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− 2013 カムチャッカ旅行記その17 今日はお気楽に市内観光 −



こ、これって日本でもありますよね。公園管理者の思いは別として、Pカムチャッキー中のLOVEがここに凝縮されているのは確かかも。

この日は市内観光なのでお天気ははっきりいってどうでもいいのですが、朝目覚めてみたら雲が低くに垂れ込めていたのでやっぱりちょっとね。前日も同じような天気だったのですが、この日の朝はアスファルトの路面が軽く濡れていたのであまり多くは期待できないかも。

8:30に朝食。昨日までと違って日本人ツアーの団体さん(10人)が入っており、その関係でカフェは満漢全席いや違った満席御礼なのでありました。この団体の皆さんは本日ラクダ山ハイキングに行かれるそうで、お天気は大丈夫かなぁ。なお、団体ツアーということでホテルの前の駐車場には六輪駆動車が止まっていました(右上画像マウスオン)。そういえばこの六輪駆動車、もともとは軍用でしたが、今はウラル、カマズ(KAMAZ)という民間2社が参入したそうです。どうやらこの画像のクルマはKAMAZ製のようですね。

さて出発がゆっくり目なのでちょっとお散歩。おっと左上画像、エントランス脇にあるミラー付きのこのマシンは?実はほかのお客さんが使っていたのでそれと知れたのですが‥

前々日にミニハイクをしていたこともあり靴は砂で汚れているし‥ちょっとやってみました。確か5ルーブルだったかな?ちなみに表示に漢字があるのでおそらく中国製でしょう。で、やってみたら‥(左上画像マウスオン)、

まぁ料金が料金ですから多くを望んじゃいけないのですが、最大の難点は「時間制限があるのに片足ずつしか磨けない」ということでしょうかね(苦笑)。せめて機器の前に椅子でもあって同時に両足をブラシに押しつけられれば多少違うのですが。

ちなみにわたしは日本で「靴磨きさん」のお世話になったことは一度もないのですが(磨きに気を遣うほど高級な靴を履いてもいませんし)、でも路上での靴磨きに従事する方はまだおられるのかなと思って調べてみたら、2013年現在、東京駅丸の内口あたりではまだ複数の方が営業を続けておられるようです。

でもそれより驚いたのは「靴磨きの専門店化」です。テナントとしてビル内に入居している靴磨き店が今では都心に増えているのですね。そしてそこにはかつて路上で営業なさっていた方が今も「職人として腕をふるい、かつ後進に技術を指導し‥」。うーん、靴磨きの職人技術は今後も受け継がれていきそうですね。ただし自分が今後お世話になるかどうかはわかりませんが(苦笑)。

ハイいつもの通り話がそれましたので原点復帰。ホテルの横には公園がありまして遊具も複数バッチリ、お子さま連れでカムチャッカにお越しのファミリーもこれで安心です!‥でもそんなファミリーは限りなく激レアだと思いますけどね。

さて9:45にホテルを出発し10:00にカムチャッカ郷土史博物館へ。しかし館内(撮影には料金が必要)はともかくとして外観をも撮らなかったのは大失敗。ゆえに1枚も画像がないのですが、学芸員さんにいろいろ質問もしたし特別展の展示資料はなかなかだったし、これはかなり失敗だったかも。みなさん、旅先でのお金はケチらないようにしましょう(笑)。

次に向かったのは港を見下ろす高台にある展望台。ここからは晴れていればアバチャ湾の向こう側にこれまたカムチャッカ富士の1つであるヴィリュチンスキー山(2137m)が見えるはずなのですが、この日は完全に曇っていて全く見えず。ま、最初から期待すらしていませんでしたけれどね。だって、Pカムチャッキー市内の低い丘でさえ上の方はガスで隠れていましたから‥。

さて、今日のクルマは韓国製のワンボックス。ハイエースに酷似しているようにも見えますが室内も広くてなかなか乗り心地もいいです。座席は一部対面式になっています(右上画像は後方を撮影、マウスオンすると出てくる画像は前方です)。

ちなみに帰りに通った道沿いにはかなり古い家々が並ぶ一帯がありました。これらの家々は、団地に住まわせるぞ政策が始まる前からあったのでしょうか(左上画像マウスオン)。しかしどれも古びていて、中には放置され廃墟となった家もありました。市街地における一戸建ての新築はいまも認められていないのでしょうか?(聞かなかったので不明です)。

続いては‥州庁舎脇の広場にあるレーニン像へ。旧ソビエト崩壊後各地で行われた「レーニン像倒し」ですが、こちらでは健在でした。ある意味1つの歴史の証人なのですから残しておくのは妥当だとも思うTakemaなのですが、ではなぜここのレーニン像が残ったのでしょう?これは単なる個人的類推に過ぎないのですが、ロシア軍を通じて中央政府への忠誠が(州政府に)高かったことと(ホテルの前に戦車のモニュメントがあるのもその延長線上?)、また極東の地方州ゆえもともと自活が困難で政府に頼らずにはやってはいけないことを市民もわかっていた部分があるからなのかなぁと?

