祈東北復興!で東北を目指したつもりが、気がつけば北の大地も巻き込んでいつもの湯めぐりに(笑)。

− その8 奥尻島を時計回りにぐるり満喫編その1 −



やったー今日はどうやらいい天気っ!

さて、この日泊まっていた大須田さんのあるエリアには温泉がありません。となれば「朝湯を一番であたふた」系の早起きは不要なのでありますが、宿のある宮津地区は島の東側に位置することもあり日の出前から部屋が明るくなりますし、今年あたりから急に朝の目覚めが妙に早くなりつつあるTakemaというわけで、この日も早朝5時過ぎにはついつい目が覚めてしまったわけです。あ、最近は寝るのも早くなってきたぞ(微笑)。

そんなわけで早起きがつらい=身体的にまだまだ若いおしんこどんを尻目にさっさと朝日を撮りに行ってきました。対岸の北海道本島上空に低く雲があった関係で本当の意味での日の出じゃないですが、どうやら今日は雨は大丈夫そうかも?

お宿の真ん前は小学校で、まだ6時前だというのに早くも掃除をする人の姿が。と、一台の軽トラが駐車場に入ってきたと思ったら宿のご主人?登場。発泡スチロールとプラケース、こ、これはもしかして?と思ったらやっぱりそうでした。すなわち「今朝港に上がったスルメイカの配達」で、ご主人「もちろんこれがそのまま朝ごはんになります!」。

新鮮この上ない地元のイカをパクつける、あー、奥尻に来てよかった!‥と同時に、お昼ごはんの候補としてTakemaが秘かに挙げていた「青苗地区に行って青苗丼という名の生イカ丼を食べる」という選択肢はシュワシュワとバブルのように消えていったのでありました。

つまりは、如何にイカがここ奥尻町の指定海産物(以下略)であっても、トレトレの生イカがどんなに美味しいかを考えても、昨日の晩以降3食連続でイカ食いというのはいかばかりなものでしょう?医科学的にも以下に述べるプリン体化合物の増殖による細胞の特異化?といういかんともしがたい諸問題を一意解決することにはならないか?それは通風等の成人病諸症状を悪化させることにはなるまいか?という当たり前田のクラッカーなのであります。
ハイはーい、賢明なよい子の皆さん、ところでこの直前の文章に「いか」はいくつ隠れていましたかー?なお語呂合わせに終始した結果、上記の文章は内容的正当性および一貫性を一切有しておりませんので念のため(苦笑)。
そんな15項目にも及ぶ「イカ食いの困難性」を真底自覚したTakemaならではの苦渋の選択でありま‥いや全然苦渋じゃなくて「よーしお昼にはイカ以外の海幸に手ぇ出すから見ちょれー!」という、奥尻島経済のさらなる振興に思いを馳せたTakemaなのでありました(要はウニ丼を食おうと考えていたわけですわ)。

さて7:00を回ると日射しがどんどん強くなってきました。それにつれて雲もどんどん少なくなりはじめ、どうやら今日は雨が降らないどころかバッチリ快晴となりそうな趣です。と、ここである重大事に気付いたTakemaだったのです!

そんなわけで本体からグランドシートからフライシート、さらにはフレームやペグまで一同に引っ張り出して乾燥作業開始!さすが8月下旬とはいえまだまだ日射しは強く、朝食前に全てパリパリに乾かすことが出来たのでこれでもう思い残すことはないぞ。自分もそんな人生の終わりを向かいたいものだと行く先に思いを馳せていたころ(うそつけ)「朝ごはんでーす!」。



まだ茶色味を残す生イカが平皿一杯に広げられちゃって、「もうリンダ困っちゃう♪」と腰をくねらせたとしてもやり過ぎではありません(何のこっちゃ。そういや山本リンダはもう御年いくつなんだろう?)。

そして「はーいこちらもどうぞー!」という仲居さんのお声とともに、お隣に「ウニ雑炊」が到着!こちらは昨晩食べきれなかったウニ鍋にご飯を投入しての雑炊です。タマゴでとじてあってゼータク!そんなわけで朝一番からしっかりお腹いっぱいとなりました。こりゃお昼ご飯はかなり遅めでよさそうだなと思いつつ準備を整えます。この日はのんびりと島を一周して(とはいえ奥尻島は1周84kmしかありません=奥尻町公式サイトのデータより)奥尻港16:05発の江差行きに乗り込むだけですので急ぐ必要はありません。しかし結局9時前には出発してしまいました(笑)。

昨日とは逆コースの時計回りで走り始めると、ほんの5分ちょいくらいで奥尻港に着いてしまいました。次の船が到着するのはお昼前ですからこの時間のターミナル周辺はまぁみごとに閑散。観光案内所前に置かれている、約7時間後には着ぐるみくんと合わせて人気者になっているだろう奥尻キャラクター「うにまるくん」も独占し放題です(笑)。

さて、ここから奥尻の市街地を抜けていくといきなり整備された駐車場がありました。あ、そうなのかここなのか!



