- 22019夏(34)&ウクライナ編(10) 作業員食堂でお昼ごはんのあと、いざ原発へ -



この日のお昼ごはんは、作業員さん御用達の食堂でいただきます。

さてランチタイム。原発のオペレーションセンターから少し離れた場所にある食堂棟へと向かいます。この界隈とて事故後は相当に汚染されていたはずですが、徹底した除染により放射線量値は低く抑えられています。でも、何があるかわからないので(作業員氏は特に)、まずはホールボディカウンターでチェックです(しかしその横に検査フリーの通路があったりするところが何とも云々。出口なのですが)。



というわけでチェック完了。Cs137も半減期を過ぎており誰も引っかかりませんでしたが(というかツアーの場合そんなに高濃度汚染地に案内しているはずもないですから)、そもそもこの計測器の基準値ボーダーはいくつに設定設定されているんだろう?



ゲートを通り抜けて階段を上がり食堂へ。30年以上前の無機質系学食といったところで懐かしくなりました(自分の大学の場合まさにこんな感じだったのですよ)。



サラダ、スープ、メインディッシュだったかの順番で取っていきます。メインは2種類あり。



こちらがこの日のランチ。ボルシチどーん(ちなみにボルシチはウクライナが発祥のスープ)、卵料理にえーっと何だったかな(いかんせん半年前のことを今さらタイプしている2020/2なので)。

でも、ここの食堂で食事をした日本人の一定数の方が「マズイ」というコメントをアップしていますが、自分としては「ウマウマというわけではないけれどまぁまぁいけてるんじゃないですか?」という感じでした。

いや、別に原発最前線の食堂だからというひいき目はなくて(この食堂から事故を起こした4号機までは1.5kmくらいかと)、そこそこいいんじゃないですか?厨房の皆さん頑張っていますよ。

なおこちらで働いている皆さんもおそらくは定期的に交代しているんじゃないかと思います。昨晩泊まった宿のスタッフも「3ヶ月交代」ということでしたし。福島第一原発勤務の場合は積算線量で交代しているという話ですが、いずれにせよきちんと管理がなされているというのは大切です。



食堂内の線量はこんな感じで問題なし。ランチ営業のラストだったのか最後はガラガラになりました。



外に出てみたら一気に天候回復の青空でした。この日は天気がめまぐるしく変わったようで、われわれが食堂棟に入ったあとにそこそこの雨も降ったみたいです。

で、食堂棟の真向かいは公式なのかどうかはわかりませんが喫煙エリアとなっていましたので自分も有り難く利用させてもらいました。あ、灰皿があったから半公式かな。

ここでおしんこどん「やっぱりトイレ行っていく!」ということで再び館内へ。またボディカウンターを通り抜けたのかな?







という割には皆さんリラックスモード、緊張感は全然ありません(笑)。







でも、ここでまた実に緊張感のないイベントが(苦笑)。鉄道の鉄橋(たぶんさっきの鉄路とつながってる)の上で休憩タイム、しかも‥





どうやらこの界隈には大ウナギが生息しているらしく、それは別に原発事故前からフツーに大きかったらしいのですが(これ重要=放射能による変異じゃない)、この時はこの界隈にそれほどいなかったのか食いつきはあまりよくありませんでした。右上画像は珍しく食いつきがあったときのものですが、それほど大きい個体ではなかったような。

なお、チェルノブイリ原発事故による地下水の汚染は驚くべきことに「皆無」だそうです。爆発による地上への物質拡散、それによる川の汚染はあったとは思いますが。自らの身体を張って地下タンク水抜き作業を行った当時のソビエト軍人には感謝してもしきれません。



線路は錆びています。現在は列車の通行はないようです(たぶん)。

ちなみにこの鉄路は、未完成のまま放置された原発5・6号機方面に続いているようでした。1-4号機と違い、あちらは未使用だったわけですからメンテナンスも基本的に必要なし。物資を運搬する必要もないということなのでしょう。



さてここで問題が発生。実は前日の移動中にガイドさんが「明日、管理センターの内部を見学したい方はおっしゃってください。予約が必要なので」ということで、もちろんわれわれはエントリーしていたわけです(なお要追加料金。1人$20だったか$25だったかな)。

で、たぶん全員がエントリーしたと思っていたのですが、実は前でちょっと触れた「大塚愛ファンの中国人男性」だけが「そんな話知らなかった」というわけで、「追加で参加させてくれ」という話になったわけです。

しかしガイドさんいわく「参加者の名簿はもう提出してしまってあるので、今からの追加は不可能です」とのこと。



たぶん彼が車内でうとうとしているうちにこの話が出ていたんだろうなと思いますが、われわれだってもし寝てしまっていたら‥まぁもっとも、おしんこどんはともかくわたくしTakemaは旅先での移動中は(長距離の飛行機内を除けば)めったに寝ないんですけれどね(わくわく系アドレナリンが分泌されるから?)。




(建物の手前から順に1.2.3.4号機の発電所建屋です)。

あ、最初に誤解のないように言っておくと、原子炉のオペレーションルーム(制御室)に入るわけではありません。地下にある非常時用会議室等の見学だけですので念のため。





発電所建屋と棟続きの管理センター(正式名称はわかりません)に入り、右に進めばたぶん事務棟なのでしょうが、我々は左へ。そこにはごらんの通りボディカウンターが。出入りのたびに計測することになりますが、ついさっき食べていた食堂の出入りでも測ったしねぇ。



