− その8 湯泊温泉&平内温泉久々の再訪 −



昔はこんな料金箱ってなかったよなぁ、いやもちろんきちんと払います。

今日も暑くなりそうです。いやすでに朝から暑くて、車を降りるともうそこはインド人もびっくり系灼熱の大千世界でありました。日なたにいるだけで汗がぽたぽたです。ということはもしかして、ぬるい湯泊温泉に入っていた方が汗をかかないってこと?(笑)。ちなみに昔は集落内に車を止めて急な坂を下りていったものですが、いつの間にか防波堤まで降りる立派な舗装道路ができ、さらには湯船のそばには茶屋まで出来ていてこれまたびっくりインド人。もっとも8月末の平日午前中に多くのお客は見込めないとみたのか閉店してましたが。

というわけで、おしんこどんは湯浴み着を着用の上、Kさんと3人でメインの「浜の湯」湯船にどぼんと相成りました。

それにしても随分お洒落な感じの露天風呂になっちゃったんですね。左上画像にマウスオンすると2000年12月時のコンクリ湯船画像に変わりますが、冬の夕日を浴びながらJUNさんと3人で入った日のことを思い出します。あれからもう7年経っちゃったのね。

この時は幸いなことに先客が誰もいなかったので、そのまま奥の「先の湯」へと移動します。こっちは浜湯よりもさらにぬるいので、この日に入る湯としては何より有り難かったりします。



真横はまさに海、立地条件は最高ですよね。



ちなみにすぐ脇には別の自噴湯船もあったりしますのでここを訪れる際はお忘れなく♪

かーなりゆっくりしました。と、そのうち浜の湯方面から熟年女性の団体さんが到着のご様子。どうやら見学だけではなくちゃんと入浴もなさりたいようなので、それならばというわけでこちらの湯船を明け渡すことにして着替えるに至ったというわけです。

でも何だかこのまま帰る気にはなりません。「ここに湯が湧いているということは、この周辺に湯が出ている可能性が高いのでは?」というわけで源泉探索の血がたぎったTakemaはしばし海岸を探索。このあたりの岩は斜めの断層が露出しているようで、その露頭部分には湯泊と同じ地下水が上がってきていてもおかしくないはずですしね。

で、岩場を越えて反対側に向かいいろいろと探してみますが、海中内での湧出はいざ知らず海岸沿いにはほんの僅かなしみ出しこそあれ、携帯湯船の出動はおろか(いや今回は持ってきてませんでしたが)、飲泉が精一杯(しかも「なめる」というレベル=本当にしみ出しをペロリでした)。硫黄臭はありましたが、味は試料が少なすぎてよくわかりませんでした(笑)。この探索の結果、

という結論がはっきり出てしまったわけです。うーむ残念。



足湯もあるんですが、旧湯船への湯供給量を思えばちょっと疑問符です。立派な茶屋、日陰だけはありがたかったです(笑)。

さーてこれで屋久島5湯(尾之間エリアの湯は1つと計算)のうち4湯入湯完了となれば、次はこのまま最後の一湯、平内海中温泉に行くしかありません。というわけで真夏の温泉連続行脚と相成りました。わたしら2人にとってはまぁ慣れた行動パターンですが、同行のKさんにとってはわれわれにつきあうしかないわけで、すいませんねぇ(笑)。

この画像を撮っていたら、先客の地元の方が何か叫んでおられます。何かと思って行ってみたら「写真はやめとけ」とのこと。ここは地元の方のご意見を尊重し、カメラはこれ以降封印しましたので画像はありません。

さらにこの方、入浴前の作法まで細かく指示なさいます。言われなくとも身体を洗ってから入るのは常識ではありますが、これは逆の立場からいえば「それが出来ない外来のお客」をさんざん見てきた地元の常連さんの叫びなのでしょう。実際、これまでいろいろな湯に入ってきた過程で、そういうマナーを守れない人の姿はたくさん見てきましたしね(なぜか父子の場合、お父さんが率先してそのまま入っちゃう場合が多い。そうなれば「親の背中」を見るのが子どもです。Takemaも出来るだけ注意するようにはしていますが‥)。

もっとも、カメラ禁止といい洗い方指南といい、この時のTakemaの心の中に「このおやっさん、結構うるさ型だな、迷惑に思われているのだとしたらちょっとついてないかも‥」などという思いがよぎったのも事実です。しかし、この第一印象は入浴中に大きく変わっていったのであります。

おやっさん、湯に浸かったわれわれにいろいろと話しかけてきます。写真を撮るなと言ったのは、入るでもなくずっとうろうろしながら、女性が入浴するのを待っていて遠くから写真を撮る不逞の輩が出没するようになり(ここの湯は水着禁止、ただし湯浴み着は地主さん or 地元の先客さんに許可を得ればその限りにあらず)、そのため一般の女性(地元の方含む)が全然入ら(れ)なくなってしまった現況から「せめて自分がいるときは写真を撮らせず、純粋にゆっくりこの湯を楽しんでもらいたい」という気になったという「本心」が伝わってきます。

そのうち話は第二次大戦の頃栗生の浜に特攻隊機が不時着したこと、さらには沖縄戦の太田中将の話になり「うーんこれは若者にはついていけない話かもしれん」と思いつつ、でもその辺の話については多少聞きかじったこともあるので、「それって、『沖縄県民かく戦へり』の太田中将さんですよね」と申し上げ、「太田中将の息子さんは実は自衛隊のPKOでペルシャ湾の掃海任務のトップだったんですよね」とお話しした瞬間、おやっさんの私を見る眼が変わりました(笑)。と同時にTakemaも気づいたのです。それは‥。

そのあと、気がつけばいつも私に向けて話し始めるおやっさん。今の日本には芯となる道徳心がない、日本軍の時代にはにはそれがあった等々。それについては全面肯定は出来なくとも明確に否定すべき材料はないと考えるTakemaですので「お金は絶対的な基準には成り得ないし、大局的見地に基づいた判断が今の日本人には出来なくなってきているのではなかろうか」などというような話を申し上げた記憶があります。おやっさん、Kさんやおしんこどん、さらには後から入ってきたお客さんに話を振ることはなく(「入浴の作法」には相変わらず厳しかったですが(笑))、とことんTakemaと話し込むのでありました。これはこれで疲れましたが(笑)、でもおやっさんの話相手になれてまあよかったかなと。

ちなみに、われわれの好感度アップに大きく寄与したのは「自分たちが民宿潮風さんに泊まっている」というひとことでしょうか。「あそこの息子はヒジョーにいいやつだ」とおっしゃっていましたし。敏郎さん、勝手に名前を出してごめんなさい(笑)。

というわけで長入浴のあとは栗尾方面を目指します。まずは10数年ぶりに訪問するフルーツガーデンから!
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