- 2015/8 キューバ旅行記(18) ビシ(自転車)タクシーでカマグエイ市内めぐりの巻-



あれあれおしんこどん、1850年開場の歴史ある劇場ステージでデビューですかい?(笑)。



明けて翌朝。キューバの夏は日の出が比較的遅く日の入りが遅めなので助かります(左上画像は7:12AMの撮影です)。さすがにこの時間に人の往来はほとんどありません(日本の住宅街だと春夏秋冬問わずこの時間には出勤の方々の姿が‥)。

で、前夜聞いていたのが「隣の敷地に生えているあの巨大ナス形状のアボカド」。まずはそれを見にいってみましょう。





ちなみに実の背後に見えている幹がこのアボカドのご本尊樹木でありまして、その高さは二階屋のこの建物よりも高い状態です。まぁキューバ人であれば身体能力も高いでしょうからさっさと登って採集するのでしょうが‥。



そんなわけで朝ごはん。こちらも前日のホテルのような手抜き朝食とは一線を画したゴージャスバージョンです。フルーツはもちろんのことしっかりアボカドも添えられておりました。ちゃんとエスプレッソ系のコーヒーも(ちょっと濃すぎるのでミルク増量するTakemaはお子ちゃま)。卵ももちろんね。

でも朝からゴージャスすぎて、パンにチーズとハムを挟んだトースト(左上画像マウスオン)までは食べきれず(というかこれを食べたら普通のトーストとかを食べきれないので)、お持ち帰りで「これを本日のランチとする」と決定。ハイ、その予定通りランチとして美味しくいただきましたよ(この日の移動中もやっぱり昼食用のレストランが見つからなかったわけです。キューバ旅行の場合お昼ごはんが鬼門だわ)。



さすがに8時を回ると皆さん活動時間‥でも左上画像のおいちゃんは朝から座ってダベリングですね、何だか羨ましいなぁ。ちなみにキューバのTakema車たるフルーエンス号ですが、この光の当たり方だとかなり汚れが目立ちます。まぁさんざんダートも走ってきたわけだし当然か(笑)。

さて朝食後はビシタクシーを借り切って、全然下調べをしていないここカマグエイの市内観光をしてからトリニダへと向かいます。予約時間の9AMの5分前に「ビシタクシー来たよ」との声掛けがありました(なかなかパンクチュアル)。そういえばここの従業員さんなのかご夫婦の息子さんなのか、「チーノはこんな感じだよね」とわざわざ自分の目尻を引っ張っていましたが(悪意でやったわけではない)‥


(あるわけないでしょうし、わからない or 変にこじれると大変なので心の叫びにとどめました)。

彼と一緒に写真を撮らなかったのはちょっと失敗‥なのか?



さて貸し切りのビシタクシーで市内観光です。よく「バイクツーリングのライダーとチャリダーとでは『見(え)ている景色が違う』」といいますが、確かにこの市内を車で回っても印象は薄いでしょうね。

結論として言えば、ハバナの旧市街の「入り込まなかったホントの市街地」よりももっとローカルな雰囲気を味わえてよかったのかなと思います。中心部の一部を除けば高い建物もないので威圧感もなし。

ビシタクシーのドライバーさん(名前忘れた)も気さくな方で、先を急がせるわけでもなくのんびりと。もっとも時間単位の料金設定なのでお客がのんびりしてくれたほうが彼にとっても楽なのでしょう(笑)。



最初に立ち寄ったのはここカマグエイを代表する‥わけでもないローカルな教会。うんうん、こういうところの方が好みなんですよ。ちなみに入口扉の上にはこんなイラストが設置されていましたが‥(左上画像マウスオン)、こちらもチェ・ゲバラ氏なのかな?

一方で壁にはフランシスコ法王の写真が。キューバ人の多くは元々カトリック教徒なのだそうですが、革命後に政府が宗教=まやかしだとして弾圧したため、宗教色が公式の場で前面に出ることはほとんどなかったようです。キューバ政府は1959年に宗教活動を禁止しましたがやがて徐々に緩和、1992年に信教の自由を合法化はしたというものの抑圧はいまだに残り、2015/9、法王がキューバ訪問時に「キューバ政府は国民に宗教の自由や実践の手段と場を与えるべきだ」と演説したのも、そんな実情に対する批判でしょう。

ただ法王の陰に隠れて目立ちませんが、今回の国交回復に至る長年の経緯の中で忘れてはならないのが「カナダ政府」の存在です。アメリカとキューバが国交を断絶してもカナダは同調せず国交を維持し、「アメリカの意向」「キューバの意向」をそれぞれの国に伝達する中継地、いわば「長崎の出島というかオランダ」みたいな役割を長年負ってきたようなのです。

