[2016ミャンマー編トップへ]



− その6 12年前と同じく鉄路シーポーへ。まずはピンウールウィンまで −



高原の町ピンウールウィンまで上がってきました。ここまではさしたる遅れもなし。

明けて翌朝は午前3時前に起床。何でそんなに早いのかというと、マンダレー発ラーショー行き列車の出発が「4:00発」という激早発だからなのですが、あれぇ、12年前は4:45発だったのに(それでも早いのに)さらに45分も早発になってます。施設の老朽化でさらに遅れがひどくなったから、ということでなければよいのですが。

宿代は昨晩のうちに支払いを済ませていますから問題なし。時間が時間なのでレセプションに誰もいなければルームキーを置いておけばいいやと思っていたのですが、ん?われわれ以外にもこんな時間にチェックアウトする男女がいるようです。そのやりとりをちょっと聞いていると‥



というわけで会話の間に割って入ります。「あのぉ、われわれは駅までのタクシーを予約しているので、もしよかったらシェアということで行きませんか?」。

その瞬間に「彼らの懸案」は即解決となりました(笑)。いやぁ、午前3時台に稼働している流しのタクシーなんてまずいませんから、何だかいいことしたなぁ的気分。



彼ら2人は香港からの旅行者ということでした。ちょっと話をしていたら、この日の泊まりはティーボー、宿はMr.Charlesだということでわれわれとまったく同じです(笑)。もっとも現地到着後には町中で一度すれ違ったきりだったので、彼らはグレードの高い方に泊まっていたのかな?(同じ名前ながらゲストハウスとホテルとがあるので)。

さてそんなわけで無事にマンダレー駅に到着。タクシー代はもちろんシェアしました(5000チャット/4人)。



列車はすでに入線済み。時には「発車時刻を過ぎても列車が入ってこない」こともあるらしいのでまずはひと安心。



出発時の編成は「機関車+客車5両+貨車2両」でありました。



「Ordinary Class」と「Upper Class」車両の比較。12年前はUpper料金を払ったのに左上画像の車両でしたが‥。



座席は指定になっているので、全然お客がいない車両も。ん?向こう側ホームのあの車両は?(右上画像マウスオン)。

‥塗装からするとJR北海道からやってきた気動車(キハ141系)でしょうか?しかし運転席のない側が最後尾、車止め側から撮影したことを考えると気動車固定編成としての運用ではなく客車として使われているのでしょうか?残念ながら隣のホームに止まっていたので、見に行く余裕がありませんでした。後日マンダレー〜モニワ(モンユワ)間の鉄路でやはりJR北海道色の運用中気動車を(ちらりとバスの中から)見たので、とりあえず元気に使われているようです。

ミャンマーには日本の中古気動車両が実に多く移譲されています(そしてインドネシアには電車が、ですね)。一度は乗ってみたい気もしますが、ラーショー線は昔ながらのミャンマー客車のみなんですよね。ラーショー線には、後述する老朽化した「ゴッティ鉄橋」がありますから、重たい機関車による運用よりも重量を分散できる気動車運用の方がいいような気がするんですがどうなんでしょうかね?あ、貨車も付けるから?



マンダレー駅の末端部は草むらに消えている感じで、えーっと車止めはどこにあるの?という感じでした。さて間もなく発車(のはずです)‥が、予想どおり出発時刻になっても動きませんね(苦笑)。



理由はわかっていました。窓のすぐ下を、薪の束を手にした人々が懸命に最後尾の貨車までそれを運んでいます。これが積み終わるまでは発車できないということなのでしょう。

ラーショー線がよく遅れる(時には数時間単位で)というのは一部で有名な話です。でも2回目の乗車で感じたのは、それは路盤が悪くて徐行するとか運用がそもそもどうこうというような理由からではなく、停車駅における貨物扱いの遅れというか遅さが一番なのかもしれないなと感じました。途中のピンウールウィン駅では貨物車両の付け替えもあったのですが、出発時刻を過ぎても新たな貨物車は連結されておらず、出発予定時刻を過ぎてからようやく連結されるとようやくそこから荷物の積み込みが始まる、といった案配でしたから。貨物扱いを留置線側で出来るようにしておけばずいぶん時間が節約できるはず‥ですが、「長年のやり方」はそう簡単に変わらないのでしょうね‥。

