野湯探索から戻ってきたら、まずはびっしょり&塩まみれになった身体を清めるべくシャワー!服を着替えてからテラスでゆっくりとパイナップルを味わい with 芋焼酎。ふぅ、これでようやく人心地ついたなぁという感じです。しばしこの日の日記を書き、カツキン&ドラウルの帰着を待ちます。19:00にここで待ち合わせをしていたからなのですが、約束の時間近くになっても全然戻ってくる気配がありません。あれぇおかしいな、どうしたんだろうと思いながら部屋に戻ろうとした時、午前中案内をしてくれたガイドさん発見。

午前中の無料ツアーのお礼を言うと、「ところでTakemaさんは○○さんのお宅での夕食に呼ばれていますか?だったら直接お宅まで行って下さいね。え、あの2人?彼らはShan Palaceに行っているらしいから、たぶんまだ帰ってこられないと思いますよ」とのこと。場所を聞くと、「今朝のツアーの最初に話した、あの黄色いペイントの家ですよ。覚えているでしょう?」とのこと。そうか、あまり聞いていなかったけれど「この家が云々」と言っていたあそこのことなのか。ならばこの通り沿いの家だし見ればわかるだろうということで宿を出発したわけです。
【ところでShan Palaceって?】

この地域を支配していた藩王の子孫が維持している施設。「地球の歩き方」によると「この地域の歴史について丁寧に説明してくれる」と書かれているが、実は「相当に懇切丁寧な説明」であるらしい。ちなみにあとで聞いた話によるとカツキン&ドラウルたちは見学に3hかけた(かかった)らしい。もちろん、自分たちの先祖である藩王を「行方不明」という名目で失ってしまった現戸主にとっては、外国人を通して世に訴えたいことが山ほどあるのだろう。ただし、そういう戸主の姿勢があるからこそ、いいかげんな気持ちで訪問するとかえって失礼に当たるのかも知れないなぁ。でも、時間があれば是非行きたかった!とにかくティーボーはトレッキングも含めてもっと時間が欲しかったです!自分としてはバガン滞在が1日余計だったかなぁと思います。
というわけで、さて自分だけでそのお宅へと向かいます。しかし表に出てみてわかったこと。それは‥

かといって、ライトで家々を一軒一軒照らしながら探すなんてことは何だかしにくいし‥。まぁ何とかうすぼんやりと見えている家の形と記憶とで判断しようかと思ったのですがやっぱり無理。あたりにいた人に聞くのも、相手の名前を忘れている自分は唯一の英語キーワード「Yellow House(もっと難しい説明も出来ないわけではないけれど、そうなるとさらに地元の人は理解してくれないはずなので)」でしか勝負出来ないのですから万事休すです。しかしさすがに町中、自分が家を訪ねたうちの一人の方が「英語を話せる」誰かを呼んできてくれました(感謝)。説明すると、「この家ですよ」。何と、目の前の家が目指す目的地だったのでした(苦笑)。

家から出てきた女性(返す返すもお名前を忘れてしまってごめんなさい)は、何だか自分がホスト役であることを忘れているかのように「私は英語が話せなくてごめんなさいね」と口癖のようにいうばかり。それでも最低限の会話力はあるんだし、そんなに恐縮なさらなくても結構なのに‥。というわけで、本来恐縮すべき立場のTakemaは妙に堂々とふるまい始めたのでした(笑)。まだ最後の仕込み中のようで、席に通されて待つことに。まだ誰も到着してはいませんでしたが、すでに主な料理はテーブルに載せられており、ついでに言えばこの日の客は自分を含めて6-7人なのかなぁという感じでした。



ちなみにこの時は停電中。よって食卓にはろうそくの灯りのみでした。

それでもそのうちに続々と人々が集まってきます。みんな初対面だし、ホストの彼女は出迎えると「ちょっと待っていて下さいね、私は英語も出来ないし‥」と言いながらキッチンに戻っていってしまうので、なぜだか席の割り振りは先着のTakemaが勝手にやっていたような気がします(大笑)。そうしているうちにもどんどんお客は増え始め、カツキン&ドラウルもパイナップルのお土産片手に到着。気がつけば予想を超える大人数が集まっていました。
【日記から抜粋】

ちなみにこの夜集まった人の国籍も様々で、スペイン(ドラウル+1人)、フランス、アイルランド(例の川渡りトレッキングの彼女)、NZ(埼玉県内の某高校で日本語教師として日本在住)、ドイツ(カツキン)、韓国(先生のカップル)、オーストラリア(1年の半分をミャンマーで過ごすというおばさん)、そして自分だ。



これはまだ早い時間の写真。だって最終的にはこの席にホストも含めて12人!