実際、2014/12にオバマ大統領がキューバとの国交回復を目指すと宣言する前から、カナダでは両国の実務当事者による折衝が何度も何度も何度も「秘密裡に」行われていたのだとか。こういうのを「外交」って言うんだろうなぁ。やるなぁカナダ、キューバ訪問の際、エアカナダで入国する場合だけは確実にツーリストカード(在日キューバ大使館では有料発行)が配布されるのもわかる気がするぞ(笑)。翻ってわが国では(以下略します大人なので)。



左上画像はまごうことなき「アメリカ屋」。間違いなく国交断絶中から存在していたに違いない店舗ですが、キューバ政府は店名改名までは迫らなかったようですね。第二次大戦中、「アメリカ」という言葉だけでなく英語そのものを「敵性語」としてその使用をやめさせた日本とはちょっと(いやだいぶ)違った感じだったようです(確か野球の「ストライク」も「よし一本」、「三振」を「よし三本、それまで」というように言い換えられたんじゃなかったっけ?それでもキューバも日本も「敵性競技」だからといって野球を禁止にはしなかった」という点では共通してますね)。

道路にはアボカド売りの自転車屋台のおじさんもいました(実はTakemaより年下かもしれませんが)。右上画像ではわかりませんが、実は完全にカメラ目線でポーズを取ってくれています。時折売れているようでしたが(右上画像マウスオン)、円形状のように見えているアボカドも、実際はちょっとナス系形状でした。このあたりの品種は多かれ少なかれそんな形なのかな?

さてこのあとはどこに行くのかなぁと思っていたら(如何せん下調べ皆無なので)、「Teatro=Theater=劇場」だとのこと。





何でもこの劇場はキューバでも2番目に古い歴史ある劇場なのだそうで、創建は何と1850年!(江戸時代だ‥ま、その時代なら日本にも芝居小屋はあったか)。カマグエイの文化施設として重要な施設&役割を果たしてきたわけですが(特にクラシックバレエ)、途中火事に見舞われ、1926年に再建されています(創建当時の建物がどこまで残っているのかいないのかは不明です)。だから、



最上部中央には「TEATRO PRINCIPAL(「中央劇場」と訳せばいいかな)」の文字が誇らしげですが、その両サイドには創建年&再建年が記されているわけです。とはいえ再建からだって間もなく90年ですからね。

いくらだったか忘れましたが入場料を払うと中を見せてもらえるということでもちろん!(高くはなかった)。で、ホールやステージの照明も付けてくれたのでサービスいいなぁ(笑)。




エントランス付近には、建設当時の劇場の絵が掲示されていました。なるほど2F両サイドの窓の形状などはそのままですね。火災があったとはいえ現在と同じ石造りの建物であったのであれば、内装はともかく躯体は案外昔のままなのかもしれません(その場合地震には弱そうですが)。

階上に上がる階段は曲線構造で大理石を使用した立派なもの。往時の「上流階級ご一同様」がここを上ったり下りたりしていたででしょうね(右上画像マウスオンで俯瞰画像に変わります)。さてホール内に入ってみると‥



今となってはこぢんまりとした客席数ながら、この規模の施設が19世紀半ばにここキューバの地方都市にあったということにびっくりさせられます。ん、前方の舞台下には!(右上画像マウスオン)、



というわけでものすごく本格的な劇場であるというわけです。えっと、あれ、あれれおしんこどん、どこへ行くの?







もっともおしんこどんもクラシックバレエを習っているわけで、おそらくは「予期なく血がたぎった」のでしょう。なおこの光景は先ほどお金を払った方々(おばちゃん)も目にしていたはずですが、制止はなくてよしよし(ちゃんとステージライトも点けてくれたわけですからね)。

そんなわけでおしんこどん満足のあとは市内の中心部広場へ。さすがにこのあたりになると周囲はみな3-4階建ての建物になります。



整備された広場で寛いでみたりしますが、両上画像ともよく見ると遠景に肖像画が写ってますね。右上画像はハバナの内務省ビル壁のミニチュアたるチェ・ゲバラですが、左上の建物の屋根にいたのもやっぱりチェ・ゲバラ写真画像でした(笑)。

それにしてもフィデロ・カストロの肖像画とかって本当にないですねぇ。あの方もそろそろ90歳に手が届く=カウントダウン年齢になってきたわけですが、同じ革命の戦士たる弟ラウルとて今年(2015)で84歳、その後が心配だなぁと思っていたら、どうやら次は「血族世襲ではない」流れでいきそうな様子です。北のどこかの国とは違うわけだ。



身体の角度の違い&端っこに行くほど横幅が強調されるというレンズの特性上なのかもしれませんが、左上画像のおばちゃんとビシタクシーのドライバー(われわれのドライバーに非ず)との体型的コントラストがあまりにも鮮やかすぎてリンダ困っちゃうかも。