なおまさにこのページをタイプしている日の日本経済新聞で、プーチン大統領が「これまでのロシア極東地域に対するさまざまな施策は残念ながら地域の発展に寄与していない」と明言した記事が載っていました。それはもちろんプーチン大統領の政治的意図もあるのでしょうが、同時に「極東をどげんかせんといかん」という危機感の表れであるとも考えられます。

そのような意味で、Takemaもその思いを身体で示してみました(右上画像マウスオン)。あーあ(苦笑)。

薩摩硫黄島の俊寛僧都以来、こういう銅像ポーズがあると真似をしたくてたまらなくなる悪癖が身に付きましたが(笑)、北朝鮮の「あの銅像」の前で右手を挙げて記念撮影しちゃイケナイのだとか。いつか堂々とそれができる日が来ることを祈りたいぞというか、自分が彼の地を訪れるときまでかの銅像はあるのか?(笑)。そんなわけでこのあとは隣接する公園へ。

クルトゥーチノエ湖の畔にあるペトロ&パブロ像の後ろの手すりには大量の鍵がくくりつけられていました。日本でいう恋人岬みたいなもんですね。ターニャさんによると以前はこんな習慣はなかったそうですがそれは日本だって同じ。誰がこんな習慣を広げたんでしょう?

しかしこれらの鍵は当然市当局によって外すすべもありませんから迷惑な話なんじゃないですかね?日本のどこかの「恋人の聖地」では「鍵を付けられる場所の手すりを交換可能な物に付け替えた」という話を聞いたことがありますが、それってかなり無粋な話です。このことについて、Pカムチャッキー当局の意志を具現化した施設がありましたのでご覧ください。




(右上画像マウスオンで拡大画像に変わります)。

しかも、その場所のタイルはきちんとハート型‥。やるなーPカムチャッキー当局担当諸氏!ちなみにデザイン的に「分かれた枝が再び1本の幹になる」という点でも秀逸ですし、細かく分かれた小枝の部分にはかなりの数の鍵が付けられそうです。Pカムチャッキー市の人口は20万人弱と日本の地方都市並みなのでこれでしばらくは大丈夫?

と、未婚のターニャさんに聞き忘れたのですが、将来ご結婚の際にはやはりこちらに永遠の愛を誓った証拠を残したいのでしょうか?(笑)。ま、いろいろな考え方があるはずですからね(わたしなんぞは「じぇったいイヤ」派だったりしますが)。

なお、ご覧のとおりこの「愛の木」は設置されてまだそれほど経っていないらしく結構スカスカ。ちらちら見ていたら、われわれがここカムチャッカに降り立った日に結婚なさったカップルの鍵もありました(左上画像マウスオン=薄いブルーの鍵です)。いずれにせよ、皆さまお幸せにっ!

ハイどんどん行きましょう。次はロシア正教会のPカムチャッキー大教会!前にもちらりと書きましたが新築なって古い教会からこちらに移動してきたということなのですが‥







「ここはサグラダ・ファミリアですか!とつい言いたくなってしまいます(苦笑)。ちなみに完成時期についてターニャさんに聞くと‥「さぁ」とのこと。うーんこれがロシア悠久の時の流れなのかも知れませんね(大笑)。

それにしても「世界最初の有人宇宙飛行」を成し遂げた国とは思えない悠長さなのですが、それは間違いない事実。ホテルのエレベーターがあのように古風でも一応動いていますし、ソユーズ宇宙ロケットもいまだに現役。科学技術の基本理念におけるロシア人の気質はいろんな意味ですごいと思います。そして「日々の進化こそ命」と思いこんでいる、日本を含めた先進国は実際にそこから学ぶべきことも多いと思うのです。

なおロシア正教会内では「女性はスカーフをかぶる」ことが強く奨励されているそうで、ターニャさんはおしんこどん用にスカーフを持ってきてくれていたので問題ありませんでしたが(右上画像マウスオン)、このあたりにも宗教文化の融合があるような気がします(信心深いおばあさんとかにどやされるらしい)。

はいハイお次は中央市場です。以前はアバチャホテル(われわれが宿泊しているホテル)のすぐ近くにメインマーケットがあったそうなのですが、観光向けを含めてこちらを整備し集約したそうなのです。

確かに内部は清潔で整然としています。販売品目ごとに完全にブースが分けられており、たとえば「魚臭さが野菜売り場までなだれ込む」こともないように工夫されています。でも、市場特有のごちゃごちゃな猥雑さがないというのもちょっと残念な気がしますが‥。というわけで歩き回ってみましょう。ついでにスモークサーモン等のおみやげも買うぞ!



