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− その21 タンボッディ寺院はなかなか見ごたえあり。 −



何だか夢の国おとぎの国のような、でもトゲトゲで痛そうにも見える寺院(笑)。

この午後の訪問予定地はタンボッディー(タウンボッテー)寺院とレーチョン・サチャー・ムニほか。ボディ・タタウンはリクエストしていなかったので通過されてしまいましたが(笑)、どちらも「見ごたえのある」宗教施設でありました。



まずはタンボッディー寺院へ。途中の道沿いには同種の売り物を並べた露店がずらりと並んでいますが、過当競争になっていないのかと心配になります。まぁ長年かけて編み出した営業形態だと思うので余計な心配だとは思いますが。

市内への出入り口にはやっぱり料金所。「有料道路」と書いてしまうと日本の高速のイメージで考えてしまいがちなのですが、要は「通行税徴収所」と考えたほうがしっくりくるような気がします。なお日本のタクシーなどと違いこの料金はドライバーと決めた総額の中に含まれていますので、ここでわれわれが財布を出すことはありません(笑)。

メインストリートを外れて走ることしばし‥





トゥクトゥクは敷地内には入らず前の広場で待っているというのでとりあえず入っていきます。どこに何があるのかはわかりませんが、男性のみ上がることのできる展望台がどこかにあることだけは知ってるぞと。



一番手前にあった建物がこちらです。ん?虎のモニュメント?しかも建物の入口には狛犬ならぬ番人の像が鎮座してるんですが?(右上画像マウスオン)。

現地でもそうかなと思っていたのですが、こちらの建物はあのタイガーバームの兄弟が建てたかつての病院なのだそうです。番人の像だと思ったのは実はご兄弟で、そもそもミャンマーで生まれ育ったのだとか。それにしてもシンガポールから香港まで、東南アジアの至るところにその関連施設があるわけで、さぞかし巨万の富を‥(羨)。



そこからまっすぐ進んでいくと、頂上部に仏塔のモニュメントを冠する「展望台」が。でも、これがなぜ「女人禁制」なのかはかなり謎です。神聖性はないはず‥となると、「タンボッディー寺院を女性が上から見下ろすのは畏れ多い」という発想、つまり女性罪業論あたりを根拠にしているのでしょうか。

そもそも仏教はもともと男女平等の教えを説いていません。キリスト教もそうですしイスラム教もそう。それは各宗教が生まれた時代状況(男性上位社会)に即した教えを説き始めたからでありそこに特殊性などありません。

日本においても今から1000年前の平安貴族においては輪廻転生の仏教思想の中で「女として生まれてきたこと自体が前世の所行が悪かったことの報いである」というのが常識であり、かの源氏物語においてもヒロイン紫の上が臨終の間際まで出家を懇望していたというのは「来世に少しでも希望をつなげたい」という叫びだったわけですから。ま、光源氏がそれを最後まで拒絶し通したのも、男女の権利差を示す当時の時代状況なのですが‥。

話がそれましたが、東南アジアの上座部仏教ではそのあたりの教えをある意味厳密に守っているといえるのかもしれません。ま、日本の仏教徒諸氏があまりに「世俗に堕した」のかもしれませんが?(このあたりはこれ以上突っ込みません)。






ちなみに階段最上部の踊り場に上がる最後の場所はそれまでより天井が低いのでお気を付け下さい。わたしは動画を撮りながらで注意散漫だったこともあり頭部をしこたまぶつけました(身長169.5cm)。動画ではカットしてありますが(笑)。





針のようにそびえ立っているのは全て仏塔で、そして寺院には大小合わせて58万体以上の仏像(壁に彫刻されたものを含む)があるというのですからある意味想像を越えた寺院です。しかし仏像の数にしてもいったいどうやって数えたんだろう?というわけで行ってみましょう。



