− その2 最初に目指すはシュエインタインパゴダ −

というわけで、最初の訪問地であるシュエインタインパゴダのある村に到着です。うーん、どうも似たような名前のパゴダばかりで全然覚えられないままごっちゃになってきたぞ(もともと人の名前を覚えるのですらひどく苦手なTakemaです)。

さて船が岸に横付けされたのはパゴダから少し離れたところ。船を下りて少し歩き、えらく立派な屋根つきの橋を渡り終えたあたりでまずは最初の「村人」に出会いました。



何だかパロ・ゾン(ブータン)入り口にある橋のミニ版みたい。または「マディソン郡の橋」?壁はないけど(笑)



小学校半ばとおぼしきこの少年たちも立派に「一人前」です。

「この子たちは学校に行っているのかどうか?」OMさんに尋ねた記憶はないのですが、次の日に行った複数の村にはちゃんとそれぞれ学校がありましたし、でもどちらもまったく人気(ひとけ)がなかったところをみると、この日は学校休みの日だったのかな?(後日調べてみたら、確かこの日は土曜日でしたから)。ついでにいえば、この湖周辺の村は結構安定した暮らしぶりのようでしたし(ただし「きわだって裕福」というわけでは決してなかったと思いますけど)。
ちなみにささっとネットで見た情報では、やはり学校に行っていない子供は少なからずいるようです(特に地方)。なお、ミャンマーでは学生(小中高とも。噂では大学生も)はみな共通の制服を着るのだそうで、やや濃いめの緑色ロンジー+白のYシャツがそれ。OMさんがいうには「生徒だけじゃなくて、学校の先生も着るんですよ」とのこと。若い先生などは学生に間違われちゃうこともあるのじゃないかと、他人ごとながら気になったりします。
それにしてもこの子たちの年齢を考えれば結構な量の稲わらです。しんどいだろうに頑張るなぁ。でも、彼らと同じくらいの年齢で「自発的意志からではない勉強」をさせられながら「口は達者、でも実践を伴わない頭でっかち」になってしまうどこぞの国の小学生とは、果たして本当の意味でどちらが人間らしい生活なのでしょ?

さてここから先、市場(お休み中)を通り抜けてパゴダの方へ進んでいくと、先ほどの川を渡る橋(最初の橋とは別)に着きました。橋を渡ればすぐパゴダの入口なんですが、せっかくなので橋の上からあたりを見渡してみると‥。



橋の下では女性の皆さんが洗濯の真っ最中。メコンでもそうですが、川の泥色は洗い物にはほとんど関係なしです。



橋の向こう側では、近くの村に行くと思われるトラックに人々が鈴なり。わいわいがやがや楽しそう♪

さていよいよパゴダへ。とはいっても仏様のいらっしゃる本堂までは、長い長い長い(しかもずっと緩やかに上り気味の)屋根付き参道が続いています。屋根があるとはいえうっすらと(Kさんは「たっぷりと」)汗をかきながら上っていくと、参道沿いに構えられた参拝客目当てみやげ物屋の売り子が「コレ安いね、シャチョー!」などと片言の日本語を操りながら品物を持って近寄ってきたりしてもう大変‥というようなことは一切ありませんでした。

「Hello!」というくらいの挨拶をかけてくることはありましたが、それとて珍しいほどで、大体は自分たちのような観光客には目もくれず、ご飯を食べたままだったり寝たままだったり、さらには自分たちの遊びに熱中してこちらには全く無視貫徹だったりするのでした(ちなみに売っているものはバリバリの観光用みやげ物なんですけれど)。どうみても「やる(売る)気があるとは思えない」感じで何だか不思議。

ネット上のどこかのサイトで読んだ記憶によると、このパゴダ周辺は外国人に開放されてまだ年が浅く、そのため外国人慣れしていないというのと、もともとみやげ物の買い手としてミャンマー人の参拝客をターゲットにしているから外国人は相手にしないということなのではないか、というようなことでした。真偽は不明とはいえあながち外れてもいないのかなとも思います。

さて参道をひとしきり上ってきた頃、OMさんが「こっちへどうぞ」というので参道から左側に出てみると、何とそこには「遺跡群」が広がっておりました。



それほど歴史のある遺跡(変な言い方ですな)ではないそうですが、
こんなふうにして見ると何だか風格を感じます。実際は結構平凡です。

さてここからはほんの一投足でパゴダに到着。本堂で仏様にお祈りを捧げつつぼんやりと眺めていたら(別に特別ないわれのある仏像ではないとは思いますが)、通りかかったお坊さまが

(OMさん訳)

