− シェンクアン空港到着後、思いがけずお祭り最終日? −
シェンクアン空港に着陸間近のところで窓の外に一所懸命カメラを向けるTakemaでありました。このシェンクアン県にはベトナム戦争時アメリカ軍により多量の爆弾が投下され、空港近くにはその爆裂跡のクレーターが今でも見られるということだったので。しかしそれでも40年近く前のことなのになぜ樹木等の植生がないんだろうという疑問は、この翌日にきっちり解消したのでありました。というわけでまずはクレーター。
うーん、確かにそこかしこに円形の穴が見えます(ちなみに直径は10-20m)。今でこそ民間航空機(いや違ったラオス航空は今でも国営らしい)がこうして飛んでいる同じ空間を、40年近く前は重爆撃機が轟音を立てて通過していたんだと思うと、何だか人間の愚かさを感じずにはいられません。でもそんなふうに思う自分の中にもたとえば恨みや羨望ややっかみや憎しみなどという、個人として他者と争いを起こしかねない感情は内包されているわけであって、それらの感情を「平和絶対主義」という感覚で抑えつけようとするのではなく、各自がそれらの存在を自覚しつつうまく付き合っていくしか、個人の集合体である団体や国家による争いはなくならないんだろうなぁと思います。
おっと何だか旅行記らしからぬ話に進んでしまいましたが、まぁとにかく無事にシェンクアン空港に到着です。国内線のみ、しかもほぼ隔日運行の空港ですから設備は最小限、雰囲気は違うけれど、何だかPNGのゴロカ空港を思い出しちゃいました。
あー、素晴らしい天気!(この日まではね)
さて、ちぃさな空港の建物に向かうTakemaはちみっとキンチョーしておりました。というのは、われわれは今日を含めて3泊4日このエリアに滞在する予定なのですが、その間の予約は一切しておりません。となれば「たぶん空港にいるであろう客引きさん(宿の客引きだったりツアーのそれだったりといろいろあるでしょうが)と今後のスケジュールを含めて「平和に」戦わねばならない、下手にぼったくられないためにはそのための「眼力」をも保持していなければならない、というわけなのです。そのためこの日はまだお酒を飲んでいないわけなのです!(というか飲む暇もなかったけれどね‥おっとビエンチャンでビアラオ飲んでたのは?いや、Takemaの場合お酒という定義に該当するのは焼酎か日本酒、ラオスでいえばラオラーオなのよ‥あー苦し)。
しかし、そんなふうに勝手にピリピリしていたTakemaの不安は杞憂に終わりました。確かに客引きの方々は何人も寄ってきましたが、しつこさは全然なし。「今日の宿は決まってますか?」から始まるのはあたりまえのこととしても、そこに「押しの強さ」が感じられません。1990年頃のタイのチェンマイみたいな感じです(ちなみにチェンマイにはもう15年くらい行ってませんが今はどうなんだろう?チェンマイよりはるかに田舎だったチェンライの変貌ぶりから考えて、行くのを躊躇している部分があるのですが‥)。
というわけで、最初考えていた宿より良さそうな感じの提案を出してきたお兄ちゃんに「よし、乗った!」ということに。すると、突然現れた?複数のメンバーさんがいきなり‥
Takema&おしんこどんのザックをタウンエースに運び込んでいくのでありました(笑)。確かに田舎っぽいけれど、いやいやなかなかいい雰囲気だぞ。
車はほどなくシェンクアンの県都ポーンサワン市内へ。そのほぼ中心部に位置するWhite Orchid Guest Houseへ到着したのでありました。うーん、かーなりきれいな外観です。最初US$10(朝食付き)の部屋を見せてもらったんですが、何だか狭いので(1人使用なら十分なんですが)もう1ランク上の部屋($15)を見せてもらえるかと頼むと、そちらはすでに満室だとのこと。
うーむ、この宿には縁がなかったのか?と一瞬思った瞬間、オーナーさんが「$18の部屋ならありますが」のひと言。見せてもらって即決定!広いし、3Fだから景色もまあいいしTVも冷蔵庫もあるしもちろんシャワーはお湯が出るし、これはなかなかです。となると、この部屋より$3安い部屋ってどんな感じだったんだろう?ただし朝食そのものはイマイチ感ありでしたが(笑)。でもオーナーをはじめ宿の皆さんはものすごくフレンドリーだし、市内中心部のどこに行くにも歩いて行かれるし(ま、市場や食堂くらいにしか用はありませんけれどね)、かなりいい感じの宿でした。
見かけだけでなく、清掃も行き届いていてよい宿でした。宿のお嬢ちゃんとたわむれるおしんこどん♪
