− インレー湖ともOMさんともサヨウナラ! −
焦りながらもニァゥンシュエへ戻ります(全然焦っているようには見えない写真ですな)。
もともとお昼過ぎには船着場に戻る予定でしたが、結局到着は14:00を回ってました(苦笑)。飛猫寺と温泉とでそれぞれたっぷり時間を取っちゃったからこれはまぁしょうがないなぁ。15:00には最寄りのヘーホー空港に向けてタクシーで出発しなきゃならないのですが、もう荷物のパッキングはあらかた終わっているので、シャワーを浴びられなかったくらいの問題しか起こりませんでした。でもまぁさっき温泉に入ってるしね♪
ちなみにこの日のボートチャーターは$8でした。半日の予定が2時間ほど延びましたが追加料金はなし。ついでに部屋のチェックアウトも追加なしでしたからこりゃラッキーと言うところでしょう。町はずれというところを除けばなかなかいいぞリメンバーインGH。
こちらがRemember Inn全景。手前は旧館、真ん中がオフィス兼食堂、奥が新館。
最後にミャンマービールを飲み、OMさんにマンダレーやティーボー、バガンやインレー湖についてのネット情報のコピーをぜぇんぶ差し上げ(彼女には結構いい資料になると思ったので)、ガイド料のお金はもう昼間のうちに渡していたので問題なし(彼女が一部日本円での支払いを認めてくれたので、わたしのフトコロ事情もずいぶん楽になったんです。ありがとう!)、彼女から帰国後投函して欲しいとの日本向け手紙を預かり(しつこいようですが、ミャンマーからの投函する手紙は届かないことが多いんです)、うーんと、これでやりとりも全部終了かな。あ、危ないアブナイ忘れてた!
Takemaはここ数日間で恐ろしく日焼けしていたんですねぇ。みごとに真っ黒!
というわけで、マンダレー出発以降ずぅっと行動を共にしてきたOMさんともそろそろお別れです。空港までは同じタクシーに乗るとはいえ、彼女はそのままジャンクションで19:00発マンダレー行き夜行バスを待つのだとか。いやぁ、本当にありがとうございましたぁ!
空港行きのタクシーをつかまえるのが大変かなと思っていたら、ちゃんと宿関係者のタクシーが待機していてくれて一安心。そういやチェックインの時に出発時のことも聞かれていたっけ。もちろんこれもOMさんの心遣いなんだろうなぁと感謝。空港までのタクシー代は最近の石油高を反映してか$15になっていて、交渉の余地もほとんどないらしいということでしたっけ。タクシーのおいちゃんとも顔なじみなので話が弾みます。それに、Takemaがうまく英語で説明出来ないところはOMさんに日本語で言えば通訳してくれるし。なんだかここ数日あたりまえのようにしてくれていたことが、実はかなり有難いことだったんだなぁとあらためて感じたわけですね。
空港ゲートにて車が停まり、荷物を出してOMさん&タクシーのおいちゃんと「ではでは、ありがとうございましたぁ!」と最後の別れを告げます。手を振りながら去っていくタクシーを見送って‥あれれ、20mくらい進んだところからバックしてきたぞ。どうしたんだ?その時、車内からOMさんが叫びました!
その直後、一同大笑いになったことはいうまでもありません。ありゃー、盛り上がりすぎて肝心なこと忘れてたのね。それにしてもタクシーのおいちゃんまで忘れていたとは(笑)。というわけで正しく料金を支払い、今度こそサヨウナラ!
その後OMさんとは何度か手紙のやりとりをしています。このミャンマー編が全編完成したら全部プリントアウトして送るつもりです、はい。
ヘーホーの空港内に入りチェックイン。Free Sittingらしいので早めに乗り込んでいい席を取るぞぉと思っていたら、マンダレー方面からの便だということなのでその希望は叶いにくそう。軍事政権下の航空便ということでさぞかしチェックもきびしいのかと思っていたら、預け荷物のX線チェックは機械そのものがないようだし、手荷物検査は、こっちがデイパックのファスナーを開けようとしただけで「OK」、ボディチェックのマシンは電源が入っていないのかダミーなのか、どのランプも点灯していない状態で通過してこれまた「OK」。うーん、こんな半端でいいのか軍事政権!(笑)。
乗るはずの飛行機はしっかり遅れて17:00頃到着。イタリア人のおじ様おば様がたくさん(数十人)いたので「こりゃ乗り込むだけでもずいぶん時間がかかるだろうなぁ」と思い、搭乗ゲート(もちろん機体までは自分が歩いていく方式)のほぼ先頭付近にいたわけですが、あれれかの団体さんは乗らないみたい。自分よりもずっと先に待合室にいたのになぁ、どこへ行くんだろう?
