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- 2019夏、ジョージア編(3) ダイジェスト(ジョージア&アルメニア+ウクライナ+トルコ) -



高原にはためくジョージア国旗。ジョージア人たる帰属意識は日本人の比ではないのかと。

さてジョージア旅行記ダイジェストページなのですが、今回はジョージアがメインとはいえそのあとちょこっとアルメニアにも行きましたし、ウクライナでは「チェルノブイリ原発周辺」をめぐるツアーにも参加し、そして最後のトルコでは滞在時間が24時間に満たないにもかかわらず無謀にも往復国内線でパムッカレにも足を延ばしたりしたわけです。

ということで、ここではその旅行記全てのダイジェストを画像及び動画でお届けします。ただ、ウクライナのチェルノブイリ編(&その続きの1日だけトルコ編)は本編では独立コンテンツにしようと思っています。主旨が全然違うのでね。なお今回の旅程は以下の通りでありました。

7/26 夜にNRT成田出発
7/27 (トルコ)イスタンブール早朝着、国際線乗り換えで(ジョージア)バトゥミへ。
ここで渡辺さんと合流し(エレバン空港からの出国まで)、この日はズグディディまで(泊)。
7/28 ズグディディからメスティア(ランチ)、そのままウシュグリへ(泊)。
7/29 ウシュグリからシュハリ山麓ミニハイクのあとメスティアへ(泊)。
7/30 メスティアから温泉寄り道のあとクタイシへ(泊)。
7/31 クタイシからカツヒの僧院及び南オセチア境界近くの国道を通り
回り込む形でボルジョミへ(ランチ&温泉)。ヴァルジアに移動(泊)。
8/1 ヴァルジアから高原地帯を移動しつつ首都トビリシへ(泊)。
8/2 トビリシからカズベキへ。午後は結果的にフリータイム(泊)。
8/3 トビリシに戻り、早め到着なので洗濯(結局宿のマザーが洗ってくれましたが)。
8/4 トビリシ市内うろうろ、そのあと夜行列車で国境を越えてアルメニアへ。
8/5 早朝エレバンに到着後、ハンカヴァン&アルカザン温泉を巡る(エレバン泊)。
8/6 エレバン郊外を巡ったうえで午後便でウクライナの首都キエフへ(泊)。
8/7 キエフ発のチェルノブイリツアー(1泊2日)に参加していろいろと。
8/8 ツアーから帰着。なかなか勉強になったけれど疲れました(キエフ泊)
8/9 キエフで自由行動なれど、歩き回りすぎて余計に疲れました。
8/10 1AM台でのフライトでイスタンブールへ。よせばいいのにパムッカレに
行こうとしてクソ面倒な状況となりました。湯にもゆっくり浸かれなかった。
8/11 これまた成田行きは真夜中発の便なのでありました。



イスタンブールから、首都トビリシではなくバトゥミ空港経由でジョージア入り。小さい!



木造のイスラム寺院。若い人がキリスト教に改宗してしまい、先行きはなかなか大変なのだとか。



ジョージア料理の基本は煮込み肉。美味しいんですが‥。香草が嬉しいしパンも美味しいです。



ツーリングライダーも時折見かけますが、ウシュグリへの道路状況はあまりよくありません。



この付近の塔には地域ならではの事情があるのですが、その理由については本編にて。



翌日は快晴!5193m、シュハリ山麓のミニハイクを満喫しました。



ウシュグリからメスティアに戻りますが、なぜこんな所に表彰台があるのさ!(笑)。



この一帯で唯一?塔の屋根の上まで登れるというのでナントカと煙よろしく行ってみました。



夜は等のライトアップがなされるメスティア。撮影には橋の付近がお勧めかなと。



こ、これですよコレ!極上微白濁の含硫黄泉!野湯なので料金は不要、温度も絶妙です!



続いてもういっちょ!湯温が高く、湯は脇の窪地に導かれています。なお私有地内ですので要許可。



親指岩のてっぺんには僧院が。すごいハシゴだなこりゃ(一般人は登れませんが)。



そしてこちら。源泉100%の温泉プールを楽しんだあとは、温泉バズーカ砲との対決でありました(笑)。



おお、こちらも晴れましたぞカズベキ山!今回は天候に恵まれた旅となりました。



ジュタでは、30分登るだけでこんな悦楽世界に身を置くことができます。



トルコのパムッカレのミニ版がジョージアにもありました。で、この旅の最後はその「本家」訪問でした。



ジョージアのレストラン、音楽演奏はマイクもスピーカーもなしでいい感じよ。



自家調合の香辛料を購入し‥ん?右上画像の男性、何と大関栃ノ心のお父さま!自家焼酎で乾杯!



