− ジャール平原 サイト3は何だかいい感じ −

さて、再び移動して今度はいよいよサイト3なのであります。ちなみにサイト1に比べて2&3を訪問する人は圧倒的に少なくて、2では1人(+われわれと入れ替わりにサイト1で見たバイク2台がやってきた。驚いたことに2台ともタンデムだったのね。やかなかやるなタイ人ツアラー!)、サイト3でも2人しかいなかったのであります。シェンクアンに行くなら絶対2.3まで足をのばすのがお勧めです。ローカルな雰囲気もたっぷりだし。

で、2よりもよりローカルなのがここサイト3。駐車場からは川を渡り田んぼのあぜ道を歩いていくわけですが、途中には小さな野菜畑もあったりして生活感がじんわり。われわれが行ったときは水牛も暇そうにうろうろしてました。



スタート直後にはこんな橋を渡ります。高さはないので恐くはないですご安心。



このあぜ道、稲の緑真っ盛りの時は綺麗だろうなぁ‥おっと、薪を調達してきた村の方とすれ違いました。

でも見た目とは裏腹に、このあたりは不発弾の処理がまだあまり進んでいない地域でもあるんですよね。前のページでもリンクを張ったこのページを見ればおわかりの通り‥。「水田は毎年耕作されているんだからもう大丈夫だろう」などというごく普通の発想はここでは通用しないわけですね。恐ろしい。

あぜ道を抜けて丘を上がっていきます。例の「MAG」標識もここでは間隔が狭く、本当に「人が歩く」ためだけの幅3mくらいしかサーチできていないんだなということを実感します。でもその両側はぐぐっと開けているんです(まさに右上画像の村人さんの後ろに見える草原みたいに)。でも「何もなさそうだし大丈夫だろう」と歩いていくと、たぶんきっと先人の方々が同じように思って歩んだ結果の運命後追いということになるんでしょうから油断はなりません。村人さんだって経験上ここは大丈夫という前提があって歩いているんでしょうから(でもそれでも時には‥)。

ここサイト3は周りをフェンスに囲まれた(その外側は不発弾のサーチが終わっていないと思われます)、その意味では「閉鎖的な場所」です。しかしそもそもがかなり開けた丘の上なので見晴らしも良く、素晴らしい立地であるのは間違いありません。ちなみに上の写真が、このページ最上部にもあるバナーの背景に使用した画像。

今でこそ木が生えていますが、このサイト内にもやはり爆発のクレーターがあったりしますから、このあたりにも相当量の爆弾が落とされたのでしょう。サイト3の入口手前には集落がありましたが、当時人々はいったいどうやって爆弾渦から逃れられたんだろうと不思議に思うほどです。



破壊された破壊された壷からは新たな命が。「壷の中の気持ち」はこんな感じ?



もうだまされませんね。そう、この壷はこんなことになってます。


「というわけで、サイト1.2.3の動画総集編」

しつこいようですが、晴れていれば印象はもっと明るいものになったと思われます。

Wmv形式、2.06MB、55秒

さてそんなわけで再び駐車場に戻るわけですが、その道中イーバンさんから次のような申し出がありました。
「そろそろお昼となるわけなんですが、お二人はもうお腹がかなり空いていますか?もしそうなら、駐車場にある事務所兼食堂で食べるということで構わないんですが、私としてはこの後訪問するムアンクーンまで行き、そこで食べることをお勧めします。理由は‥ここの食堂、あまりおいしくないんです。」
特にお腹が空いていたわけでもないわれわれは、それならばムアンクーンで構わないと伝えると、何やらほっとした様子。さらに聞いてみると、通常サイト1-3、そしてムアンクーンを訪問するツアーでは時間的にここで昼食とすることが多いのだそうで、おいしくないのに食べ飽きたというわけで正直なところ相当に食傷気味なのだとか。ただ、駐車場で待っているドライバー氏はいつものようにここで食べるつもりだから、駐車場に着いたらわたしがドライバー氏の前で「お腹空きました?ここで食べますか、ムアンクーンまで行きますか?」と問いかけるのでその時に「ムアンクーンで!」と答えてくれと、事前の周到な打ち合わせまでが行われたというわけです。

というわけで昼食はムアンクーンまで持ち越しとなったのですが、後日、このシェンクアン県内で唯一出会った日本人の女性は「それにしてもサイト3の食堂で食べたヌードルスープはおいしかった」などと話していたから、味の好みがイーバンさんには合わなかっただけなのかも(笑)。でも確かに、毎回同じもの同じ味ばかりじゃ飽きるでしょうけれどね。

