− 東日本大震災後のお出かけPart2(1) 猿ヶ京、沢渡経由で妙高温泉−

(2011年4月23・24日)

このお出かけ話はいきなり降って湧き出てきました。週の初めごろTakema母と話をしていたらふと世間の「何でも自粛ムード」の話になり、やり過ぎはイカンよね云々系の話をしていたところ母がこう言うのです。

その一刹那の後です。Takemaの中に何やら瞬間的にある思いが怒涛の勢いで湧き上がりました!(いつもの通り結構単純に決断しちゃうのね)。

しかし、おしんこどんに提案してみたら「土曜日は外せない用事がある」とのこと。あちゃまー残念‥と一瞬思ったあと、「ならば母を誘えばいいじゃないか、親族絡みなんだし」という別案が頭に浮かびました。改めて提案してみると「OK、行こう」とのことで参加確定。そのことを叔父に電話すると喜んでくれたのでまずはよしよし。さらにその後、新たに伯母も参加希望ということがわかり、今回は3人でおじゃますることになった次第です。

次にその「温泉宿」についてネットで下調べです。妙高ということで「燕かな関かな赤倉かな‥?」というあたりを想像していたのですが、そうではなく妙高市市内中心部のその名も「妙高温泉」にある「石田館」さんがそのお宿でありました。市街地内の湯には浸かったことがなかったのでこれはシメシメ1湯増えるぞ(笑)。

ちなみに源泉は南地獄谷にあり8kmほどの距離を引き湯しているそうですが、他の宿は知りませんが少なくとも石田館さんは完全かけ流しの湯使いだということでこれまたサイコーであります!すぐ近くには共同湯もあるようですがたぶん行きそうにないなと事前想像、予想通り足を延ばすことはありませんでしたっけ(朝の散歩で目の前は通りましたが)。

次に往復のルート選択です。間違っても「高速1本で一気に妙高高原まで直行」するつもりなどないのですが、どうやって行こう‥。と、ここでまたもTakemaの明晰かつお節介な思いつきが頭をもたげました!

栄村の公式ウェブサイトの中でも、このページなどを見るとかなりのダメージの様子が見てとれます。義援金拠出はもちろんのこと、せっかく行くのであればすでに営業を再開している道の駅で地元産品を購入し、とにかく村でお金を遣ってこなければ!

というわけで往路はクネクネ道をうろうろしながら現地着とし、帰路は栄村経由で一気に帰着という計画を立てた次第です。なお、今回は母ばかりでなく伯母も参加というわけで立ち寄り湯は往復とも各1湯に絞りました。だから今回の旅行は「湯めぐり」というほどではありませんのでご了承下さい(笑)。

さて、目的地が妙高高原なのに、Takemaが運転する車はなぜか関越道の月夜野ICを下りて一般道へ。実は来月、再び母を連れて猿ヶ京の某所を訪問する予定なのでその下見を兼ねてというのと、せっかくなら2年前を最後に利用が出来なくなった「旧Takemaオフキャンプ会場」の現状を見てみたいと思ったのです。

さてあの懐かしい場所は今頃?何でも「ビオトープエリアにする云々」ということでしたが?

あれー、全然変わってません。雨天時に重宝した(つまり毎回重宝した)あづまやはもちろんのこと、テントを張った芝生広場も水場も全くそのまま。ただし左上画像の通りキャンプのみならずバーベキュー(日帰り)すらも禁止されてしまっているようですね。ではせっかくのこの広場をどのように利用すればいいのでしょう?モッタイナイ‥。

ちなみにビオトープ事業の一環として「ホタルの里大作戦」が隅っこの方でちみっと実行されているようなのは確かです。でもねぇ、あまりにも非有効的な土地利用状況じゃないですかねぇ‥?まぁこのような方針で進んでいる以上部外者のわれわれが何を言えるわけでもありません。しかしやっぱりモッタイナイぞ。

時間的にはまだまだお昼にほど遠いのですが(10:30AM)、3人とも朝ごはんをほとんど食べていなかったこともありそのまま姉山の家でお昼ご飯ということに。ついでに山から引いた水をポリタン10リットル*2に汲み入れたことは言うまでもないことです(右下画像マウスオン)。

このあとは県道53号で大道峠を越えて中之条へ進むと思いきや、途中から農免農道経由のショートカットで県道55号へ。要は国道145号線(吾妻線と平行に走る国道)が面白味のない道なのでそっちに出たくなかったというわけです。でもそのかわりずーっとクネクネ道が続くわけなんですが、幸い母・伯母とも車酔いをすることもなく元気いっぱい。で、「ちょっと待っててね」というわけで沢渡温泉の共同湯へ。

この道(県道55号)はこれまで何度も通ってきたのですが、なぜか1度も立ち寄ったことのなかった旧道沿いの沢渡(さわたり)温泉。あれまーピカピカでお洒落な外観にビックリです。お湯もしっかり熱めで身体がビシっと締まる感じ。石膏臭と微硫黄臭のする湯をタンノーしたわけですが、「あとお1人だけのお客さんが身体を拭き始めたタイミングで次のお客さんが入って来られた」ので浴室画像はなしです。まぁネット上にたくさん出ていると思いますので‥。