首都トビリシでジョージアの〆湯。観光客の来ない、地元民御用達の個室風呂というゼータク!







トビリシからアルメニアの首都エレバンまでは夜行列車で移動できますが‥え、ナニソレ?



しかし、「ノアの方舟」伝説の地アララト山を眺めることができました。エレバン駅のWiFiは弱くて遅い。



アルメニアでも温泉*2!それぞれにいい温泉でした。というかアルメニアは温泉めぐりだけだったかも。



夕ごはんで民族音楽。男性歌手の歌はよかったなぁ。しかし中央広場のライトアップ噴水よどうした!







キエフ駅至近の宿なのに、何ですかこの落ち着いた雰囲気は!この宿はオススメ。



ウクライナ訪問のメイン目的は「チェルノブイリ訪問」でした。原発20kmのゲート外には一面の向日葵。



ここを再び住める地域として復興させる計画はありません。かつての村は森に飲み込まれつつあります。



チェルノブイリ訪問者の定番画像です。避難に伴い「存在を失われた村」の看板が並べられています。



線量計によると、事故後33年後のこの時、地上1mでの計測で高線量の場所はごく一部でした。



3000人が退避させられた村の現在の線量値はこの程度。イタリアのナポリが花崗岩由来で0.13だっけ。



チェルノブイリ村の商店はただ今大盛況。なぜなら村内に泊まる人々がたまたまバスで何台も集結!英語OK。



東西冷戦時代の遺物レーダーの機能を説明して下さったガイド氏。自分の能力ではほぼ理解不能(無念)。



ただしここは冷戦当時の最前線でもあったわけです。この場所は説明っぽいですが(文化祭みたい)。



やっぱりこういう機器を見ると、一定の指示系統もあったのだろうなぁと(でもね実は@本編にて)。



空間線量値は地上1mで測るのが基本でガイドさんは少し下過ぎ。でも思いきり近づけてみると‥

ただしこのことだけはここで申し上げておきたいと思うのは、右上画像のような計測データは本来全く意味をなしません。「空間線量値」という基準データにより世界各地の線量値は日々計測されており、その標準データに基づき線量値の変化が分析されているからです。

「41.36mSv/h」という計測がなされていても、それはこの金属の物体に直接寄り添って何日も何十日も過ごせばどうなのかとは思いますが、「/h」、つまりは1時間あたりですよね、われわれはこのホットスポットにせいぜい数分しかいませんでしたし、そもそも‥





このことについては本編で詳しく書きます。個人的には「放射線は敵ではなく、いかに付き合っていくかが大切で、その付き合い方次第ではごく普通に生活ができる」のだと思っていますんで。ガイド女史も、「地球上で、自然放射線量がゼロの場所など存在しません」という事実をしっかりアナウンスなさっておりました。以上、ダイジェストページではありますがしっかり書きました。



16階建てアパート屋上から見るプリチャチ市はとなっていました。右上画像、同じ場所なんですよ。



かつてのスーパーや、数日後に開園直前だった遊園地など。まだまだ行きました(疲れたけれど)。



お昼ごはんは原発関連で働く方々と同じ食堂にて。その前に全身チェック。館内の線量値はご覧のとおり。



ビュッフェ形式。事前のネット検索では「不味い」という記載もありましたが、悪くないです特にボルシチ。



それにしても、「あのチェルノブイリ」の直近に自分が(こんなふざけた格好で)来られること自体が驚きでした。



このあとキエフに戻り、翌日は深夜にチェックアウト。うっそぉ、何だよ空港列車たったの2両編成って!







無理して来た甲斐はあった?いや、でもやっぱりせめて1泊の予定が正解だったか?



夏の盛りの週末に左上画像の有料温泉を目指した自分が馬鹿でした。じぇったい右上画像のほうが楽しかった!



大汗を流す間もなくイスタンブール経由で成田に戻り旅行完了となりました!あっつい!

ではでは、ダイジェスト版の動画をご覧いただいた上で、次ページからいよいよジョージア旅行記のスタートです!動画は出し惜しみこそしていませんがかなりカットしていますので、本編をご覧いただければと存じます。



ジョージア編その1
ウシュグリからメスティア付近です。



ジョージア編その2
温泉三昧というべきなのでしょうか(苦笑)。


ジョージアからアルメニア編
温泉以外の下調べをしなかったアルメニア、ちょっと後悔。




ウクライナ(というかチェルノブイリ)&トルコ20時間編
やはりここには行っておきたかった「チェルノブイリ」。パムッカレは失礼ながらおまけです。

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