− 古都ムアンクーンは何だかほのぼの −
昼食後は先ほどの食堂からも見えていた古いワットへと向かいます。すぐ近いんだから歩いていけばいいんですが、これがツアーということなのかしっかり車に乗って約1分半で駐車場に到着。さすがにここからは歩いていきますよ(苦笑)。思い起こせば10年以上前は、今よりもはるかにのんびりしていたタイ北部を拙い地図だけを便りにバイクで何度も走ってたっけ。ちょうど今のラオスのような感じだったような気がするんで、次回はラオスの台地をバイクで走るのもいいなぁ(タンデムやら荷物の問題は別途考えることにして)。
巨大化したポインセチアを眺めながら行くと、ワットフーンの仏塔まではほんの一投足。
さてこのワットフーン、お寺そのものは無くなり、今残っているのは仏塔のみ。ここムアンクーン(ムアンクンとも)は元々シェンクアン県の県都だったところで、イーバンさんもここのことを「Old Capital」と呼んでいましたが、このエリアは米軍の爆撃をかなり激しくうけ、一時はほぼ無人化したという話です。そういうこともあって仏塔もそのまま放置されているんでしょうか。ちなみに今は町も再建され(だから食堂もあったし)、人々の営みも普通の町と同じです。
ちなみにワットフーンでは煉瓦を積んで作られた仏塔の内部を通り抜けることが出来ます。誰が穴をこしらえたのかはわかりませんが、明らかに人為的な穴であることとだけは確か。ただし通り抜けたからといって御利益があるかどうかはわかりません(笑)。
煉瓦造りのワット下部に入口があります。内部も煉瓦がむき出しで、日本の現行耐震基準を満たしていないことだけは明らかです(笑)。
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さて続いては、爆撃により母屋を失ったというワットピオワット。思っていたよりも小さな場所&仏像でしたが、何だか遠目から見るとお顔が歪んでいるように見えたのは、爆撃による破損だったんですね。仏様は当時の爆撃をいったいどんな気持ちで受けていたんでしょう‥。
しかし人々の営みはこの町をまがりなりにも復興し、そして新たな暮らしの準備をすこしずつではあっても着実に進めているのでありました。
こちらは一家総出で何をなさっているのかと思ったら、実は畑作りではなくてここに家を建てるために地面を平らにしているのだそうな。このエリアはもともとモン族およびタイダン族居住のエリアだったはずですが、ラオ族も住むようになっているのが現実。しかしその区別は家を見れば一目瞭然なのだそうで、高床式の家はラオ族の家、日本と同じように土地に基礎を築いてそのまま建てるのがモン族の家なのだそうです。ということは、こちらはモン族の方々なんだな。よく見ると、小さな子供が家族の真似をして地面を掘ってますね(カワイイ)。
そこから少し進んだところからはいよいよ本格的な山道を進んでいきます。どうやら古い仏塔だか何だかがあるそうなので。とはいっても駐車場からでも片道10分くらいだったか?
薮の中に突然現れた古い仏塔。かつてはこのあたりに寺院があったのでしょう。ちなみにこの塔の周りには一対の狛犬ならぬ「狛象」が鎮座しておりました。あいにく耳や鼻先はかけ落ちていましたが、この大きさからして犬じゃないのは確かだし、これだけ大きな狛象があることからはかつてこの地にあったであろう寺院がかなり大きなものであったことが推察されます。
ふたたび元の道を戻るとたぶんごく最近埋葬されたとおぼしきお墓あり。そのお墓にはカバンと靴(サンダル)が添えられていましたが、これは死後故人が使えるようにという意味だったのかな?どうやらキリスト教徒のお墓のようでしたが、たぶん別宗教の考え方もミックスされているんでしょうね。日本の仏教だって先祖崇拝の考え方がかなり色濃いものになっていますから‥。
道の脇の木を先ほどから伐っている男性の姿を遠目に見ていたのですが、われわれがのんびりしているウチにそのうちの一人がその木を肩に載せて歩いてきました。男性って‥あれま、まだ少年だったのね!
