− その15 ウランバートルへ戻りましょ −



おお、きれいな朝焼け!でも「朝焼け」ということは‥。

寝る前、昨夜同様明け方はゲルの中でも寒くなるだろうと思いジャンバーを着込んで寝たわけですが、寝ている途中で知らないうちに脱いでしまったようです。夜中にトイレへ行こうとゲルを出てみたら、空は一部に星が見えるものの概ね曇り、いやそれよりも、あたりは生暖かい空気&無風。この日も早起きして、意味なく地平線から昇る朝日で身を浄めるつもりでしたが、上の画像の直後、太陽は雲に隠れてしまいました。

おまけにかなり強い風が吹き始め、明らかに天候悪化を知らせています。強風だし、もし雨が降ったりしたら滑走路は使用不可となるし、大丈夫かなぁと思いつつ出発の準備をしていたら、ゾルさんがこちらのゲルに来てこう告げました。

UBを出発したということは、まぁとにかくこっちには来るはずですし、予定通り南ゴビを離れることはできそうです。しかしそれにしても、「その日になっていきなりスケジュールが変わり早く出発」というスケジュールというのはどうなのかなぁ、乗り遅れる人はいないんだろうか(いや、きっといるでしょう!)。ちなみにこの数日後、逆の意味で「これこそ修業」としか思えないほどの忍耐を強いられたわれわれでしたが、この時はまだ知るよしもなしでした(笑)。ナイトラリー、しんどかったなぁ。

空港に着き、ゾルさんはわれわれの代わりに「チェックイン」と書かれたたった一つの「窓口」へ(うわぁ、やっぱりパックツアーはラクダ、じゃなかった楽だった)。しかし、その「窓」の向こうにいたオバさん係員の態度に腹を立てたゾルさん、「UBに着いたらアエロモンゴリアのオフィスにクレームつけちゃる!」と息巻いておりました。聞けば、「確かに社会主義の時代は客と客とも思わない態度はごく普通でしたが、今はそんな時代ではありません。ちゃんとサービスを良くしていかなければいけないはずです!」と。

ちなみにゾルさんは有言実行型のようで、UBで迎えの車が少し遅れているのを知ると、「ちょっとここで待っていてください、オフィスにクレームを付けてきます!」とのこと。しっかり「旅行社添乗員代表」としてのオトシマエはつけてきたようです(今考えれば、同行してその様子を見ておけばよかった、残念)。

チェックイン時間中なのにゾルさんの目の前で窓口の窓をバシン!と閉め、古きよき時代を懐かしんでいた?チェックイン係のオバさん、その後おとがめはあったのでしょうか?これからモンゴルに行かれる方で、くだんの空港においておばさん係員が妙ににこやかに対応してくれたという経験をなさった方は是非お知らせ下さい(笑)。でも、あまり期待できないんじゃないだろうか?

このあとは、ここでお別れになるドライバーのシャガさんと記念撮影。シャガさん、モンゴル語しか通じませんが何だか面白い人だったなぁ。お子さんの写真も撮ってあげればよかった(前日お子さんが宿に遊びに来ていたんです)。



今改めて見ると、Takemaの方が背が高かったんだ‥(逆だと思ってた)。

そうこうしているうちに、念願の飛行機が到着!よし、これで予定通りUBに戻れそうです。モンゴルに来る前はあまり考えていなかったけれど、今回の旅程って結構綱渡り的な要素を多く含むものですからねぇ。でももっと綱渡りだったのはパプアニューギニアだったっけ(笑)。



ここまで来ればこっちのもの!強風でおしんこどんの前髪はオールバックに。Takemaは‥いやはや(自爆)。

というわけでいよいよヒコーキは強風の中を離陸しました。かなり揺れるかなぁと思ったのですが、なぜだか全然揺れないのはなぜ?と思っていた頃、おしんこどんが「ほら、あれあれ、宿が見えてるよぉ!」と叫びます。しかし通路側のTakemaからは見えないため、証拠写真を撮ってもらうことにしました。



確かにそうだぁ!ゲルの配置や道の方向も記憶通り!おしんこどん、よく見つけたね(よしよし)。

しばし(Takemaの席から)窓の外を見ていると、どうやらこのゴビ平原(砂漠)にところどころ雨が降り出している様子がわかりました。なるほど、だから(雨が降り出す前に少しでもという意味で)早発だったのね。こうやって乗ってしまえばアエロモンゴリアの「心遣い」にも感謝です。あのおばちゃんはともかく?(自分における直接の「被害」はなかったもので一概に言うべきではないのですが)。



というわけでUB国際空港に戻ってきました。こちらも曇り、昼間ゆえネオンはなし(笑)。

このあとは一旦前回と同じホテル(Flower Hotel)にチェックインし(このあと何度同じパターンがあることか‥)、午後までゆっくり「ご休憩」。変な意味に取っちゃいやよ(笑)。

午後2時にゾルさんが来てくれました。この午後をどう過ごすかというところで、実はリクエストを出していたのです。それは‥

それは、この旅行における「早くも」、そして「かなり切実」な問題でした。そしてその問題解決のため、このあとわれわれは、ゾルさんも知らなかったUBの「秋葉原」を訪ねることになるのでした。以下次ページへ!



次ページでも出てくるこの画像、その意味は?(笑)。

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