− その1 7年弱のブランク何のその、到着日の午後はさっそく温泉から(笑) −

(2007年8月26日−30日)

現在の家(というか実家)に戻ってきてから羽田空港を利用するのは初めてです(国内出張ってまずほとんどない仕事ですからね。いや、近場出張は時々あるけれど電車だし)。いやはや、結婚後住んでいた2軒の家からと比べて何と楽なこと!京成を使えば成田も羽田も乗り換えなしで行かれちゃうんですから、「帰ってきて初めてわかる実家のありがたみ」というところでしょうか。いや楽だったこと。

羽田から屋久島、鹿児島での乗り換え時間はたった20分ですが、乗り換え可能時間ぴったりなのでおいてきぼりはなく、荷物ともども屋久島に着いたのは何とまだ11:00前!これは何とも嬉しいことで、お昼ご飯を食べたあとの午後はたっぷり自由に使えるというわけですからね。ちなみに今回の旅行では帰りの便も屋久島発16時台でしたから14時くらいまではのんびり過ごせました。よって「4泊5日=中3日」ではありながら、その実質は「4日+αの自由時間」を使えたわけです。これはよかったぁ。

というわけで鹿児島からJAC機に乗り換えます。往復割引しか使えなかった区間ですが、早めに予約していたこともあって「往路は進行右側、復路は左側」の席でしたから山並みその他をしみじみ眺めることが出来ました。

離陸後、さっそく桜島上空を飛行します。左上画像はもうだいぶ離れた場所からのものですが、実際はもっと近く&最初のうちはより低空で飛行します(離陸して間もないですから当然です)から、もっともっとリアルに桜島火口を観察することが出来ます。そうなると、淡い期待とともについつい探してしまう悲しい性(さが)、それはやっぱり

ということなのですから呆れかえります(自虐笑)。さすがに遠距離からの目視で見つかるような流れはありませんけれどね。その一方で桜島の山肌も徐々に浸食が進んでいて、もともとが火山の噴出物で出来ている山ですから大雨の時は大変だろうなぁと思っちゃいますね(右上画像マウスオンで山裾画像に変わります)。

錦江湾にまっすぐ伸びる一筋の直線。海底の凸凹もよくわかってかなり綺麗な画像です。多分屋久種子航路のトッピーなんでしょうね。ちなみに左上画像をクリックすると1280*960ピクセルの元画像が表示されます。気まぐれで壁紙になさりたい方はどうぞどうぞ。そしてヒコーキは開聞岳を越えて外海へ。大戦中、特攻基地のあった知覧からは多くの特攻機が片道分の燃料だけを積んで沖縄に向かったそうですが、その時操縦士はこの開聞岳上空で翼を振って日本、そして家族に最後の別れを告げたそうです。

どんな気持ちで?帰り道のない片道切符で‥。屋久島を訪れる際、もし日程的に多少の余裕があるならば是非知覧の特攻記念館を訪れることを強くお勧めいたします。温泉よりも!(苦笑&絶対)。第二次大戦に関する考え方はそれぞれでも、今の自分が現在このように生きられている、その礎になった方々がおられること、そしてその最後の言葉を知ることは決して無駄にはならないと思います‥。

続いて屋久島の北に位置する竹島&薩摩硫黄島が見えてきました。2002年1月に薩摩硫黄島に行きましたが、「三島村」の名の通り前述2島+黒島を合わせた3つの島からなる村で、現在の人口は3島合わせて258人(平成12年国勢調査:三島村サイトより)、かつてのリゾートも、硫黄や珪石の採掘も止まってしばし、いま村は、「存続を賭けた勝負」に真っ向勝負を挑んでおられるわけでしょう。

今回このページを作る過程で拝見した村の公式サイトにあったこんな言葉に心を動かされました。

三島村、頑張って下さい!「グローバル」の中身は村のサイトをご覧下さい。地方公共団体に対する国の交付金が削減されている中、村民唯一の足(唯一の村営空港は休止状態)であるフェリーみしまの2億円の赤字(だから民間委託もできない)を不可避の損失としつつ、それでもライフラインを止めることは出来ないというギリギリのところで頑張っている村です。

フェリーの運航は毎日ではありませんので多少の日程がなければ訪問しにくいのは事実ですが、拙サイトをご覧の皆さん、是非一度三島村へ。鹿児島港からのフェリー運航状況は公式サイトの中の「フェリー運行状況」をごらん下さい(ただし台風の時期や冬期=季節風が強い時期には臨時に運行スケジュールが変わることもあります。直前に確認の連絡は必須です)。

皆さんの訪問が多分明日の三島村の存続のみならず繁栄につながると思います。よろしくお願いいたします>ALL。



ついつい三島村の話ばかりしてしまいました。でも2002年の訪問後再訪していないTakemaがここまでエラソなことを皆さんに申し上げていいのか‥。でも「行こうよ三島村!」。

さてそんなことを書いていても今回の目的地は屋久島なのであります(笑)。快適な空の旅(エアコン効いてるんで当然)を終えて飛行機のタラップを降りたときの第一印象、それは‥

でありました。で、念のため機体を見ると、「Q400」。うわ、これは今巷で話題のボンバルディアではありませんか!そうか、JAC(ジャパンエアコミューター)がたくさんボンバルディア機を持っているという話を聞いていましたが、まさに種子屋久路線に就航していたわけですね。SAABとかかと思っておりましたが(あれはもっと小型みたいですね)。幸いわれわれの時はどっちも「足が出た」ので問題なしでした。でも「確率の問題」で片付けるわけにもいかないし、きちんと原因調査してよボンバルディア@カナダ!(ちなみにカナダ人のアバウトさは、お知り合いの某アメリカ人からすれば「信じられない!」そうですが)(笑)。