とお声をかけて下さいました。それならばということでしばらく3人で座って話をしているうちに、いつの間にか話の内容はティーボーの時と同じくまたもやこちらの国の政情方面に(笑)。当然OMさんに質問をするわけですが、なぜここでも(インレー湖周辺はほぼ全域が政府の実効支配下)OMさんが堂々とその方面の話を出来るのかといえば、まぁ他に人がほとんどいなかったということと(ふむわかりやすい道理だ)、何よりも話している言葉が日本語だということが大きいようです(地元の人には何話してるかわからないもんね)。というか最初「え、OMさんここでそんな話を堂々としちゃって大丈夫なの?」と心配になったのは日本人二人のほうだったりして(笑)。
【人々(OMさんとは断定しません)から聞いた話をもとにちょこっと考えたこと】

ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スーチーさんですが、果たしてミャンマーの人々は彼女をどのように思っているのかといえば、聞いた限りでは民族や地域を問わず多くの人々が彼女を支持しているようではあります。そういえばティーボーのガイドさんも、「シャンの人々は彼女を応援している。なぜなら彼女の父親であるアウンサン将軍はシャンの自治を認める考えを持っていたからだ」というようなことを言っていたっけ。

また、そのアウンサン将軍が戦後イギリスからこの国が独立を果たす上で大きな役割を果たし「建国の父」としてとらえられていることも大きいと考えられます。さらに、現在の軍事政権下で様々な特権階級が産まれ、その一方で公平な富の分配が進んでいないということ、そして当然ながらそのことに対して一般国民の不満が強いという現実も忘れてはいけないようです。

ただ、今後スーチーさん率いるNLDが現政権に代わって政治の表舞台に立つことはあり得るのか、そしてその場合、新政権が旧政権との違いをどれほどはっきりとした形で国民に見せられるのかという点(政治力)についてはまったく未知数です。もし新政権が自分たちの利益に汲々とするようなそぶり(=現政権のように)を見せれば、軍事力という後ろ盾を持たないNLDはすぐさま「次なる勢力」によって追い落とされてしまう(または空中分解してしまう)ような気がします。

さらに、もし政権交代があるとしても、その際の政権委譲が果たして無血のうちに粛々と行われるということも残念ながら考えにくいのではないかと思います。当然ながら文民政権ではないわけですし、1988年以来20年弱もの間、軍事力を背景とはいえ実際に「経済制裁にも負けず」政権を維持してきたわけですから。

ついでにいえば、ミャンマーの体制変革に関しては中国の影響も無視してはおけないでしょう。国際社会が長く経済制裁を行っている間に現政権への肩入れ度を深めている中国(ただし主に経済的分野)、その中国は親中派の現政権が米国やEUおよびその陣営側との結びつきに重きを置く新政権にかわってしまうことを良しとはしないでしょう。何らかの形で現政権維持の方向で動きをみせるはずです(ただし軍事直接介入などという幼稚な真似は決してしないでしょうが)。

国民からは支持されていない現在の政権が果たして今後どのような方向に向かっていくのか。個人的には見通しはあまり明るくない(まだまだ先は長い)ような気がします。
まぁそんなこんなで、再び参道を戻って入口の橋へ(ちなみにパゴダそのものの写真は撮りませんでした。今思えば失敗)。天気もいいし、せっかくなのでOMさんと2ショット。おしんこどん@妻よ許しなさい、って、別に悪いことしてるわけじゃないんだから謝るのも変な話だ。びくびくしてるな(笑)。



この日、バンダナ模様に日焼けの跡が付いたことは言うまでもありません(笑)。

さて、このまま真っ直ぐ船まで戻っちゃうのもナニだということで、のども渇いていたし道沿いの茶店で一息つくことに。店の前に並べられていたココナツの実が何だか美味しそうだったのでKさんともども注文しましたが、まだちょっと若い実だったようでう〜んちょっと(だいぶ)今一歩だったかな。しかし、この店の棚に並べられていたレモンの酒と米の酒(ラオスのラオラーオと同じ感じの蒸留酒)にはすかさず目がいくのがやはり我々。というわけでしっかり試飲させてもらいました。買わなかったけど(大笑)。



日陰で一息つきながらココナツ。味はともかくのんびりと‥

さて店を出た頃には太陽がかげりつつあったのですが、それから数分後、天候はとんでもなく急変しやがったのでありました。行く手には青空(実は背後には「黒雲」だったんですけれど)、最初の橋まであと少し、橋を渡ってしまえば船まであと2-3分だなぁのほほぉんと歩いていた時、そいつは本当にいきなりやってきたのです。

