Masaiの村にちょっとお邪魔。


さすがにMasaiの人たちと並ぶと自分が白く浮いてしまう・・


さて、AmboseliやMasai maraのエリアはMasaiの人たちの住むエリア。自分ののっかったツアーにもその村の訪問が含まれていたので(確か随分安いオプションだった気も・・)、ここぞとばかりに参加する。マサイ族は誇り高き部族で、基本的にはこれまでの自分たちの伝統的な生活スタイル(牧畜中心)を守り続けているということだ。したがって都市エリアに出てきているパーセンテージはそれほど高くない(自分たちの運転手さんはマサイだったけど)。そんな彼らの中には、自分たちのようなよそ者の進入を快く思わない人たちもいるようで、草原を走る自分たちの車に石を投げつけてくる人(子供も含めて)もいた(まさかあれが「歓迎!」ってわけでは決してあるまい)。ただ、この村などは基本的に観光客にも限定的に解放されている、リベラルな村なのだ。
これがMasaiの典型的な家ということらしい。入り口は直角に曲がっていて、直接風が進入することを防いでいる。何しろだだっ広い草原のど真ん中だけに、風を遮るモノなど何もないからね。これもまた生活の知恵といったところか。室内は土間と居室とに別れているが、壁に小さな明かり取りの穴があるだけなので昼間でも真っ暗。ガイドに「この部屋の写真撮ってもいいか?」と確認したうえで暗闇に向けてフラッシュシャッターを切ったら、何とそこにはお昼寝中の男の人が2人もいたのだった。あの時は大変失礼しました(苦笑)。ちなみにある家の土間の片隅に、USAからの援助と思われるトウモロコシの袋を発見。この村は経済的に困窮しているとはとうてい思えないのに(村長なんか結構リッチそうだったぞ)、なぜあそこに援助物資が?摩訶不思議な「援助」の実態の片鱗を垣間見た気がした(それほどのものかい?)。


「彼らの村は他に比べて裕福なはずだ」という前提を取り除いて考えてみると、ここに住む人々と自分たちの間にある内面的な部分の違いたるや相当なものだ。善悪の価値観・人生観・自分とは何か、というようなことに対する根元的な発想の違いが、服装のような外面的な違いの裏側に横たわっている。そしてこの時、それでも自分は一緒の写真に収まったりして喜んでいたのだ。深い考えもなしに。あの時は何か自分が自分を考えていく上で一つのチャンスだったのになあと、ちょっとした勿体なさが残ってます(何のこっちゃ)。

そのこととは全く関係なしに、人ごとながら心配してしまったことを一つ。Masaiの女性たちはイヤリングをするのが重要なおしゃれの一つのようですが、左の写真を見てもわかるとおり、耳につける量が半端じゃない!いつもじゃらじゃら、重いだろうにうっとおしいだろうにじゃらじゃら(多分に日本人的な同情だなあ)。で、若いうちはいい。年をとるにつれて耳に開けた穴が装飾の重みでどんどん広がっていく。写真ではちょっとわかりにくいかもしれないが、左側の女性の向かって左側の耳たぶなどは、穴から向こうがもう見えてる。もっともっと年のいったおばあさんなどは直径4-5cmくらいの穴が開いちゃってる。若いうちに対抗意識燃やしすぎてたくさんつけちゃった人は、年いってから耳たぶ(もはや「タブ」ではなく「ひも」状なのだが)が切れたりしないのかなあ。絶対いる(いた)と思うのだが、そんなこと聞いたらぶっ殺されそうなのでやめときました。はい。

でも、冗談ではなく、私たちにとってアフリカの大地はあまりにも遠い。距離の問題をいうのではない。意識の問題、親近性の問題だ。コソボでの虐殺と、かつてのルワンダでの虐殺、マスコミの扱いの大きさの違い一つをとってみてもそれは一目瞭然だ。私たちにとってのアフリカの人々のイメージというのは、もしかしたらこの左の写真程度なのではなかろうか。

国際化、というのは常に曖昧きわまる言葉ではあるが、別に生活に困っているわけでもないこの村の人々の写真を改めて見直してみると、今の自分たちがもう一度考えておかねばならない何かがあるような気がしてならない。

うーん、このHPにしてはなんだかシビアだ。
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