海鮮エリアはこんな感じ。スモークサーモンがこれでもかと言わんばかりに詰め込まれてます。



鮭の種類ごとのイクラもたくさん。売り子のおばちゃんはなかなか陽気。で、真空パックのサーモンを大量に購入(右上画像マウスオン)。



続いてのブースはお肉。このショーケースはカムチャッカ産のお肉なのだとか。ん?豚足まであるぞ!(右上画像マウスオン)。



とてつもなく種類豊富なフルーツ売り場。しかしたぶん全てが域外産でしょう。「スイカはベラルーシから」と言っていたような気が?



最後に乳製品売り場へ。おしんこどん、「ここで買ったヨーグルトがとても美味しかった!」とご機嫌でありました。

さてそんなこんなのうちにお昼過ぎとなりまして、市場の隣にあるショッピングセンター最上階にある高級レストランへ。ちゃんと席を予約してくれていたので窓際の席を確保できました。ちなみになぜ高級ってわかるかというと、何だかお店の雰囲気がロシアらしくないのですよ。ホテルでもないのに立派なクロークまであったぞ。あと、ビールの値段がカムチャッカ滞在中一番高かったことから「高級」とした次第です(笑)。



そんなわけでわれわれは昼間っからビールで乾杯!(もちろん別料金よ)。いやー、運転しないって嬉しいことだなぁ!

ちなみに着席するとまず最初におしぼりが出されてちょっとびっくり。これにはターニャさんも「このサービスはカムチャッカでは日本食レストランだけだと思っていたのに」とびっくりしておりました。さて料理は簡単なコース料理となっておりまして、まずシーザーサラダ。で、次のスープ‥ん?店員さんによる料理の説明中(もちろんロシア語)、何だかわれわれにも聞き取りやすいというかなじみ深い単語が発せられたような気がするんですが?

そもそもロシアなのにスプーンじゃなくてレンゲが添えられていること自体が不思議なのに、ここで「うどん」って?というわけでフォークで(さすがに箸の提供はない)スープの具を持ち上げてみると(中央上画像マウスオン)‥

これにはちょっとびっくりしました。ちなみに味付けもコンソメ系とかじゃなくてダシを使っており、本場と比較するのは酷かも知れませんが結構美味しくいただきましたよ。

で、メインディッシュ(右上画像)は‥配膳時にはローストチキンかなと思って見ていたのですが‥そう、ここはカムチャッカ、カムチャッカといえば‥

うーん、この旅行でもすでに「サーモンは飽きた感」が意識されるようになっていたTakemaなんですが(でもイクラはOK)。でもこれ以降も昼&夜の食事にはかなりの確率でサーモンが登場することとなりました(笑)。

そんなわけでお食事も終了です。このあともう少し市場を見る時間があったのですが、少しの間フリータイムにしてもらってタバコを吸いに施設の外へ。すると市場前の路上には‥



ダーチャ(郊外の夏の家=別荘)で自家栽培した野菜や採集したブルーベリーなどが売られておりました(両上画像マウスオンで画像が変わります)。品数は少なくても自信を持って提供できる野菜たちゆえ、そこそこお客さんも来ているようでした。路上販売もここでは当局から大目にみられているのでしょう。

ブルーベリーを買ってもいいかなと思ったりしたのですが、日程的にも徐々に先が見えてきた中で「日々大量消費しきれないかも」ということで断念しました。というのも、最初の頃にスーパーで買った果物がまだ消費し切れていなかったので。

そんなわけで市場脇で待機していた車へと戻ります。と、左上画像の手前車両がなかなか神がかった止め方をしていることを見て笑っちゃいました(右上画像マウスオン)。

われわれはここに数時間単位でいたわけですから、われわれを待つこの車(ドライバーさんの名前失念)のほうが先に駐車していたはずです。あとから来た手前の車が、狭いけれど何とか止められそうなこのスペースに強引に駐車したということなのでしょう。それにしてもこの駐車テクはすごいです。偶然かも知れませんが(笑)。

