− その2 徐々に生活の営みを感じつつ小名浜、そして浜通り最南部の温泉経由で帰宅 −

(2011年6月13&15日 その2)

久之浜漁港はR6から離れた場所にあるのですが分岐を曲がり忘れ、まぁしょうがないかということでそのまま南下するとR6自体が太平洋側を走るようになります。四倉漁港の信号を左折してすぐの漁港へ。

あちゃー、今も打ちあげられた漁船がそのままです。画像には写っていませんが漁港内には今もなお沈船が舳先だけをのぞかせながら沈んでいましたし、両画像をご覧いただければわかるとおり岸壁自体がかなり沈降しています。右上画像の奥に見えている家々はもはや住居としての役を果たせぬほどに崩壊していますし、この先すぐのところにある「道の駅四倉港」は母屋こそあるもののその周辺は見事なまでに津波の襲撃を受け完全に使いものにならない状況でした。このあたりはグーグルマップの写真モードを見てもらった方がいいでしょう。このあとは海岸沿いの県道382を南下したわけですが‥



完全に瓦礫と化したエリアもあれば、1Fが浸水した結果使えなくなった大型ゴミを出しているエリアも。

阪神淡路大震災の時、ひどい被害を受けた長田区界隈から何駅か先には「普通の暮らしがあった」というような話を聞いていましたが、今回の津波についてもまさにほんの僅かな差での「天国と地獄」を目にしました。しかも津波のみならず原発爆発直後「目に見えない恐怖」に怯えながら日々は心も身体もすり減るだけすり減った生活であったでしょうし。この界隈の方々がほぼ全て避難なさっておられるようであるのも宜なるかなであり、もし住み続けておられても買い出しもろくに出来ないのが現状なのです(6/13現在の見た限りで)。

さて、ここからは美空ひばりの歌でも有名な(若い人は知らんでしょうが知らんでOKなのでスルーしてね)塩屋崎を目指すわけですが、海岸沿いを走る県道は夏井川に架かる橋界隈がダメダメで大きく迂回を余儀なくされました。ま、それくらいならいいのですが‥




(両画像に写っている家々はすでに津波でボロボロです。右上画像に写っている白い車も実はタイヤがありません)。

そんなわけで塩屋崎訪問を諦め地名でいえば「永崎」あたりまで下ってきました。このあたりも海岸沿いの家々の被害はすごいです。でもですね!いわき市街へ向かう途中‥

鯉のぼりとセットで上げられる吹き流しには陰陽五行説からくる魔よけの意味が込められているといいます(だから5色)。この吹き流しを掲げた人は当然被災者の方だと思うのですが、いったいどんな気持ちでこの吹き流しをあげたことでしょう。はっきりとはわかりませんが、少なくとも「もう一度立ち上がるぞ」の思いを込めたことに間違いはないでしょう。そう福島の、そして東北被災地の方々は明日を見据えてもう動き出しています!だからこそわれわれも長きにわたる「お手伝い」をさせてもらわなければ!

もっとも、そうこうしているうちにすっかりお腹が空きました(笑)。ここはいわき小名浜、ということは海の幸!もっともまだ小名浜港に地魚の水揚げなどはないと思われますが、どこかで仮営業でもなさっている食堂さんは‥おーっ、あった!



左側の看板に「がんばって!やってます」とあるのが嬉しいじゃありませんか!

見える範囲では営業していたのはこちらの1軒だけ(他にもあったのかも知れませんが未確認)。となれば選択の余地はありませんし、やったー望み通り海鮮ランチが食べられるぞ♪

しかし魚市場近くのこの界隈も当然のように津波の直撃を受けており、周辺の食堂はようやく瓦礫の撤去が終わった程度ですし、ある種このお店が再開店にこぎつけたのも奇跡的といえるのかも知れません。だって‥



すぐ前の交差点の信号はまだ消灯したままでしたし、そもそもお隣のテントなどはまだ倒れたままだったのですから!

さーて何にしようかなー、定食も11品ありましたし(左上画像マウスオン)、単品でもいろいろと頼めるようで壁には「今日のオススメ」が書かれておりました。というわけで珍しく「ウニイクラ丼(1700円)」を注文。やがて出てきた定食はといえば‥




(「ウニの面積がやや小さいのでは?」とか、細かなことはこの際言いっこなしね)

ばくばくわしわしといただいたことは言うまでもありません。普通はこれだけ食べると眠くなっちゃうんですがこの日に限ってはそんなこともなかったなー。ごちそうさまっ!ちなみにお店で働く方々は年配の方々がほとんどでした(というか全員だったかも)。年配パワーに恐れ入った次第です。

さてお腹が満ちると、いわき界隈の鉱泉宿を今日も1つくらいは新規開拓しなければという前向きバリバリの気持ちになってきました(笑)。えーっとここから近いのはと‥地図上のメモを見ると「地切温泉」が未湯の中では一番近そうということでそこに決定!車で10分くらいでしたかね。