んでは、とりあえず説明は抜きでこの日振る舞われた料理をご紹介!シャン族のルーツはタイ系と同じらしいですが、特に辛いという感覚はなかったなぁ。ちなみにホストの彼女は前日から準備をして下さったということでした(先に到着したTakemaだけに話してくれた)。ソーセージもあるし牛乳を煮詰めたものを揚げたものもあるし、「シャンのご馳走を作ってみました」という彼女の言葉にいつわりはなく、とっても美味しくいただきました♪



全員が食卓につくまでまって、「いっただきます!」最初はぎこちなかったお互いの会話も、徐々に弾み始めます。食事が終わって2Fに移動し、食後のティータイムになってからはさらになめらかに(ちなみにこの夕食はお酒抜きでしたので念のため)。韓国人の先生カップルとは韓国のおすすめ見どころや日本のおすすめスポット(大体は北海道ネタでしたが)について話し(ダンナさんが「ボクは英語が苦手なんですよぉ」とはにかんでいたのがかえって印象的でした。大丈夫、実は私の英語もかなり「勢い勝負」なんですけど!)、NZの女性は「実はわたし、以前は柏市に住んでいたんですよ、カシワ、知ってますか?、え、Takemaも千葉県?へぇそりゃ奇遇ですね!」といきなりローカルネタ乱発(ただし英語でね)。

笑えたのは妙にお茶目なカツキン。2Fは昼間に熱せられた空気がたまっていたからか、夜でもかなり暑かったのでシャンウチワが配られたんですが、ちょうど隣り合っていたカツキンと自分のところだけはそれが足らずに2人で1枚。Takemaが「OK, lady. I'm your slave, so I'm very glad to work for you !」とちょっとお茶目に彼女をあおいでいたら、そのうち彼女が座っていた椅子から降りてウチワを取り上げ、今度は逆にTakemaをあおぎだして、「旦那様、お風の具合はいかが?」とやり出すものだから大爆笑。いやぁ愉快な人だこと。自分はドイツに行ったこともないけれど、何だかドイツ人に対する固定観念は何だか少し変わったぞ(笑)。

しかし、そんなカツキンに「あなたは面白い人だと思うわ」と言われたのは結構驚きでした。「何でそう思うのさ?」と聞くと、「だってジェスチャーが大きくて、1つ1つにインパクトがあるもの」ということでした。しまった、かつてNZのワーホリ時代「こっちの人を見ていると、言葉だけでなく同時に身体でも表現しているなぁ、じゃ、自分も真似してみようか」と思っていたのに、あれから20年近く経って、いつの間にかアングロサクソンやゲルマンなど白人のジェスチャーレベルを越えちゃったのかぁ?(大笑)。

結局この日のお食事会は22:00頃お開きに。ところでこの日の会は営利目的でも何でもなく、ただホストの彼女の「外国人の人たちにシャンの料理をご馳走したい」という純粋な思いからのものらしく、彼女は時々このような催しをしているのだそうです。彼女は料理にかかった実費すら受け取ろうとはしないが、参加者全員で打ち合わせて出し合ったお金を強引にお渡ししたのでありました(それとて、このように楽しませてもらった割にはとてつもなく安い金額なのですが)。

宿に戻る道すがら、数は少ないながらホタルが飛んでおりました。何だか不思議、でも水のきれいな(透明かどうかとは別)このあたりなら当然なのかも知れません。あの静かな飛び方は今でもはっきりと覚えてます。うーん、やっぱりいいぞティーボー。

宿に戻り、寝る前にカツキンが「Takema、明日は朝食で会えるよね」と、ちょっと嬉しい言葉をかけてくれました。「7:00くらいまではいるはずだから、もし良かったらその時間に顔を出してくれると嬉しいな。」「大丈夫、私もその時間に食事に行くから」と、お互いちょっと格好つけながら「おやすみなさい」。一方ドラウルは「明朝その時間となると僕はまだ寝ているかも知れない。だから今晩のうちにさようならを言っておくよ。よい旅を!」と言って別れたのでした。しかしドラウルとはこのあとも夜に会い(夜中にタバコを吸いに行ったら彼もまた吸いに出てきてた)、そして朝食でも一緒だったのです。そしてカツキン!せっかくそう言ってくれたのだからちょっと期待して待っていたのに!

というわけで、明日はいよいよティーボーを離れ、「暑い」マンダレーに戻ります。

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