湯上がり後「草津行く?」と同乗2人に聞いたら伯母が「あんな臭いところにわざわざ行かないでいい」(笑)というのでパス。今日は湯めぐりじゃないって言ったでしょ(笑)。そんなわけで次に目指した場所はといえば‥



オープンは5月からなのでまだ閉鎖されているのですが、それでもGWに向けて準備作業でもなさっていないか、どなたかがおられたら5/28.29の予約を直接してしまおうという目論見だったのですが(実はこのキャンプ場の予約関係についてはゆんさん担当=地元人脈が濃い、なのです。しかしこの日の数日前にゆんさんから「まだ連絡が付きませーん」というメールがあったので「ならば寄り道して直接!」と考えたわけです)、この日は冷たい雨の降るあいにくの天気でどなたもおられませんでした。残念無念。

でも、キャンプ場敷地内の外周道路(未舗装)にはつい最近小型のブルが入った形跡がはっきりと残されており、「もうすぐ営業する気満々」なのは明らかです。よーしよし、だってもうこれ以上「キャンプ流浪の民」にはなりたくないのです(笑)。



到着後Takemaがすぐに浴室を撮影しに行ったのはここだけのヒミツです。時間が早かったので浴槽部にはカバーが。

ここからはお話は一気に妙高へ(いきなり飛ぶなー)。ほんの僅か小雨が降っていましたが、母と伯母は夕食前に出かける気満々。というのも‥

Takemaやおしんこどんにしてみれば毎年のGWにいやというほど見るフキノトウですが、母や伯母にとっては「滅多にない大収穫のチャンス(しかも無料)」。道の脇にフキノトウが(もうすっかり花が咲いた状態で)出ていると「あーっ!あそこにあるある!」。この辺のは塩カルまみれだからダメだと言っても、今度は明らかに私有地内のエリアを見て「あー、あそこあそこスゴイよ!何で採らないのモッタイナイ!」と、まるで「鉄格子(という名の車内)の向こう側にエサを見せつけられた動物園の動物たち」をホーフツとさせるコーフン状態というかはしゃぎようでありました(親や伯母に対して何という失礼な比喩!‥いや、でもまさに「最適な比喩」だったのでお許しを(大笑))。

とりあえずメインストリートから少し離れたエリアによさそうな場所を見つけたので、車を止めて「檻を開放」いたしました(笑)。その頃には雨も「結構本降り」になっていたのですが、もちろん動じるどころか「皇国の興亡この一戦にあり!」という断固たる決意とともに喜び勇んで「戦場」へと向かったお2人でありました(笑)。

もちろんTakemaもお付き合い的に採りましたよ。でも自分は「上物」しか採りません。で、自分が採ったあとそのエリアに母が来てさらに採取、時にはそのあとさらに伯母が来て「最後の採取」。というわけで気がつけば‥

という「げに恐るべき世界」、完全無敵唯一無双、「やつらが通ったあとにはペンペン草も生えないさ‥」レベルの徹底的な植民地系収奪が行われたというわけであります(大笑)。ここで左上画像にマウスオンしてもらうとわかりますが、もはや浅緑色のフキノトウの新芽が全く見えないことがわかります。恐るべし昭和ヒトケタ世代。

戻ってきた後はもちろん石田館さんのお風呂へザブンなのでありますが、土曜日の夕食前、一番混む時間にもかかわらず先客はなし。うーむ「自粛の爪痕」はいまだにかなりのものだと実感。東日本大震災のみならずこのエリアでは「長野の地震」のイメージも抱き合わせていますから余計に大変なのかと‥。



もちろん温泉自体には何らの影響もなかったそうです。ただしこの時期は湯温も低めです(ぬる湯というほどではない)。



ご覧の通りの無色透明湯、僅かに消しゴムカス状の黒湯花あり、エグ味もないさっぱり源泉です。



中庭の露天湯は湯温低下時期の関係で休止中。内湯の男湯と女湯は全然別の場所にあります。

ちなみにこちらの源泉については翌日詳しく説明を受けましたので説明は次ページに回します。さてお風呂上がりにはいよいよ夕食です。少食人種ゆえ普段なら「一番安い食事付き」で泊まるはずですが、今回は親族の集まりというわけで15人ちょいでの個室大宴会となれば‥




(しかもスタート後ずんずん追加おかずがセットされたことは言うまでもありません)

しかもこれだけの人数というわけでほぼ「飲み放題の昭和系阿鼻叫喚モード」であったことは言を待つに及びません。いやーハイピッチで飲んだぁ(笑)。でも「ハイピッチで飲んだ上でさっさと飲ん方終了!」ということもあり二日酔いとは全く縁がありませんでした。22:00過ぎに再びお風呂に行った上でゆっくり眠りましたとさ。


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