さてそんなわけで何とか無事?屋久島に降り立ちました。ここからはとりあえずバスで安房の民宿「華のや」さんまで向かいます。うわーさすがオンシーズンというべきか、空港経由の路線バスにたくさんの人の列!外国人のグループもいたりして、やっぱり「世界自然遺産」の売りはすごいなとあらためて自覚。その一方でバスが到着したあと、わたくしTakemaに「これは○○(地名)に行くバスですか?」と聞いてくる旅行者もいたりして、その「○○(ローカル地名)」にぱっと答えられる自分も「まだまだ覚えてるな」とエラソな気分になったわけでした。この旅行中、その油断に愕然としたわけですがこの時はまだそのことを知るよしもありません(笑)。この「油断」については今回の旅行記の途中に何度か出てきますので是非覚えていて下さいね。

 

「油断」さっそくその1(笑)。左上画像のようにバスにて移動、「交差点近くで降りて左折して歩いていけば華のやさんに着くはず」。このルート記憶はとっても正しいものでした。というわけでバスを降り「くわー暑いわ」と思いつつ数百mを歩きださんと荷物を背負ったところで、発進したバスは

安房市街地内ゆえバス停の間隔はそれほどあるはずもありません。華のやさんのすぐ近くにも別のバス停がありました。よってわれわれが徒歩で華のやさんに到着する前に、安房港を往復してきたかのバスは対向車線を嬉しそうに?通過していったのでありました。あー大失敗。バスの1区間分汗かいただけだったよ。

そして「油断その2」はこのあとすぐさまやってきたのでありました。華のやさんに近づいて行くにつれ、建物の周りの植え込みに水を撒いている男性の後ろ姿発見!「おお、あれこそJUNさんだ」と思っても不思議はないですよね。しかし後ろ姿に「こんにちは!」と声を掛けると、振り向いた方の容貌はわれわれにとって「あれ?」というものでした。さてこの時の脳内反応はいかに?
記憶の中のJUNさんとちょっと違う‥その理由として考えられるのは

1: 数年会っていなかったうちに顔つき&おでこのあたりの雰囲気が変わった=時は流れた?
2: 同じく数年会っていなかったうちにJUNさんに関するわれわれの記憶がデフォルメされていた?
3: 単なる人違い

というところですが、正解は3番。この方はJUNさんのお友達でありました。しかし何年も会っていなかったとはいえ、「この人はJUNさんではない」と一瞬のうちに断定できなかったとは情けない(笑)。そしてその直後、本物のJUNさん登場!‥と、Takemaを見たときの怪訝な顔つき。その理由として考えられるのは上記選択肢のうちどれだったんでしょうか?


(マウスオンすると答えが表示されます!)

たぶんほとんどの方が正解だったんじゃないかと思いますが(苦笑)。いやー、近年風貌もおやじワールドの一員らしくなってきたTakemaですんで(自虐)。ふーんだいいんだいいんだボクだけがアルプスに帰ればいいんだ!いいのさオジサンとお呼びっ!(もうやけっぱち)。しかしその一方でわたしゃまだ老眼じゃないのさ参ったかJUNさん!‥いや全然参ってくれるはずがないな。というわけで、自虐的に「JUNさん、時は流れたんですよ」と申し上げるしかなかったTakemaだったのでありました(笑)。頭に白い気配は増えたけれど、基本的に見た感じは全然変わらないJUNさんだったのでありました。やはり唐辛子効果なのか?(謎)。

さてでもまだ午前中なのでこのまま「三岳ロック大作戦」に突入してしまうわけにもいきません。というか、ひと口でも「魅惑の液体」を口に含んだが最後、このまま午後は徒歩圏内をうごめくしかなくなってしまいますんで(笑)。

というわけで近くにある中華料理「萬来軒」さんへ。ずっと以前ここに来たとき、こちらのご主人と某「ブーメラン」なるお店で知り合う機会があったことを思い出します。と、JUNさんによるとそのご主人は先年お亡くなりになってしまわれたのだとか(ご冥福をお祈りいたします)。そしてくだんの「ブーメラン」も今は別の店になってしまっていたし、10数年の月日をふと思った今日この頃(何のこっちゃ)。



さらに、普段からお世話になっている酒屋さんに来島のご挨拶に伺ったら、こちらの奥様も過日お亡くなりになっていたそうです。電話越しに明るい声で注文を聞いてくださっていたのに‥ちょっと力が抜けました(ご冥福をお祈りいたします)。

と、悲しい訃報の話ばかりになってしまいましたが、食事後は華のやさんの車を「特別のご厚意」によりお借りして、真夏の太陽がぎらぎらと照りつける中いざ行きましょう屋久の温泉!‥って、この暑いのに温泉かい!(笑)。

まず最初は、ここもはるか昔に一度だけ訪問したことのある「楠川温泉」へ。海から近いのにうっそうとした森の中の風情はなかなかです。宿の外観も昔のままでした。

しかし内部はちょっとリニューアルされておりました。休憩室の外側には川沿いにいすとテーブルがしつらえられていて、何だかちょっといい感じ。あ、というか館内禁煙、そこが喫煙所なのね。

で、お風呂も昔の記憶とは違ってきれいに、そして浴槽もずっと広くなったような感じです。かなり「横に長ーく」ですが(笑)。

ちなみにこちらは沸かし湯ですが湯栓をひねるとちゃんとすぐにお湯が出てきます。きっちり硫黄臭も感じられる、素性の確かなお湯であることは間違いありません。

ただでさえカンカン照りの暑い日、湯上がりの汗はもうなんというかやめられない止まらない!ペットボトルの飲み物がたちまち空になっていきます。あんまり暑いので少しでも涼を求めに?標高を上げて白谷雲水峡へ避難することにしました。
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