− 再びビエンチャンへ、その変わりようにちょいとびっくり −

というわけでお昼前にポーンサワン到着です。とはいえここで解散というわけではなく、昼食後の空港送迎までをお願いしてありますのでイーバンさんもドライバーさんもここでお別れというわけではありません。ちょっと早いですがいつものサンガーレストランで昼食です。昼間からビアラオを飲み始めるTakema&おしんこどんにイーバンさんもあきれ顔(笑)。

MAGのTシャツゲットはなりませんでしたが、食事後はいよいよ空港へ‥いや寄るところがあったんだ、それは言わずとしれたビアラオ社ポーンサワン事務所!さーて、憧れのビアラオ旗は手に入るんでしょうか?

事務所にはお姉さんが1人で留守番中。イーバンさんが話を持ちかけてみると‥

おお、やったぁ!(嬉涙)。何枚か旗の入っている袋を2つもいただいちゃいました!よぉーしよし!というわけで、2008年5月のTakemaオフキャンプの飾り付けに使用することをすぐさま決定!



「嬉しいぢゃあーりませんかオーラ」をただよわせつつお姉さんと記念撮影♪

そんなこんなで何とか空港までたどり着きました。しかし最後に記念写真を撮って「じゃーねーさよなら!」‥とはなりませんでした。というのも、お二人には「次の仕事」があるのです。それは、

という大仕事です。観光客とおぼしき方々の中から「この人(グループ)は!」とピピーンときた人に照準を合わせて勧誘していく‥私たちは最初からこの作戦に乗るつもりでこの地に降り立ったわけですが、かといってそういうお客さんを見つけてツアーにまで仕立て上げられる可能性はそう高いとは思えません。そういう意味で、やはり「大変なお仕事」だといえるでしょう。
ちなみに、観光客ズレした国や観光地では空港で待ち受ける人たちの勧誘には一切乗るべきではありません。ボラれまくるのがオチ。勧誘相手が観光客ズレしていない(=さしてぼったくったりしない)と見こんだ場合のみ有効です。同じラオスでも、ビエンチャンやルアンパバーンだったらやらないでしょう。



というわけで記念写真。ちなみに空港施設周辺ではニワトリが何羽もわが物顔です(右上画像マウスオンで別画像に)。



大体2日に1本しかない路線ですが、今日は2本の日。ちなみにボーディングパスはおしゃれ系デザインです。

搭乗が開始され、空港まで歩いていく途中に到着ロビーの方を振り返りましたが、イーバンさんの姿を到着客の中に見つけることは出来ませんでした。「勝負の時」ですからね。うまくお客さんをゲットできたことを祈りつつ飛行機へと向かったのでありました。



えーっと、万が一離着陸時に火災が起きたときには「この1本」に全ての消火作業が託されるわけですね(笑)。

さてビエンチャン行きのヒコーキはほぼ定時に離陸、そして同じくほぼ定時に到着いたしました。ヒコーキのタラップを降りた瞬間感じたこと、それはあまりにもわかりやすい

という皮膚感覚でありました。実際のところ気温そのものがひどく高いわけではなかったと思いますが、標高も高く天気もよくなかったせいで気温が低かったシェンクアン地方(ちなみにこの日の午前中の弾殻村では半袖では結構肌寒かった)と比べればこの温度差は地獄絵図のようにまで感じられたのであります。例えていうならば、「夏の北海道からいきなり酷暑の都心部に引っ張り出された感じ」というところでしょうか。いきなり汗だらだらでへろへろのベトベトベムベラベロ、早く人間になりたくて仕方がなくなるほどです(何のこっちゃと思う人はまだ若いですね)。

到着ロビー内にあるタクシーカウンターで呼び止められましたが、協定料金が$6だというのでトゥクトゥクで市内まで行こうとして表に出たら、そうか空港には客待ちのトゥクトゥクはいないんだっけ!(空港への送迎はOKだけど空港エリア内では客待ち禁止)。

数百m歩けば大通りに出ますからそこまで行けば流しのトゥクトゥクなどいくらでも通るはず‥なんですが、いかんせんわれわれ(というかTakemaだけね)はまだこの灼熱の暑さに耐えうるほどのこらえ性も甲斐性もなかった「半人間」にすぎません。「くーっ、ま、いっか!」とさっさと挫折、タクシーカウンターにチケットを買いに戻ったのでありました。

タクシーはありがたーいことにエアコン装備、こりゃ5年前じゃ考えられなかったような気がするぞ。もっとも他の客待ちタクシーは外観から見る限りノーエアコン車のように見えたからラッキーだったのか。いずれにせよ$6というのは法外な値段なんだからこれくらいはいい思いをさせてもらわなきゃ。