サイト3から再び赤土の道を戻ります。左上の画像で道の両側の植物が茶色に立ち枯れているように見えるのは、実は枯れているのではなく赤土の埃でそう見えているだけなのです。このあたりは大河がなく肥沃な土壌でもなさそうです。サイト1でイーバンさんに「このあたりの丘がみな丸裸の草原になっている理由」について聞いた話によると、土地の地味が悪いので樹木が根を生やして伸びることが出来ないのだとか。

でも山の上の方には森が見えています。もしかしたらこのあたりの丘ではかつて樹木を伐採して焼き畑にしてしまったのでしょうか?で、その時の養分はみな作物に吸い取られ、その作物を収穫したあとには「木も生えないほど悪い地味」の土地だけが残った‥なんて、これこそただの仮説に過ぎませんが。

そうそう、帰りの道沿いで突然車が止まったと思ったら、そこには旧ソ連製という戦車の残骸が放置されていました。その本体が右上の画像というわけですが、それにしてもこんな鉄の塊を動かすのにはどれだけの油が必要だったんでしょうね。燃費はいったい?確か昔のUS戦車でリッター1kmとか聞いたことがあるけれど?

それにしても、この戦車がここに放置されるに至った経緯はいったいどんな感じだったんでしょうね?見たところ本体にへこみや穴はないし、でもその一方で上部の回転部分は別の場所にあるわけだし?(右上画像にマウスオンすると画像が変わります)。ただいずれにせよ、こんな内陸にまでソ連製戦車が入り込んでいるということは、やはり米軍としても見過ごすことは出来ないくらいの補給がかつてのホーチミンルートを通過していたんでしょうか。

このあとはいよいよお昼ご飯のムアンクーンへ。さーて、イーバンさんが「こっちのほうがおいしい」と勧めてくれたフー(麺)ごはんはどんなもんなんでしょう?

案内されたお店はどう見ても観光客用には見えない普通のお店。お客さんもみなどう見ても地元の方。なるほどこれは期待が持てます!(サイト3の食堂は明らかに観光客ターゲット)。で、鶏肉入りと牛肉入りをそれぞれオーダーし、程なくして出てきた麺は至って普通‥いや、付け合わせの野菜の量がすごかった!右上画像ではさしたる量もないように見えますが、実際はかーなりのてんこ盛り!さらに、画像にはありませんが別皿にはこれまたたっぷりの細身生もやしが!

これらをスープに付けながら食べていくわけですが、このスープがまたバカ旨!日本のラーメン屋ではまずやらないんですが、スープの一滴まで残さず飲み干しちゃいました!うーむ確かにこりゃウマイ美味しい幸せ三昧♪

この旅行の食事の中で、Takemaとしてはここが一番シンプルにインパクトのある美味しさを感じたかなと思えます。もちろんポンサワンのサンガーレストランも激旨だったんですが、あえて言うなれば「ビーフンラーメンにこれほど感動したことはなかった」のです。やっぱりラオスの食事はおいしいや。自分の中では東南アジアの中でも一番自分に合っているかなと思ってます。

食堂の前でのんびりしていたら、ちょうど道を挟んだ向かい側に何やら気になる看板発見。もとよりラオ語は読めませんが、女の人が胸を押さえて何やら吐き出しているような絵柄はただごとじゃありません。というわけでイーバンさんに聞いてみると、やっぱり。

いつ人間に感染する変異(パンデミック)が起きてもおかしくないとされる鳥インフルエンザウィルスH5N1型。ラオスは2008年2月現在対人感染発生国ではありませんが、隣国タイ・カンボジア・ベトナムで軒並み感染報告があるところを見ると、「報告が上がってきていないだけ」という可能性も考えられます。

しかし、こんな場所(失礼!)においてもこのような恒久的な看板があるところを見ると、ラオス政府もかなりこのウィルスを気にしていることは確かでしょう。一方で日本ではこのような周知看板を全く見ませんが、これは情報インフラの違いから来るものと考えていいんでしょうかね?それともただの油断か怠慢?

さて食事後は、看板の後ろに見えていたワットをはじめとしたムアンクーン観光へ。少年、すごいぞえらいぞ!
[戻る] [次へ]