というわけで、続いては先ほどのお兄ちゃん、いやもう仲良くなったんでお名前でいいでしょう、Sotaさんと(すぐに「草太」と覚えましたわ)、明日から2泊3日のツアープランニング立案開始です!とにかくこちらが行きたい場所をリストアップして見せつつ、あとは時間配分やら何やらを考えてもらいつつというわけになるのですが、われわれというかTakemaはいつもの通り短い日程に盛りだくさん系の訪問希望地を入れているので、結構な時間がかかりました。ちなみにこちらが提示した訪問希望地はこちら(その場で書いたメモを転記しました)。
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実際はこのほかにもTham Piu Caveなど、Sotaさんが新たに加えてくれた場所も含めててんこ盛りの行程となりました。2泊3日ぶんの車も運転手もガイドも宿も一部の食事もぜーんぶひっくるめちゃいましたから値段的には結構な額となりましたが、公共交通機関を使うとなればたった3日では回りきれるものではありませんし、さらに英語も通じないところもかなり多いでしょうからガイドさんも欲しい、となればまあ当然といえるでしょう。もっとも国内の、ごくごく平均的な温泉宿に2人で1泊すればお釣りが来るような金額でしたが‥。
さて、実は宿に到着したときに気になっていた光景がありました。まずは下の画像を見て下さい。
女の子の数人が民族衣装を着ています。この画像を撮ったときは「あれれ、今でも民族衣装を着て生活しているんだ?でも空港からここまで来る途中には全然見なかったんだけれど?」と思っていたのですが、旅程決定後、Sotaさんから思いも掛けぬひと言が!
そ、そ、そりゃ当然です!というか、そういうことは先に言って下さい!(笑)。実はこのエリアにはラオ族とモン族その他が混住しており、そのうちのモン族はちょうどこの時期がお正月に当たっているらしいんですね。何日かにわたってお祭りがあったうちの本日が最終日、しかも夕方で終了のようですから、何とかぎりぎりセーフ?というわけで、水牛のあとについて喜び勇んでいざ会場へ。これがまた近くてラッキー、徒歩3-4分だったもんね。
はいはーい、会場はどこですかー?というかキミたち、メインストリート方面から歩いてきたよね、いったいどこから来たの?
というわけで会場へ到着です。とはいえたとえばステージ上で大カラオケ大会が行われているというようなイベント系ではなく、皆さんが三々五々集まってワイワイがやがや、その皆さんをねらって露店が出ているという、至って健全というかローカルな感じで何だかトキメキます。
ん?これは何をやってるの?
ちなみにこちらは、正直言ってみればわかる通りの「ラオス版射的」(ビエンチャンでも同じものを見ました)。1000kip払って渡される3本の矢。3本続けて風船を割ることができれば、何とペプシコーラをプレゼント!ということのようです。地元の皆さんはかなり勢いをつけて「エイヤっ!」と投げてますが、かえってこの距離ならそうっと投げた方が当たりそうな気がするのですが?というわけでやってみました。
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さて気を取り直して?あらためて周りを見回してみると、若い女性の多くが民族衣装を身につけています。どうやらこれは日本における和装と同じく、お祭りの時だけ着用する「晴れ着」なんでしょうね。
ちなみに男性は普通の洋服を着ているようです。これもある種日本と同じで、男性はまずほとんど和装しませんものね。なお、上中央画像真ん中の子のように小さな「飾り傘(日傘)」を持つのが本当の正装のように思われますが、持っていない子も多かったな。ちなみに小さめのこのモン族民族衣装のうち、唯一「伝統」が引き継がれなかったのが足もと、つまりは靴だったようで、皆さんハイヒールだったりブーツだったり、右上画像の女性などは厚底靴をはいていたりします。ちなみに彼女らはかなりミニのスカートをはいていますがこれは「シェンクアン版の今ふうナウなお洒落アレンジ」と思われます。すぐ下に出てくる女性を見れば「オリジナル」の長さがわかるでしょう。
ところで、右上画像にはGパンをはいた女性の姿が見られますが、これは都市部での例外?ほとんどの女性は老若を問わず日常的に「シン」と呼ばれる巻きスカートを身につけています。
と、ここでSotaさんの弟さん発見!その横にいるのは‥どうやら「彼女(はぁと)」らしいですね。というわけで押しかけ系で強引に記念写真を撮らせていただきました。