外国人入場料US$3だったかを支払い内部へ。なお手前で靴を脱ぐのですが、これはミャンマー人も共通であるにもかかわらずほとんど外に靴がなかったのでちょっと悩みました。皆さんは靴を荷物の中に入れて入ったの?ちなみにわれわれは目立たぬ場所に置いてから入りました。

内部には各回廊ごとにずらりと大仏像が並んでいます。失礼ながらここまでの規模だと「ここはテーマパーク?」と思ってしまうほどです。ところどころの仏像群には後光を意味する電飾までもが光り輝いていますから。



で、気になったのが「黒仏」と「金仏」。もともと黒かったり金色だったりするのなら衣の色の違いということで説明がつきますが、右上などは明らかに塗り直しているわけで(たぶん金から黒)、これはいったいどういう意味があるのでしょう?次のステージへの瞑想に入る図とか?もしくは単純に塗り直しの下地塗装とか?

そんなわけで堂内を歩いていたら、ふと英語で呼び止められました。聞けば「そこにある石、それは心にやましいところがない人であれば願いを込めながら持ち上げれば持ち上がる、でも邪念を持っている人は決して持ち上げられない。やってみますか」とのこと。うわ、いっきなり「己を試される俊寛僧都、いや違った瞬間」がやってきちゃったではありませんか!



では‥と思って石に手を伸ばそうとすると「まずお祈り、お祈り」とたしなめられました(大笑)。そりゃそうですよね(「焦った心=邪念」と御仏に判断されなければいいのですが‥)。というわけで、お祈りをした上でいざ!ちなみに声をかけてくださったのは左上画像にちらりと写っている男性と女性です。




よかったー持ち上げられたわ!(心から安堵)。これで御仏からも「Takemaはピュアな心の持ち主」とのお墨付きを得たわけで(オイオイ)、これでもう何でも遠慮せず好き勝手にやっちゃうぞー!(ヲイヲイヲイ)。

まぁそれはともかくとして、お二人にお礼を申し上げた上で次へと進みます。ちなみにこのお二人はなぜそこにおられたのか?お寺の中で「商売」というわけではないでしょうし。もしかして「ふり返ったらそこには誰もいなかった」なんてことは‥(ないない)。あ、ふり返るの忘れましたが(笑)。



このあとは建物の周回を回ってみることに。屋根の上には仏塔がずらりと並び、なるほどこれがあのトゲトゲだったわけですね。で、右上画像をみればわかるようにそれぞれの仏塔の下部には入口が開いているわけですが‥





神さま仏さま、こ、これでいいんでしょーか!(この際神さまは関係ないんですが)。でも、その問いに仏さまはたぶんおっしゃることでしょう。「全ての生きものは生まれ変わるなかで前世の因縁に従い様々に姿を変える。たとえばこのハトがあなたの亡くなった父母だとしたら、あなたはこのハトを追い払えるか?」と。

上記の例えはTakemaの創作ですが同じような話はブータンでも聞きました。蚊や蝿がやってきてもたたきつぶさず追い払うにとどめるとか、だから現実問題として野犬捕獲後の扱いに苦慮しているという話もありました。鎌倉期の日本の説話にも、たとえば「花を愛した父がその執着(邪心)により人間ではなく蝶に生まれ変わってしまい、それをあることで知った息子が亡父の供養のためやってくる蝶のため花を植えさらに蜜をかけている」なんて話がありましたっけ。

そこにあるのは上座部とか大乗とかを問わずどの仏教宗派にも共通する「輪廻転生」の思想なのです。もっとも日本の場合はある意味とことん世俗化した面を持つ仏教信仰なので、上のような状況の場合「ここに網を張るだろうな」と思いますが(もっともそれに難癖を付けるつもりはないです)。



