[2016ミャンマー編トップへ]



− その9 シーポー郊外のジーブー温泉♪そして紙漉き見学 −



シーポー郊外にある「ジーブー温泉」。足元湧出の単純泉は約42度とベストの湯温。



明けて翌朝は何と霧が出ていてびっくり。この翌日もそうでしたから、朝の気温が低くなるこの時期の風物詩なんでしょう。もちろん太陽が高く上がれば消えてしまうのでお出かけには問題なしです(雨季ではないので雨が降る心配はほとんどない)。さて朝ごはんを食べたら出発です。



ハイ本日の足となってくれるトゥクトゥクです。左上画像で車の奥に立っているのがドライバーのサイロンさん、右上画像が英語ガイドのトゥントゥンさんです。お二人とも首からシャンバッグをぶら下げているところがイイですねぇ。今回Takemaはウェストポーチ等の小物入れを忘れたのでカメラやタバコの出し入れ等が面倒だったのですが、どこかでシャンバッグを買っておけば楽だったよなと。



そんなわけで移動開始。この日は最初と最後に「それぞれ別々の温泉」を訪問し(Takemaがリクエスト)、その間に地域の村々のいろんなところを見て回るという計画です。レンタルバイク等では決して回りきれなかったはずなので、この選択はなかなかよかったなといまさらながらに思います(自画自賛)。

さて、最初にトゥントゥンさんに質問したのがこの町の名前についてです。それは「シーポー(Hsipaw)とティーボー(Thibaw)、どちらで呼ぶべきなのか?」ということなのですが、考えてみればこの質問の根底には「現在シャン州とミャンマー政府との関係はどうなっているのか」という多分に政治的な問題が絡んでいるわけですよ。

この町や周辺の村々には、それぞれ「2つの名前」があるようです。それは、シャン族の人々(つまりは住民)が付けた名前と、政府側?によって付けられた名前です。この町で言えば、シーポーはシャン名、ティーボーは公式名ということになります(ちなみに今調べていて知ったことですが、「ティーボー」という名はイギリスによって植民地化する直前、最後のビルマ王朝の王の名前だったということです。でも当時のシャン州には関係ない王様です)。

12年前の2004年旅行では、シャン州とミャンマー政府は「停戦」という状況を維持していただけで、市内は政府側が支配しているが、周辺の村々はシャン州自治政府が実効支配している」という話を聞いていました(境界が明確化していたわけではありませんでしたが。その時の話については拙サイト内のこのページに「聞き書き」という形でまとめてあります)。「Shan State Army」の存在って、この2004旅行の時に聞いたんだっけ。なおこのページの作成時に「シャン州軍」で検索をかけたら一番上に公安調査庁のサイトがヒットしていてちょっとびっくりしましたわ(汗)。

ただ、その後シャン州側とミャンマー政府との間にこれまでよりも進んだ形といえる「停戦合意文書への調印」が行われたことから(一部組織は調印を拒否し続けているが)、ここシーポー周辺は(韓国と北朝鮮とのような)いわゆる一触即発状態ではなくなったそうです(ただ北部国境地帯ではその後も国軍および中国軍との散発的な戦闘が続いているようです)。

さて話を戻しましょう。「シーポーかティーボーか」ということですが、前回旅行ではティーボーで統一していました。今回はここまで「シーポー(ティーボー)」と併記してくることが多かったと思います。ただ、この地に住む人たちの呼び方を尊重すべきなのかなという考えから、これ以降の記載は「シーポー」で統一します。でもこれは別に反政府的な発想からではありません。だって駅名板のローマ字表記も、またピンウールウィン駅に掲示してあった時刻表にも「Hsipaw」(Hは発音しない)と記載されていましたしね。

さてわれらがトゥクトゥクは市内から郊外に向けて走っていくわけですが、あのさぁ、場所的にどう考えてもその追い越しは駄目でしょうよ!(動画参照)。




もちろん我らがドライバーのサイロンさんは、大型車の後ろについていた白い車がこちらから見えなくなるや否やクラクションを鳴らし続けていますし、こちらには何の非もない走行であったことは言うまでもありません。対向車両のドライバーがいわゆる「だろう運転」の典型であったわけですが、ミャンマーのドライバーにはこの手の方々が多いような気もします。前にも書いたように、車やバイクが少なかった頃の運転マナーのままだというわけです。実はこの日の午後も、明らかに後方確認を怠った二人乗りのバイクと危うく接触するところでしたからねぇ(この時もサイロンさんの絶妙なブレーキングで接触回避=あとのページでリアル動画あり)。



