− 早くて快適シェアタクシーで再びマンダレーへ −

さて、ここCharle's GHで予約しておいたシェアタクシー@マンダレー直行便は、7:00に迎えに来るということだったのでさっさと6:30に起きてチェックアウト&朝ご飯。ドラウルは7:00ころに起きてきたけれどカツキンが起きてこなかったのは前述の通り。ちなみに昨夜のメンバーの中で一番早起きだったのは韓国人のカップルでした。皆さんは今日ここから1泊2日のトレッキング(含む象乗り@タイに比べればはるかに格安)に出かけるそうなので羨ましいこと限りなしというところです。

それじゃね〜/~と手を振ってタクシーに乗り込みます。ちなみに料金ですが、助手席は7000K、3人掛けの後部座席は1人6000Kということでしたが、コストパフォーマンスを考えれば絶対に高くない!唯一の難点は「旅情もへったくれもないただの移動手段」という雰囲気というところですかね(まぁこれは自分以外英語を話せないという点によるので、グループで乗ればそうでもないかも知れません)。

タクシーは後部座席に母子合わせて3人(これで定員)を乗せたあとも市内のいくつかの場所を周り、荷物を受け取ったりお金をもらったりしています。どうやら毎日この区間を移動しているタクシーゆえ、宅急便的な仕事も兼ねているようです。ちなみにTakemaのバックパックの上にはものすごく重そうな鉄の金属部品が乗せられました(笑)。まぁ潰れるようなものは入れてないけどさ。

いよいよ市内から郊外へ出て‥と思ったら、いきなりToll Gate(料金所)。別に高速道路でもないのになぜ?と思いますが、実はこれ通行税の徴収所らしいです。道路管理費という名目なのかどうなのかは忘れましたが(聞いたんだけれどドライバーお兄ちゃんの英語レベルがかなり低かったもんで最初から意味不明瞭)、このお金がガバメントに流れるのか、それともこの地域に落とされるのかは不明です。たぶんさんざん中央に搾取された上で雀の涙分が地域の取り分になるのでしょう。いや、地域の高官も搾取するか(笑)。マンダレーまでには料金所が5-6ヶ所ありましたが、それぞれの料金は見ている限り10K?(20Kかも)。高くはないですけれど、塵も積もれば山となる?

ティーボーからピンウールィンまでは山道が続き、途中雨は降ったりやんだりどしゃ降ったり時に晴れたりとめまぐるしく変わります。こういう状況では全く眠ることを知らないTakemaなのですが、油断してました。ふっと見た看板に「Viewpointはここ!」とあったのに、気がつけば我らがタクシーは一気に通過しちゃってました。しまった!と思いつつ後ろをふり返ると、そこにははるか遠くにあのゴッティ鉄橋が。残念でした。

左写真はわがシェアタクシー@カローラバン。どうやら前世は名古屋あたりでブイブイいわしてたみたいです。ドライブインのトイレ(裏手)にまわってみると、ちゃんと「男 女」の漢字で書かれた立派なトイレ。うむぅ中国国境にも近いからなぁ(しみじみ)。
かなり走って、「もうピンウールィンも近くなってきたんじゃないかなぁ」と思われるあたりで軽食休憩。とはいえドライバーお兄ちゃんに聞いても「Eat Time」というだけなのでどのくらい休むのかわからないぞぉ。ま、お腹は全然減っていないので(まだ出発して3hくらいだったので)コーラだけ(スターコーラじゃないぞコカコーラだぞ)頼んでまずは一息。

母子3人組はすぐ近くのテーブルで「お粥セット」のようなものを注文したようです。しまった、美味しそうに見えるから見るんじゃなかった。そういやこのドライブインは中国系資本のものらしく、看板にも「熊猫飯店(パンダレストラン)」と書かれていたっけ。へたれコーラじゃなくて、もっと変わったもの(ちゃんとした中華料理)を頼むんだった!と強く後悔&後悔先に立たずとはよく言ったもの、ホントに物事の後にしか後悔はできないものなんだなと激しく実感。仕方ないので熊猫飯店の周りをうろうろして過ごすことにしました。

