− その29 羊の解体、それは思いがけない場所で始まった − 

昼寝(おしんこどん)やら日記書きと称して芋焼酎をちびちび(Takema)したりしながら、夕食前後の時間をのんびり過ごしたのは当然として、その後はいよいよやることがなくなりました(笑)。外は少しずつ涼しくなってきたため、ゲルの中に入って(火も入ったことだし)ぼけーっとしておりましたが、ちょいとたばこを吸いに外へ出てみたら、すぐ近くの木の下で何人かの人たちが何かを始める気配。何だろうと思って近寄ってみると‥

というわけで、ここからは許可を得て撮らせてもらった画像とともにご説明いたしましょう。あおむけにされた羊の胸のあたりに切れ目を入れ、そこから体内に手を入れて動脈の流れを止めたようです。ここで羊はこときれたわけですが、動脈を止められたときに手足が痙攣した以外には全く騒ぎ立てなかったのが不思議。

家畜が屠(ほふ)られる際、集団から引っ張り出されたその家畜はある瞬間を最後に突然おとなしくなるのだとか。その時家畜は「自分を待つ運命」を悟るのではないかというコメントを読んだことがありますが、この羊もまたそうだったのかなぁ。



痙攣が止まった羊を早速解体し始めます。

そうそう、最初に書いておかねばならないのは、モンゴルの人々が羊を解体するときには「一滴の血をも大地に流さない」という不文律があるそうなのですね。ちなみにこの解体作業は決して「見せ物」だったわけではなく、われわれは偶然この作業の様子を見せてもらうことができただけなのですから、もしその不文律が「建前論」であれば羊の下にはシートの一枚も敷かれていてしかるべきなのですが、さすがにモンゴルの親父さん、不文律の通りナイフだけで血をこぼさずに作業を進めていきました。

最初はとにかく皮をはいでいきます。いきなり肉の部分にナイフを入れれば当然血が吹き出るわけですし、そうでなくてもまずは肉と皮を分離させるのが基本ということなのでしょう。そして、そがれた皮の部分はそのまま「万が一こぼれた血を大地にこぼさないための受け皿」となるわけです。羊を仰向け状態にしたままで作業するというのにも、ちゃんとした理由があったわけですね。



肉と皮とを分離させたあと、いよいよ肉と骨との解体にかかります。

そろそろ暗くなってきました。上画像の青バケツはこぼれ始める血および内臓部分を入れるために置かれているわけですが、それにしても最初から見ているのに「血の絶対量が少ない」ように見えて仕方ありません。もちろんさっきまで生きていた羊なのですから実際血が少ないなどということは毛頭なく、それはつまり解体の手はずがいかに巧みであるかということなのでしょうが、それにしてもすごい技です。

そして解体が完了し、肉は木につるされ(血だらけに見えますがそれでも実際には血は垂れていませんでした=凝血)、分解された皮と頭部が残されることとなりました。実は翌朝、この頭部と再び対面するとは思いもしませんでしたが(笑)。

さすがの職人技、まさかこんな時間にこんなすぐ近くでこんな作業を目にできるとは思ってもいませんでした。残酷とかどうのこうのというのではなく、長年培われた技術に感動しまくったというのが本当のところです。ホントに偶然のことで、まさか自分たちのゲル(キャンプの一番端っこ)のすぐ裏でこんな作業を見学することができるとは思いませんでした。ちなみにこの日の宿泊客(韓国人の団体も含めて数十名)のうち、この様子を見ることができた非当事者はわれわれだけでしたから‥。
モンゴル編 動画ライブラリー(41)

「羊の解体作業中」

作業の最初のほう、皮をはいでいる部分の動画です。残酷というなかれ。

Wmv形式、762MB、29秒

そういえば、モンゴルでは「羊を解体する」とはいわず「剥ぐ(あらわにする)」とかいうそうです。確かに上の動画を見ていると、どんどん皮をはがしていく(裸にしていく)様子がよくわかります。

そんなわけで思いがけず「見るべきモノを拝見してしまった」われわれでした(団体ツアーでもない限り滅多に見られないはずでしょうし、しかもある種の「貸し切り」で)。あたりもだいぶ暗くなってきたので、そろそろ今の驚きを胸に寝ようか‥と思っていた時、近くにいたドライバーさんが何やら話しかけてきます。ん?ドライバーさんの手は何やら湖とは反対側の林の奥を指している?何があるんだろ、いやもしかしてこれから何かがあるのかもしれない?

そしてそのアドバイス通りに進んだ先には「棚ぼた系モンゴルの夕べ」が待っていてくれたのでありました。うわぁ、この日もかぁなりかなり盛りだくさんだったなぁ♪

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