話は変わって、前ページで書いたようにわれわれの席(車両末端部)は、(ちらりと見えた席割図によると)客扱いをしないことを示す斜線が引かれていたわけです。そこを駅係員さん同士が何やら話し合った上で「まぁいいか」とわれわれをねじ込んでくれたわけですが、その横の席には謎のオジサンが(笑)。

何が謎かというと、このオジサンの足元には工具の箱が置かれ、携帯電話や無線機?の充電もおこなっているようでしたが(右上画像マウスオン)、その電源はといえば電源ケーブルがどこかに伸びていて、要はこの車両のどこかから電源を引っ張っているようなのです。

ということはミャンマー国鉄(MR)の係員さんか?とも思いましたが、列車の発着時に安全確認の手伝いをするでもなく(おやすみになっていることも)、かと思えば何やらミャンマー音楽を車内に流すこともあったりして(同じ曲の繰り返しが多いし隣席ということもありやや耳障りなのでちょっとうっとうしかった)、「いったいこの人はナニモノ?」と感じていたわけです。

で、列車乗車中はよくわからないままだったのですが、今になって記憶を辿ってみると「そういや、12年前のゴッティ鉄橋通過前後に何だか『もうすぐゴッティ云々』と英語で言ってくれた人がいたなぁ」ということを思い出しました。で、当時はまだ鉄橋の写真撮影不可が今よりキビシイようだったので(というか、周囲の席に旅行者がいなかったので自分では可否判断がつきませんでした)、「あの人に見つからないように(動画を)撮ろう」と考えて行動したことを思い出したわけです。

そのあたりを勘案してみると、この人は「鉄道側の人ではない『保安要員』だったのかなと思ったりするわけです。軍政時代の「撮影禁止」とかを現場で徹底する立場の人だったのかな?でも政府が民政に移管されながらも鉄道施設が「準軍事施設」であるとの位置づけがそのまま(法的に)存在することから、この保安要員という仕事が今も存在しているのかと(仮説ですが)。でもそもそもの「保安」という仕事自体が完全にタテマエ化している現状で、この要員さんが「ある種のサービスとして」音楽を流してくれていたのかも‥。うーん、勝手に想像しすぎですかね?

でも、10時間を優に超える乗車時間の中で一切話しかけて来なかったこの人が、シーポー(ティーボー)到着の直前に突然て英語で「次に停まる駅がティーボーだよ」と声をかけてきたんですよね。どうなんだろう、このあたりについての真相をご存じの方がおられたらご教授下さいませ。

うわ、まだ列車はマンダレーを発車してもいないのに、すでに想像世界はシーポー到着直前まで進んじゃったぞ(苦笑)。



ところでアッパークラスの座席ですが、案外悪くなかったというか快適でした。クッションも柔らかくリクライニングもあるし、(壊れている場合もそこそこありそうですが自分たちの席は大丈夫だった)足元スペースも広いので、これなら到着まで快適に過ごせそうです(ただし車端の席だったので、中途半端に下げていた背もたれの角度に合わせて大物荷物が押し込まれ、それ以上席を倒すことは出来なくなりましたが(笑))。なお座席シート全面に「MR」マーク入りのカバーが掛けられていますが、これがないと「スポンジむき出しシート」とかが露わになることもありそうな気がします(笑)。

さ、そんなわけでマンダレー駅出発からしばらくを動画でご覧下さい。




列車は夜の闇を切り裂くかのごとく夜のとばりを一枚一枚静かに巻き上げるようにのんびりまったりと進んでいきます。しかしすごいのは、車が通れる道路と交差する踏切にはそれぞれに見張りの踏切番がいて、ちゃんと交通規制をしているところです。踏切自動遮断機なんてものが設置されているはずもなく、規制用ゲートを手作業で道路中央に置くだけなんですが‥(ゲートが設置されている踏切もある)、



まぁ時には保線車両なども通ったりはするでしょうが。途中駅の駅員さんなどにもいえることですが、「列車が来ない長大な空き時間」のあいだ、皆さんはいったいどのような職務についておられるのでしょうか?うーむ謎です(どの駅も構内が綺麗に整備されており雑草などもほとんど生えていないというのは示唆的ですが)。

