもあります。トラックバスはハバナ以外ではごく当たり前の交通手段。

ということで再びサンティアゴ・デ・クーバ市内へと戻り、今度は市の東側、Gran Piedraへと向かいます。

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