- 2017夏 キルギス旅行編 その5 まずはアラメディンの温泉プールへ -



キルギス最初の温泉は温泉プールでありました♪



さて本日からいよいよキルギスの旅行が始まります。ただし今回は「旅程や手配を現地旅行社(NH Tabi Company)に全て丸投げお願いする」という手抜き旅行ゆえ、左上画像のように「これから自転車でキルギスを回るもんね」系スペイン人2人組のような「旅立ちの緊張感」は微塵もありません(笑)。宿もアシも、そして日本語ガイドさんまで揃ったプライベートツアーなので、個人旅行を計画する方々へのお役立ち情報はめっぽう少ないと思いますので念のため。

さて夏はめっぽう暑く冬はめっぽう寒いというキルギス(ビシュケク)ですが、7月下旬の早朝はまだ何とかやっていかれるかなという温度。ところで宿周辺をちょっと歩いていたら先代のフォレスター@自分も12年、173,300km乗っていたのと同色車、が駐められているのが目に入りました。「こ、これはもしかして?」と「まさかの邂逅再会」に心ときめきましたが、さすがにそんな偶然はそうそうあるわけでもありません。決定的なのは「左ハンドル車」であったことですが、たぶん自分のあの車も「涼しい国」で頑張っているんじゃないのかなと思いますわ(たぶんロシアかなと)。



朝ごはんは半地下の部屋にて。日替わりでメニューが変わるようですがこの日はポリッジでした。おしんこどんは食べ慣れていませんがわたしはNZワーホリの居候時に毎朝これでしたから懐かしい味。おかゆもいいけどポリッジもね♪というところです。スイカは美味しい!(キルギス共通)。

さて食事後またも外でタバコを吸っていたら1台のアルファードが到着(右ハンドル車ですから日本からの中古車です)。男性がタバコを吸いにやってきたので「NH Tabiのドライバーさん?」と尋ねるとそうだとのこと(「ジャポネ?と聞き返されたのでこれは間違いないかなと)。なるほどこの方がわれわれの個人ツアーの運転手さんというわけですね。お名前はウームルザックさん。このドライバーさんについては面白いエピソードがあるのですがあとのページで(運転については安心できる方でした)。

やがて日本語ガイドのジャミラさんも到着してやぁやぁよろしくお願いしますということに。ジャミラさんは現在キルギス国内の大学生ですが、かつてドイツに3年、そして日本への留学(1年)の留学経験のある女性です。英語もほとんど通じないキルギスですから日本語ガイドたる彼女の存在は本当に有り難いわけで‥。



まず最初はビシュケク市内にて現地SIMカードの入手です。これがないとネット接続がいかんともしがたいです。

今回はSIMフリーのポータブルWiFiルーターを購入しておりました。で、出発前にドコモ対応のSIMを差し込んで動作確認を(ノートPCで)していたのですが‥



困ったなぁとは思いますがここはキルギスとはいえWiFiのプロショップ、しかも日本語OKのジャミラさんもおられるというわけで‥

結果、どうやらTakemaフリーSIMスマホのAPN設定ができていなかったらしく、それを設定していただいて事なきを得た次第です。でも結局ルーターからの電波は認識しないまま。何ででしょうねー。何だかんだで1時間くらいかかっちゃいました。というわけで持参のノートPCは、スマホからのテザリングでネット接続していたわけですが、そこそこ多くの宿にWiFi電波が飛んでいたのでそちらも大いに利用しました。

そんなわけで出発ですがやっぱり暑いですなぁ。外気温じゃなくて車内ですが風が通っていても温度は朝10時過ぎで実測31.2度ありました。エアコンは当然装備されているわけですが結局ほんの数回だけ使用しただけでした。ただ車のオーナー&ドライバーのウームルザックさんが変わっているわけではなく、街中を走る車の半分くらいは窓満開でしたから「暑いけれど走れば風が入るから問題ないでしょ、どうせ今の時期だけだし」というのがキルギスの皆さんの感覚なのでしょう。



そんな暑い中でも、この日最初の目的地アラメディン渓谷に向かう先には雪渓や氷河をいただく山々が見えています(このギャップがすごいです)。そんなわけで進んでいくと確かに体感温度はどんどん下がっていくわけですよ。

ところで車中にてジャミラさんと話していると、彼女は関西の大学に留学していたこと、日本食で好きなのは蕎麦とか豆腐とかおにぎりとか、なかなかにシブイ好みであることがわかりました(笑)。ちなみに蕎麦はキルギス帰国時に持ち帰り家族にも振る舞ったそうですが反応はイマイチだったとか。確かに食べ慣れていないと案外好みが分かれるかもしれませんねお蕎麦って。