もうちょっと港から遠いというか人里離れたエリアにポツンとあるのかと思っていたら、家並みがちょっと途切れたと思った瞬間にいきなり出てきたのでちょっとビックリしました。

逆光なのでうまくは撮れませんでしたが、鈍色の空をバックにしているのとは大違いですよね。と、駐車場の南側から波打ち際に降りられるみたいなのでそちらに行ってみると‥

地元のご老人がネットに入った何かを浜から上げている途中でした。ご挨拶をしながらよくよく網の中を見てみるとそれは‥

で、どうせ暇なわれわれなのでお手伝いをしながらこれを何に使うのか伺ってみると、「セメントに混ぜるんだ」とのある種わかりやすいお答えが。あれ、でも塩分を含む砂などをコンクリに混ぜると鉄筋が腐食して寿命が云々などという話も聞いたことがあるんですが?大丈夫だよとおっしゃってはいましたが、本当に大丈夫なのかは建築関係の専門家の見知るところであります(笑)。

さてご老人が去ったところで少し違う角度からなべつる岩を見てみようと移動してみたわけですが、うーん右上画像の位置が限界ですね。ちなみに防波堤のすぐ上に1羽のカモメが「こいつらエサくれるんじゃないの?早く早くぅ」という感じで普通とはかなり違ったクレクレ系鳴き声を発しておりました。音声を録らなかったのが残念でしたが‥。やがて「だぁーめだコイツら。」と察して飛び立って行きましたが(左上画像マウスオン)。



真横から見るとただの「バカ殿岩」みたいな感じですね。でもこの言葉に反応したあなたは間違いなくコアな温泉ファンですよ(大笑)。

さて再び南に向かって車を進めていきますが、何かあれば必ず寄り道する気満々です。だって早く周回して戻ってしまってもすることないもん(笑)。と、何やら山の方に何かある気配?というわけでぐいぐいぐいと坂道を登っていくと、そこには円形の広場、そして何やら科学特捜隊の管理施設とおぼしき近未来的な建物が鎮座していたのでありました。

特捜隊系の建物は近くに寄ってみるとちょっとくたびれ始めているようでしたが、そのエントランスにはなんと「うにまる」のミラーコーティング看板が!ん?そうかここはうにまるの陸上活動拠点だったのか!奥尻の海底でしか生息できないウニがここで「鵜荷丸子」さんとか「宇仁真留雄」さんとかに人間型メタモルフォーゼしてここ奥尻で暮らしている‥となればここ奥尻の住民の方々はもともとみなウニ‥そうか、そうだったのか!皆さんのお仲間を食べちゃってゴメンナサイ!(そんなわけない)。

まぁそんな減らず口はともかくとして、まずはこの「うにまるプレート」!ロゴのあたりが青く見えているのはまさにこの日の青空が写り込んでいるという完璧なミラーマン!(スルーしてね)。ちなみに右上画像にマウスオンすると拡大画像に変わりますが、そうすると画面下方に撮影中のTakemaの手とカメラが写り込んでいるのがわかると思います。プレートの清掃状況は完璧です!(笑)。

さてさらに今度は左上画像に目を移してみます。何か青字に白文字で何か書かれています(左上画像マウスオン)。ほほー、「佐藤義則野球展示室」とな。そう、かつて阪急−オリックスで長年投手を務め、40才を越えてノーヒットノーランを達成した、あの佐藤義則投手(2011年現在楽天コーチ)は、実はここ奥尻島の出身だったのです!(あ、「左上画像にわざわざマウスオンしなくても右上画像で見えてるっしょ」と突っ込みたくなったあなたとは一緒に飲みたくありません(大笑))。

内部の見学は無料で、それこそじっくりと見学することが出来ます(だってほかに誰もいないし‥)。確かに今の若い人は佐藤義則投手って言ってもわかりませんよね。でもこのページをタイプするにあたり下調べという名のネタパクリはないかなーとWikiっていたら、こんな説明がありました。佐藤氏は2005-2007に日ハムの2軍コーチを務め、その後2008から楽天のコーチを務めているのですが(以下Wikiからの引用)、

というのであります。ということは「義則イズム、ひいてはある種の奥尻魂」は今も若手に引き継がれているということなのですね(無理があるっしょ系の苦情はもとより受け付ける窓口が存在しませんので念のため)

なお館内には現役当時の様々なグッズが置かれているのはもちろんですが、「中学生大会で『大都会札幌にビビってノーコン』」とか、「プロデビューしてさてこれからという時にギックリでシーズンを棒に振る」とか、「無類の酒好き」等々、様々なエピソードが紹介されており、何だか思いきり親近感がわいてきました!(あ、わたしの場合大記録もナニもありませんが「ギックリと酒」、もうこれだけで十分ですよ(大馬鹿))。



科学特捜隊、もとい佐藤義則記念館広場からは本島に続く海峡が一望できます。でもおそらくこの広場は奥尻地区の避難場所なんでしょうね。

さてしかし、上画像の海岸線近くに何か尖ったモノが見えませんか?さてはあそここそが特捜隊(あり得ない)、いや違った奥尻島民のメタモルフォーゼポイント(これまたあり得ない)オブジェなのでありましょうか?そんなわけであまりにもわかりきった認識の中、歩いて5分の距離を車で移動しました。だって車は記念館の裏道まで上げちゃったんだもの、この日の奥尻はまさに「夏そのもの」の天気で暑かったので許して>ALL。

