- 2019夏、ジョージア編(13)高原地帯を走り抜け、いざ首都トビリシへ -



ひさびさにNZみたいな羊の大移動が見られました。数千頭いたんじゃないかな?



ヴァルジアからE691号線に戻り、南東方面のアハルカラキ、ニノツミンダ方面へと進んでいきます。このあたりはかなりローカルな国道のようで、車の往来も多くはありません。舗装もあまりよくないし、何だか道路インフラがイマイチだなぁと思っていたら、渡辺さんいわく、この地域にはアルメニア系住民が多く住んでいることも関係しているんじゃないかとのこと。つまりは政府による地域差別かと伺ったら、やはりそういう側面はあるだろうとのことでした。



谷あいの道を走っていたら、川側にいきなりの廃客車発見!これは、見えてはいませんが下を流れる川に掛けられた「橋」として利用されているのではないかと?しまった止めてもらえばよかったと思ったのは既に数百mを進んだあとだったので断念。

アハルカラキの街は川から急坂路のワインディングを上がった先にありました。なぜここに街ができたのか不思議です。水利的には圧倒的に不利な場所ではないかと思ったからなのですが、グーグルで地形を見てみると、谷が深くなるのはこの街の下流からなのですね。なるほどそれなら上流部で採水してほぼ平坦な街全体に配水できるってわけか。



続いてニノツミンダへ。こちらのほうが大きな街ですが、何と電柱のトップに鳥の巣が!何羽か立ち上がっているのは巣立ちを控えた若鳥でしょうか。というわけで右上画像をズームしてみると‥



これは何と「コウノトリ」なのだそうで、南の隣国アルメニアではこういう営巣がよく見られるのだとか。しかしこうやって市街地のど真ん中の人工物に営巣するというのは、ツバメなどと同じように天敵から身を守るための本能的所作なのでしょうか。

さてニノツミンダ市内を左折して、いよいよトビリシ方面へと向かいます。とはいえここからトビリシまではまだ200km弱、約3時間かかるわけですが。そしてここからのルートは、まさに「ハイランドを行く」気持ちのいい展望ルートです!





標高2000mを越えるエリアをいくこのルートは基本的に草原が続き、それゆえ畑作ではなく牛や羊の牧畜がメインの生業となっているようです。ジョージア屈指の広々とした展望ルートで、もしバイクツアラーなら、草原や湖を目にしながら直線&高速ターンを描くこのルートのハイライトエリアはたまらないでしょう(ただし冬期閉鎖です)。



高原地帯には大小3つの湖が。遠くに目をやれば牛や羊の放牧。湖にはペリカンの姿も。



あ、手前に目をやれば、干し牛糞(調理や暖房燃料として使用)もありますし、それこそ集落内では漬け物(ピクルス系酢漬けでしょう)も売られていたりします。なお無人販売のように見えますが、たぶん車が止まればソッコーでどこからか人が現れるシステムだと思います(必ずや気にかけてるはずなので)。さてここまで休憩なしで来たので、お昼前のお茶タイムということに。



こちらがカフェ。なかなか開店しなかったそうで、渡辺さんも開店後初めての訪問だとか。

しかし自分としては、道路を挟んだ反対側の状況が気になっていたわけなのです。それは‥





これも渡辺さんにお聞きすると、「標高2000mを越えるこの地では冬期に道路が閉鎖されてしまい、トビリシとニノツミンダ等南部地域との交通が途絶されてしまいます。そこで政府は鉄道を整備しようとしているのですが、本当ならもう開通しているはずなんですがねぇ」とのことでした。

今回ジョージアの鉄道をあちこちで見かけましたが(最後にちょこっと乗りました)、トビリシ-バトゥミ間などの幹線のみならず、準幹線区間にも旅客サービスを提供する区間がかなりあることを知りちょっとびっくりしました。で、この区間も開通目指して工事中、しかも運行本数が少なければ維持コストのかかる電化路線として‥。

どこかで聞いたのですが、ジョージアの鉄道網は「有事」を想定しているのだとか。確かに直近の2008年南オセチア紛争、また1992年のアブハジア紛争により、ジョージアは両地域の実質的な支配権を失いました(領有を断念したわけではないという点では日本の北方領土や竹島と同じようなスタンスでしょう)。

