祈東北復興!で東北を目指したつもりが、気がつけば北の大地も巻き込んでいつもの湯めぐりに(笑)。

− その7 奥尻到着、まずは島の北部をちょこっとうろうろ、そして海幸づくしの夕ご飯っ!−

夕食までにはまだ間があるので、とりあえず最北部の稲穂岬にある賽の河原公園キャンプ場に行ってみることにしました。実は割引キャンペーンを知る前までは「うーんキャンプすれば滞在費をぐっと安く抑えられるぞ(利用料金は無料)」と考えていたのでありますよ。そんなわけで海沿いの県道を北上。



途中、おしんこどんは海を見つめて何思う?いや、ウミウを見ていただけです(右上画像マウスオンで拡大)。

ちなみに賽の河原へと向かう道道はところどころ工事をしておりまして、見ると「結構な規模の壁面工事」です。ここしか道路を通せないが故の苦肉の策で、このコンクリート補強壁はせたなから奥尻に向かうフェリーから見える「最初の人工構造物」でもあります。

と、沖合に白い大型客船発見!沖合には太陽が出ていて、白い船体がきれいに照らされています。というわけでぐぐっとズームしてみると‥おお、新潟へと向かう新日本海フェリーですね(右上画像マウスオン)。船に乗っているみなさーん、もうお帰りなんですねー!わたしらは‥(性格悪)。

そんなわけで賽の河原分岐からは細道を進みます。ちなみに岬のほうは標高が低くなっており、灯台は津波を避けるために手前の高台に設置されています。そしてその細道の先には駐車場と売店兼食堂があるのですが‥

展望のめっぽういい場所ではあるんですが、それは「荒れたら悲惨」と同義語でもあるわけですし、もうこの時間以降に島に来るフェリーはありませんから、この日のキャンパーはゼロなのでしょう。空いているのはいいですが何だか「夏の終わりを感じさせる寂しさ」がじわじわと伝わってきます。

ちなみに売店は開店休業モードながらオープンしており、生け簀には‥

と思いましたが、もうすぐ夕ごはんなので涙をのんでパス。ここからは島の北西海岸沿いを進むことになりますが、まずは何だかこぎれいな住宅が建ち並ぶ稲穂集落を通っていきます。なぜ小ぎれいなのか?それはやはり1993年7月12日に奥尻島を襲った「大津波」と大いに関係があります。

東日本大震災からさかのぼること約18年、夏の夜を揺るがせた「北海道南西沖地震(M7.8)」。震源が近かったこともあり地震発生から5分後には大津波の襲来を受けた奥尻島は大被害を受けました。特に最南部の青苗地区は火災にも見舞われ、ほぼ壊滅的な被害を受けたというのは覚えておられる方も多いことでしょう。そしてこの稲穂地区には8.5m、初松前地区には16.8mもの津波が押し寄せたといいます。

この稲穂地区の家々はおそらくすべてが震災後に建て替えられたものでしょう。つまりは「少なくとも見かけ上の復興を果たした」のがこの姿ということになります。東日本大震災と規模こそ違え、この地区は震災後様々の困難を乗り越えて今の姿を見せていたのでありました(画像は1枚もありませんが)。

さて、稲穂地区から先、海岸沿いの道は何と未舗装になります!もっともさして長い区間ではありませんし、またTakemaのブラックバードでも通れそうな整備された路面ではありますが、島の周回路にまだ未舗装部分が残っているというのはちょっと驚きです。ま、震災後に「限られた予算を必要箇所に優先的に投入した」結果なのだろうと思います。東西の海岸はこの道以外に山越えのしっかりした舗装路があるので、生活道路ではないとおぼしきこの区間が未舗装なのは納得。



ダート路は奥尻の森を貫きます。一見すると離島の道とは思えませんが、急カーブもあるし観光客の車が突っ込んでくることもあるので注意。

さて、上記の舗装路に出たので宿のある宮津へと戻りましょう(そろそろ夕ご飯タイムも近づいてきたし)。と、しかし、何やら山の上の展望台があるみたい?ならば行かなきゃ!というわけで煙とナントカよろしく車道終点から登って行きます!



この階段を上った先にはシアワセが待っているのか?となれば!(おしんこどん、階段を駆け足で登り始めた画像は右上マウスオン)。

そして登り付いたその先には‥うーむ、たしかにここは運動量的には安直だけれどもとってもパラダイス!という頂上が待っていてくれました!




(いや、でも実際に登ったのは標高差にしてほんの20mくらいなんですが(苦笑))。

頂上からは眼下に奥尻の東側集落(の一部)が見下ろせ、そしてその向こうには北海道本土が見えています。視線をさらに南西方向に移せば航空自衛隊の管制部がある神威山(本当の奥尻山最高峰ですが一般者立入禁止なのはあたりまえ)が見えています。この時間になると雲もだいぶ薄くなってきたので日射しもうっすらとさしてきました。おとう、やはりこっちに来れば良かったのに(笑)。

そんなわけでわれわれ夫婦それぞれの「喜びの舞い」をご覧下さい(笑)。



われわれ夫婦それぞれが「大地と空のつなぎびと」を精いっぱい演じております(うそつけ)。

さーてそのあとは、舞い人の特権というかお浄めというか奉納というか前世からの御利益(ごりやく)というか(たぶんどれでもないですが)、お宿に戻っての夕食でーす!




