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− その1 Table of Contents(目次ページ) −



マンダレー、アマラプラの木橋から見る夕陽。なお画像中央で両手を上げているのはわれわれじゃありません(笑)。

(2016/12/19-28の旅行記コンテンツです)
サブタイトルにもあるとおり、Takemaにとっては12年ぶりのミャンマー再訪問となったこの旅行です(前回おしんこどんは行かれなかったので今回が初訪問)。12年前はまだしっかり軍事政権下で、ヤンゴンの駅舎全景を撮影することさえ「準軍事施設である」という理由でほぼ禁止されそれでも隠し撮りチックに撮ったこと、またヤンゴン市内を歩いていると見知らぬ方から「日本の方ですか?それなら日本に帰国後この手紙をこの宛先に送ってほしいんですが」と頼まれたりしたこともあったような時代でありました(これは検閲云々というより郵便事情が劣悪だったことによる問題でしたが)

さらには国内線ヒコーキ内で、明らかに軍人とおぼしきオヤジが自慢気に(Takemaに見せるように)日本人関係者の名刺を確認しながら一気にグンと中央肘掛けを占領したことも忘れられない思い出です(笑)。あのおいちゃん、今でも威勢を保っているのかなぁ?まぁ軍自体は今も当然一定の権力を維持しているはずでしょうが、おいちゃんはもう退役してるんじゃないかなと?(笑)。

さてしかし、その後軍政から民政への移管が行われ、国際的な経済制裁の多くが解除の方向へと向かい、また日本のマスコミも今さらながらに「人口5000万を超える、アジア最後のフロンティア」などと色めき立っていたりする昨今です(これについては素人の自分としても「現地をよく知らない東京のマスコミが今さらナニを報道しているのか?」などと思ったりするわけですが、まぁここでは触れますまい。ちなみに個人的関係で、20世紀の時代から日本の商社が現地で動いていたことも知っています)いずれにせよ南部のロヒンギャ民族問題を除いては治安の悪化という話も聞こえてこないので、「ではそろそろ行ってみよう行っておかなきゃ!」と考えミャンマー行きを決めた次第です。

なお2004年の旅行記こちらです(全47ページの「どっこい大作」ですが、当時は1ページあたりのテキスト量が現在より少なかったりします)。今回はヤンゴンもバガンも訪問していませんが、マンダレーやティーボー、インレー湖などは訪問地として重複していますし、またそうでなくても「各分野における12年前との比較対照的コメント」は随所に出てくるはずですので、可能であればこのコンテンツをご覧いただく前にこの2004バージョンにも目を通しておいていただければご理解も早いのかなと存じます。

ではでは、お楽しみ下さいませ!



まずは本編アップ前のダイジェスト画像ページから。
まずはバンコクへ。うわーいフルフラット♪
マンダレー到着、市内中心部は阿鼻叫喚の交通状況!
アマラプラで夕陽観賞後シャン料理で夕ごはん。
12年前と同じく鉄路シーポーへ。まずはピンウールウィンまで
高原列車は行く&ゴッティ鉄橋前後は大賑わい
シーポー到着!12年ぶりのお宿は何とリフォーム済!
シーポー郊外のジーブー温泉♪そして紙漉き見学
シャンの村をあちこち巡ったあとは絶品ヌードルスープランチ!
シーポー周辺の村めぐり、そして最後は「野湯」で〆!
ラーショーに移動し、フライト前に温泉あたふた
ヘーホー空港到着、バワサムサラ鉄道橋経由でニァゥンシュエへ
朝方のインレー湖の風景&市場をタンノー!あ、銀細工(笑)
ファウンドーウーパゴダおよびあちこちを行脚
カウンダイン温泉経由でボートツアー終了、あ、クリスマスイブ!
5つの乗り物を乗り継いでモニワ(モンユワ)へ
モニワの宿到着後は市内お散歩&夕食はカレー♪
洞窟寺院のポーウィン山へ。サル多し。
シュエバタウン見学後お宿で昼ごはん
タンボッディ寺院はなかなか見ごたえあり
「立ち仏」に「寝仏」、そしてさらには「座仏」まで
胎内めぐりのあと寝仏へ、そしてまさかの「夜の部」!
マンダレーからバンコクに戻って夕ごはん、Takemaは「夜の部」も
最後はバンコクから‥めでたくおしんこどん実家に「帰省」。

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