坂を上って新興住宅街へ。こんなところにあるのかなとも思いますが看板がところどころにありますから間違いありません。ちなみに海沿いにあったこの宿の看板が瓦礫の山の中に埋もれていたのを見つけたことも申し添えます。

新興住宅街の一番奥まで来たところでようやく入口の看板発見。ここからは「え、ええっ?」という感じで道は一気に谷に向けて下っていくのでありました。

到着してみると思いもかけず立派な建物であることにビックリ。どうやら数年前にオーナーが変わって、今は(原発の事故前から)主に作業員さん御用達の宿泊施設になっているようですが、一方で日帰り入浴も積極的に受け入れているようです(500円)。右上画像にマウスオンすると「歓迎 日帰り温泉」画像に変わります。

建物に入るとセンサーで大きな音楽が流れます。あのー、もうちょっと控えめでも(笑)。それはともかくとして、ここの室内犬があまりに人なつこいので思わずパチリ。



しばらくこの姿勢のまま動きませんでした(笑)。

さて右上画像についての説明です。実は住宅街の中(正確には「住宅街を通り抜けた先」)にあることもあり案外歴史的には浅い鉱泉なのかなと思っていたのですがさにあらず。実はこの感謝状は戦時中ここに疎開なさった方々からのものだったのです。ということは明らかに戦前から存在した宿であるということで驚きました。

入浴料をお支払いすると「地切入浴カード」を下さいました。「5回入ると6回目は無料」というのは結構太っ腹というかありがたいですね。泉質はアルカリ泉ということですが、だったらPHの測定値は是非書いておいてほしいところだと思うのはわたしだけでしょうか(笑)。「最大特長」は「のぼせず温まる」、ええっと、いまだかつて「のぼせた」ことのないTakemaとしてはその特長は関係なし、残りは「温まる」かぁ、それはかなりの回数で体験しているような気が(笑)。

さていざ入浴です。実はTakemaの約1分前にお金を支払われた男性がおり、「こりゃ貸し切りはないな」とあきらめていたのですが、何とその方、お風呂前にトイレタイムとなったらしく(しかも時間的に小ではないヤツ)、Takemaがあとからやってきたところ何とまだ脱衣場にはおられません。というわけで猛ダーッシュで浴室写真撮影です!このあとすぐに追いついて来られたので画像は3枚だけでしたがよかったヨカッタ。

浴槽はそこそこ大きい幅広で(右上画像マウスオン)、左奥の岩の上方から滝状に流し込まれています。ご覧の通りの無色透明湯であり、また循環湯でもありますが‥。何だか浴感がうまく表現できないぞ。ツルヌル感は特に感じずかえってサラリ系かも。循環湯によくある塩素臭こそ感じませんでしたが感じたのはいわゆる「温泉臭」、つまりは識別不能、特徴をあまり感じぬ湯でありました。あぁ、わたしももっと勉強しなければ!(心にもないことをつい言ってみたりしただけですので念のため)。

さてここからはR6バイパス経由でいわき市街をパスして茨城県境方面へと向かいます。

左上画像は勿来の火力発電所(休止中)。ここでは次世代の石炭火力発電の実証実験もしていたということで、是非とも早い時期での再稼働を願うところです。で、さーてやってきました個人営業というか振る舞い湯の拡大バージョンという感じのこちらの湯!



こちらには数年前におじゃましたことがあるんですが?前にはなかったこのヨシズ囲いは何?



脱衣場の風情は以前と同じ、料金箱に所定の100円を投入です。左右それぞれに時計があるのが親切。

さて例のお風呂はといえば‥




(ただしこのプラケース、以前とは違う新しいものに交換されていると思われますが)

しかし、上画像にもちらりと見えているモノ、それは‥もうすでに「『ヨシズ』でポポポポーン♪」となっている方も多いと思いますが、そう、いうまでもなく、

ご覧の通り露天風呂も同じサイズの生け簀を使っております。よってこれまでの倍の人数が快適に入浴できるというわけですよ。もちろんこれは「訪問客数の増加に伴い」というよりも「所有者であるご主人の趣味」によるところが多いのではないかと推察いたしますが‥(笑)。

しかも入浴後にご主人にお伺いすると「この週末からオープンしたんだよ」ということで、まさに出来たてホヤホヤだったわけですね。これはラッキー!(ちなみにこの日は月曜日でした)。



こちらは既存の内風呂。相変わらず強食塩泉がどんどん投入されてます(左上画像マウスオンで拡大)。



こちらが露天風呂。展望は一切ありませんがやはり一定の開放感はあります。湯気もこもりませんしね。

【内風呂&露天風呂をそれぞれザバーっと楽しみます】

それにしても最後の「唸り」は何なんだ?(大笑)。
このあとは一気に常磐道で帰宅と相成りました。平日だから空いてたっ!

そしてこの2日後、今度は同じ福島県内にて「収奪の喜び」にうち震えたTakemaだったのでありました。そんなわけでそのまま2日後へと続きます。

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