まずは硫黄島港周辺を歩いてみよう 



船が行ってしまったあとの埠頭は急にもの寂しくなる。

さて、宿に荷物をおいてしばし落ちついてもまだ4時をちょっとまわったところ。ということで夕メシの前に、この島唯一の集落のある港周辺をうろうろしてみることにします。まずは、話には聞いていたが港内の海の色をしげしげと眺めてみることに。いやぁ見事に赤茶色ですな。これは港内の海底から鉄分を含む水(熱水?)が湧きだしていることから起きる現象だそうですが、それにしても見事に赤い。上の写真、背後の崖の上に橋が架かっているのが見えると思いますが、あの橋の上から撮った写真を仕込んでおきました。上の写真の上にマウスを乗せると、港内と港外の海の色の違いが一目瞭然です。

そうそう、今回泊まることにした宿は、島唯一の旅館である「旅荘 ほんだ」さん。他の宿はみな民宿なのですが、オフシーズンは営業しないこともあるということで安全策をとったというところでしょうか。でも、宿の奥さんの手による「車輪梅料理」をはじめとした創作料理は見た目(含む色どり)も味もGood。島ならではの味を楽しませていただきました。なお、車の手配もOKですのであらかじめお願いしておきましょう。

旅荘ほんだ 09913-2-2102

とりあえず最初の島の不思議をみた上で、この港のすぐ前に広がる島唯一の集落エリアへと向かいます。島のほぼ全員がこの一箇所に住んでいるようで(その他には飛行場の近くに家を一軒見たくらいですから)、まぁ言うなれば島の心臓エリアですね。



ここが硫黄島最大のマーケットエリア、「銀座通り」。

とあるHPでは、ここを「銀座通り」と名付けていましたので、私もそれにならいましょう(本当にそんな名前がついているわけじゃないでしょうが)。なるほど、商店が2軒並び、しかもコーラの自販機まで。少し見にくいですがちょっと奥にビールの自販機もありました。ここに来る前、島の商店ではあらかじめ予約した分しか物資が入荷しないとか聞いていたような気がしていて、それなら昼間飲む分のビールとかはあらかじめ鹿児島市内で買っておかなきゃと思っていたのですが、とりあえずその必要はないようでした。ほっ。

そうそう、この島で手に入るビールは、瓶も缶も含めてスーパードライばかりです。自販機にはキリンの一番絞り缶もラインアップに入っていましたがしっかり売り切れ中。こんなところにもアサヒとキリンのシェア合戦の跡がうかがえるといっては考えすぎでしょうかね。最初から期待はしていませんでしたが、私のお気に入りサントリーモルツなぞは影も形もありませんでした。

なお、やはりというか生鮮食料品はほとんど店先に並んでいませんでした。それこそ島の人以外が買うことは(特にこのシーズンオフに)まずあり得ませんから、あらかじめ注文が入っていた分しか入荷しないということのようです。夏にキャンプなどで訪れようと考える人は注意した方がよさそうです。

さてさて、いわゆるこの島のメインストリート=商店街はほんの20mくらいで終わってしまいますが、もうこの道と平行した裏手には郵便局と駐在所のある「オフィス通り」が存在します。実はこの島に来る前「この島には駐在所がない=それだけ平和な島である=時にはナンバーのない車も堂々と走っている」という情報を入手したのですが、それは事実とは反するようで、ナンバーなしの車などは一台も見ませんでした。

またこれは聞いた話ですが、「島の人は飲酒運転はしないしシートベルトだってきちんとつける。なぜなら駐在さんは同じ島民としての仲間、でも彼は仕事上違反を見つけたら摘発せざるを得ない立場でもある。だから自分がもし違反に該当するようなことをしたら、自分はともかく彼にもいやな思いをさせなければならない。だからみんな守るんだ。もし旅行者が現地で車を借りて何かをしでかしたら、その車の持ち主は駐在さんに対してすまないと思うだろう。だからあなた達も運転には気をつけてほしい」ということでした。

「小国寡民(国が小さくてそこにすむ人間が少ないほど国全体はうまくまとまる)」とは、かの老子の言葉。お互いがお互いをよく知っていればいるほどに、それぞれが相手のことを思いやった行動をとることができるということでしょうか。都会ではすれ違う人はみな見知らぬ人、隣に住む人がどんな人なのかよく知らないまま(知ろうともしないまま)暮らしている場合も多いわけで、そうなると「知らない人に対する思いやり」なんてのができるはずもありません。他人の迷惑を考えない人間を抑止するためにますます規制を厳しくする都会、この島のように規制などなくてもお互いがお互いを尊重することによって安定した関係を維持し続ける社会、うーむ、いろいろと考えさせられるところです。

話がそれましたね。港周辺の説明に戻りましょうm(_ _)m。

 

写真左、まだ真新しい(ように見える)指導標。島の要所要所(道路の分岐)には必ず上のような指導標がたてられているので、フェリーみしまの船内でもらえる簡単なパンフレット(デフォルメされた島内地図付き)さえあれば島のどこへでも迷わずに行けます。初めて島を訪れた旅行者にもとてもわかりやすく丁寧です。小さな島とはいえ、これは脱帽ものです。

そして写真右が、とても立派な「三島開発総合センター」。人口約140人のこの島には似つかわしくないほど(失礼!)立派な施設。中には俊寛僧都や安徳天皇にまつわる資料室(必見!受付の人にことわって見せてもらいましょう)や、なんと無料の温泉浴場まであったりするのですが、詳しくはあとのページで説明することにしましょう。

 

港の入口には、まるで廃墟と化したコンクリート造りの建物があります。昔この島で硫黄の採掘をしていた頃の工場跡だそうですが、現在は硫黄ではなく珪石(ガラスの原料になる)の採掘が行われているそうです。写真の左側に石ころの山が見えますが、これが珪石なのでしょう。それにしてもこれがどうやったらガラスになるのでしょうな。

写真左は「銀座通り」から目と鼻の先にある「熊野神社」。なんでも島流しにあった俊寛僧都を含む三人のうち、彼を除く二人が赦免帰京を願って建立したとかいうことで、後には安徳天皇がこの地に落ち延びたときの皇居ともなったところだといわれています。こちらについても、詳しくはあとのページで説明したいと思います。



神社のあたりを歩いていたら無邪気な猫発見。構ったあげくには
爪を立てられたおしんこどん。

そんなわけで、このあとは集落を歩いて見つけた鳥さんの特集ページです。でも大した画像はないなあ。まあ参考までに。