− 切なくなるしかないタムピウ洞窟 −



窟へはローカルな雰囲気たっぷりの道を進みます(全舗装路)。駐車場付近からは洞窟が遠望できます(左右の画像マウスオン)。

ムアンカム到着後はそのまま郊外にあるタムピウ洞窟へと向かいます。とはいってもボルネオのジャングルによくあるようにアメツバメやコウモリなどが洞内に住んでいるわけではありません。この洞窟には悲しい歴史があるのです。

1968年11月24日の午後、この洞窟を目標にアメリカ軍機が攻撃を仕掛けました。洞窟の中には空爆から逃れるために避難してきていた村人たちが数百人。恒常的な空爆を避けるため、この洞は日常生活の場としても使われ、内部には学校や病院などもあったといいます。

米軍のロケット弾攻撃は全部で4発。3発目までは外れたそうなのですが(そのうちの一部は入口上部にヒットしたらしい。それだけでも洞内の人々が受けた衝撃はかなりのものだったと思いますが)、4発目がまさに洞の内部に入りこんで爆発、結局374人から380人(諸説あるようで「地球の歩き方」には427人と記載されています)がこの洞窟内で亡くなったそうなのです。

駐車場から洞窟までは階段を上がっていくことになりますが、その沿道には下の画像のような看板がいくつも見られました。

イーバンさんによると、この看板それぞれは、洞窟内から発見された犠牲者の方をそれぞれ埋葬した場所なのだとか。たしかに看板には「6 People」(右上画像参照)のようにそれぞれ人数が記載されています。ということは今でもこれらの場所には遺骨が眠っているのでしょうか。何だか洞窟に行く前からやりきれない気持ちになってきます。しかもラオス領内への空爆はアメリカ国内世論の問題を考えてか極秘(「Secret War」と呼ばれる所以です)とされ、それゆえ今でもラオスとの「一方的な戦争」を知らないアメリカ人はかなり多いのではないでしょうか。

なお申し遅れましたが駐車場の脇には小さな博物館があり、そこには「洞窟内で亡くなられた方の頭骨」をはじめとした展示品を見ることが出来ます。日本では考えられないことですが‥。



洞窟へ向かう途中の慰霊碑わきには花が咲いていました。木そのものは無骨ですが花は清楚。

ようやく洞窟の入口まで上がってくると入口はかなり広いです。ただロケット弾が入口付近に被弾したわけですから、元々はもっと狭かったのかもしれません。その入口付近には見た限りでも3つの蜂の巣がありました。ま、危害を加えてくるわけでもないので問題はないんですけれどね。

気温が低いからか一匹一匹が巣に固まっておりました。全然飛んでいなかったぞ。群れをなして集団で温まっているということなんでしょうか。

というわけで洞窟内部へと進んでいきます。入口のすぐわきには慰霊のお線香をたむける場所もありました。数十mほどまっすぐ延びた洞窟内には大小の瓦礫が散乱していますが、これらは当然当時のままということはなく、犠牲者を探し出すべくどけられて入口付近に堆積したものと思われます。

しばらく進み足下がほとんど見えなくなってきたあたりにロープが張られており、そこから先は立入禁止になっていましたが、ここから洞窟は急に深く落ち込んでいるようです。ライトを持ってこなかったわれわれはもとより奥をのぞき見ることは出来ないのですが、イーバンさんがフラッシュを使った撮影を許可してくれたのでとりあえず撮ってみると‥十字架に見える木はいったい偶然なのか何なのか?そしてその奥にはまだまだ深みが広がっているようでした。

犠牲者の方は当然奥の方におられたことでしょう。しかし逃げ場のない洞窟内でロケット弾攻撃を受けなければならないとは‥想像を絶する恐怖の時間だったことでしょう。合掌。

というわけで洞の見学を終え、先ほどとは別の道を使って駐車場方面へと下っていきますが、おっとイーバンさん、なぜだか「明らかに回り道」と思われる細道に入りこんでいきます。いったい何があるんだ?と思ったら、何と上の洞窟のほぼ真下に、別の洞窟の入口があったのでした。

入口付近でさえも狭いのですが、中に進むにつれて奥はどんどん狭くなり、四つんばいでもかなり厳しい感じで奥下方に続いています。われわれにはライトがないのでそれ以上の進入はあきらめざるを得なかったのですが、真っ暗なその奥の方からは‥

と、僅かな水音が聞こえていました。聞くと、この洞窟は確かに「タムピウ洞窟で生活する人々の命の水場」として機能していたのだそうです。なるほど。ちなみにこの時同じようにガイド連れでこの地を訪問していた旅行客は他に3組ほどあったように記憶していますが、われわれの知る限り1組もここに寄り道することなくスルーしておりましたっけ。よかったイーバンさんがきっちりした方で‥。

ちなみにイーバンさん、この場に限らずかなり細かなところまで気を遣ってくれる方でした。というか元来が生真面目な方なんでしょうね。「俺が俺が!」というタイプの方では決してなく、空港での客引きには向かないだろうなぁ(もっともわれわれのツアー終了後しっかり空港で客引きに参加していましたが、どうだったんだろう?)。ちなみに彼の画像がなかなか出てこないのは実はこの時はまだちょっとわれわれも遠慮していたから?(笑)。もっとも最終日にはやたらに一緒に撮りまくったわけですが。



駐車場わきにあった鎮魂の像‥

タムピウ洞窟から再びムアンカム市内まで戻りここで昼食となりました。小さな町ですが市場もあるようなので見学したいなーと思っていたら、明日の帰り道に寄るとのことで一件落着。では心おきなく食べましょ♪

さてここではラオス風ぶっかけご飯にしましょうとのことで(ここでまたフー=ラオスの麺の基本形というのも芸がないのでありがたい)、どれどれとオープン厨房へ。なになに、この中からどれとどれをご飯の上に載せるか決めるというシステムなのね。で「全部載せってOKですか?」と聞くと「大丈夫ですよ」とのこと。ならば当然その選択をするっきゃないっしょ!

というわけでありがたく頂いた次第でありました。ちょっと味が薄かったきらいはありましたが、これは「机の上の調味料を使わなかった」ところに起因するのでしょう。前日のムアンクンで食べた昼食でもイーバンさんはかなりいろいろな調味料を足していたし、「最後の味付けは各自でよろしく」というのがラオスのローカル外食におけるデフォルトなのでしょうね。でもそれでも昨日のフーは何も加えなくてもおいしかったんだけれど。

食堂の前には季節のフルーツとなぜだかトラクターが鎮座しておりました。ここにトラクターを置く意味があるのかどうかはわかりませんが、「燃える男」をことさらに主張したいのかもしれません。でもそれなら「赤いトラクター」じゃないと‥(40才以上の方じゃないとわからないかもしれませんが。まさか関東限定だったりして?)。

さて、お腹も満ちたあとは「Takemaの柔肌(気持ち悪いって言いっこなし)も満足させてあげなければ!」。というわけで、いよいよラオスの野湯へと向かいます!
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