(ウニもアワビもツブもヘラガニもイカもエビもホヤカレイもお刺身も!)

いやースバラシイですねー。実はこの日のお宿料金は「1諭吉+ワンコイン」という、今回の旅行中一番高いお値段だったのですが、でも考えてみてくださいこれと同等レベルのお食事を出す伊豆半島あたりの宿があるとして、その宿泊料金はいったいどうなります?せっかく奥尻まで来たのなら、ここでキャンプでレトルトカレーごはんというのはあまりにもナニであると考えてしまうのはTakemaのゼータク病なのでしょうか?

「うまいもんのあるところではやっぱりうまいもんを食すのが旅の醍醐味である」と、かの魯山人もたぶんおっしゃっていたわけで(そうか?そうなのか?)、節制ばかりが普遍的な旅のあるべき姿では毛頭ないのであります!やはり「やるところではきっちりヤルよ」というのがいわば男の醍醐味、一流旅人のあるべき姿なのですから!(なぜか旅人に「一流二流」のランクを付けてまで己の行為を正当化しましたね。1泊2食付き10500円/人の宿泊にここまで大義名分を盛りまくったのは初めてですわ(自虐))。

さてそんなわけで、この日のお料理をぐるぐるぐるっと並べてみましょう。だって美味しかったんだもん♪
はいはーい、まずはウニとアワビの競演です。生ウニをアワビ貝に盛り、アワビと同じ皿に載せて出すというという、Takemaも初めて見た盛り方です(笑)。もちろん水質のいいここ奥尻で採れたこれらがまずいはずはありません。しかし怒涛の夕食おかず品目を前にしては、ウニやアワビといえど所詮「one of おかず」に過ぎませんでした。もずく、メカブ、ツブ貝、ナマコ、そして行者ニンニクその他、そしてさらにこの他にもメイン料理があるのですからね。 
続いても海鮮軍団さまのお通りだーい!ヘラガニは地元で水揚げされるカニで、たしかにここでタラバの足を出されたらちょっとガックシ。ちなみに大きければいいというものではなく、手に乗るくらいが一番おいしいのだとか。お刺身は説明されましたがまぁともかくとして略(苦笑)。で、びっくらこいたのが右上画像のカレイの唐揚げ。画像では小さく見えますが実はこの日の夕食で一番大きいお皿で、出されたときにはどうしようかと思いました(大笑)。でもやや薄めの甘辛タレが絶品でもちろん完食!おしんこどんは骨も皮も一切残さずで、宿の方に「すごいですね」とほめられてました(笑)。
これら料理の脇ではイカ野菜がぐつぐつと鍋の中で蒸し焼かれておりました。確か前日のお昼にもイカを1人1パイ焼いていた記憶がありますが、やはりうまいもんはうまい!でもこの時点で翌日のお昼ごはんとして考えていた「青苗丼(いかどんぶり)」は射程範囲外に去ったのでありました。というかこの翌朝も当然イカだったし(これは予想通り)。そしてさらに仕上げに出てきたのが雲丹(うに)鍋!ウニとワカメと島野菜のコラボって‥もう食べられません!それぞれ一口でギブアップ(右上画像マウスオン)、翌朝の雑炊にしてもらうことでお許しいただきました(笑)。
さてこれだけの海幸を目の前にしては、ノドのほうも中途半端な液体分では満足してくれません。



いや確かに最初は生ビールから始めましたが、続いては当然日本酒と進むのが常道であるわけですよ。



表面張力限界系で注がれたお酒はまずはこうして飲むのが正しい姿。これを下品だと評価する国になったら日本脱出だ(笑)。



そんなわけでお酒(北斗市=函館のお隣の地酒)も、ウニ鍋を除く全ての料理も完食しましたぁ!ごはんも食べたのに満腹指数は不思議とそこそこ。

そんなわけで奥尻の夜はしっかり更けていくのでありました。そうそう、こちらのお宿(旅の宿大須田)では無線LAN接続OKです。かなりサクサクとアクセスできました。パスワードについては従業員さんまで。最近はスマホ流行りですが、離島ではなかなかうまくいきませんので念のため。

あ、わたしはスマホ導入の予定なしです。そもそも携帯も旅行時以外はほとんど使ってませんので(ついでにいえば普段はカバンの中に入れっぱなしで数日に1回くらいしか着信確認しません。ひどい時になると充電が切れたのも知らずに1週間放置することもしばしばです)。

というように話がそれたところでおやすみなさい。明日は奥尻ぐるりのあと江差に渡ります。
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