さてそんな妄想を巡らせているうちに、列車は最初の長時間停車駅へ。



駅名標はあるんですがミャンマー語表記のみなんで読めないんですよ(苦笑)。

しかし12年前の記憶はしっかり残っており、「この駅から先は一気にスイッチバックを繰り返して上がっていくので、その準備だか何だかで長く止まったよなぁ」と。

前回はTakema単独だし初めてで勝手(車内の治安とか含む)もわからず、ただひたすら座席に座って発車を待つのみでしたが、今回はおしんこどんもいるし(寝てましたが)、何やら保安要員さん?もいるし、どうせすぐには発車しないこともわかっていたので余裕でうろうろしました。ま、機関車の警笛が鳴ったらゆっくり乗り込めば問題なしですから。



各駅には多くの場合犬がいます。窓からの「おすそ分け」を期待しているからです。駅名、何て読むんだろう?

ちなみにこの路線では、途中ところどころで20-30分の長時間停車をとります。もちろん「設定ダイヤ上では」というわけですが、実際のところミャンマー国鉄においては「ここまで随分遅れているから、この駅の停車時間を短くして少しでも定時ダイヤに近づけよう」というようなパンクチュアリズムは採用されておらず、「テヘ、やっぱり遅れちゃったね。でもまぁこの駅では20分停車だからね」という感じでダイヤどおりの停車時間をキープする(またはそれ以上に止まったまま=多い)ような感じです。

しかし、われわれ旅行者からすると「初めて乗る路線で、どの駅でどのくらい止まるかなどわからない」のが理の当然です(だからこの駅でホームに降りてうろうろしている外国人旅行者は自分以外ほぼ皆無でした)。

「長時間停車するか否か」の判断、それは「ホーム上の売り子の皆さん」を見れば見当が付きます。「いない=すぐ発車する」というのは誰でも予想できますが、「頭に売り物を載せた売り子さんだけの場合は注意が必要です。「頭に載せている=すぐにお客のもとに近づける=時間的余裕がなくてもお客をさばける」というわけで、比較的短時間で出発してしまう可能性があります。

いっぽうで「ホームにどっしりと店を広げてお客を待つ食べ物売り」がいる場合はまず間違いなく長時間停車です。なぜならその売り方スタイルは「お客が車両から下りてくること」を前提としており、短時間停車では商売にならないはずだから。なお、到着時にホームで店開きしていた人たちが、最初の客足が落ち着くと店を畳み、食べ物を頭の上の篭に載せてそのまま車内販売を始めるというパターンもありました。

朝4:00発ということで、前ページに書いたようにわれわれは「お弁当」を用意していました。でもこの駅でもお弁当売り(熱々ご飯とおかずをビニール袋に入れてくれる)は出ていますし(ただし飲み物は売っていなかった)、マンダレーから1時間と少しで到着する駅ですから(ちなみにこの日の列車がこの駅に到着したのは5:15ころでした)、あえて事前のお弁当準備は要らなかったかもしれません(でも必ず出ているとは限らないので安心料ですかね)。

なおこの駅出発後、次の長時間停車駅はピンウールウィン(まず遅れるが定刻だと7:27着)なので念のため。



さぁてここからは一気に山岳鉄道の本領を発揮するラーショー線、5-6回のスイッチバックとループ線とで一気に高度を500mほど稼ぎます!そのスイッチバックの様子は‥



まぁしょうがないですね。それでも無理矢理撮った動画をご覧になりたい方はこちら(明度補正はしてあります)。でも、スイッチバックや周辺の風景を撮るには進行右側席からじゃないとねぇ(ちなみにゴッティ鉄橋は左側が正解)。




ついでに夜明け前から朝方に至る車窓風景もご覧下さい(お暇な人 or 鉄ちゃん向けです)。










さて山岳路線区間は終わりましたがまだまだ列車はピンウールウィンに向けて登っていきます。速度が速くないので窓を開けていてもそれほど寒さは感じませんが、標高が上がるぶん気温はどんどん下がっており、このページの上のほうで半袖ポロシャツ1枚だったTakemaも、当然長袖を着込んでいます。



途中の駅にはすでに役目を終えた保線車両(たぶんトゥクトゥク系三輪の改造車?=左上画像マウスオン)が見えました。ちなみに右上画像の踏切、このゲートはかなり立派な部類です。