そうなると今宵の宿も「是非ともエアコン付きの快適ホテル」を望みたくなるのが当然の流れというものです。というわけで目星を付けていたのが1泊$30もする「中の上」のチャンタパンヤホテル。もう少し安い宿でもいいんですが、「各部屋無線LAN無料」に惹かれちゃったわけですね。部屋はゴーセイだし、エレベーターもあるし、今宵はなかなかリッチだぞと思っていたら、その肝心の無線LANがなぜだか認証失敗で使えずにがっくり(笑)。ま、ロビーにもフリーのネットPCが2台用意されていたんで問題はなかったんですけれど。

というわけで気温が下がる夕方までは部屋で待機し(くつろぎ)、夕暮れ時になってメコン川沿いを目指したんですが、いやはや途中の宿やお店はすっかりお洒落に大変身していて、遠目にはブティック通りと言ってもおかしくないくらい。バンコクのカオサンのような雑然さとはこれまた違ったハイセンスがキラリというような変貌を遂げておりました。もちろんたまたま自分たちが歩いた通り(並行する2本の通り)が特にその傾向が強かったのだとは思いますがそれにしてもびっくり驚いた!

ちなみに途中で立ち寄ったおみやげ店でゆっくりしすぎたか(何も買わなかったけど)、店を出たら「うわ、もう日没に限りなく近くなってる!」ということで急げや急げメコン川!かろうじて何とか間に合いました(アブナカッタ)。

当然夕方ころから川沿いにオープンするオープンレストランにてビアラオをプシュっ!うーん、至福の時でございます!そしておつまみも頼みましょという段になれば、注文した品の中に「これ」が入ってくるのは理の当然です。前回心の準備なしに殻を割ったときは驚いたけれどね(笑)。



ラオスでは「カイ・ルーク」、ベトナムでは「ホビロン」。ではではいただきまーす!

しかしふと気がつけば、5年前と何か大きく雰囲気が違うぞメコン川沿い広場!1つはこのオープンレストランの数と規模!5年前は数軒が細々と営業しているだけだったような気がするけれど、今やずーっとはるか先まで煌々と灯りが続いていて、いつの間にやらビエンチャンの一大名所に変貌していたようですわ。こうなってくると何だか別の場所を探したくなるなぁ。



この屋根付きテントは各レストランの厨房。つまりは厨房がはるか奥までずっと続いているのですから‥。

さらには視覚だけではなく、聴覚にも訴えてくるものがありました。レストラン群とは反対側のほうから何やらリズミカルな音楽がどどんばばんと聞こえてきます。しかもそれは悠久のラオスの歴史を感じさせる民族音楽などでは全くなく、どう聞いても欧米系の「どこかで聞いた気のする」曲ばかり。ビールを飲み干したあと「何をやっているんだろう?」というわけで見に行ってみたら‥




「大エアロビ大会!」

まさかこんなフィットネスクラブ?があるとは!そして数十人の皆さん(見た限り全て地元の人)で大盛況だとは、メコン川沿いの夜の雰囲気は5年ですっかり様変わりしていたのであります。

Wmv形式、1.25MB、33秒

うーん、やはりビエンチャンの変わりようには驚くばかりでした。ついでに言えば、観光客の数も倍々増しているようで、川沿い道路の歩道はそれこそあまりにも数多くの観光客でごった返しておりました。やたらに数の増えたレストランも軒並み満員に近い盛況で、結局は「これって何だかなぁ‥」と思いつつ、結局本格的な夕食を食べることなく宿に戻ってきてしまったのでありました。個人的には「ごくあたりまえの首都」になってしまったようでちょっと(いや、だいぶ)残念かな。

もっとも街の外見はともかく人の良さはそうそう変わっていないような気がしましたが、「環境は人を変える」のも事実だとすると、ビエンチャンがミニバンコク化していく流れを止めることはもはや不可能なのかもしれません。願わくはそのスピードが少しでもゆっくりでありますように。

さてちなみにわれわれはなぜビエンチャンに戻ってきたのかといえば、シェンクアンからの航空便はビエンチャンにしか飛んでいないからなんですね。以前はシェンクアン〜ルアンパバーン便も飛んでいたようですがこの時(2007年12月)は運休中。となれば一度ビエンチャンに戻るしか方法がなかったのであります。
ただし!この計画を立てた旅行出発前(2007/12)にはわかっていなかったのですが、どうやらポーンサワン〜ルアンパバーンのバス移動は昔より過酷(トラックバス等)ではなくなっているらしく、どうやら全線舗装で普通のバス(ただしVIP仕立てではなくローカルバス)で移動できるようになったようです。舗装路ということで所要時間も短縮されたようです。でも自分が利用したわけではないので、使いたい人は念のためよく調べてみてからがいいかもしれません。
というわけで、翌日はルアンパバーンへとこれまたヒコーキで移動します。
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