やるなぁ少年!
それにしても木の枝を伐っているのかと思いきや、枝どころか幹そのものじゃないですか!その鎌だけで伐ったんでしょうか。軟らかい木なんでしょうけれど、それにしても驚いた!
イーバンさんに聞いてもらうと、学校の周りに柵を作るために伐ってきたのだとか。うーん生徒たちの手で学校の設備を作っちゃうとはさすが、「勉強してやってる」と豪語してはばからない日本の中高校生ごく一部あたりに爪の垢でも煎じて飲ませたいぞと思ったりもします。でもその一方で新たな疑問がフツフツと。
というわけで再びイーバンさんに聞いてみると、思いもかけない答えが返ってきました。
どうやらわれわれが考えている以上に水牛って暴れ牛なんだということでしょうか。あ、そうか、発情期になると凶暴になるということかもしれない(そのへんの所はあまり詳しく聞かなかったので不明ですが)。
このあとはムアンクーンからノンストップでポーンサワンまで戻りました。道中にはモン族の若者たちが例の「キャッチボール」に興じる姿もかいま見られましたっけ(地方ではお祭りの期間が微妙にずれていることもあると聞いていましたんで)。というわけで本日のツアーは終了。結局一日中天気はどんよりと曇ったままだったなぁ。
時間的に夕食までまだ間があったので、午後の町を散歩に出かけました。とはいえやっぱり宿の周辺をぶらぶらしただけなんですけれど。
まずはメインストリート沿いにあるMAGのオフィスへ。とはいえ本当のオフィスは別の場所にあるようで、ここは不発弾処理作業の広報センターのような位置づけになっているみたい。中には周辺から発見・処理された爆弾の実物が飾られており、さらには不発弾処理に関するビデオも上映されていて、ここポーンサワンを訪れる際は必見です。
ただしビデオは約1時間にも及ぶ長いものなので、椅子を勧められたら有難く座らせてもらいましょう。われわれは「たぶん10分くらいのもんだろうから」とタカをくくって「椅子は不要です」と返答した結果、ずーっと立ったまま見ることになっちゃいました(笑)。
ちなみにこのビデオはUS$5のDonationで手に入れることも可能。さらにはオリジナルのTシャツも販売されており、買う気満々だったのですが、気に入ったデザインのシャツがサイズ欠品だったので断念(残念)。ちなみにオフィスの隣の喫茶店というか食堂は、元MAGの隊員が現地ラオス人女性と恋に落ち、諸般の事情により隊員をやめざるを得なかったAusieがオーナーになって開いた店なんだとか。なるほど、だから爆弾のシェルが門柱になっているわけね。
さて続いては再び市場へ。今朝はまだ早かったからか活気の方はイマイチでしたが、この時間は路上の露店も盛況でした。
朝方はお客さんの姿も少なかったんですがこの時間は夕ご飯食材の買い出しタイム?
見物しているうちに何かが欲しくなり、ご飯のミニ蒸し器をおみやげにすることに(左上画像でおしんこどんがぶらさげているもの)。お店の品揃えからして決して観光客向けではなく実用品。しかし帰国後に使うことはまずないような気がします(苦笑)。
そんなこんなで宿に戻ってしばらくすると日も暮れてきました。今になって雲が切れてきたぞ(笑)。ま、明日晴れてくれればいいかなということで今夜の夕食もサンガーレストランへ。今日もラープ(豚肉)とその他諸々。ビアラオは当然必須アイテム(きっぱり)。ちなみに注文が通らなかったはずのステーキも出てきちゃったんで食べましたが、焼き加減よりも肉そのものが固かったのかイマイチの印象。あとはみーんな大満足だったから余計にその印象が残ったのかな。相変わらずサービスで出てくる生野菜が多くて嬉しい♪
というわけで本日の活動はこれにて終了。明日は‥知られざるラオスの温泉2湯ほかに向かいます!
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