レッツゴー奥会津@日帰り720km!
− 約60年ぶりに姿を現した旧共同湯を目指して −

− その2 トイレ欲求を無事乗り越えたあと、会津豪雨の爪痕を目の当たりに −

さて熱湯甲子園バトルの後は再び目的というか約束の地を目指します。が、檜枝岐方面との分岐にあたる内川の交差点付近に来てみると‥



うむぅ、片付けられてはいるけれど、これはかなりやられたようだぞ‥



道路も何箇所か片側通行。画像はありませんが河原の木々はこっぴどくなぎ倒されていました。

そうなると、この界隈の温泉はいかにというわけで、まずは古町温泉赤岩荘の現状チェックへ。よかった、無事に営業しているようです。で、ここで湯に入っておけばよかったのですが「まぁいいか次回で」というわけでスルー。その勢いでパナの湯もこれまたスルーしたわけですが、このあたりからTakemaの体調に大いなる変化の徴候が現れ始めました。それをあえて擬音で表すならば‥

何ということでしょう、「と、ト、トイレ緊急ピットイン指令!」がTakemaの明晰なる頭脳のインフラ管理部門から発令されたのであります!

しかしここが北海道であれば、走っているうちに「立派なトイレこちら」なんて看板が出てくるのでありますが、いかんせんここは奥会津、しかも先ほどから山越えの峠道R401入りしちゃったもんで、そう都合よくトイレなどあるはずもありません。そうしているうちにも、徐々に迫り来る「禁断の予感」、うっはぁどうする?(冷汗)。

「嵐の予感」を半ば現実のものとして受け止め、奥会津の大自然にマーキングを残すべきなのか、いやしかしTakema47才、大人としての矜持というか面子というかプライドを守るべく「どこに存在するかわからない公衆トイレ」との出逢いを待つべきなのか?そんな無間地獄の中「何なんだよこの国道、峠越えの林道をただ舗装しただけだろ!」という感じの道をひたすら運転するTakemaだったのであります(大汗)。

時折「熱い感覚」がアタマのてっぺんからつま先までを走り抜けますが、トイレはおろか人家すらない峠道、くっそーもうダメか?(掛詞)。しかしようやく峠道から集落まで降りてきました。でも民家に駆け込んで「スミマセン、トイレ貸してください」と言うが早いかピリパラプー♪というのはやはり人としてあってはならない生きざまのような気がします(苦笑=ホントに苦しい)。よってさらに直進!と、その時、Takemaの脳裡によぎった1つの記憶、それは‥

しかしその施設がR400との合流点からどれほど離れていたのかどうかは不明です。いやナビで検索すればすぐにわかるのですが、もはや精神と肉体の限界にさしかかっているTakemaには、車を止めて検索する余裕がありません。とにかく突き進むしかないのであります!

そんなわけでR400と合流する交差点へ。ん?記憶にある郵便局だぞ(その昔ここのATMでお金を出し入れした記憶あり)、そしてその視界の先には‥





くねくね峠道の先には「シアワセ桃源郷」が待っていてくれたのであります!もちろん撮影は「コトを成したあと」のものです(大笑)。

そんなわけで「本日最大の危機」を脱したTakemaは、それまでとは全く違うゆったりした気持ちでハンドルを握るのでありました(安堵)。昭和温泉はどうしようかなと思いましたがそのまま通過し、次に目指したのはこちら!

「玉梨とうふ茶屋」。この界隈に来るときは必ず立ち寄っている店で、もちろんこの界隈では有数の観光立ち寄りスポットです。で、ここで買うのはいつも豆腐ではなくて‥(右上画像マウスオン)、そう、おからドーナツなのであります。今回はおしんこどんへのお土産で5個購入いたしました。

ちなみにそのすぐ脇の田んぼではまさに稲刈りの真っ最中だったので、しばし見学させてもらうことに。



いよいよ収穫の始まった2011福島県産米。もちろん検査等はしっかり行われると思いますが、それよりもやはり気になるのは風評による売れ行きの不振です。日々食べるものとして消費者の判断も敏感にならざるを得ないと思います。

