− その1 まずは郊外へお散歩開始 −

さてここティーボーには連泊ということで、翌朝はゆっくり起きてのんびり朝食。うーん、パンと卵とコーヒーというのはいつもながら味気ないものではあるけれど、そこにデザートとして地元産の完熟パイナップルが大量にお出まししてきたんでまぁいいか。せめてお粥でも選べたらいいんだけれど、まぁ1泊朝食付き室内温水シャワーとトイレ付き(ただしお湯は電気が通じていればの話)で約600円に文句いっちゃだめですね。

この日の午前中は、宿主催の無料ツアーに参加することにしていました。何でもこの宿では宿泊者のために半日の各種ツアーを用意しているのだそうで、基本的に無料(そのかわり多分すべて徒歩)。どうやら乾期には目的に応じていくつかの中から選べるようですね(あくまでロビー付近の貼り紙を見た限りの印象ですので念のため)。ただこの時期は完全にオフシーズン(というか雨期)ということで行かれない場所が多いからか、選択肢なしで「周辺の村を訪問ツアー」となったのでありました。

参加者はといえば、カツキン、ドラウル、そしてTakemaの3人だけ。偶然にも昨日一緒に飲んで気心知れたメンバーなのでとっても気楽です。そして地元のガイドさん(しまった、ガイドさんの名前を忘れた!)を合わせた4人にて、宿からさっそく歩き始めました。

近道経由でまずは駅方面に向かいます。この途中もまた何だか下町風情を彷彿とさせるいい雰囲気の道で、さっそくほのぼの。そして駅に出てからは、線路沿いに続く踏み分け道をトコトコと歩いていきます。

左写真はティーボー駅の全景写真。ホーム全体が屋根で覆われているあたりが「この地域一番!」の誇りということでしょうか(こじつけ?)。でも、線路をよぉーく観察してみると、いやぁ僅かの距離でもやっぱり真っ直ぐじゃないですねぇ(笑)。

上の2枚の写真は「廃線跡を行く人々」というのではもちろんなくて、昨日Takemaもこの上を移動してきたはずの現役バリバリ線路。そうは見えないところがいかにもミャンマーのローカル線というところでしょうか。しかしまぁ少しは除草しなさいよと言いたくなりますね。ちなみに線路上や路盤の脇にはオジギソウが沢山生えていて、「おもしろ〜い!こんな草はドイツにはないわ!」と、カツキンさんが嬉しそうでした。そうかやっぱりオジギソウはアジアの草なんですね(根拠はないけど多分ね)。おっと忘れてた、左写真の後ろ姿はわれらがガイドさんです。

駅からほんの5分も歩いていくと、もう線路の両側はすっかり田園地帯に変わります。このあたりは時期をずらしつつ1年中稲を植えているそうで、ある田んぼで田植えをしていると思うとそのすぐ近くの田んぼでは稲刈りの真っ最中だったりして、なかなか見ていても飽きません。そしてそこで現役として水牛が頑張っています。牛の種類は違えど、昔では日本でも似たようなものだったんだろうなぁ。

こちらではちょうど田植え作業を始めたところ。ガイドさんとは親しそうに話していましたが、当然我々異国人には何を話しているのだか皆目わかりませんでした。でも手に苗を持ったままこちらに手を振ってくれたので、こちらもその辺の草を引っこ抜いて手を振り返したら大笑い。ウケをねらってどうするんだ我々(苦笑)。

左写真、左側で3人の方が田植えを始め、右側では2人の方が水牛を使って代掻きの真っ最中です。右写真でも水牛は大活躍というところでしょうか。しかしやはりどう見ても働いている時間より休んでいる時間の方が多いとしか思えない水牛は、気がつけばこんな感じでまったりしていることも多いようです(右写真マウスオン)。

小高い丘の上に見えるのはかつてこの地域を支配していた藩王のお墓だそうです。ティーボーは1950年代まで多数の藩国を率いる勢力の中心地だったそうで、最後の藩王はアメリカにも留学した経験を持つそうな(ただし帰国後政争に巻き込まれて行方不明に)。ティーボー市内を見下ろすあの場所にその藩王はいないはずですが、その一族は今のティーボーをどのように見ているのでしょうか(詳しくは次のページで記述します)。

おおっと、そうこうしながら歩いているうちにティーボー駅を列車が発車するようで、列車のクラクションが聞こえてきます。この時間からすると、向かってくるのは多分マンダレー行きではなく区間運行のピンウールィン止まりでしょうが、今さっきまで歩いていた草だらけの線路を列車が通ると思うと何だか楽しみになっちゃいました。そしてその予想通り‥


静止画で見る限り、どう見てもここに線路があるとは思えませんよねぇ。しかしこれがミャンマーの鉄道なのだっ!
ここからは線路を離れて田んぼの中のあぜ道を歩き出します。雨期ゆえ(昨日の夜も雨が降ったし)それなりにあぜは軟らかですが歩くには支障ありません。そんな中、向こうから地元のおばちゃん3人組が歩いてきました。

すれ違いざま一言二言言葉を交わしたガイドさんに聞いてみると、あの人達は近隣の村の人で、昨晩はこの先の村にあるお寺で夜を明かし、これから村に帰るところだったのだそうな。きっと祈りを捧げていたのでしょうね。それ以上の詳しい話は聞いていなかったのですが(カツキン&ドラウルと話していたみたいだったけれど、離れて写真を撮っていたので‥)、どうやら昨日この村で何かの集まりがあったことは間違いなさそうです。



村の中心部、仏塔近くに建てられていた看板。ちなみにこの日は1・8・2004!まさに昨日立てられたものです。

おっと、ここで日記を読み返してみると、このあたりの子細がちゃんと書かれていました(すっかり忘れてました)。以下日記から引用(一部は改変していますが)。

ガイドさんいわく「昨日がお祭り(ブッダが母の胎内に宿った日、だったっけ。ちなみに満月)だったので、お詣りしてそのまま宿泊してきた帰りだろう」とのこと。続いて昨日建てられたばかりの看板を見たが、要は皆で力を合わせて何かを建てた、その記念碑的なものらしい。続いてガイドさん、「片手(=一人)だけでは音を出すことは出来ないが、両手(=複数の人)が力を合わせればパンと音を出すことが出来る(=困難なこともやり遂げられる)』というものですよね」。確かにねぇ。それにしてもこういう例えって万国共通だ。それはとりもなおさず人間の営みそのものが、表面上の風俗習慣や価値観は違うように見えても根本はみな同じだということを意味しているのだろう。
さてそんなわけで、このあと我々は村の中へずずずいっと入りこんでいきます。お腹ががぼがぼ?なお次ページからはテキスト量がぐぐんと増えた「読み物ページ」になりますので念のためご覚悟下さい(笑)。

[戻る]  [次へ]