さらに進んでいくと、われわれを追い越していったのは‥うわ、JICAの車だよ(ちょっとびっくり)。

ちなみに「常識的なスピード」で追い越していったので問題ありません(笑)。トゥクトゥクは基本的にゆっくり目ですからね。



かなり年季の入った車両もあれば、「そんなロゴだっけ?(あとほのぼの系の背景画像も)」。まぁいいか。



進んでいくと‥うわ、12年前にも見た記憶のある「料金所」が!この料金所、確かに12年前、シーポーからマンダレーまでのシェアタクシーで通った時に見た記憶があるんですよ。「へぇー、ミャンマーにも有料道路があるんだ!」とびっくりしましたから。まぁ今はあちこちにありましたから珍しくもないんですが。



あれ、この鉄橋何だか見覚えがある!そう、昨日通ってきた鉄道橋ですね(左上画像マウスオン)。で、ここを過ぎてしばらく進んだところで国道を離れて未舗装のローカルロードに入っていきます。でも温泉を示す看板もないし、この分岐は個人で来てもわかりませんって(なぜか町内会の掲示板みたいのがあるところは何だかいい感じですが)。



ハイ、ジーブー温泉に行きたければ素直に地元の方に案内してもらうべきですね。場所、じぇったいわかりませんって。

というか、こちらは市内中心部から歩ける距離にはないのでそもそも地元の方々のトラフィックに頼るほかありません。そんなわけでさらに進んでいくと‥



はい、ここが本日最初の目的地たる「ジーブー温泉」です!(温泉名はネット上の日本語サイトに記載されていたもので直接確認したものではありませんが、まぁたぶん大丈夫でしょう)。とはいってもあたりに全然温泉らしさはないのですが?(ちなみに周辺には3軒の休憩所兼軽食処あり)。



こちらが温泉の管理事務所です。入浴の協力金は200チャットと書かれています(チャーター料金に含まれてました)。

で、このジーブー温泉のすごいところはといえば、「湧出湯の高度に合わせて全体を掘り下げちゃった」ところにあるように思います(もとより動力揚湯などするはずもないのである意味当然なのですがあまりツッコまないでね)。



谷沿いに湧き出したわけでもなく、この周辺は同じ高さの地面が続いていますので、明らかに「掘った」のだと思われます(ただしかつての湧出部付近に大木が生えてますので(左上画像の木)、そこそこ古い時期から「地域の共同湯」として維持管理されていたのかと。

ただネット上の画像情報(さして多くない)を見ると、この浴槽配置も結構変わっているようですし(トゥントゥンさんによると左上画像の一番右側にあるコンクリート壁はごく最近築造されたものとのこと)、そもそも以前はこんなに広くなかったみたい?

まぁでも昔のことはもういいでしょう、われわれは今を生きているのですから「今の湯を楽しむ」のみです(何のこっちゃ)。さて着替え‥は事務所の裏でね。ただ地元の皆さんは男女とも便利な「どこでもお着替え」たるロンジーを着用していますから便利ですよねぇ。さてそんなわけで‥





ちなみに入浴直後のタイミングではご覧のとおりそこそこ混んでいましたが、このあとどんどん空いてきました(上画像マウスオン)。

となればいろいろチェックしたいこともあるわけです。幸いガイドのトゥントゥンさんも入浴中ゆえ行動を怪しまれることもなくて安心(いくらニコニコしていても言葉が通じないといざというときはナニですからね)。

まずは湯尻側で湯温計測。うん、絶妙の温度じゃないですか!この時期のシャン州地域はかなり涼しいので(朝晩は長袖必須)、まだ早めの時間での入浴は快適そのものです。

コンクリートで囲われた浴槽の底は何と砂地(もっともところどころ岩盤が出ているのでつまづかないように)。多分一番奥の木の下あたりが泉源なのだろうと思いつつ深めの浴槽内を進んでいくと‥ん?底の砂地から泡がボコボコ上がっているではありませんか!