で、その昔路面電車が走っていた時の線路はそのまま残されています。雨に濡れた線路はやたらに滑りやすくなることもあり、自転車が多いこの国では案外危険なのかもしれませんが過去の歴史を物語る遺産としてはなかなかいいなぁと思います(こういう発想がついぞ日本のお役所にはなかったのですよ!)。まぁこの石畳舗装は後付けなのでしょうが(右上画像マウスオンで「鉄路保存区域終点部分の石畳画像に変わります)。ちなみにこの街並みは世界遺産の指定を受けています。それに‥




(しかも真ん中の建物=迎賓館はただ今絶賛塗り直し中だったし)



周辺を見渡せばこんなオブジェも。GDPだけでは推し量れないキューバ人の遊び心が伝わってきます。



ビシタクシースタンド。後ろに突き出た板は荷物スペースなのでしょうか。そうだとしたらもう少し工夫の余地がありそう(石畳だし)。



もう見慣れたクラシックカーですが、先頭部には飛行機が(右上画像マウスオン)。馬車は観光用ではないですよ。



どう見ても工事現場用のハウスをそのままトラックに積んだとしか見えないバス。交差点にはしっかり水甕が。



このあとは「カジノ(CASINO)公園」へと入っていきます。別に賭け事関係のワンダーランドというわけではなくただの公園です。やっぱり車が通らないし木陰をゆっくりと進んでいくので気持ちがいいですね。



公園内で休憩です。最初に目に付いたのが左上画像の「洞窟」。まさかこんな所に鍾乳洞が下から隆起してきたわけでもなく、これはスペイン人の芸術家の「作品」なのだとか。

それはともかく、気になったのが右上画像のベンチで何やら少女のおめかしをしている女性たち。もしかして‥と思ってビシタクシーのドライバー氏に聞いてみるとやはりそうだとのこと。それはつまり‥


(あ、すべて雑誌「旅行人」の受け売りです(笑)。)

つまりはその準備中というわけですね(確かに女の子が着ているのはドレスだし)。なお写真を撮らせてもらえないかとドライバー氏を通じてお願いしてみたのですが、母親らしき人から「No」と言われたとのこと。キューバ人は写真に関して断ることはほとんどないので、「きっと、晴れの日だけに母親もナーバスになってるんじゃないかな」とのことでした。さもありなん(あと、「ただ今メイク中だった」こともあるのかなと。



続いては「革命広場」のような場所へ。まぁここはいいとして‥



近隣にあった高層ビルは何と団地でありました。でも洗濯物とか布団とかを干すのが大変そう‥



うわ、立派なスタンド&ナイター用照明付きの立派な野球場が!さすがキューバ第三の都市だけありますね。



次にやってきたのはサン・ファン・デ・ディオス広場。ここには教会もありましたが、おみやげ売りの露店があったので冷やかしで見ていると(買え買え系の猛烈プッシュ等はここでもありません)、どのお店もまぁ似たようなものを売っている中で、クラシックカーのミニチュアを並べているお店があったのでしばし観察。



なかなか良くできてるなぁと思って手に取ると、これが何と陶器製なんですね。素焼きで焼いたものに絵の具(ペンキ?)で色づけしたもので、そこそこ大きめのものでも(参考までにタバコの箱を置いてみました)それほどお高くもない‥というわけで、もう一回り小さいやつを2つ購入。他の場所では見かけたことがないので(手仕事バリバリだろうし)、まぁよかったかなと。最後に店員さんと記念写真(右上画像マウスオン)。

このあとイグナシオ・アグラモンテ広場(左上画像マウスオン)に立ち寄ったりしながら宿の近くのカルメン広場へと向かいます。



ビシタクシー、右左折はちゃんと手を挙げて周囲に主張しながらの進行です。



広場にはブロンズ制のモニュメントがあちこちに。一瞬大砲の弾運びかと思いましたが‥水甕ですね。

そんなわけで宿まで戻ってきました。料金支払い時に多少もめましたが、何とか最初の料金で済んだのでよかったヨカッタ(もっとも、ここまでいい雰囲気で来たのに最後にもめると印象が悪くなりますね)





そんなわけで最後に宿代&食事代のお支払い。上から順に宿泊代、夕食代、朝食代、ボトルワイン代(1本)、ビール代(2本)、それに宿外の有料駐車場の駐車代5CUCを合わせて73CUCです。日本円に換算すると大体9000円弱というところでしょうか。1泊2食アルコール飲み物込みの2人分料金としてはこんなところでしょう。

最後にそれぞれご夫婦と記念写真を撮った上で出発です。もうお昼近くなっていました。観光客ズレしている人が多いのがちょっと気になったりもしましたが、なかなか楽しかったぞカマグエイ!

[戻る] [次へ]