ちなみにドイツでの3年に比べれば日本での1年は全然さびしくなかったし楽しかったそうな。外国語学部だったということですし、学びの分野が「日本語と日本文化」に限定されていたからということですが、それは日本のホスピタリティ云々所以なのか、それとも日本の大学教育のユルさなのか?とちょっと微妙な印象(笑)。ちなみにその某大学のキルギス人留学生は彼女1人だったそうです。

なおおしんこどんが「松嶋菜々子に似てる」と言うと、「日本滞在中に同じことを言われました」ということでしたが、ジャミラさんの希望により正面からのご尊顔は載せないことといたしますので念のため(動画にちらりくらいはお許しを)。ま、芸能界音痴の自分はその松嶋ナントカさんの顔も存じないんですけれどね(苦笑)。



ずんずん上がっていきすっかり渓谷の様相を呈してきたあたりで最初の目的地たるアラメディン渓谷の温泉に到着です。日射しは強いですが気温は明らかに低く爽やかですよ。



支払い窓口と入口はこんな感じで、看板などはありません。温泉にせよレストランにせよ、旧ソ連諸国の各施設はエントランスがあまりにも質素だったりします(看板くらい出してほしい)。でもひっそりと源泉についての説明が掲示されていたのは好感。ただジャミラさんが温泉ファンじゃなかったので(そりゃ当然)一部よくわからなかった記載がありましたがまぁいいや(あとの方で動画もあります)。

さてそんなわけでいよいよ温泉です。プールなので過度の期待はしておりませんが‥。なおジャミラさんとウームルザックさんは外で待機。




暗い通路の先にある脱衣場で水着に着替えて、カメラ等はビニール袋に入れてプールサイドに持ち込みます。



全景はこんな感じ。奥の方に人が集まっているのが見えますが、奥から手前側にかけて深くなっており、手前側の手すりエリアでは慎重169.7cm(加齢により縮んでなければ)のTakemaでも全然足が付かない深さです。そしてプールですから泳ぎに自信のある若者たちがここぞとばかりに飛び込んでおります(右上画像マウスオン)。



湯温はややぬるい場所での実測で37.5度。でも体感ではもっと高いところも多かったし、壁面底部からはそこそこ熱めの湯も供給されていました。わずかに温泉臭があるくらいで特徴の少ない湯ですが、源泉温度は52.5℃とあったので、たぶんかなりの加水もされていると思われます。ちなみに無色透明、臭いもないと分析書に書かれているそうです(動画参照)。なお塩素臭は一切ありません(いいか悪いかはともかくとして(苦笑)、これはキルギスや以前訪問したカムチャッカにも共通しています)。



プールなので泳ぎます。泳ぎビビラーのTakemaは浮いているのみ(苦笑)。おしんこどんはストレッチも(右上画像マウスオン)。

さてそろそろ上がろうとした頃、キルギス人の女性から日本語で声をかけられてびっくり。一緒におられたご主人はかつて大阪大学で教鞭を執った経験をお持ちで、また声をかけてくれた奥さんは何とお医者さん、ご主人と一緒に来日したことが縁で帰国後は日本大使館付きの医師としても活躍なさっていたそうな。

鍼灸も学んだそうで、その師は筑波大の先生だそうです。さらにこの方の息子さんは京大で学び(マスター)、この日連れてきていたお孫さんは「自分もいつか日本で学ぶんだ」と力強い発言。とっても日本と関係の深い方々でありました。

ちなみにこの方々の外見は東洋系ですしわれわれも東洋系。「どうしてわれわれが日本から来た旅行者とわかったのですか?」と伺うと、「お風呂に入るときのタオルを持っていたから日本人だろうなと思って声をかけたんですよ」とのこと。


(気がついた方もいると思いますが、少し上のプール飛び込み台画像にかのタオルが写っています)。



なおプールとはいえやはり温泉ゆえ湯上がりはポカポカ。そもそもソビエト時代は保養施設だったわけですし。外に出てしばしクールダウン(喫煙行動を大いに兼ねてます)。日射しは強いですが気温はビシュケク市内よりも明らかに低く、乾燥しているので日陰に入ればさわやかです。

ちなみにプールの外観(左上画像)はだいぶ傷んでいるようです。そろそろ補修‥で済むのかわかりませんが、何かしらの検討は必要でしょう。できれば即時の対応を!(崩れてしまってからでは遅いわけですから)。

そんなことを思いつつ来た道を戻‥あれま、逃げてきたのか迷っているのかそもそもフリーなのかよくわからない馬とすれ違ったりして。で、少し下ったところにあるばりばり観光客用の施設でお昼ごはんです。



