- 2017夏 キルギス旅行編 その5 まずはアラメディンの温泉プールへ - キルギス最初の温泉は温泉プールでありました♪ |
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さて本日からいよいよキルギスの旅行が始まります。ただし今回は「旅程や手配を現地旅行社(NH Tabi Company)に全て丸投げお願いする」という手抜き旅行ゆえ、左上画像のように「これから自転車でキルギスを回るもんね」系スペイン人2人組のような「旅立ちの緊張感」は微塵もありません(笑)。宿もアシも、そして日本語ガイドさんまで揃ったプライベートツアーなので、個人旅行を計画する方々へのお役立ち情報はめっぽう少ないと思いますので念のため。 |
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朝ごはんは半地下の部屋にて。日替わりでメニューが変わるようですがこの日はポリッジでした。おしんこどんは食べ慣れていませんがわたしはNZワーホリの居候時に毎朝これでしたから懐かしい味。おかゆもいいけどポリッジもね♪というところです。スイカは美味しい!(キルギス共通)。 |
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まず最初はビシュケク市内にて現地SIMカードの入手です。これがないとネット接続がいかんともしがたいです。 |
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困ったなぁとは思いますがここはキルギスとはいえWiFiのプロショップ、しかも日本語OKのジャミラさんもおられるというわけで‥ |
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そんな暑い中でも、この日最初の目的地アラメディン渓谷に向かう先には雪渓や氷河をいただく山々が見えています(このギャップがすごいです)。そんなわけで進んでいくと確かに体感温度はどんどん下がっていくわけですよ。 |
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ずんずん上がっていきすっかり渓谷の様相を呈してきたあたりで最初の目的地たるアラメディン渓谷の温泉に到着です。日射しは強いですが気温は明らかに低く爽やかですよ。 |
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支払い窓口と入口はこんな感じで、看板などはありません。温泉にせよレストランにせよ、旧ソ連諸国の各施設はエントランスがあまりにも質素だったりします(看板くらい出してほしい)。でもひっそりと源泉についての説明が掲示されていたのは好感。ただジャミラさんが温泉ファンじゃなかったので(そりゃ当然)一部よくわからなかった記載がありましたがまぁいいや(あとの方で動画もあります)。 |
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暗い通路の先にある脱衣場で水着に着替えて、カメラ等はビニール袋に入れてプールサイドに持ち込みます。 |
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全景はこんな感じ。奥の方に人が集まっているのが見えますが、奥から手前側にかけて深くなっており、手前側の手すりエリアでは慎重169.7cm(加齢により縮んでなければ)のTakemaでも全然足が付かない深さです。そしてプールですから泳ぎに自信のある若者たちがここぞとばかりに飛び込んでおります(右上画像マウスオン)。 |
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湯温はややぬるい場所での実測で37.5度。でも体感ではもっと高いところも多かったし、壁面底部からはそこそこ熱めの湯も供給されていました。わずかに温泉臭があるくらいで特徴の少ない湯ですが、源泉温度は52.5℃とあったので、たぶんかなりの加水もされていると思われます。ちなみに無色透明、臭いもないと分析書に書かれているそうです(動画参照)。なお塩素臭は一切ありません(いいか悪いかはともかくとして(苦笑)、これはキルギスや以前訪問したカムチャッカにも共通しています)。 |
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プールなので泳ぎます。泳ぎビビラーのTakemaは浮いているのみ(苦笑)。おしんこどんはストレッチも(右上画像マウスオン)。 |
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さてそろそろ上がろうとした頃、キルギス人の女性から日本語で声をかけられてびっくり。一緒におられたご主人はかつて大阪大学で教鞭を執った経験をお持ちで、また声をかけてくれた奥さんは何とお医者さん、ご主人と一緒に来日したことが縁で帰国後は日本大使館付きの医師としても活躍なさっていたそうな。 |
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(気がついた方もいると思いますが、少し上のプール飛び込み台画像にかのタオルが写っています)。 |
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なおプールとはいえやはり温泉ゆえ湯上がりはポカポカ。そもそもソビエト時代は保養施設だったわけですし。外に出てしばしクールダウン(喫煙行動を大いに兼ねてます)。日射しは強いですが気温はビシュケク市内よりも明らかに低く、乾燥しているので日陰に入ればさわやかです。 |
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宿泊もできる施設のようで何棟もの建物が並んでいます。首都ビシュケクから近い観光地でもあり(感覚的には東京から箱根という感じ)、まさにこの施設は小涌園みたいなところなのです(小涌園は一度も利用してませんがイメージでね)。 |
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グレイシャーミルク(氷河が岩を削り取ることにより水が白く濁る)が勢いよく流れる川に木製の橋が架かっています(個人的には「洪水には弱そうだな」と思ってしまいましたが、まぁ台風がやってくる地域でもないのか)。 |
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でもわれわれはそのすぐ脇のロッジテラスにて昼食といたしました。まずは飲むっしょキルギスビール!ええっと、たぶんキルギスに限らずロシア(カムチャッカ)でも感じたことでしたが、 |
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感覚としてはボトルウォーターとビールの値段がそう変わらないかなという感じです。そういえばビシュケクの大手スーパーでもメビウス(旧マイルドセブン)は普通に売られていますが、これまた空港の免税店とあまり変わらない価格だったかなと(メビウスは吸わないので買いませんでしたが)。 |
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お昼ごはん満足のあとは再び橋の界隈をお散歩です。川沿いには小屋が設けられていて、「日帰り避暑のプライベートくつろぎ場」としてそこそこ利用されているようでした。休暇の過ごし方の選択肢も日本とは違うようですが、少なくともGWとかお盆の関東圏キャンプなんてのは間違いなく難民キャンプにほかならないわけで、ここはいいなぁ羨ましいなぁ。 |
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あ、このアルファード、杉並区から来たのね(右上画像マウスオン)。 |
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看板にはキリル文字が上下二列に書かれていますが、これはキルギス語とロシア語の併記なのだそうです。そもそもの別言語をキリル文字で表記しているということですが(日本=Nippon=Japanみたいなものか?)、日本と大きく違うのは以下のところにあります。 |
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いろいろなところで聞くことですが、母国語を話す人数が少なければたとえば本ダってCDだって売れる数はたかがしれているわけで、それならばよりメジャーな言語にシフトした方が理にかなっています。シンガポールなどはその典型で、かの国の公用語は英語、中国語、マレー語、タミル語だったと思いますが、故リー・クヮァンユー首相がある意味一番ネイティブスピーカーが少なかったはずの英語をメインに据えたことは先見の明があったなぁと(人口比率として一番多かった華人の中国語をメインにしなかったのは当時の中国との微妙な関係性もあったと思いますが)。 |
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ちなみに「公用語」としてだけなら太平洋の島国パラオ共和国の一部の州で日本語が公用語の1つとして定められているようです。ただし定められているだけで日常的に使っている人はいないようですが。 |
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さてお昼ごはんも食べて満足したあとは、午後の行程をスタートさせましょう。ただし次の目的地へは首都ビシュケクの郊外まで戻ってから出直すことになります。というわけで続きは次ページにて。 |
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