小笠原@冬、2005年12月!

− その14 小笠原ミニ釣り行脚(3) 釣った魚はどうしたの?編 −



釣り上げられたボクは、このあと長い旅に出ることになったんだ‥。

さて、こうして釣り上げた魚たちはどうするのかと思っていましたら、何と「次の船で帰るのなら持ち帰るのが普通です」とのことでした。もちろん生魚ですから傷まないように準備は万全、たっぷり氷を詰めた発泡スチロール箱を密封して、さらにおが丸には専用?の保冷倉庫がありますから、たかが1日ちょいで傷むようなことは断じてないというわけなのです。市販の保冷ボックスレベルとは比較にならないわけですね。小笠原から東京まで、片道1000km一昼夜の旅も問題なさそうです。

しかも、小笠原の釣りに慣れた同僚さんいわく、

えっ、本当?(驚)。

ちなみに12/27に小笠原から戻った後のTakemaはといえば、翌日の28日に出勤して、そのあと奈良@おしんこどん実家まで帰省する予定だったわけです。うん、でもそれなら小笠原のお魚をおしんこどんのご両親にも召し上がっていただけるな、それは何より!というわけで28日夜、あらためてロックアイスを詰め込まれたさかなくん達は、奈良までの片道500km+αを陸路で移動することになったわけです。

さて奈良にてカンパチくん他をさばいて美味しくいただきました。いやぁさすがに美味しいじゃないのさ!毎年カンパチを釣りにこの時期小笠原入りを果たす同僚さんの気持ちがあらためてわかります。し、しかし‥。

何匹か、食べきれない分が残ってしまいました。奈良の実家だけでは消費しきれない、いやそうじゃなくても「残った魚を押しつけるようにして帰る」というのもナニですから、小笠原さかなくんたちには不憫ではありますが、再び陸路500km+αの移動を強いることになりました。

しかし、彼らにとっては移動距離 = 2000km!物流業界ならともかくとして、個人に伴うものとしての移動としてはなかなかどうしてすごい距離になってきました(笑)。

しかも彼らにとっての忍耐はさらに続きます。奈良から千葉に戻ってきたのは年も明けた1/2未明、しかしこのあとTakema親族の新年会等により、彼らは再び「2日間の眠り」につかされる運命だったのです(大笑)。

彼らが釣り上げられて1週間が経った1/4、いよいよ「最終成敗」の日がやってきました。ようやく自宅に戻ってきたわれわれ、そして発泡スチロールの箱を開けると‥おお、まだずいぶん氷が残っていました(もちろん千葉帰着後氷は取り替えていたんですが)。

さすがに透明だった眼は少し白っぽくなってきてはおりました。でも‥まだ魚本体からは全く臭みも感じられないし、まだまだ刺身でいけるんじゃないか?



ほーら、何だかまだ十分にいけそうな気がしません?ちなみに魚名は「ユカタハタ」

となれば「おしんこどん、怒涛の包丁さばきが出番です!」。いや、夫である自分がいうのも何ですが、彼女は結構なんでもそつなくこなす力量があるんですよねぇ。
ただし新婚旅行時(NZ)、ミルフォードトラックの個人歩きにて私Takemaがフライパンを振っていたのを見て、あるトランパー(女性)が「(おしんこどんに向かい)あなたはいいハズバンドをもらって幸せねぇ」と言われたらしいことを彼女はある種の悔しさとともに覚えているようです。いいのよいいのよおしんこどん、新婚旅行だったんだから。その後はキャンプでも働いてるのはあなたでしょ!え、Takemaも働けって?(どきり)。
というわけで、行け行けGoGoおしんこどん!



「ユカタハタ、只今おしんこどんの手によって」

着々と三枚におろされていきます。そういや、NZ滞在中(1989-90)、自分も釣った魚をさばいたけれど、妙に可食部分が少なかったっけ(笑)。

ちなみにマウスオンにて三枚におろされた画像に変わります。

Wmv形式、736KB、16秒
ユカタハタをはじめとしたさかなくん、「こんなに日数が経っているのに、お、おいしいっ!」というのが結論でした。何と、まだプリプリ感が十分に残っていたのが一番の不思議、そしてやはり数日の熟成を重ねたからか旨味も抜群!うわぁすごいぞさかなくん達っ!

おつゆに入れても美味しかったし(そりゃ当然)、うわぁ感謝感激火事親父(久々のネタですな)のTakemaでありました。こうなると、店によっては「ぶよぶよなのに『刺身用』と書かれたスーパーの刺身」はいったいどんな長旅(皮肉的に)をしているんでしょうね‥。いやぁ、ホントに釣り上げて一週間、素人冷蔵のさかなくんたちとは思えなかったですよ!

さて、月日は再び数日前に舞い戻ります。かっぽれ丸下船から、いよいよ小笠原を離れます!
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