宿泊もできる施設のようで何棟もの建物が並んでいます。首都ビシュケクから近い観光地でもあり(感覚的には東京から箱根という感じ)、まさにこの施設は小涌園みたいなところなのです(小涌園は一度も利用してませんがイメージでね)。



グレイシャーミルク(氷河が岩を削り取ることにより水が白く濁る)が勢いよく流れる川に木製の橋が架かっています(個人的には「洪水には弱そうだな」と思ってしまいましたが、まぁ台風がやってくる地域でもないのか)。

で、その橋の上にはしっかりテーブルや椅子が設置されています(両上画像マウスオン)。ここでご飯食べたら気持ちよさそうだなぁと思う反面、日中の強い日射しの下では勘弁という思いもあります(後者のほうが強い)。しかし夜にこの場所で食べてもうるさいだけ?いや満天の星があるってことか、それはそれでいいかも。



でもわれわれはそのすぐ脇のロッジテラスにて昼食といたしました。まずは飲むっしょキルギスビール!ええっと、たぶんキルギスに限らずロシア(カムチャッカ)でも感じたことでしたが、



感覚としてはボトルウォーターとビールの値段がそう変わらないかなという感じです。そういえばビシュケクの大手スーパーでもメビウス(旧マイルドセブン)は普通に売られていますが、これまた空港の免税店とあまり変わらない価格だったかなと(メビウスは吸わないので買いませんでしたが)。

で、お昼ごはんオーダーは「羊肉はないので鶏肉でね」というようなやりとりはありましたが、







お昼ごはん満足のあとは再び橋の界隈をお散歩です。川沿いには小屋が設けられていて、「日帰り避暑のプライベートくつろぎ場」としてそこそこ利用されているようでした。休暇の過ごし方の選択肢も日本とは違うようですが、少なくともGWとかお盆の関東圏キャンプなんてのは間違いなく難民キャンプにほかならないわけで、ここはいいなぁ羨ましいなぁ。



あ、このアルファード、杉並区から来たのね(右上画像マウスオン)。

看板にはキリル文字が上下二列に書かれていますが、これはキルギス語とロシア語の併記なのだそうです。そもそもの別言語をキリル文字で表記しているということですが(日本=Nippon=Japanみたいなものか?)、日本と大きく違うのは以下のところにあります。



いろいろなところで聞くことですが、母国語を話す人数が少なければたとえば本ダってCDだって売れる数はたかがしれているわけで、それならばよりメジャーな言語にシフトした方が理にかなっています。シンガポールなどはその典型で、かの国の公用語は英語、中国語、マレー語、タミル語だったと思いますが、故リー・クヮァンユー首相がある意味一番ネイティブスピーカーが少なかったはずの英語をメインに据えたことは先見の明があったなぁと(人口比率として一番多かった華人の中国語をメインにしなかったのは当時の中国との微妙な関係性もあったと思いますが)。

話を戻して、キルギスはそもそもソビエト連邦の一国だったわけで、殊に高等教育や専門分野の話になればなるほどローカル言語であるキルギス語はその限界を露呈せざるを得なかったわけです。ゆえに域内共用語としてのロシア語を使えるようにするというのは約500万人しかいないキルギス語使いの人々にとっては必然であったわけです(キルギス周辺国にもキルギス語のネイティブスピーカーはいる様なのでそれを含めた数字です)。

一方、同じように世界的には1国でしか使われていないローカル言語である日本語ですが、ローカルではあれどその使い手の数が1億人を超えており、それだけの「分母」があれば自国語による一定の言語活動が可能となるわけです。今となっては「英語論文でない」ことが日本の研究者のネックになっている部分もありますが、そもそも「専門的な内容の論文を書くだけの語彙や表現が存在している」のが日本語というわけで、これはこれで何とも素晴らしいことなのです。世界に言語自体は数あれど(一説には6,900とか)、その言語で論文を書けるだけの語彙を有している言語は数えるほどしかないでしょうから。

なお、キルギス語もロシア語と同じくキリル文字で記載されていますが、文法だって違うはずですし、キリル文字をわれわれのいうローマ字のように利用しているのかなと。このあたりについては聞くのを忘れましたが。

ちなみに「公用語」としてだけなら太平洋の島国パラオ共和国の一部の州で日本語が公用語の1つとして定められているようです。ただし定められているだけで日常的に使っている人はいないようですが。

さてお昼ごはんも食べて満足したあとは、午後の行程をスタートさせましょう。ただし次の目的地へは首都ビシュケクの郊外まで戻ってから出直すことになります。というわけで続きは次ページにて。

あ、最後にこのページに関する動画なんですが、温泉プールではなく温泉成分掲示前でのジャミラさんとのやりとりと、ランチどころの橋界隈のものです。資料的価値はありませんがまぁお手すきの方はどうぞということで。



[戻る] [次へ]