− その4 天上山ハイキング(2) in 神津島 −
山頂台地はこのような配置になっています(マウスオンするとわれわれが歩いたルート画像に変わります)。
さて上記の地図をご覧になるとおわかりかと思いますが、この「文政の石積跡」のすぐそばに「千代池(せんだいいけ)」という場所があるようです。また、この池の他にも頂上台地には少なくとも3つの池があることがわかります。これらはみな火口の跡に水がたまったものだそうで、そう簡単には涸れそうにありません。何でも、この頂上台地の凹みに溜まった水は川となって流れ出すことがなく(当然)、そのため地下水となって浸透し海岸近くで湧き出ているのだとか。なるほど、だから離島なのにそれほど水に困らないというわけです。
そうそう、ここ伊豆諸島に関しては水争いの伝説があるそうです。パンフレットにはこう書かれていました。
「その昔、伊豆諸島の中心である神津島の天上山に、島々の神々が集まり会議をしました。一番大切な会議は、命の源である水をどのように分配するかでしたが、そこで次の日の朝、先着順に分けることになりました。 いよいよ朝になり、一番早く着いたのは御蔵島の神様でした。御蔵島は最も多くの配分を受け、次は新島、三番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目は大島でした。 こうして水は次々と配られ、最後に利島の神様がやってきたときには水はほとんど残っていませんでした。それを見た利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。この水が四方八方に飛び散り、神津島ではいたるところで水が湧き出るようになったと言われています。」
利島の神様って駄々っ子だったのね(笑)。しかしそのおかげで神津島は水に不自由しない島になったわけですから有り難いというのか何というのか(笑)。なるほど、考えてみれば島の名前である「神津」も「神」はもちろんですが「津」は確か「港」とか「港を介して物資や人々が集まる場所」という意味だったと思うので、そういう意味の島なのかな。
なお、調べてみたら「続日本後紀(しょくにほん後期=平安時代前期に編纂された歴史書)」には「上津島」と記載されていたようです。まぁどうでもいいか。
ちなみにその駄々っ子神のおられる利島ですが、やはりかつては水に苦労したらしく「天水をいかに集めるか」という時代が長く続いたようです。もっともやがて上水道が整備され、さらには海水の淡水化装置が設置されたためかつてのような水不足はなくなったようですね。でも「海水から造った水」っておいしくないってどこかで読んだような気がします。そうそう、神津島村のサイトを見ていたら「神津島は伊豆七島の中でも2番目に地下水が豊富」とのことです。やはり一番は御蔵島なのでしょうか?
おっと話がそれましたね、神津島頂上台地にある池の話でした。というわけで、10合目道標のあった場所からほんの少々下っていくと‥
おお、透明な水を湛える池が見えてきました!
この池が千代池(せんだいいけ)です。それにしても、池はもちろんのことですがその奥にある山のごつごつした感じを見ていると、まるで「ここはどこ?南アルプスの南部のどこか?」と錯覚してしまうほどです(Takemaだけかも知れませんが)。少なくともここが外周たった22kmの島の中だとは思えません。何だか「神々の遊ぶ高天原(たかまがはら)」といった世界ですね。このあたりは風もさほど吹かず(山肌を吹き上がった風はそのまま天空に巻き上げられてしまい台地には直接入り込まない)おだやかな気候なのか、周囲には樹木が生い茂っています。さーてそれでは池に向かって降りていきましょう。
うーん、池畔で撮った画像はイマイチですね(苦笑)。手前に「砂浜」が広がっているところをみると、増水期はもっと水量が増えて冠水してしまうということなのでしょう。で、その砂浜の一番高台部分にはピクニックテーブルが設置されておりました。ほとんど風もなく、気温もほどよく日射しも心地いいとなれば‥(右上画像マウスオン)。寝ているのはおしんこどんですが、いや自分もここで昼寝したらどんなに気持ちいいだろうなと思いましたっけ。
さて、ここから再び縦走路(というほど大げさでもないけれど)に戻って歩いて行きます。
ここが火口原の内部です。山頂エリアとは思えないなだらかな地形ですが、かつては溶岩が煮えたぎる場所だったんですよね。
そんなわけで「表砂漠」に到着です。「砂漠」というのはちょっと大げさですが、砂の粒子は細かく「どうしてこの場所に?」という感じ大。
「天上山頂上台地をサクサクと」
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そんなわけで到着した「表砂漠」ですが、このあたりでTakema&おしんこどんの「世代を感じさせる」ネタ披露が始まりました。ここ神津島は東京都に位置しますよね、そして今いるのは「表砂漠」。となればついつい‥
(お若い方々のために申しあげれば「内山田洋とクールファイブ」の大ヒット曲ですね。そういえば「長崎は今日も雨だった」もヒットしましたっけ。え、それも知らない?(そうだろうなー)
この歌が脳裡に浮かび上がったからもう大変、頭の中に完全によみがえったこの曲のメロディが機会あるごとに口をついて出るという好循環(悪循環かも)に陥ってしまいました(笑)。どんな歌かわからない方は次の検索ボックスから聞きに行って下さいませ(ちゃんと戻ってきてね)。
お互いに口ずさみながら細かな粒子の砂を踏みしめ、頂上への道を歩いていきます。すると徐々に岩がちの地形となり‥
うーん、何だか日本アルプスの稜線歩きのような風景になってきました(笑)。
振り返ると表砂漠(左上画像)、そして正面には神津島最高地点である天上山頂上が見えてきました。
何だかとても雄大な風景で、ここが離島であることがにわかには信じられなくなりますが、頂上に近づくにつれて周縁の山々の向こう側にどんどん海が広がってきました。そして頂上に到着です!
山頂の標柱は木製の立派なものですが、よく見るとそのてっぺんになにかある?(左上画像マウスオンで拡大画像に変わります)。おおー、竜がのたうちまわ華麗に舞ってますね。なお右側画像マウスオンで意味なくTakema画像に変わります。袖をまくり上げていますが、実はこの旅行中一番暖かかったのはこの日だったんです。というか、日程が進むにつれてどんどん寒くなり、帰る日は何と雪だったんでしたっけ(笑)。
四方は海、海、海。あいにくちょっと霞がかっていましたが、式根島や新島、そして別の方向に目を転じれば今なお噴煙を上げる三宅島がうっすらと見えています。とはいっても?
ちなみにうっすらすぎて写真に撮ってもほとんどわからないレベルだというのは、左上画像を見れば一目瞭然というか何というか(水平線の奥に三宅島が肉眼では見えていたんですが‥)。
また、南西方向には眼下に神津島村の集落が見えていますが‥その方向の斜面はかなり崩落が進んでいて(右上画像マウスオン)、将来的には大規模な防災工事も必要になってくる気がしないでもありません(下流部分ではすでに工事が行われている気配がありましたが)。
なお画像はありませんが、頂上直下には「不入が沢」(はいらないがさわ)という「聖地」が見えています。そこはこのページの上の方で書いた神々の水をめぐる会議が行われた場所だということで、「ババア池」方面に向かう登山道もその場所を避けるように道が付けられ、かつロープが張られて中に入れないようになっています。特に何があるようにも見えませんでしたが、よい子の皆さんはロープの中には立ち入らないようにしましょうね。
さてここからは来た道を表砂漠まで戻り、不動池と新東京百景展望地を経由する道を通って再び表砂漠に戻った上で下山しようかなという目論見だったTakemaでしたが、この予定を聞いたおしんこどんが一言。
なるほど至極もっともな意見であり拒否する理由もありません。というわけで裏砂漠展望地まで一気に足を延ばすことに。
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