密閉式の扉の向こうはおそらく発電所棟だと思います。なお、原子炉自体が収められている建屋は発電所棟の北側に隣接する形で建てられているようです。先へ進み、階段を降りていくと‥「危機管理部というか非常時対策室」エリアとなります。



館内の吸排気システム部でしょうか、ダクトが別の部屋方向に延びています。とはいえ、おそらくはこの区画だけに限定したものでしょう。なぜなら、この区画のさらに奥には‥



ここはおそらく非常時シェルターの役割を果たす場所なのでしょう。となれば、周囲とは完全に切り離された独立環境が構築されていなければならないはず。そしてこの隣の部屋には‥。





右上画像ではガイドの方が例のドラマ「チェルノブイリ」の一場面画像を手にしていますが、なるほどドラマの中でこの部屋が登場していたわけですね。もちろん実際にここでロケが行われたわけではないですが、ドラマを見た人にとっては「おー、この部屋見た見た!」とコーフンするはずでしょう。わたしゃ見ていないので「ふーん」的反応で終わりましたが(苦笑)。



会議室内の線量値はかなり低く抑えられています。と、ここで施設係員の方が、収束作業当時に使用した防護機材などを説明してくれましたが、なぜかこの時のTakemaは「突如として」睡魔大王に襲われていました(笑)。眠くて眠くて、片目ずつ目をつぶって立ったまま寝ていたくらいです(何のこっちゃ)。

したがって、説明内容についてはほぼ真っ白けっけ(いや全然覚えてない)。しかしなぜだかその数分後、大王は「今日のところはこのくらいにしてやっか」と立ち去ったようで、眠気はどこかに吹っ飛んで行ってしまいました。ええ、このあとキエフまで戻るツアーバスの中でもまったく眠くありませんでしたよ。いったい何だったんだろうあの眠気は?



会議室内にあったPCには、壁紙として原発施設の俯瞰画像が使われていました(画像データとして欲しかったな)。さっきあの鉄橋で魚に餌をやったんだよなぁ(笑)。というわけで、特別見学はたったこれだけでした(やや期待はずれ)。でも、検索してみると、英語サイトでもこの部屋の画像はあまりヒットしないんです。どの1泊2日ツアーでもリクエストを募るわけではないのかも(だとしたらラッキー)。

なお、2019年7月にはウクライナのゼレンスキー大統領が「チェルノブイリの観光地化」に関する大統領令に署名したのだとか。この時は「その一環」として見学OKとなったのかもしれません。4号機カバー設置などにもお金がかかっていますし、少しでも維持管理費用に回したいのかもしれません。

で、このページをタイプしている2020/2(訪問半年後)、「もしかしたら原発の制御室も見学できるようになっているのかも?」と思ってツアー会社のサイトを確認してみましたが、さすがにそれはないようです。おそらくは「グループツアー」ではなく「プライベートツアー」でリクエストをすれば‥ということなのでしょう。でもたぶん相当高額なのでしょうが。

そんなわけで再び表に出てきました(中国人の彼は神妙に待っていました。)。このあとは再びツアーバスに乗り込んで、今度は原発施設の東側に回り込みます。



施設の北側を回り込み4号機カバーの真横を移動、そして‥





事故を起こした4号機のカバーまでは‥いや、すぐそこですね目の前です。ちなみにこの場所の放射線量は‥線量計の数値を撮影しなかったことが悔やまれますが、特に高くなかったです。このカバー(耐用年数100年を想定して建設)をこの東側で組み立てる時点で徹底的に除染が為されたからでしょう。



だから、こんななめた格好でマスクなしでも問題ないというわけです。

この黄色いカーディガン、前にも書いたとおり2019GWに岩手県一関市のユニクロで買ったもので、あの時は「軽く羽織るくらいの長袖を忘れた」んでとりあえず購入したんですが(買った直後に着ているページはこちら)、まさかそのカーディガン君がチェルノブイリまでやってくるとはねぇ(夏なのでウクライナも日中は暑いのですが、このツアーは「基本長袖」なので、GWとは逆の意味で「一応長袖っすよ!」ということで持参したわけです。

なおこのオブジェは2006年に建立されたらしく、少し前の訪問記ではカバーに覆われる前はまさに「石棺」がこの背景に鎮座していたようです。それには間に合わなかったけれど、それはいい。しょうがない。それよりも‥





上画像ではバスが見えていますが、ここから最寄り駅までの通勤バスです。そしてその駅からはプリピャチ市民の多くが移住した新たな人工都市スラブチッチまで鉄道が直結しており(約50km)、多くの作業員の方々が日々「通勤」しています。



本日の勤務を終えてバス停に向かっていると思われる皆さん。本日もお疲れさまでした。

福島第一原発の現場でもそうでしょうが、このような場で働く方々は「日々為すべきことを淡々とこなす」毎日でしょう。『数十年後の廃炉を見据えて毎日頑張る』などというような熱い想いはないだろうと思います。そんな先のことは政治家や電力さんトップに任せておき、「自分は今日の自分ができること、すべきことをやるだけだよ。今日もお疲れさま、あ、このあとウォッカでも一緒にどうだい?」。

そんなところなんだろうと思いますし間違いなくそれでいい。その積み重ねが必ずや結果を生み出すと思うのです。まだまだ先は長いけれど、それぞれの作業員さんたちには頑張ってほしいものです。そしてふと思ったのですが、


(ただこの場合、数次下請けの従業員が理想ですが難しそう‥)。

さて、作業員さん同様われわれもそろそろキエフに帰る時間です。

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