まずは天秤棒で何かを運ぶお姉さん(実は「お姉さん+α」っぽかったけれど)を観察。ところで、棒の両側に着けられたバケツ、しかも手前のバケツが懐かしい!自分が小中学校の頃、学校などでほぼ日常的に使っていたアレだよなぁ。

ついでに、この雨期はジャックフルーツ(右写真)の収穫時期でもあります。ただティーボーあたりではもうすっかり時期を過ぎてしまっているんですが、このあたりはティーボーよりも標高が高いこともあって、「今が旬!私を食べてっ!」といわんばかりの露店が出ていました。ちなみに身の大きさに恐れをなして到底買うことのできなかったTakemaですが、これより数日後、別の場所でひょんなことから大量に摂取することとなるのですけれど(笑)。

しばらく走ると大きな街に出ました。ピンウールィンです。計画立案段階で「シャンでの泊まりはティーボーにするかピンウールィンにするか、それともラーショーまで一気に行くか」と候補に挙げた一つの街ですから、車窓からじっくりと街の雰囲気を確かめます。すると‥。



そう、この街では今でもこんな「馬車」が現役っ!

うーむやっぱり一度は乗ってみたかったぞこの馬車!ちなみにこの町の馬車は皆こんな感じ(もちろんマンダレーなどの都会では馬車そのものがはるか昔になくなったようですが)。あえて箱型にしたのは雨のこともあるんでしょうが、やはり高地ゆえ朝夕はぐんと冷えるということなのでしょうね。このあとバガンで利用した馬車は屋根はあれどオープンスタイルだったしなぁ。今度来る時は是非この町にも滞在してみたいもんです。

ピンウールィンからの道路は一気に下り始めます。そりゃそうだ、往きの列車だってあんなにスイッチバックでわっせわっせと登ってきたんだから。というわけで標高差1000m近くを一気に下り始めます。‥と、途中でタクシーが突如ブレーキをかけて停車。何が起きたのかといえば、何となく予想はしていたのですが、同乗の子供がワインディングに耐えきれずケロヨン。お母さんによるビニール袋あてがいも間一髪間に合わず、あー座席周辺にゾルというべきかゲルというべきか(いや単純にゲ○というべきだ)がまき散らされちゃいました。

日本のタクシーなら運転手さんも激怒して当然の場面ですし、ミャンマーの場合車の貴重さは日本よりはるかに大きいはずなのですが、まだ若い運転手のお兄ちゃん、何も言わずに黙々と掃除を始め(ちゃんとそういう道具も持ってたし、雑巾とおぼしき布はあらかじめ濡らしてあった=用意周到!)、車の外に出てなおも背中をさすられていた子供に優しそうな言葉をかけ、水を飲ませた上で何ごともなかったかのように出発したのでありました。

そうだよなぁ、自分も子供の頃(ずっと昔のことだけれど)は長距離の場合よく気持ち悪くなってもどしていたよなぁ。最後に乗り物酔いしたのはいつだろう‥うわ、25歳のNZでスチュワート島に行くフェリーだった!あれは多分これからも含めて人生最悪の船酔いといって間違いなさそうなほど激死した経験だもんなぁ。まぁそれはともかく、乗り物酔いに関してはあまりきびしくないTakemaゆえ「少年よ、これからだぞこれから!」と勝手に念を送りつつ再び車に乗り込んだのでした。例の「酸っぱい」においは窓満開で走り出した約10秒後に跡形もなくなりましたとさ。



くねくねぶりまでは撮れませんでしたが、どんどん下っていきます。右写真などは何だかブータンみたい。



ほぼ下りきったあたりで「どこかで見たぞ系大型車」発見!図体が大きくてなかなか追い越しできず難渋しました@運ちゃん。

いやぁ下ってくると暑い暑い!やっぱりティーボーやピンウールィンは別格の涼しさだったのだと実感せざるを得ません。天気は太陽バリバリだし、窓から入る風に熱を感じて思わず窓を閉める始末です(全部閉めるとこれまた暑いので少しだけ開けてましたが)。

さて、マンダレー中心部に着いたのは何と12:30過ぎ!トータル5時間で着いちゃいました。途中の休憩(&どしゃ降り)を入れてもこのタイムですからはっきりいって驚きです。往路は登りとはいえ11時間かかったのですから、こりゃ早い!ちなみにロードコンディションも全然悪くありませんから、シェアタクシーにてこの「ハイランド地方」に足を延ばすのは結構簡単なことかと思いますよ(車酔いしやすい人は酔い止め薬飲んでおいてね)。

