- 2019夏(28) 、ウクライナ編(4) 「輝けるチェルノブイリの地」へ。 - 事故後設営された公園には何と折り鶴のオブジェが。おしんこどん、何と「持ってました」! |
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ゲートを通り抜けてゾーン内に入り、10kmほど進むと(グーグルマップで計測)そこそこ大きな川を渡ります。ウズ川(Uzh river)に架かる橋だと思いますが、ガイドさんいわく、「村に戻りたい人々は多かったが、この川がその思いを叶えなかった。この橋を防御(通行不可と)することで管理側は多くの人々の侵入を防ぎ、そしてその人たちの希望を打ち砕いたのです」と。 |
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橋を渡って少し進んだところ、最初に立ち寄ったのがZalissya村でした。記録がアバウトなのですが、この村の住人は3000人くらいだったそうです。確かにそのくらいの規模と施設はあったかも。多分すべてのツアーバスが立ち寄る村かと。 |
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基本的に「自由に歩いて下さい」というスタンスでした。この村はそうでもないようでしたが(相対的な汚染濃度が低かったため?)、当時のソビエト軍は村人の帰郷を抑止するため窓ガラスを割り、また建物や生活物資を土に埋めるなどの作戦行動を行っていたようです(Kopachi村など:後述)。 |
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今となっては「森」の中に建物が点在しています。内部には自由に入れますが、何だか切なくなりますね。ただ、事故後に明らかに「脚色」されたと思われる場面も多く目にしました。 |
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(30年前の見開きとは思えません) |
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さてかつてのメインストリートを進んでいき、かつての家々を見せていただいたわけですが(これはある意味財産権の蹂躙ではないのかとも思いつつ)、地上1mの空間線量を確認してみると‥ |
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(場所による変動はありましたが、この村では0.15-0.17μSv/hでした)。 |
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ちなみに2020/2/8(このページをタイプしていた日)のリアルタイム放射線量は福島県富岡町の双葉警察署で0.177μSv/h(マイクロシーベルト、以下同じ)。参考までに各都県で数値高めのところを抽出してみると、福島県福島市内で0.196、東京では新宿で0.037。西日本では大阪府東大阪市0.077、山口県山口市0.093などなどでした。 |
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ここは公園だったのでしょうね。遊具が残されています。ただここも明らかに刈り払いが。 左上画像は第二次大戦の出征兵士に関する記念碑。右の建物は公民館「入口」(вход)。 映画上映や集会などプロパガンダ活動のため、どの村にもこのような施設が建設されていたとのこと。 東側製の自動車「LADA」?放置、そして納屋の中2階には牧草が(妙に新しくないか?)。 ただいずれにせよ、のんびりした村だったんだろうかなと往時が偲ばれます。 |
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このあとしばらく車で進むと、チェルノブイリ市の入口です。ここにはしっかりとしたオブジェがありますので記念写真タイムというわけで。 |
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てっぺんに原子マークが鎮座し、右側にはソビエト国旗のシンボルである鎌と槌(農民と労働者の団結を意味していたんですね=知らなかった)、そしてさらに右側には大型クレーンを用いた建設現場。 |
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なめた格好でポーズを取るTakema、来し方を見ればそれこそ一直線の道路が。 |
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ここチェルノブイリ市内にはいろいろな記念(追悼)施設がありまして、それぞれを訪問します。 |
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「The Third Angel」。事故で死傷した人々への敬意を表しています。 |
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ツアーではまず間違いなく立ち寄るであろうこのエリアは英名で「Star Wormwood」。Wormwoodって何だよと調べてみたら「よもぎ(蓬)」=植物の英名だそうで、実は「チェルノブイリ」という地名がよもぎに由来しているのだとか。あえて意訳すれば「輝けるチェルノブイリの地」という感じでしょうか。この記念公園エリアは原発から15kmほどの場所にあります。 |
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そしてここもまたツアー参加者の誰もが写真を撮る場所(というかすぐ上の画像にもこの場所が見えています)。これはかの原発事故によりゴーストタウンと化した各地域の名を記したロード。幾つとも知れぬ地域名を示す標識が並べられており、これらはすべて事故後全域(または一部)避難&封鎖された市町村(や日本でいう「字」もあるのか?)なのです。その避難人数は‥ |
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まぁwikipedia情報は「そういうこと」なのでしょう。でも「情報収集の端緒」としては役立ちますし。 |
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なお一部のサイトで紹介されている「裏側には赤い車線が引かれ、今はもうその町や村がないことを示している」という情報は明らかに誤りです。欧州寄りの側では地区名標識に引かれた赤車線は単に「そのエリアの終わり=境界」を表すに過ぎません。それ以上でもそれ以下での意味もないと思われます。 |
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その先には、この地域の「私書箱&ポスト」もありました。このポストの存在を事前に知っていたら、いろんな方々へのお手紙をここから投函したのに。ただ私書箱ボックスにはお手紙は見られず‥33年が過ぎていますからねぇ。 |
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このオブジェはまさに「チェルノブイリから福島に寄せた祈りと想いを込めたメッセージ」で、2011年に設置されたのだとか。で、ガイドさんがその説明をなさっているタイミングで追いついたわれわれ、おしんこどんは急いで荷物の中から折り鶴を出してきてガイドさんに手渡しました。 |
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さてこのあとはそのまま歩いて地域の教会へと向かいます。 |
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チェルノブイリ市内の要所要所は当然除染されているはずで(「Star Wormwood」メモリアルはもちろんのこと人的活動のあるエリアは特に)、この教会敷地内も除染済みでしょうし、定期的に園地お手入れも行われているはず。しかしこれだけ手が入っていても、現在は無人の教会で、内部を見学することはできません(司祭は宗教的儀式の際に戻ってくることがあるようです。その時は内部も見学できるのかも)。 |
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なお教会の前には儀式などで人々が礼拝に訪れた際に使用すると思われるテーブルの列が。これ、ざっくり200人くらい同時着席可能です。やはり地域の「心の礎」なのでしょう。事故から30年、当時のものは朽ちてしまったはずなので、このテーブル群は再入域が可能になったあと造り直されたものなのかと。 |
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園地内には慰霊塔が工事中で、完成予想図によるとこの上に尖塔が設置されるようです。その場内に掲示されると思われる、当時の作業員の方々や作業の様子を撮影した画像が掲示されておりました。 |
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