最終日もしっかり野湯よん♪

− 2009北海道ツーリング本編その29 某所の野湯訪問 −

いよいよ最終日となりました。空は今にも泣き出しそうに雲がどんよりと低くたれ込めていますが、とりあえず雨は降っていませんのでカッパは着ないで出発です。

占冠村中心部から道道136号線へと進みます。この区間は道東道がトマムICまで開通するのと同時に開通したのだそうで、日高町中心部を経由せずそのまま石勝樹海ロードまでつながっています。高速が占冠まで延びても、その先に遠回り区間があるというのでは使い勝手がよくない=高速利用が伸び悩むからでしょうかね。

で、ここからは隠密行動に入ります。実はこれから目指す野湯ですが、地元の篤志家が手を入れて湯船を造ったまではいいものの(その行為自体がいいとか悪いとかいう論はさておいて)、徐々に有名になってゆき、挙げ句の果てはこともあろうに道内のTVで紹介されてしまい人々が押し寄せ、そうなると私有地内だからなのか河原だから河川法に引っかかるのか、とにかく当局も「見て見ぬふり」というわけにはいかなくなりすっだもんだの騒動になっていると聞きました。ただ、このページを作っている現在では「道新」も絡んでいたのかな(そっちの方が問題を大きくしたんだろうな)と考えています(道新関連についてはこちら。ただし双方に言い分はあると思いますが)。

しかし、出発直前になってネット上に悲しい新情報が!それは2009年7月24日現在の情報だったと思いますが、

ということであり、「あぁ、ほんのチョット間に合わなかったのね」と苦い無念の情が、初めてビールを飲んだときのあの感覚とともにTakemaの脳内細胞を駆けめぐったのでありました(わかるようでわからない喩えですな)。まぁそれでも「整備された湯船はなくなっていても、源泉そのものは出続けているようなので行くだけ行ってみよう」という気持ちくらいはあったわけですが。

しかし現地の状況は刻々と変化していたのでありました。この数日前、川湯温泉でご一緒したのらさんと話をしている時にここの温泉の話になりまして、「いやぁあの野湯は残念でしたね、まさか来る直前に撤去されちゃうとは」というような話を持ちかけたところ、のらさんからは意外なお答えが。

えええーっ!どうやら「捨てる神あれば拾う神あり」、いや違った「上に政策あれば下に対策あり」というか、要は「撤去する当局」と「篤志家の執念」とのいたちごっこになっているようなのですね。というわけで2009年8月17日午前、満を持して行ってきました。何で日付を入れるかというと、ちょっとワケありで(笑)。

ここにバイクを止めてスタートです。荷物はバイクにくくりつけたままなんですが、さすがに一番持っていかれやすいタンクバッグは黄色いビニール袋にいれてくくりつけました。今だから言えますがノートPCを入れてましたから盗まれたりするとイタいので(笑)。ちなみに今回の画像&動画データも全部PCに保存してました。そういえば普通PCのような精密機械は「身に付ける=振動を極力なくす」べきなのですが、今回は3000kmちょいのツーリング中、ずっとタンクバッグの中に入れっぱなしでした。全く問題なし、素晴らしいぞPanasonic Let's note!(少々古い機種ですが)。

さて、立入禁止の柵の横には「立派な歩道」が出来ており、人気の高さがうかがわれます(笑)。しばらく坂を登っていくと別の道と合流し、そこからは平坦な道になります。

初めての訪問ですから、とにかく「沢の堰堤のすぐ下」ということしかわかりません。と、林道から沢に降りていく山道を発見!これだぁ!どんどん下っていくと、確かに堰堤が見えました!が、印刷して持ってきた画像の風景と何だか違う?(右上画像マウスオン)。

というわけでさらに林道を奥に歩いて行くと、何やら草を刈っている音が聞こえてきました。上でも書いたように、このエリアはある種の「戦闘地域」ですから、われわれのような一般旅行者でも誘拐拉致されて身代金を要求されたり、下手をすれば敵のシンパと勘違いされて遠方から狙撃射殺される可能性は否定できないのです(絶対すぐに否定できますって)。