でも、先人の記録(あまり多くはないですが)によると「奥から熱い湯が云々」ということだったよなぁというわけで確かめてみることに。



男女の湯のしきりには何やら記載がありましたが、なんと書かれているんだろう?

確かに最奥の浴槽内コンクリ壁には穴が開けられていますし、湯面のすぐ上にも丸い穴があります。でも、手を近づけてみても特に湯の湧出があるような感じではありません。こっちは止まっちゃったのかな?

なおこのジーブー温泉ですが、ここ10年くらいのうちに浴槽ほかの構造がかなり変えられているようです。古い記録を見ると浴槽がもっと小さいものだったりしますし、トゥントゥンさんいわく、「女湯側の外側コンクリ壁は前に来たときはなかった」ということですから。地域の共同湯的なこちらの温泉も、日々変化?しているということなのでしょう。

さて肝心の泉質です。事前の情報では「硫黄臭がある」とのことでしたが、今回は特に感じませんでした。湯はツルすべ感があります。ちなみに温まり系の湯らしく浴後はなかなか汗が引きませんでした。

湯口がない足元湧出泉ですが湯量はそこそこあるらしく、湯尻からはそこそこの量の湯が常時流れ出していました。お湯の味は‥すいませんなめてません。というのも‥



もっともTakemaが入ったときはそれ由来の泡などは見られず、先客さんもただ温まっていただけのように見受けられました。でも湯から上がる頃に入ってきた男性はしっかり石鹸を使い出していましたっけ。

この前日、トゥントゥンさんと「この日のルート取り」について打ち合わせていた際、Takemaのほうからあるリクエストを出していました。それが「このジーブー温泉には早い時間に行きたい、午後だとお湯が随分汚れてしまうかもしれないので。」というお願いだったわけです。ふぅ、何とかそこそこきれいな湯に浸かれて満足満足♪

 

久々に登場の「阿部旅館タオル」。おしんこどんは「駒の湯温泉タオル」です(右上画像マウスオン)。

ではでは、最後にここジーブー温泉の動画を見ていただいた上で次へ行きましょう。






再び国道へ戻り、線路を渡って‥ん?子猫たちが休憩モード(右上画像マウスオン)。

この後はどこへ行くのかなと思ったら国道沿いでストップ。「ん?ここは?」と思ったら、こちらは伝統的な紙漉きの工房なのだとか。



紙の材料となるこちらを枠の中で均等な厚みになるように広げていき‥



そして天日で乾燥させます。何やらTakemaがポーズをとっているのはご愛嬌。



完全に乾いたら、ナイフ状の専用のヘラで剥がし取り、はい紙の出来上がり。うーん和紙と同じ!

「伝統的な」と書きましたが、北部タイからこのシャン州にかけては、「カジノキ」という木の繊維を使った紙漉きの文化があるようなのです。カジノキはコウゾの親にあたるような木であるということなので、ここで使われていたのもそれなのでしょう。「この村では3軒が紙漉きを生業としています」とトゥントゥンさん(軒数はうろ覚え)。




日本文化の源流説の1つに「中国雲南省周辺の山岳地帯説」とかがありますが(まぁいろんな説があるのは当然のことで「どれが正しい」と言うつもりもありませんが)、雲南省とシャン州とは国境を接しており、またこのあたりの文化圏は北部タイ付近までつながっているようです。20世紀の頃、アカ族の村の入り口に設けられる「鳥居」を初めて見たときはびっくりしました。

で、この紙漉きの技法もおそらくは一定の共通性があるのでしょう。かつてこの周辺の調査をなさった専門家氏によると「この技法は北部タイやラオスのルアンパバーンなどとまったく同系」だということです(こちら=PDFファイル)。

 

このあとは再び国道を離れて未舗装路を進んでいきます。シャン族の村だということですが‥うわーいサイロンさん、あなたがこの日のドライバーでよかったよぉ!


[戻る] [次へ]