何だかそれを象徴するような「リアル生まれ変わりの像」のようなものが置かれています。このあとの訪問地でも思ったことですが、日本では「悪いことをすると地獄に堕ちる」という考え方自体は万人の理解を得るとしても、その「地獄」のリアリティを表に出すことははばかられる、はばかるべきだという暗黙の了解があるように思います。だから上画像のような「人の姿を前提にしたリアルな四つ足像」を日本のお寺において見ることはないわけです。「この世でいいことをしておけば西方浄土に行き、そしてやがては人間に生まれ変われるよ」というのがその布教理念の根本にあるわけですから。

でもここミャンマーでは「この世でいいことをしておかないとこうなるよ」という悪行応報の結果をリアルに見せています。このあたりの表現手法はやっぱり違いますね。



敷地内にあった大鐘。実際のサイズがわかるような画像ではないのですがデカイです。で、その鐘をぶら下げている箇所には何とも明るい未来(来世?)を感じさせるような彫刻が添えられておりました。ええっと、何というかですね、仏教というより欧州系の雰囲気を感じてしまったTakemaです。でもそんな感じがありますよね?(同意懇願)。ちなみに鐘を吊しているのはお察しの通り古い鉄道レールです。サイズからして鉱山鉄道系でしょうか?



そんなわけで見学を終了してトゥクトゥクへ戻り次の見学場所へ。途中学校がありちょうど授業終了のようで、徒歩だったりバイクだったりでどんどん学生が下校していきます。女の子は右上画像のように手を繋いで下校中。

で、調べてみたらこちらは「技術大学モニワ校」なのだそうで、コンピューター(IT)や経済学を学べる大学なのだそうです。「なるほど、ちゃんと地方にも大学があるんだ」と思うのは簡単ですが、どうやらここにはいろいろとミャンマー特有の仕組みおよび政治の影響があるようなのです。

日本のとある大学教授(この人もいわゆる文科省組のようですが)の現地研究調査によると「ミャンマー国内の大学を所管する省庁は12に及んでいる」ということのようです。それぞれの利権が絡む中、それを集約的に統括する力が働かずそのままにしてしまった問題がまずあります(日本でも国立系で厚労省や防衛省管轄ほかの「大学校」が存在しますがまず例外的な存在であり、基本的には文科省が一括担当&指導しています=それによる天下り問題は当然ここでは省きます(笑)。

そういう未整備の教育制度に軍政時代の「デモを防ぐための学生分散化」が追い打ちをかけたようです。軍政府はヤンゴンやマンダレーの大学から大学生を排除し、そこには圧倒的に人数が少ない大学院生を置き、大学生を地方に追いやり分散化したそうです(もしかしたらこの大学もその1つだったのかもしれません)。

そのことにより教育資本の低下を招き云々‥まぁそういうことはあるでしょうね(授業は英語ということですが、たぶん英語ネイティブの留学生は相当少ないかそもそもいない)。でも自分として思うのは、仮に右上画像に写っている大学生男女の多くがここモニワ出身ではないとすれば、それは別の意味で国全体の活力を昂じる力となるのではと思うのですよ。

何だかミャンマーの行く先が楽しみ‥でも一方で「教育の質が下がっており国際基準に満たない面も生じている」のだそうな。だとすればその次のステップとして日本へ!ついそうも思ってしまいます。



さて話を戻しましょう。続いてやってきた(通過した)のはボディータタウン。「タタウン」とはミャンマー語で「千」の意味だそうで、千もの像が整然と並んでいるというわけです。ただし「千」の内訳は「釈迦像1、その弟子たち999」となっており、かつその弟子像は増殖に増殖を重ね(笑)、いまや5千とも1万とも‥。ミャンマーは、どうしてこの方面に多大なリソースをつぎ込むのでしょうか?

ちなみに上画像は走行するトゥクトゥクの車上から無理やり撮影したものです。ドライバー氏に「止まってぇ!」と声をかけたのですがわかってもらえなかったようで‥(苦笑)。

さてそこからさらに少し走り次なる目的地に到着したわけですが、あまりにインパクトがありすぎなのでこの続きは次のページにて。

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