それはともかくも、この先で草を刈っている人が役場関係の人々であれば「手前に立入禁止って書いてあったでしょ、この先へは行かれません」と言われてもおかしくないですし、また湯船作成側の人々であったとしても、「今は当局を刺激したくないので入らないで下さい」と言われてしまえばハイそれまでよ、なのであります。

しかし行ってみなければどうなるかはわかりません。かつてなぜ野湯に入るのかと聞かれた先人は「そこに野湯があるからだ」という名文句を残したといいますが(そうだっけ)、ここはわれわれも、「野湯(このゆ)に入らずんば野湯満足を得ず」の精神で行ってみましょうではありませんか!

そんなわけで進んでいくと、第一草刈り人発見!(左上画像)。「こんにちはぁ」と声を掛けると、草刈り機のエンジンを止め「いま、この先に役場の人間がたくさんいっから」と教えて下さいました。どうやらこの方が「非当局側」の人であることは確かなようですが、再び草刈り作業に戻られた以上、肝心なところはお聞きできませんでした。つまり、

これについてはよくわからないままでしたが、1だったらこの場で引き留めるジェスチャーがあっても良さそうでしたから(すぐにわれわれに背を向けて草刈りを再開したこともあって)「これは2に違いない」と一方的に確信したTakemaでした(笑)。というわけで汽笛一声出発進行!

と、そこから100mも行かないところに広場があって、そこには3-4台の車と作業服姿の5-6人の方々が。「うわ、『当局』の方々だ」と身の引き締まる思いです(うそ)。ここで茂みに身を隠して隠密行動開始!ということであれば「ジェームズTakema007」と「くの一おしんこどん」の活劇ドラマ仕立てになりそうな気もしますが(しないしない)、実際は今さらきびすを返して戻るわけにもいかないので(笑)、きわめて堂々と「この野湯をめぐるせめぎ合いなど全く知らない観光客」然としてこちらの皆様にも「こんにちは!」と元気よくご挨拶申し上げたわけです(挨拶は人と人との潤滑油だよね♪)。

でも、ここから沢に降りていく道にはさらにゲートが。しかしゲート前に立つわれわれの数m背後には例の皆さんが立っておられるわけで、「背後の視線を感じながら堂々と立入禁止の柵を乗り越える」のはさすがに気が引けます。そこで「本当にこの先で合っているのか」をいかにも確かめるように、おもむろに野湯情報のコピーを出して確かめる(ふりをする)Takemaでありました(右上画像マウスオン)。しかし、そんなTakemaの小心を笑うがごとく「そんなコトする必要ないよー」とTakemaの背中で赤トンボが休んでいたことはここだけのヒミツなのであります。

そのまま坂道を下っていくと(とがめられることもありませんでした)、その先にあったのは‥



上部から、ものすごいシュワシュワとともに源泉が流し込まれています!特に源泉投入部のシュワシュワはものすごく、まるで炭酸泉のようです(というかもともと炭酸成分が濃いのかも知れません)。源泉を口にしてみるとしっかり塩味で、これはすごいですねー。というわけで入浴開始です!





「今回のツーリング最後の野湯」

いやー、復活していた温泉をタンノーした次第です。うひょひょ♪

Wmv形式、1.62MB、41秒


というわけで、このあとはおしんこどんも「入浴」をタンノーしました。

このあと上部の広場に戻ってみるとすでに車も人の姿もなく、その代わり林道下流側のあちこちから草刈り機の音が聞こえていました。どうやら集合していた方々の目的は「湯船の再々撤去」ではなく「草刈りのため」だったようです(笑)。

というわけで歩いてきた道を戻ります。往路は一応熊の危険を考えておっかなびっくりという感じでもありましたが、これだけ草刈り機の音があちこちで響いていれば熊もビックラこいて逃げ出しているはずなので大いに安心です(他力本願)。で、車を移動していた方と少しお話しする機会に恵まれたんですが、そのお言葉は予想外のものでありました。