ケロヨン少年一家を降ろしたあと、ドライバーのお兄ちゃんが「どこのホテルまで行きますか」と拙い英語で聞いてきます。自分も特に新たなあてはないので「んじゃ、ETまで」と答え、前回同様再びETホテルへ向かってもらいました。宿に着きカウンターに出向くと、そこには前回には会ったこともないおじさんが、あのB&Bおばさんと同様にこやかに微笑みかけてきます。

「3日前に1泊したんです。リピートなのだから今回は安くしてくれますか?」
「わかりました、$8でどうでしょう?」

あれ、部屋の雰囲気からして目標値切り額が$8だったのに一発OKとは!(そうか、長距離タクシーの運ちゃんにコミッションを払わなくてすんだからか!と気づいたのはこの文章をタイプしているたった今のことだったりします)。というわけで、「じゃ、お願いします」というと、

「それではあなたが前回お泊まりになった部屋でよろしいですか?105号室でしたよね?」

これには驚きました。だって予告なしに再訪したホテル、しかも応対している相手は前回決して見たことのなかったおいちゃんなのですから。たぶん自分のことを覚えていた他の従業員が「あ、いま車から降りてくる客、数日前にも泊まってました!部屋は‥えっと、105号室でした!」というようにご進言していたのでしょう。それにしても‥

そういえば以前ニュー○ータニだったかのエライさんのコメントで、「本ホテルに一度でもお泊まりになった方のデータは全て集積してあります。たとえ10年前に一度だけお泊まりになった方が部屋に「お捨てになったのかお忘れになったのかわからない」ものを残されていた場合も、全て保管してありますので再度の宿泊の際に確認させていただくことができるのです」というのを読んだことがあったけれど、ミャンマーのホテルでこういう接客を受けてしまうと「日本の超高級ホテルなら、それくらいあたりまえだぁ!」と思っちゃいますね。この時の嬉しさはそれくらい大きかったんです。
というわけで105号室(とはいっても確か3階)に落ちつきます。あれ、前回はOKだったエアコンがなかなか動かない?ということで従業員を呼ぶとこれまた懇切丁寧。ただし懇切丁寧と技術力は比例するわけではなく、結局自分のアイデアによって何とかしてしまったわけですが、その後もホテル内で会うたびに「エアコンはその後大丈夫ですか?」と聞いてきます。かといってこちらの予定には踏み込んでこず、まして妙な勧誘などは一切してこないのがスバラシイ。というわけで、ETホテルにはとにかく大満足したのでありました。(こう書いたからといって「行ってみたら大したことなかった or ひどかったゾ」、というように文句はつけないでね。あくまでこれはあの日あの時の主観ですから‥)



ちょっと遅めの昼ご飯を食べに行ったのは、数日前の滞在時と同じ「ラーショー・レイ」レストラン。
あれ、「ラーショー」ってあのラーショーか。結局シャンに行く前からシャン料理を食べてたわけね。

昼食後はちょいとゼータクに「お昼寝」。どうも旅行先ではビンボー根性を出して頑張ってしまう傾向のあるTakemaですが、まぁたまにはいいかなと(もう40歳だしね(苦笑))。ついでにデジカメ電池の充電もたっぷり行っておきましたから、これで明日は電池の心配をすることなくたっぷり使えるな。ちなみに停電が多いミャンマーとはいっても、コンセントに差しっぱなしにしておけば朝には充電も完了しています。予備の電池を持っていればあまり心配する必要はないでしょう(とか何とかいいながらかなりの予備電池を持ち歩くTakemaです。使い切れなかったって!)。

お昼寝から目覚めたのは17:00。いよいよあのOMさんのお宅におじゃますることにします。住所はしっかり書いてもらっていますから(英語とミャンマー語で)、あとはサイカをつかまえて値段交渉するだけです。しかし相場がわからないのはやっぱり立場が弱い!結局1500Kでサイカ兄ちゃんと交渉成立。ちなみに帰りはOMさんのお父さん直々の交渉で、もう20:00を過ぎていたというのに800Kでした(相当値切っていたようでしたが)。うわぁ、倍近くボラれてたのね(笑)。まぁしょうがないや。