うっはぁすごい勢いです!これまで南国のスコールには幾度も遭いましたが、今回のはそれらにもましてかぁなりすごい!とにかく一番近い屋根のあるところ=例の屋根付き橋に小走りで避難しました。とりあえずここなら当座は何とかなります。しかし普通ならそれなりの時間でやむはずのスコール、なかなかやまないどころかかえって時折その強さを増し、屋根に巨大雨粒軍団をたたきつけてきます。屋根のトタンにあたる音響効果もあってそのインパクトは抜群です!(感心してどうするんだ)。

しかし多少の風が出てきたこともあって(まさに雨雲核心部の真下ですな)、しぶきを受ける服も少しずつ濡れ始めてきます。それでも雨はやむ気配すら見せてくれません。こりゃホントにすごいぞどうしようと考え始め、3人それぞれがアドレナリンを徐々に分泌し始めた頃のことです(うそつけ)。
(36) というわけで動画です

「OMさん、どうした!」

くされスコールの中、OMさんが突如として日本語で叫び始めます(笑)。

ん?なにがどうしたって?

Wmv形式、183KB、でもたった5秒
村とは反対方面から稲ワラを担いで帰ってきた青年が、OMさんに「ここでは大変だからうちに来て雨宿りして下さい」と声をかけてくれました(ただし「OMさんだけに声をかけた」わけではありませんので念のため)。雨はまったくやむ気配もなくずどどどぉんと降り続けていますし、このままここで待機するよりも家の中のほうがずっと快適に違いないということで、かの青年のご好意に甘えることといたしました。

彼の家は橋のすぐたもとでした。それでも家の中に入るまでには結構濡れちゃうほどの大雨ですから、2Fの部屋に通されてよっこらせと座った時にはさすがに「はぁ、何はともあれよかったぁ」と安堵。しばらくして人心地もついてきた頃、かの青年は家にあった食べ物でわれわれを歓待してくれました(というかOMさんが隣の部屋から持ってきたんですが、無断でということはないでしょう)。その食べ物とは‥そう、今がまさに旬というべきあの果物、ジャックフルーツ!
[ティーボーのページで書いたことを引用します]

ちなみにこの地方では(シャンだけなのかミャンマー全土にいえることなのかは不明)、家を訪問してきた客人に対し必ずお茶を出してもてなすのがしきたりなのだとか。そして、もしその時その家に自家栽培で収穫した新鮮な果物などがあればお客に食べてもらうのがあたりまえで、その客がたとえば我々のような一見の外国人であっても、決してその代価(お金)などは請求しないのが当然なのだということでした。
うわ、まさにこの通りのパターンですね。ちなみにこのジャックフルーツですが、OMさんいわく「これほど中の粒(果肉部分)の1つ1つが大きいものは中々ないですよぉ」とのことでしたからかなり上物なのでしょう。熟れ具合も絶妙でして、ワインとブランデーを合わせたような濃密な香りを漂わせておりました。なお、この村ではこんな上物が1個200K足らずらしいです。や、安っ!マンダレーではもっと小ぶりなものでも1000Kはするということですし、この歓待はほんとにうれしかったなぁ。

OMさんが丁寧にむいてくれた実をぱくぱく、またぱくぱく。結構な量を食べ、結局これがこの日の昼食代わりになりました(笑)。ちなみに声をかけてくれた青年ですが、年齢は19歳、でもなかなかわれわれのいる部屋には出て来てくれませんでした。(OMさんがいたから照れていたのかも)。そういや、こちらも食べることとくつろぐこととで手一杯だったのか、彼と一緒に写真を撮ることをすっかり忘れていましたっけ。後悔先に立たずとはこのことです(苦笑)。

さてすっかり落ち着いて我が家のようにくつろぎ始めた頃、さしものスコールもこの地を通り抜けてくれたようで、雨もやみ、太陽が出てきました。



こちらが雨宿りでまったりさせてもらったお宅です。

丁寧にお礼を言って(とはいっても「チェイズーティンバーデー」としか言えないんですが(苦笑))、こちらのお宅をあとにします。橋を渡り振り返ってみると、あの青年が窓からこちらを見て手を振ってくれています。もちろん手を振り返し、そしてまたしばらく歩きながら振り返ると、うわ、まだ見送ってくれてます(笑)。そしてさらに、いよいよここからは見えなくなる場所でまた振り返ってみると、あわわ、まだ見てくれていましたのだ。というわけで最後に大きく手を振ってお別れの挨拶に代えました。いいなぁミャンマー(しみじみ)。

というわけで船着場へ。さて次はどこに行くんだっけ?(かなり他人任せ)。

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