小笠原@冬、2005年12月!

− その10 海へ、そして島へ、そしてイルカと泳ぐっ!(5) −

というわけで島に上陸後、皆さんで島の内部へと進んでいきます。もっとも、無人島ゆえ誰もいないとはいえ全員ウェットスーツ着用で山を歩くというのもなかなかどうしてちょっと違和感があったりするわけですが(笑)。

海岸沿いの一部低地には亜熱帯系樹木の林があり、ここでちょっくら各自の記念写真タイムとなりました。



ね、何だか違和感あるでしょこの格好(笑)。

しかしここで最初のアクシデント発生っ!おしんこどんを撮ったあとTakemaも似たようなポーズで写ろうとしたのですが、おバカポーズを取りつつ静止するTakemaに対し、おしんこどんは次のようにのたまいました。

ということでケースの中に入ったデジカメの操作画面を見てみると、何と電池切れ間近を示す点滅がっ!

出発時にはフル充電をしておいたので全く考えていませんでしたが、考えてみれば今日はここまで水中撮影などでかなりの時間電源を入れっぱなしにしてきたわけで、少々くたびれ始めつつある充電池にはかなり酷だったようなのですね。しかしまぁ、ホントにこのタイミングで電池切れを起こすとは全くもって予想外でした。

もちろん予備のバッテリーは持参してきました‥が、船の中に置いてきてしまいましたから手も足も出ません。あっちゃまーっ(悲)。

とはいえ、まだこれは一番最初の兆候ですから、撮影間隔をあければあと何枚かは撮れるはず‥です。とりあえず「下手な鉄砲乱れ撃ち」は完全自粛することとして、要所要所だけ「頼む、撮れてくれっ!」と願いつつトライ to シャッターを押す、ことといたしました。

少し歩くと樹林帯を抜けて一気に視界が開ける場所に出ました。雰囲気的には「森林限界を抜けた」という感じです。ちょうどその境目あたりには巨大なリュウゼツランが群落をなしておりました。内地では50-70年に一度しか花を咲かせない(花を咲かせたあと枯れる)というこの植物も、小笠原あたりでは6-7年で花が付くのだとか。もしかして上の画像にある「真っ直ぐ上に伸びた茎」は、間もなく花を咲かせるぞということなのでしょうかね?



てなわけで少しずつ上ってきました。大地が揺れているわけでもないのに水平じゃないのはご愛敬。

さて、前のページで「木々の植生がほとんど見られない」と書きました。実際、この島には海岸沿いの一部にのみ小さな林が偏在するだけなのですが、ちょっと調べてみると、やはりかつてのこの島はうっそうとした亜熱帯樹林におおわれていたらしいのです。しかもその「かつて」とは、今からたった数十年前、太平洋戦争終了のころだというのですから驚きます。

終戦後アメリカの統治下に置かれた聟島列島は、米軍の訓練場(射撃・爆撃)として使われ、さらに野生化したヤギやネズミ等が植生を大幅に変えてしまったということのようです。戦後20年足らずでこの島の風景は大きく変わってしまったといっていいでしょう。

なお、上の文章のニュースソースはこちらです(「AKABAの小笠原〜な日記」)。興味のある方は是非ご一読を。

ただ、戦前にもヤギはこの島に生息していたということのようですし、一概にヤギだけを害獣扱いはできないかもしれません。しかし、ヒツジと違ってヤギは植物の根までほじくり返して食べてしまう習性があるということですから(モンゴルで聞いたような気が‥)、環境に与えるダメージはやはり大きいものがあるのでしょう。

2000・2001の両年、東京都は聟島の植生回復を目的として野生ヤギの駆除を実施し、その結果島内に生息していた約900頭のヤギが捕獲されたということです(捕獲されたヤギはその後どうなったんでしょうね。もしかして一部は「美味しくいただいた」とか?)