昼食後はPカムチャッキーから車で1時間ほどのハラクトルスキー海岸へ。太平洋に面した海岸は黒砂で有名ということで、途中からはダートになる道をずんずんと進んでいったわけなのですが‥



ダートに入ってからやたらにダンプとすれ違うのでもしかしたらと思ってはいましたが、まさか本当にそうだとは。で、ターニャさんに聞いてみると「コンクリートの材料に使います」とのことで、うーん、何十年かあとにコンクリの劣化が大きな問題となりそうで不安です。脱塩処理をどこまでやっているか‥。

で、工事現場を通ってとりあえず海岸へ。重機が唸りを上げているのとお天気曇天ゆえあまり楽しくもありません(両上画像マウスオンで別画像に変わります)。予定ではここで1時間くらい散歩をするということでしたが、ちょっとうすら寒いし変化もなさそうなので「もういいですよ、帰りましょう」ということに。

ちなみになぜTakemaがそんなに消極的になっていたかというと、そこには別の深刻な事由がありました。さっきお昼ご飯を食べましたよね、そこそこの量をきちんと残さず食べたわけなのですよ。そうなると(拙サイトの常連さんならこのあとの展開はもうわかるでしょう)‥

しかも、その「怒涛の奔流」が徐々にその緊迫度を増しつつあるこのタイミングで「のんびりとお散歩」などをしていたら、それこそ最悪のパターンだと「北太平洋こそわがトイレなれ」ということにもなりかねません。そんなわけで、「一刻も早く文明施設を目指す必要があった」というわけです。ちなみに食あたりとかじゃありませんよ、これは「Takemaが中年以降に新たに抱えることとなった身体摂理」なのです(苦笑)。

しかし、「神チャッカ」はここでさらなる試練を課したのでありました。車まで戻ってきてみると、ドライバーさんがこう言い放ちました。

嗚呼!(心の叫び)。Pカムチャッキーから台車が来るまで約1時間、そして戻るのに(牽引しながらだから)1時間強、そこまでは堪えられそうにありません!ここでTakemaは「重大なる決断」をせざるを得ませんでした!

‥‥

(記載自粛)

‥‥

さて、すっかり危機から脱出したTakemaが(笑)あらためて車の周辺を見渡してみると、そこはまさに原生花園なのでありました!



そこにはまさに多くの花々が咲き乱れていたのでありました!植生も北海道の海岸沿いに似ていますね。

で、気になる実があったので口にしてみるとやや淡泊な味ながら食べられそう。そこでターニャさんのところに持っていってみてもらうと、「これはガンコウランの実で食べられます」とのこと。今度はターニャさんもついてきて収穫開始。ただまだちょっと早いらしくて大きいのだけを選んでねとのこと。ちなみにこの実はジャムとかに加工することはなく、地元の人は「その場で食べて終わり」らしいです。



目を凝らしてみると実がたくさん付いています。ワラビ目ならぬガンコウラン目で見ればここ一帯が宝の山であることがわかります。



そんなわけで思いがけず収穫タイム。こういうのは大好きなので黙々と日ロ共闘で摘み取ります(右上画像マウスオンで収穫画像)。

さて収穫のヨロコビとともに車に戻ってくると、向こうからラリー車のようにぶっ飛ばして来る車が。あれが救援車だということです。そんなわけでセルゲイさんの運転する救援車でPカムチャッキーまで戻ることに。さっきまでの車は韓国車でしたがこちらは日本車。うーん何だか勝った気分(笑)。

ホテル到着は当初の予定よりも早くて16:50。アクシデントもありましたがたまには早く帰るのも悪くないです。夕食前にカフェでビールを飲みながら日記をタイプする余裕もあったし。この日の日記にはこうあります。

「たぶんロシア語はスパシーバとピーバ(ビール)しか覚えずに帰りそうだ。」
「ターニャさんは何か質問をすると「はいはいはい」と3回連呼するクセがある。博物館の女性が「ダーダーダー」と3回繰り返していたからロシア風受け答えなのだろうが、ビジネス日本語ではよくないから言ってみようか」とおしんこどん弁。

うーん、だいぶ余裕かましてますね。しかしこの翌日は「果てしなきダート、そして山道を歩き、その先にあるのは?」と、まるで川口浩探検隊みたいな行程なのです!



ガンコウランの実は焼酎ロックに浮かべて洒落込みましたとさ。

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