ちなみに、オレンジの上着を着ているのがSotaさん、黒い上着が弟さん、「彼女」は‥言わなくてもわかりますね。
ところでこの「お祭り会場」では、あちこちで男女の混合グループが向かい合わせに並んでボール(なぜかテニスボール)を投げ合っているという光景を目にしました。
何をやっているのかとSotaさんに尋ねたところ、非常に興味深いお返事がかえってきました。それは‥
とのこと。ラオス全体なのかこのモン族社会においてのことなのかは不明ですが、とにかく男女の交際については社会的に厳しい「常識」が機能しており、たとえば、同じ職場で働いている女性に対してでさえ、男性側から話しかけることは「はしたないこと」とされているんだそうです。うーん果たしてそれで仕事になるのか?という微妙な疑問はさておいて(笑)。
となれば、お互いが「ボールを介して」間接的にとはいえ直接交流(何だか変な表現だな)しているというこのようなやりとりはそうそう滅多にない「お相手探し=勝負の場」なのでありますね。ちなみに列に参加していない「美人さん」は、「もうすでに相手がいるから私はいいの」ということなのでしょうか。
ボールをやりとりしているグループを見ていると全体として非常に静かで、会話もなくただ黙々とボールをやりとりしているだけのグループも見受けられます。これでどうやって「自分の意志」を相手に伝えているのかよくわかりませんが(笑)、たぶん意中の人にボールを集中攻撃したりすることによって「無言の告白」をしていたりなどするのでしょうかね。
ちなみにSotaさんによると「興がのってくると」歌が出てくるということでしたが‥おお、歌声が聞こえるぞ!
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左上画像の女の子によくボールが回されていたような気が‥。なお歌声の主は右上画像のお兄さんでした。
さてそんなこんなのうちに太陽も沈みはじめると、確か10日間くらい続いたというモン族正月のお祭りも「流れ解散」という感じになってきました。
さーてミカン屋さんもそろそろ店じまいというところですね。ちなみに小ぶりではありますが甘みたっぷりでかなりいい線をいっているこのミカンですが、実はこのあたりの産ではなく、ルアンパバーンの方から運ばれてくるそうです。ということはこのトラックで買い出しに行って、このトラックの荷台をそのままお店にしちゃっているんでしょうね。ポーンサワン市内では結構あちこちで目にしました。
ちなみにこの会場ですが、市内中心部からすぐの所にあるにもかかわらず妙に広く整地されていました。聞いてみたら「ここは旧飛行場の跡地なんですよ」とのこと。
なるほどそれで「こーんなに長い直線路」が続いているわけですね。
このあとはいよいよ夕食!というわけでSangah(サンガー) Restaurantへと歩いていきます。夜になるとメインストリートでさえもぐっと暗くなりますが、治安については全く心配ないようで、平気の平左で(死語)歩き回っていました。ただし物乞いの子どもたちにはつきまとわれます(悲)。
19:30ころのメインストリートはこんな感じです。
さて、宿の方もSotaさんも勧めるこのレストラン、近年リフォームしたのか店内は明るくて清潔。ちなみに宿の隣にも食堂がありましたが全然話題にも出なかったことを考えると、やはりいろいろな点でイマイチなのでしょうか(笑)。
ただしこのあたりでは「外食」という概念というか習慣がほとんどないらしく、あとで聞いた話によると「外食は高くて日常的に利用できるものではない」ということでした。しかしまぁわれわれにとっては唯一の頼みの綱なのですから、せっかくなら美味しいものを食べたいよねぇ。というわけで料理のお味は?
というわけで、まずは当然の儀式=ビアラオで乾杯っ!
ラープが激ウマ!どう美味しいってうまく表現できませんが、ラープはこのあとルアンパバーンでも注文しましたが、怒涛のがぶり寄りたった2秒でサンガーの勝ち!といったところでした。しかも量もたっぷり、付け合わせのサラダ菜もたっぷりで大満足。ラオサラダも、揚げ春巻きもうまい!もうとにかく大満足というわけで、気がつけばこの翌日もまたラープを注文していたわれわれでありました(ちなみに肉は牛豚鶏の中から選べます)。
お腹も満足気分も満足で宿へと戻り、芋焼酎をちびりちびりとやりながらNHKの国際放送を見ていたわれわれでありました。さーて明日はジャール平原だぁ!
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