現在の聟島でヤギの姿を見ることはありません(ネズミはいますが)。ガイドさんの話によると、谷沿いを中心に低灌木が徐々に育ち始めている(芽が育ちつつある)ということでしたが、果たして今後この島はどのように姿を変えていく(or いかない)のでしょうか。興味深いところです。

さて、山の中腹あたりには「岩崎亀五郎(さん)之墓」がぽつねんと鎮座しておりました。ここ聟島の地主だったというこの方のお墓は、お名前に合わせて台座がカメになっていますが、このお墓が建てられた頃(岩崎さんは昭和13年没)と今とでは、周辺の風景も大きく変わってしまっているのでしょうね。岩崎さん、今の聟島をどんな思いで見つめておられることでしょうか。

そんなこんなで、いよいよ聟島最高峰の大山山頂に到着っ!僅かに残っていたバッテリーのパワーをとことんまで利用して、たった一枚だけ頂上での写真が撮れました!



ここが頂上ですっ!‥しかし、このあとバッテリーは永久の眠りに(笑)。

頂上でしばらく休憩したあと、今度は別の踏み分け道を下り始めたわけですが、実は先ほどの「岩崎さんのお墓」あたりからTakemaは身体的変調に見舞われていたのでありました。そう、「アクシデント No.2」の始まりですっ!

時折Takemaを襲い始めた「下腹部におけるどよよんとした潮流」は、やがて確固たる意志を示し始めました。その意志とは‥「早く外に出たい、今すぐ出たいっ!」これに間違いないことははっきりしています。しかもどうやらその「潮流」の正体は、まさにその名のごとく「たっぷり水分を含んだゾルだかゲルだかの状態」だと確信するに十分な状況でした!し、しかぁし!

どうするTakemaっ!とはいえ団体行動ゆえ自分だけ茂みに‥というのは気がひけますし、しかも自然保護の観点上からもその行為自体は決して勧められるべきではないでしょう(笑)。となれば選択肢はただ一つしかありません。そう、「正規のトイレまで歯を食いしばって頑張る!」そう覚悟を決めたTakemaなのでありました。

しかし、山道の下りは下腹部に新たな刺激を与えるのに十分なパワーを持っているのであります(笑)。一歩一歩、いろんな意味で慎重に歩かざるを得ないTakemaなのであります。ちなみに外部的にも自己主張を始めていたTakemaの「潮流」は、

とまぁ、とっても楽しそうな音(声?)を発し続けておりました(大笑)。

苦難忍耐臥薪嘗胆の末、何とか浜辺までたどり着きました。しかし「一難去ってまた一難」とはまさにこのこと、Takemaの目の前には太平洋の大海原が嬉しそうに広がっているわけです!

フィンやらシュノーケルやらを着用後、ゆっくり海へと入っていきます。海面を進んでいく時の最大のポリシー、それは間違いなく「何があっても安全第一」!途中、休みながら進んだ船までの距離が遠かったことっ!

ウェットスーツを脱ぐ時ですら気は抜けません(笑)。というか、油断すればこれまでの長い長い長かった苦労がすでに水の泡になると同時に、人間としての尊厳まで失いかねないわけですからねぇ(大笑)。はやる気持ちを抑えてトイレのドアを開け‥。

なおあくまで念のために申し上げれば、「海パンやウェットスーツには一切被害を及ぼさずに済みました」。あくまで念のためね(大笑)。

心身共にぐったりと疲れた?Takemaは、このあと場所を移してのシュノーケリングタイムをパスし、しばし養生に務めました。その結果この日「第二の潮流」などが押し寄せてくることはなかったんですが、今考えてもあの時いったい何であんなことになったのだろう?水に入っておなかが冷えたから?でもスーツも着ていたしさほど冷たさを感じることはなかったんだけれどなぁ。



電池を入れ替えたデジカメでおしんこどんが撮ったシュノーケリングタイムの画像。ふぅ。

さてそういうわけでそろそろ帰らなきゃ。聟島を離れ、いざ父島まで長駆60kmっ!
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