先日、TVコマーシャルでいわき市の農産物コマーシャルを目にしました。「きっちり調べて、おいしいものを」がそのコンセプトであったように記憶していますが、やはり腰を引かずに「出るところは出る」ことが大切なのでしょう。既存の流通経路での売れ行きが芳しくないならネットで、JA等の団体経由が難しいなら今年は例外的に個人や小規模な農業集団による販売を認めてもいいでしょう。とにかく「出来そうなことを全てする」ことが大切です。

今わが家にあるお米はたぶん全て福島米です。もっともまだ2010年産米なのですが、わたしはこれからも福島米を買い続けますよ。でも、だからこそきちんと検査&トレーサビリティの確保をしっかりとして欲しいところです。「しょうがないから他県産米とブレンドしちゃえ」というような安直なやり方だけは勘弁です。これからのためにも‥。



キミたちをこれからもしっかり食べていきたいと思うのであります。

さてそんなわけで玉梨&八町の共同湯を通過。立ち寄りたいのは山々なんですが「所期の目的」を達成するためには涙を飲まねばならぬことだってあるのですよそれが人生ってぇもんなのですよ、わかるな、なぁ酒よ、ということなのです。あ、そういえば民宿文伍への取り付け道路(急坂部分)は重機を入れての工事が行われておりました(ご報告まで)。

そんなわけで会津川口へ。ここからはR252を西に向かいます。道路は特に走行に支障なし、まずは快調に‥ん?いま1台車が止まってたぞ、んでもって何か見ていたぞ?そんなわけでこちらも車を止めて只見川の方をよーく見てみると‥



只見線第五橋梁‥。しかし、これは会津豪雨によってもたらされた被害の「たった1つ」に過ぎませんでした。このあと、国道を走るだけでも痛々しい姿を至るところで目にすることになったのです。

そもそも、この鉄橋のある場所の只見川は本来ダム湖であるはず。しかし、豪雨により上流の田子倉ダム(管理:Jパワー)の湛水が危険水位に達したため緊急放流、下流の本名、上田、宮下の各ダム(管理:東北電力)はずっと小規模なダムであり、そのままでは持ちこたえられるはずもなく、やむなく水門を開けて緊急放流。その結果、圧倒的に増水した只見川(水位上昇=10m以上)はその姿を大きく変え、川津波となって橋や建物を飲み込んでいったようなのです。



本名ダム。昭和20年代に建造された発電用ダムですから、そもそも治水の役には立たなかったのですね。



本名ダムの湛水側。水門は今も全開ですが、ダム本体もかなり痛めつけられているようです。



こちらは同ダム下流側。只見線の第六橋梁は‥嗚呼。復旧はいったいいつ‥(両画像ともマウスオンで拡大)。

もう少し上流に移動してみると‥今度は道路橋にも被害が及んでいました。



ん?何だか道があったように見えますが‥下を見るとびっくり、橋梁がそのまま落ちちゃってます(右上画像マウスオン)。



こちらはR252(会津横田付近)、国道橋が跡形もなくなってます。幸いなことに迂回可能な別の橋があり集落の孤立はありません。

予想外にひどい被害であることはもちろんですが、不思議なほどに気になったのは、豪雨災害後すでに2ヶ月が過ぎているというのに本格復旧の槌音がほとんど聞こえてこなかったということ。もちろん現在の状況にまで復旧させるまでにもかなりの困難な作業があったと思いますが、今年はこのまま雪のの季節を迎えるということになりそうで‥大丈夫なのか?

さらに迂回路を進んでいくと、別の橋上からはまたも只見線の落橋を目にしてしまいました(第七橋梁)。



もうこうなると、只見線の復旧は不可能なようにも思えてしまいます‥が、必ず復旧させてくださいJR東日本さん!

災害後2ヶ月で、ススキはすっかり線路を覆い尽くしていました。こんな自分がいま少しでもすぐに地域にお金を落とすには‥そうだ!というわけでタバコ1カートンを町内のお店で購入!(ついでに飲み物とかも買いました)。

なお、このエリアの被害状況については、地元の佐久間建設さんのサイト内に「只見川大洪水の記録2011」というPDFファイルへのリンクがあります。リアルタイムで撮影された多くの画像があり、かなり参考になります。ただしリンク先ファイルが37MBと大きいので、スペックが低いPCその他だとダウンロードに苦しむと思いますが(笑)。

さて、このあとはいざ「本日の目的地」へ行ってみましょう!
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