でも、夕方のマンダレー市内をサイカで移動するのは楽しかったな(しみじみ)。

20分くらいかけ、どうやらすぐ近くまでやってきたようです。でも、サイカのお兄ちゃんもこのあたりの地理はよくわかっていないみたい。しばし行きつ戻りつしてくれましたが彼女の家は見つかりません。「もうここでいいよ、ここから先は自分で探すから」といってサイカを降りました。OMさんの家のある路地には前回来ているし、見ればわかるかもという気分です。

「さぁって、どこなんだ?」。というわけで道行く人に住所を見せて「どっちでしょ」質問タイムの始まりです。「うーん、この住所ならこっちだよ」と親切に教えてくれるのですが、すいません念のため別の人に聞いてみると「うーんあっちだね」。やばい、「親切なインド人」パターンになってきたぞ!(=「わからない」とは決して言わないかわり、内容の信憑性が低い)。

ならば、おそらく近住のはずの路上屋台の方々に聞くほうに方針転換。自分と同い年くらいの「おじさん(世間的には自分だっておじさんだわな)」に聞いてみると‥「多分この道をそっちに行った方だと思うよ」。なるほど、何となく自分もそっち方面なのじゃないかと思ってました。というわけでトコトコと50mくらい進んだあたりで‥

何やらはるか後ろから大声を出しながら走ってくる人がいるようです(ミャンマー語は全然わからないですからしょうがない)。ふり返ってみると先ほどのおじさん。自分より拙い英語でも一生懸命説明してくれます。それによると、「あのあと同業のやつに聞いてみたら、『そりゃそっちじゃなくてこっちだよ』ということなんだ、さっきの交差点まで戻って右折して、2つ目の細い路地を入った方らしいんでとりあえず戻ってくれ」。

息を切らしながらの説明でした。おじさん、ミャンマー人の「評価」をすごく上げたよぉ!少なくともTakemaはこの親切にカンドーいたしましてござりまする。

というわけで言われた通りの路地を入っていくと‥お、おおっ!自分より先にOMさんの妹さん(前回会っていた)が自分を見つけてくれました!やったぁ!

OMさんは、何とこの直前までETホテルに何度も電話を入れていたのだそうです。とはいっても彼女の家には電話はありませんから(ミャンマーでは一般の個人宅に電話はないのが普通。よって近くの電話業者まで何度か往復したらしい)、これについては恐縮するばかり。

「家族の夕食」におじゃま、というつもりだったのですが、聞けばもう皆さんの食事は終わってしまったのだとか。Takemaの分を取り分けて残してあるので安心して下さいねといわれた時は「しまったぁ、やってもうた!」という気持ちにさせられました。もともと時間について約束はしていなかったとはいえ、二度手間を煩わせるというのが申し訳ないことであるのは確かなこと。ごめんなさいm(_ _)m



それでもミャンマー家庭料理に舌鼓♪食堂のミャンマーカレー=油ギトギト系で旅行者は参ってしまう
らしいけれど、各家庭で作るカレーはそんなことは全然ない!おいしんだから!ということでした。

OMさんのお父さんは寡黙な職人気質の方。でもOMさんが通訳すると「そうか!そりゃよかった!」系の笑顔を見せて下さるので何よりです。自宅で金属アクセサリー関係のお仕事をなさっているそうで、たしかにそのような機械がいくつか並んでおりました。でもこの業界も機械化が進み、「職人の技」を発揮できる仕事は随分と減ってしまったそうです。やはりどこの世界も大変なんですね。

OMさん、「今は一家が食べていくだけでも大変です。母も内職の仕事をしているし、私も、少しでもお金を貯めて家族みんなのために頑張らないと!」‥殊勝そのものです。自分も見習わなければ。

しばしOMさんのお宅でくつろいだ上で、お父さん始め家族の方々にお礼を言って帰る時間になりました。夜のマンダレー市内をサイカで飛ばし、20:30頃ホテルに帰着。さぁ明日からはいよいよバガン方面に向かいます。OMさんと何日か一緒に行動することになりますが、どうなることでしょ。

[戻る]  [次へ]