このエリアはもともと炭坑で大いに栄えた場所。しかしそれは同時に、「たび重なる事故によりとてつもない数の犠牲者が眠る場所」でもあるわけです。今ざっとwikipediaに載せられている事故死者数を数えてみたら「1668人」という人数になりました。この方々の多くは今なお地中深くに眠られているのでしょう。そのことを考えると「野湯だヤッホー♪」と浮かれていられる場所ではないことをあらためて自覚せずにはいられません(しみじみ懺悔&合掌)。

そういう意識を持ちながらあらためて周辺を見てみると、左上画像はボタ山か何かですね。右上画像の鉄塔はかつての送電線なのでしょう。

現在のこの地は財政再建中です(あくまで地名を書かないのは検索に引っかからないためとご理解下さい。もうみなさんおわかりでしょうが)。それは「税収に見合わないほど大規模のハコモノにお金を掛けすぎた=風呂敷を広げすぎたため」だと認識されていますが、その一方でかつてこの地域は「ある種日本で一番リッチなエリア」だったわけです。そのリッチさはもちろん「戦前は『一流国』を目指し、戦後は経済大国を目指し」一貫して工業化を目指した日本の大車輪としての資源供給に基づくものではありましたが、その一方で「朝、弁当を持って『行ってきます』と出勤し、夜、遺骨代わりの紙切れ一枚で帰ってくる」という炭鉱労働者の「明日はどうなるかわからない」心理に基づくものであったのかも知れません。

となれば、そんな炭鉱が政府の産業政策によって一方的に閉鎖を余儀なくされてしまえば‥でもこの地で生きる上での「知恵」はそうそうすぐに変わるわけでもありませんよね。これまでTakemaは「財政破綻を招くに至ったこれまでのこの公共団体の責任者は何を考えてたんだ!」と思うことも多かったんですが、この地の特殊性を考えるに(これは炭坑のあったどこの場所にも言えると思いますが)、「そんな簡単なことではないぞ」と思うようになりました。

そしてこのことはかつての炭坑地のみならず、今に至るまでの産業構造の変化全てに言えると思うのです。たとえば繊維業界の戦後の繁栄と現在の衰退はそのいい例でしょう。そして次に来るのは何か?もしかして現在日本で一番の稼ぎ頭であるあの会社だって?しかしそれだって「絶対あり得ない」とは言えませんよね、かつて繁栄を誇ったこの地のことを考えれば。

話が長くなりました。とりあえずバイクを止めた場所まで戻ってきて、いよいよフェリー港のある苫小牧に向けて一直線!‥ということにならないのは紆余曲折の歴史たるわれらが人生と同じなのであります。さーて次はどこに?と、その前に。
【この野湯の後日談】

「2009年7月24日現在で原状に強制回復させられたらしいこの野湯も、8月17日には復活していました」との情報を、旅行前情報収集でお世話になっていたサイトに書き込んだりしていたわけですが、どうやらこの復活はほんの一瞬、しかも「最後の徒花(あだばな)」として輝いただけだったようです。

というのはこの源泉はこの場所から自噴しているのではなく、この上部にある源泉小屋からの余り湯だったのだそうで(一応知ってはいましたが)、いたちごっこに業を煮やした当局は、2009年9月2日に源泉からの余り湯を止めてしまったそうなのです(「状況を鑑みてやむを得ず」だったのかもしれません)。

地域内で商業利用しているのは2号源泉で、この野湯は1号源泉の余り湯なので「とりあえずバルブを締めても問題ない」と考えたのでしょう(あまりスケールが付着しそうな泉質でもなさそうですし)。

しかしこれで、「よほどのことがない限り」ここの野湯には浸かれなくなってしまいました。何やら裏技があるとかないとかいう話もごく一部にはありますが、そんなせこいことはやめて、記憶のすみっこにとどめておきましょう。


(ちなみに上記の固有名詞は画像の一部なので検索には引っかかりません)

さ、それでは苫小牧方面に向かいましょう。まだフェリー乗船時間までのカラータイマーは「余裕で青」です!
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