結局、ATR72マンダレー航空機にヘーホーから乗り込んだのは30人ほど。最近はこの機材のお世話になることが多いなぁ。何はともあれ窓際の席をゲットしてよっしゃと思っていたら、ずいぶん遅れて乗り込んできたミャンマー人のオヤジが隣に座り、その後の不埒な悪行三昧許しがたし!
足は無意味に思い切り広げ(約90度=こっちの領土まで侵害=邪魔だぁ!ちなみにはかない抵抗を試みましたが無駄でした)、持ち込んだ新聞は前の座席の人の頭にかかってもまったく知らんぷり(というか気にしていない、前の人はおかげで背もたれによりかかれなくなってました)、軍事政権の高官なのか、おもむろにサイフの中からこれまでにもらった名刺を何だか無意味に確認し(いや、たぶんTakemaに見せたかったのでしょう、「おれは偉いんだぞ」と。ちなみに日本企業の名刺もありました)、おそらく今日プレイしたであろうゴルフのスコア表を取りだして確認し(あたりまえですがミャンマーでゴルフが出来るのはごく一部の特権階級に限られています。たぶんわたしは日本でも死ぬまでやらないでしょうが=単純に興味がないからですが)、んでもってさらに「息が臭い!」(関係ないけれどこの際付け加えちゃえ)!。というわけで‥
(その場で言えなかったので安全な日本にいながら言うところが逃げ腰ですが)
ちなみにOMさんから聞いた話によると、一般庶民の収入は大変に低く、たとえばマンダレーの市役所に勤める某氏の月給はといえばたった3000K/月(うわ、400円にもならないぞ)プラス1000K分のお米(うわ、現物支給だ)だけ。ただし「上の人は役所にも出てこないのに信じられないほどの給料をもらっている」のだとか。そういや、マンダレーのタクシードライバーだったレイミーさんも、「マンダレー大学を出たけれど仕事はないし、あっても1000K/月のような給料では妻や子供を養っていけるわけもない、だからこうしてタクシーのドライバーをやっているのさ」と話していたっけ。そういえばティーボーやインレー湖で見た手巻き煙草の内職も‥。
さらに、この日泊まることとなったヤンゴンの宿で働くインド系のおいちゃんは、あとでこんな話をしてくれたっけ。
「自分は宿に住み込みで働いていて、寝る場所はレセプションのすぐそばさ。何でって、例え真夜中でもお客が来たら鍵を開けなきゃいけないだろう?(例え満室であっても)。だから夜だってぐっすり眠れることなんてない。常に小さな物音でも『ん?何だ?』と起きてしまうからね。でも、そんな仕事の代償としての月給はたった1000K/月だよ。寝る場所があるからやってはいけるけれど、何も買えやしないさ。」
その一方ではヤンゴンからわざわざゴルフをするために空路で往復する人間もいるわけで‥。民主国家じゃないんだから富の分配に差が出てくることは当然なのかも知れませんが、しかしこれはちょっとねぇ‥。でもこのような感覚は、「みんな平等なんですよ」という感覚、そしてついこの前まで「1億総中流意識」を抱いていたわれわれ日本人から感じる「違和感」だけなんでしょうかね。そういやOMさんも、「生活は厳しいとはいえ、わたしもこうやってガイドの仕事があれば服も買えるし、毎日の暮らしも何とかできています。でも、たとえばもし家族の中に病人が出たりしたらたぶんお手上げでしょう。貯金などできる状態ではないのです。」と話していたっけ。
まぁとにかくそんなこんなでヤンゴンへ戻ってきました。「来た時と同じBeauty Land Hotel Uというのもなんだかなぁ」と思って、朝食がゴージャスだと評判の「W」へ。しかし個人的な感覚ではBLUのほうがよかったですな。従業員の態度が全然違ったもんね。Wは確かにビュッフェ形式の朝ご飯がゴージャスなんだけれど、ただそれだけという感じ。
さて、明日はいよいよミャンマー出国?いやいやまだまだ!明日はミャンマー屈指の聖地、チャイティーヨをリッチに日帰り往復往復してきます!早起きだぁ!しかし‥(暗雲、いやどしゃ降り)。