- 2019夏(33) 、ウクライナ編(9) プリピャチ市内の遊園地やスタジアム、貯水池など -



オープン5日前の原発事故。ここに子どもたちの歓声が響くことはありませんでした。

続いて市内をめぐります。お次はある意味「現在のプリピャチの象徴」的な存在となっている遊園地です。1986/4/26に起こった原発事故、翌27日には「リクビダートル」と呼ばれた都市保安要員を除く全市民が退去となったわけですが、この遊園地はその5日後、5/1(メーデー)にオープンする予定だったそうです。ということは(一般的には)オープンにむけた最終準備を施していた段階だったのでしょうが‥





スーパーカーのイメージですね。ぶつかり合うこと前提の結構激しい遊具だったのかも。



これは見たとおりくるくる遠心力系かと。木製の椅子が今も健在なのがびっくり(33年ですよ!)。





いや、暑かったものでついうっかり(申し訳ない)。このあとちゃんと上着(確か岩手県一関市のユニクロで買った薄物カーディガン)を再着用いたしました。さて奥に見えている観覧車ですが‥



現在も完全な形で姿をとどめています。どのカゴも破損せぬまま33年。



実はこの一番下の場所がかなりのホットスポットだったようです。まぁ知らぬが仏だったということで。なお馬鹿はどこにでもいるようで、某国人がこの観覧車を「人力で回す」という暴挙にでたこともあったようです。どうやらドローンも使っての撮影だったようで完全に確信犯。情けないなぁ。ここで亡くなった方はいないとはいえ、ここプリピャチ及び原発事故汚染地をなめているとしか思えません。それと共に思うのです。



ここでいう「学ぶ」とは当然ながら「知識として自分の中に取り入れる」ことだけではなく、「今後の自分の判断及び行動にその知見を生かす」ことまでを含むはずです。

しかし、それができている人はいったいどれだけいるのか?学習とは?津波一つとっても逃げずに「これくらいなら大丈夫だ」と考え実際行動を取らなかった人は高年齢層に多かったようです。「たかが数十年の経験」「科学的知見」を押しのけるだけの絶対性を持ってしまうわけで、実に恐ろしいことでもあります。



こういうのをここに遺す人も根っこは同じですね。



お天気はすっかり回復し、まさに「森林浴」のような感じになってきましたが、自分の目の前にぶら下げた線量計は0.4-0.7μSv/hを表示しています。それでも東京都心と比べて10倍-20倍くらいはあるわけです。しかし33年前、ここプリピャチの放射線量はこんなものではなかった‥。

当時のソビエトの報告書によると、事故当日のプリピャチの放射線量は14~140ミリレム/時。換算すると140μSv/h~1400μSv/h(1.4mSv/h)、通常の自然放射線量の1000~10000倍だったということです(データソースはこちら=京都大学のサイト)。



続いてやってきたのはサッカースタジアム(アヴァンハルトスタジアム)。事故前は「ストロイテルプリピャチ」というサッカーチームがホームグラウンドとして使用していたようです。上画像は正面スタンドですから、ここから選手がピッチに飛び出してきたはずですね。



しかし今やピッチ内には御覧のように樹木が繁茂しています。



このあとは池のそばまで移動します。一段高台にはちょっとおしゃれな気配を醸し出しているカフェが。窓ガラスはそこそこ割れてはいるんですけれど‥



窓の内側(どうやら二重窓になっていたみたい)はステンドグラス模様になっていました。休日などは家族連れなどで賑わったんでしょうね。建物の隣にあったオブジェは何を意味していたんでしょう?



坂を下って船着き場へ。この池ももともとはプリピャチ川だったのかなとも思われますが、今は川と直接はつながっていません(もしかしたら事故後接続部が土砂で埋められたのかもしれません)。

少し先には船には珍しい2階建ての廃船が沈没した状態で留まっています。形状からするに、観光船というよりはレストラン船か何かだったのかな?

ここからは再び車に乗り込んで市内中心部へ。先ほど行かなかったエリアを少し歩き回ります。



崩壊しつつある学校校舎。いつかは建物の多くが立ち入り禁止になるかも知れません。



こちらは芸術系の学校およびミュージックホールっていうことだったかな?



うーん、確かにずっと後方にこのホールが写っていますね。



在りし日のプリピャチのホテルと党実行委員会の建物。



事故に関する避難等、対応の最前線になったのがこの建物だったようです。



ここは消防署だったんじゃなかったかな?Takemaは福島Tシャツ(ネガティブなものではなく、南相馬の復興を祈願する絵がプリントされたものです。当然野馬追のイラストも入ってます)を背中にしょって見学中(だからゾーン内は半袖はダメなんだって!)。

さてプリピャチ市内出入り口のチェックポイントを通り抜け、チェルノブイリ原発に続く鉄道線路を橋梁でまたぐわけですが、ここで車を降りて見学です。それは‥



左上画像は2019年5月から6月にかけてアメリカのHBOという放送局で放映された「チェルノブイリ」というドラマの1シーン。事故を起こした原発4号機から青い光が天空に延びているのを人々が眺めているという場面のようです(日本では放映されていないのですが、2020/4に密林経由でブルーレイが販売開始になるようです)。

この光は「チェレンコフ放射」ではないか、「いや、空気のイオン化だ」などと議論になっているようですが、実際に光るとしても、左上画像のように長く続く現象ではなかったようです。



線路は先の方で二方面に分岐しますが、右に分岐する線路は実際に原発敷地内に続いているようです。

で、ちょっと気になったのが、現役線路の隣に放置された旧線‥ん?よーく見るとさらにもう1本線路があるんですが?一番右の線路が現役なのはわかるとして、他の2線はどうして放棄されたのだろう?

調べてみたところ、旧線時代は電化区間だったことが確認できました。ただ電化区間を維持するためには保守管理が欠かせませんから、電化を放棄したのは正しい選択だったと思われます。でも、旧線が放棄された理由は結局わからぬままです。



そんなわけで説明を受けている間、われわれを撮影するマスコミ取材陣の姿も(笑)。



そんなわけで、プリチャチ市のエントランスオブジェまでやって来ました。このあたりは線量が高めです。なぜなら‥





それでも呑気に記念写真を撮ってますが(しつこいようですが半袖は駄目ですよ)。



他のグループは、雨も止んでいるのにレインウェア着用のままでした(正解)。

「赤い森」については前の方でも書きましたが、放射線量が高すぎて木々でさえ枯死してしまったエリアです。それらの木々は伐採され地中に埋設されたということですが、それらの作業も「人力」で行われたわけですよね(悲しき現実)。





さてこのあとはいよいよ大本営たる「チェルノブイリ原子力発電所」へと向かうわけですが、発電所見学の前に‥お昼ごはんでーす!少し長くなってきたので続きは次ページにて。

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