それゆえジョージア政府は「有事」を考えての鉄道整備を行っているということのようなのです。もちろん有事には軍人のみならず戦車等の軍用機材の運搬も考慮して。

その是非について語るつもりはTakemaの頭頂部と同様毛頭ありません(毛頭はまだありますが(自虐))。それにしてもこれが、



こういうところが「海という天然の要塞に守られた」日本に住むわれわれにはわからないところなのだろうと思います。ゆえに「天然ボケ」の方々も出没するわけで。

ただ、架線電化は「架線のどこかが切られれば」区間不通、「変電所がやられれば」全線不通となってしまうわけで戦時にはそれほど強いインフラだとは思えないというところも申し添えたいところですが、ディーゼル機関車系の準備も怠りないのだろうなと思うことにしておきます。



この時の休憩ではビールではなくお茶にしておきました。エアコンが効いているわけでもない室内温度は22.8度、標高は綿密な高度補正をしていませんでしたが右上の通り2000mを越えていました。表に出ると日差しは強いんですが、日陰に入るとかなり涼しい感じ。



女性が草を掻き集め、積もり積もれば牧草の山となるわけです(左右画像は全く別の場所ですが)。



あ、またコウノトリの巣があった!渡辺さん、お知り合いのところにちょっと立ち寄り(われわれは下車せず)。

この道路沿いには大小3つの湖があるのですが、一番風情があるのは一番西側のサガモ(Saghamo)湖です。いい写真を撮れなくて残念無念。ニノツミンダからだと湖を俯瞰する感じで下っていきますんで実にいい感じなんです。トビリシ側から来るとどう見えるのかな?

さてそして、2つめの湖であり3湖の中で一番大きいパナヴァニ湖にてしばし休憩です。湖畔には修道院もありますが、渡辺さんいわく「あそこに行くと長くなる」云々とのことだったので(笑)、とりあえず湖畔に続く草原を歩いて行くことに。いや、もともとそんなに宗教施設に興味はないんで問題なし(日本でもそうです)。







左上画像が修道院で、右上画像はインスタグラム向けに構築された(うそつけ)モニュメントです。なお十字架の横の棒が垂れ下がり系なのはへたったわけではなく、おそらくジョージア正教のデフォルト、すなわち磔(はりつけ)にされたイエス・キリストの垂れ下がった手をイメージしているのかと思うのですが(いくつかの教会でも同じような意匠の十字架でしたので)。



さて湖岸までやってきましたが、実は岸までには1mくらいの段差がありますんで降りられず愕然。で、修道院側には湖岸に下りられそうな場所があったのでそちらへ移動しましたが‥何このバス停みたいなやつ?(おまけに屋根のアクリル板だか何かは全部吹っ飛んでますし)。船着き場の待合所としても、そもそも近隣には修道院しかないわけで、だったら修道院内で待てばいいのに?

というわけで何だかよくわからない施設はまぁどうでもいいのですが、ちょっとびっくりしたのが左上画像に見えている「湖水の色」。これはカメラの自動補正によるものではなくまさにこんな色でした。

雰囲気的にはNZ南島のテカポ湖、いや、雰囲気的にはテアナウ湖にそっくりの湖なんですが、湖水は「有機物たっぷり」系の色なんです。この湖水の規模と2000mの標高、そして周辺の牧畜規模を考えれば「なぜここまで濁っているんだろう?」と思わざるを得ません。今でも不思議です。



現地の真夏なのに気温は高くなく、それでもこの湖の色、そして確かに藻も繁殖していましたねぇ。



というわけで、「パナヴァニ湖は遠くから見るのが大吉」という結論に至った次第です。ま、右上画像のようにヤナギランも生えていますのでそちらをメインにすれば湖水の色も目立たないか。



特に保護されている草原でもないのでちょこっと入り込んでパチリ。



とてつもない高さまで積み上げられた牧草。なぜその高さまで?という不思議さもありますが、もしかしたら地場系宗教に名指すものなのかも知れません。そういう思いで見てみるとこの牧草塊はヒツジにも見えますし、そもそもそんな見方を否定する人は右上画像で放牧作業に従事なさっている方も「動物虐待の張本人」と言い始めるのかもしれません。あ、わたしは「ヴィーガン」という方々には否定的な立場です。要は自分の主義主張を他人にまで強制するなってことに尽きます。





ただの命の搾取ではないということ。農牧畜に携わっている方々ならもちろんご存じでしょう。そもそもわれわれは動物のみならず植物由来の食物をも食せずにはいられないのですが、植物には命がない、心がないとどうして言いきれるのでしょうか。