そんなわけでオブジェまで移動してきました。



おおーっ、ウニだウニだうにまるだぁー!電源を入れると動き出しそう!(実際は動きません)。

ちなみにこの界隈はその名もうにまる公園というのですが、終始誰もいなくて何だかなー(いろんな意味でね)。それにしても昨日の船で一緒に渡ってきたはずのあの数十名の宴会団体客はいったいどこに「吸収」されちゃったんでしょ?結局どこでも見なかったんですが(ま、いたら居たでうっとおしい気もしますが)。



しかしこんなことしかすることが思いつかないのであります。でも動物系のわれわれがここまで動くなら?



完全固定系のなべつる岩くんはともかく、メタル系のウニくんにはせめて触手くらいじわじわと動いて欲しいのです。



あ、これはほど近い場所にあるこれはタイムカプセル‥でもミラー加工を利用しておしんこどんはY字バランスの姿勢確認中(笑)。

さてそんなわけでいよいよ南部に向けて本格的に出発です。奥尻の集落群を抜けると1.5車線ベースの道が続きます。かの地震の後復興という名の下に巨費が投入されメーンロードがほとんど高規格道路になっているのかなという予想は大きく外れました。北海道の場合は開発庁(現開発局)の肝いりもあるはずだしと思っていたのですが、このあたりは「復旧」レベルで片付けたようですね。もっとも左上画像のような場所に路側帯&歩道付きの立派な車道を整備するのははなはだ困難だしあまり意味もないのですが(でも、その「意味のない整備」をさんざんやってきたのが旧開発局でもあります)

奥尻島最南端に位置する青苗地区に至るまでの道沿いに地震の痕跡を見ることはありませんでした。でも1993年7月から今年で18年、地震および津波の痕跡は人工的および自然的にも覆い隠されてしまっているはずであり、われわれがこの道道を見る限り「何と爽やかな北の海辺なんでしょう!」という感じであり、そう感じさせられるほどに少なくとも見かけ上の復興は終わっているということなのでしょうね。

そんなわけで最南端の青苗地区に到着です。地区入口あたりで「あれーすっかり復興してるのね」と思うなかれ、草が生えているとまるで「かつてもそうだった」のだと誤解しまくります。この先の海岸沿いには家々が並んでいたはずなのです。

しかし今は港近くおよび岬の先端付近の平坦部に家はありません。そこから一段上のエリアに新たに?新青苗の集落が形成されています(新たに防潮堤を作りさらに盛り土をして住宅地を造成したらしい)。わたしが見た限りではすっかり復興を果たしたようにも見えましたが、一方で、昔のような地域の濃いコミュニティはなくなってしまったという話もあります。やはり全てを元のままにというのは簡単ではありません。そして今、岩手や宮城、福島沿岸に住む人々も同じ困難に直面しているのです。

旧青苗地区南部の岬地区住宅跡地には「徳洋記念緑地公園」が整備され、「奥尻島津波館」「慰霊の碑 時空翔」などが設置されています。



地震による津波からの復興と、遺跡から発掘されたヒスイの展示などが見られます。



この角度からだとわかりませんが、7月12日にこの石碑の正面に立つと「凹みに沈む夕日」を見ることが出来るのだそうです。



このあと、岬の最南端まで行ってみました。おしんこどん、相変わらず身体が柔らかいねぇ(笑)。

続いては青苗漁港を見学です。イカ釣りの船は夕方から早朝が勝負なのでこの時間は港もいたって静かなものでした。で、漁港前の広場には津波対策として人工地盤、通称望海橋が設置されており、非常時にはすぐに上部に避難できるようになっています。



岸壁の真正面にこのような巨大人工地盤が設けられています。



この階段を上れば即座に避難できるというわけです。上部からは直接高台の土地に向かうことができます。

この人工地盤は「いかに津波を食い止めるか」ではなく「食い止められない津波からいかにして身を守るか」という発想のもとに作られています。東日本大震災で東北の太平洋岸を襲った津波は、「万里の長城」「ギネスもの」たる防波堤や防潮堤をやすやすと乗り越え、破壊しました。それは同時に「科学の力で自然をねじ伏せる」という人間の傲慢さをも瓦解させたわけであり、となればわれわれは自然の力に対してもっと謙虚にならねばなりません。その謙虚な気持ちをもとにして復興の道筋を定めていかなくてはならないと思うのです。

東日本大震災後、おそらくここ青苗を訪れた復興関係者は数多いと思いますが、是非とも青苗から復興の基本コンセプトを見出して欲しいと思います(それは津波対策施設のみならず、「その対策が引き起こした新たなコミュニティ系問題」をも含む形で)。そしてそれらを生かしてスピード感あふれる復興事業が開始されることを強く願うばかりです。

さて、このあとは奥尻島の西海岸を北上します。
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