いざ行かん島唯一の「社交場」へ。しかし道中はかなり暗いのであった。
折しもクリスマス。一軒だけライトアップしていたぞ。

さて人口約140人の硫黄島、夜ともなればなーんもなくて退屈なんじゃないの?とお考えの皆様、この島をなめていただいては困ります。しっかりあるんですな居酒屋さんが。

実はこの島を紹介したガイドブックによって、来島前からこの居酒屋さんの存在は知っていたんです。だから島に着いた当日、宿の夕食後に早速そのお店を訪ねてみることにしました。宿からの道は暗いのですが足元が見えないわけじゃなし、地図はないけれど小さな集落のこと、すぐにわかるだろうというような軽い気持ちで宿を出たわけです。

しかし、探せど探せど、居酒屋さんにつきものの赤提灯並びにそれに類する看板がな〜い!集落中をぐるぐると彷徨したあげく、結局あきらめて宿へ舞い戻る始末。宿の奥さんに「あのぉ、居酒屋さんをいくら探してみても見つからないんですが、一体どこにあるんでしょうか?」と尋ねると、「もしかしたら今夜はお店を閉めているのかもしれませんね」とのこと。でも親切に電話をしていただいた。すると、なんと「これからお店を開けてくれるということですよ。どうぞ、行ってらっしゃい」。うはぁ、ウチらのためにオープンしてくれるとはありがたやありがたや。今度は場所を聞いたから大丈夫。そうしてめざすお店に着いて、さっき来たときに見つけられなかった理由がわかった。



入口の上に黄色く屋号が出ているが、赤提灯や看板はなし。
しかもこの雰囲気は見事にペンション風です。わからなかったはずだ。

さてさて、ここ硫黄島唯一の居酒屋「花女里家(かめりや」さん。うーむ、通りすがりの旅行者にはこれじゃなかなかわかりにくいのが事実。でもふと考えた。確かに数日滞在するだけの旅行者にはわかりにくいかもしれないけれど、住民や工事関係で来島されている方々相手のお店であるならばこれでいいのじゃないかということを。

ただ、この島に温泉撮影等で訪れる芸能人やロケ隊はかなりこのお店を利用しているようです。マスターも「芸能人慣れ」していらっしゃるようで、「○○さんはカメラ回ってる時と普段の時とでは全然雰囲気が違うんですよね」とか「○○さんはイメージとはちょっと違う人でしたね」などと、生情報に精通しておられるようでした。



2日目の夜は工事関係の方々の忘年会にご一緒させていただき、
おしんこどんはモテモテ。調子に乗ってカラオケをうなった。

結局3晩連続でお店にお邪魔し、焼酎のボトルを結局4本空けることに。宿で食事をしてから来ていたので特にお腹は空いていず、この店ではほとんど飲んでばかりだったわけですね。

なお、残念ながらこの島の地焼酎というものはありません。人口が人口だけに酒蔵があるわけでもありませんからやむを得ないことなのですがちょっとさびしいような気もしますけれど。ちなみにこのお店では本土の「島美人」を置いていました。最終日の晩、ひょんなことからとあるお宅にお邪魔して、それこそ深夜まで居座らせていただいたのですがm(_ _)m、そのお宅には屋久島焼酎の「三岳」が。しかし九州本土にもそれほど出まわっていない「三岳」、どういう経路で入手しているのでしょうか。この島と屋久島とを結ぶ定期船は出ていないし。そうか、もしかしたら漁船に頼んで運んでもらっているのだろうか??

ちなみに屋久島あたりまでは芋焼酎文化圏なのですが、奄美あたりまで南下すると黒糖焼酎文化圏になっているようです。それではその間にあるトカラ列島あたりはどちらの文化圏に属しているのだろう?こんなことをふと考えてしまいましたが、本題とは全然関係ないですね。

このお店のマスターは島のことを良く知っている方で、この方からの情報をいろいろと役立たせていただきました。その中でも来島前からかなり気になっていたのが、かつてこの島にあったという豪華宿泊施設のこと。昭和40年代後半、滞在型のリゾートの草分けも草分けだったその施設に関する情報は非常に少なく、現地に行ってみたらその場所を訪ねてみたいと思っていたのです。

その話をマスターにすると、何とマスターはかつてその施設で働いていたことがあるというのですね。これにはびっくり。そこでお聞きした情報をもとに、次のページではそのリゾート施設「旅荘 足摺」についてまとめてみたいと思います。



花女里家さん : 09913-2-2015

マスターはこの店の運営の他にもいくつも仕事をお持ちのようなので、都合で店を開けられない日もあるかもしれません。来店前にあらかじめ電話で問い合わせてみるといいと思います。