欧米発の「自称自然保護団体」にはその点での傲慢さというか自分たちの価値観の押しつけを強烈に感じます。ま、キリスト教的価値判断なのでしょうが、自分としては全く理解できませんし、理解したくもありません(断定)。きれいごと的な言い方ですがわれわれは「生きとし生けるもの」として全て平等なのです。人間として「選ばれて」この世に生を受けたわけではなく「気がつけばたまたま」この世に生まれ出ていただけなのですから。



というわけで話を旅行記に戻しましょう。標高2000m越えの高原&湖沼地帯もそろそろ終わりで、ここからは山を下っていくこととなり、それと同時に気温も上がり始めます。

ちなみに実に展望のいい好ルートなのでありましたが、一般的ツアーなどではあまりこのルートが使われないのだとか。なぜだろうと思って理由を聞いてみると、渡辺さんいわく「アルメニア系住民の比率が高いからですよ」とのこと。民族間の差別意識について伺ってみると「普通にありますよ」とのことでした。そして、「わたしなどはこの国に来てから常にマイノリティですからねぇ。」多分に実感を含むお言葉なのではと存じます。



それでもまだこのあたりは涼しいです。トビリシは間違いなく30度越えだろうけれど。



途中の町(名前忘れた)でお昼ごはんとなりました。食堂は安定の看板なしで、中をのぞいてみない限りここでごはんが食べられるかどうかはわかりません。看板がないのはソビエト時代からの「伝統」だと思うのですが、ではなぜ看板がないのか?と考えてみたところ、至った結論としては「必要がなかったから」としか思いつきません。

ではなぜ必要がなかったのかと考えてみると、「現在のようにその地域に不慣れな外部の者(旅行者)がやってくることがなかった=地元民であればどこに何があるのか皆わかっていた」という推論に行き着きます。その感覚的習慣が今に至るまで残っているのかなと。でもそろそろ切り替えて欲しいなぁ。



店内にはメニュー表がありますがジョージア語表記のみなので当然読めません。で、店主の方に確認した渡辺さんによると「いま注文できるのはあれとあれ、あとアレだけです」と。うーんなかなか往時の社会主義国っぽいぞ(笑)。



こちらの食堂ではテイクアウェイも積極的に実施しているらしく、それ専用のキッチンもありました(左上画像)。まずわれわれはビールで乾杯!(おしんこどんは自粛)。



真ん中の、豚骨スープのように見えるスープは薬膳系でして、でも味がなくてねぇ(スープは飲みきれず残しました)。というか前にも書きましたがちょっと飽きてきましたジョージア料理。今宵はトリビシ泊なので外国料理を食べたいなー。



なおテーブル付近の温度はご覧のとおりで、午前中に休憩したカフェに比べればすでに5度近く上がっています。まぁ湿気がないので暑いとは感じませんでしたが、ここからさらにぐんぐんと標高を下げた先にトビリシがあるわけで、暑そうだなぁ。

あ、あとからお越しになったお客さんが焼酎(ウォッカ)を注文していたので(一気に干すのがこっちの流儀)、自分たちも飲んでみることに。うーん、度数が高くてウマイのかそうでないのかがよくわかりません(苦笑)。その昔(1989-90)NZワーホリ時代には南島をそこそこトランピング(トレッキング)をしていたんですが、テント山行ということで「荷物軽量化の一環」として「アルコールはウォッカ持参、少ない量で酔えるので」を実践していたことを思い出します。あの時の発想は「味はどうでもいい、酔えれば御の字」だったんですよね(笑)。それにしても、もう30年も前のことなんだなぁ(遠い目)。



そして出発です。日差しが痛いレベル!で、渡辺さんから「明日以降は車=ドライバー(シャルワさん)が変わるかも知れない」という旨を伺っており、そういや一緒に写真を撮っていないぞというわけで、まったく観光地でもない草原で記念写真を撮りよしよし。なおこの翌日、宿にやって来た車は安定のエスティマ、つまりはシャルワさんでありました(笑)。

というわけでここまでの高原地帯動画をご覧下さいませ。





まもなくトビリシというあたりで「対向車が来ても平気で反対車線に出る」というジョージアの運転見本みたいな車列です。でもこの車列は要人系なのかな。というわけでいよいよ首都トビリシに入っていきます!

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