さて夜も明けたのでわれわれも朝ごはんといたしましょう。前夜のシャン料理レストランで確保しておいたおかず&ご飯ですが、肉料理の方はともかくとして、左側の笹の葉に包まれている蒸し料理が謎です。「魚を蒸したおかず」であることは確認済みですが‥



うわ、ただの魚の蒸し焼きではなくいろんな味付け具材がたっぷり!これ、すんごい美味しくてご飯が進むくん!やっぱりシャン州の食べ物は日本人の口に合いますね。もう1つの肉料理の方があたりまえの味すぎてやや残り気味だったくらいです(もちろん全部食べましたよ)。なお長時間停車系の各駅ホームにはちゃんとゴミ箱が設置されていますので、弁当ガラの捨て先には困りません。

やがて列車はシャン州内中心都市の1つであるピンウールウィン駅(標高1068m)に到着です。ちなみにマンダレー市内の標高はあれだけの内陸部にもかかわらず標高は100mもないですから、ここまでに1000mくらい上がってきたことは間違いないことです。







でも不思議に思う荷物もあります。この薪なんですが、そもそもこのピンウールウィン(シャン州)まで来れば山に木々はたくさんあるわけで、なぜ大都市マンダレーから地方に薪を運んでいるのでしょう?もしかして、何らかの行政指導がなされていたりするのでしょうか?

自分の感覚としては「新宿から長野に向かう列車で薪が運ばれている」という感じです。何でなんだろうなぁ?



さて車両の先頭へ。機関車は12年前と同じ型式車両でしたが(もちろん車番は違いました)、前回も今回もとっても安定した走行でしたありがとう!ちなみに右上画像の撮影直前、担当者の方々が正面某所から「滑り止めの砂を補充」していました。やっぱり今日の登り坂でもそこそこ砂を撒きながら上がってきたんですねぇ。さてこのあとは暇こいて駅の外に出てみましょう。


日本だとそこそこの規模の駅前にはタクシーが待機しているものですが、さすがここピンウールウィンでは馬車(タクシー)が待機しておりました。ピンウールウィンではこれまで馬車タクシーがデフォルトということでしたが(もちろん車やバイクも普通に走ってます)、マンダレー市内のサイカ(自転車タクシー)がほぼいなくなったように、この町の馬車もいつまであることやら。



駅入口&構内はゴミ一つなくきれいなものです(でもそこにバイクが駐められていたりするのはご愛敬)。で、ここにはこのラーショー支線の時刻表がしっかり掲示されておりました。



「ハイ、これが2016/12における『マンダレー〜ラーショー』時刻表です!」
もっとも、この時刻通りに列車が運行されるわけではないので念のため(この日も遅れてました)。



まだまだ発車しそうにないので駅構内を観察します。携帯電話の無料充電コーナーがあるのにびっくり(親切です)。でもこの形態だとこの場から離れられなくなりそうですが‥。

続いては「外国人用の待合室」なる部屋を発見。うわー特別扱いなんだ?と思って中をのぞいてみると(右上画像マウスオン)‥うーん、内部はいたって普通ですね。なぜこんな部屋が?(まぁ、それだけ外国人の利用が多い駅であることはわかります)。



駅構内も落ち着きを取り戻し、そろそろ出発しないかなーと思いつつホームでその時を待ちますが、どうやら最後尾の貨車の付け替えに時間がかかっている様子。すでに発車予定時刻を30分近く過ぎてますが、まだしばらくかかりそうです。よって席に戻ってくつろいでいたら‥ホームとは反対の側から尼僧さんが3人やってきました(右上画像マウスオン)。

すると、われわれの前の席に座っていた外国人女性がやおら立ち上がり、列車を降りてその尼僧さんたちのもとに近づき喜捨(のお金)を渡したではありませんか!すると、尼僧さんたちは(そのお礼に)歌いだしました(お経の一節を口ずさんでいたのかもしれません)。

「こ、これは!」。‥というわけでおしんこどんも嬉々として喜捨に向かいましたとさ(笑)。

そんなわけで、ピンウールウィン駅の到着から発車までを冗長な動画にまとめましたのでお暇な方はご覧くださいませ。列車はこのあと高原地帯を軽快に(ゆっくりと)走り、ゴッティ鉄橋へと向かいます。





[戻る] [次へ]