− その2 いよいよ出発、まず目指すはいま再びのいわき湯本海鮮ランチ −

そんなわけで4/29の朝8:00過ぎに出発です。GWにしてこの日この時間に家を出るのはちょっと珍しいパターンなのですが、この日は福島市内までしか北上しない予定ですし、お出かけ慣れしていない方ほど「このタイミングの常磐道は敬遠するんじゃないか、ならば行くぞ」という見込みからのゆっくり出発だったわけです。もちろんその裏には「例年なら前々日あたりに荷物をあらかた車に積み込んでおくのに今年はやっていなかった」という諸事情があることも見逃せません(笑)。荷物てんこ載せが必要なので結構それだけで疲れてしまう中、そのまま深夜の運転はしたくないので有馬兵衛の向陽閣なのでした(昔関東でもCMやってたなー)。

常磐道に入ると柏界隈でちょこっとだけノロノロになりましたが、あとはいわき湯本ICまでスイスイ。事前の読みが当たったのは嬉しいですがその一方で何だか複雑な気持ちにもなります。日立北IC界隈まで上がってくるとほとんど車がいないよぉ(左上画像は災害救援の自衛隊車だし)。もっとも、普段の日曜日もこの界隈の通行量はこんな感じなのですが。

北茨城ICで高速を降りてR6を北上します。時間的に到着が早すぎるということもあったのですが、少しだけでも海沿いの現状を見てみたかったのも事実です。

大津港から六角堂に向かう県道に入ってみると、もちろん道路部分はしっかり整備されていましたが沿道の家屋はご覧の通りの惨状でありました。バイクでも車でも何度も通った道だったんだけれどなぁ‥。

港湾部に出てみると漁網がたくさん積まれていました。普段はこんな光景を見たことがないので、おそらく緊急避難的に置かれているものだと思われます。船も打ちあげられていましたが、遠景で見た感じでは大きな損傷もなさそうですし、いつか再び海に出てほしいものです。

このあと岡倉天心ゆかりの六角堂方面へと足を向けました。実は六角堂のほぼ目と鼻の先までは何度も来ていたのですが(すぐ上の食堂であんこう鍋を食べていたこともあるし)、でも「六角堂?別に焦って見に行かなくてもいいだろう」と勝手に思っていたところに今回の地震による津波‥で、噂には聞いていましたが!



ああー、岩の上に石垣だけを残して建物はすっかりなくなっちゃってます(左上画像)。

それにしても、このあたりにもこの崖を軽々と越えるほどの津波が押し寄せたということですよね。そしてもちろん六角堂には誰も住んでいませんでしたから「なくなっちゃった‥」という事実だけが残るのみですが、市街地を襲った津波は「人も、仕事も、そしてそこに息づいていた『生活』も根こそぎさらっていった」わけなのです。あらためて亡くなられた方々に哀悼の意を、そして被災者の方々が一刻も早く自活できるような場に立てるよう、それぞれ祈るばかりです。

それでも周辺の山には山桜ほかの花が咲き始め、また新緑が芽生え始めておりました。まるで何事もなかったかのように。数は少なかったですが南関東ナンバーのバイクも走っていたりして、何だか心強い気持ちになりました。その一方で隣接の大型温泉ホテルが休業していたのはちょっと残念でしたが(通常営業は出来なくとも、復興作業にたずさわる作業員各氏の宿泊需要はかなりあるはずなのに)。

さてそんなわけでいわき市内へと入りました。市内の様子は特に大きな変化もありませんでしたが、水道等インフラの復旧にはかなり時間を要したらしく、特に水道などは一度復旧したにもかかわらず4/11の大きな余震によりまたストップするなど、やはり大変だったようです。

で、今回のお昼ご飯スポットとして目指したのが、今年(2011)の1月にやって来て大満足したささき鮮魚店、いや違ったこの名前は現在の店の前身である魚屋さんの名前でした、正しくは海鮮料理「海幸(かいこう)」です!4/9に訪問した際はまだ営業していないようでした。

今回のまずは左上画像。到着はまさに昼の11:00ジャストという時間でしたが、「営業中」という貼り紙によしよしと思って引き戸を開けよう‥ん?開かない?鍵がかかってます!

連休初日の11:00に鍵が掛かっている(仕込みもあるでしょうから1時間くらい前には皆さん出勤するでしょうし)という現実、でも「営業中」の貼り紙があるということは(4/9にはなかったし)、もしかして「現在は夜の居酒屋の部のみ営業」ということなのでしょうか?

うーむちょっと残念と思いつつ、お店の前の駐車場に車を止めたまま湯本駅周辺の飲食店をしばし物色。しかしどうも「心惹かれる」感じがしないままぐるりと1.5周くらい歩いて戻ってきてみると、それとほぼ同時にお店の真ん前に軽のワンボックスが到着!車から降りてこられた人たちの中にご主人(大将)がおられたので「あのー、今日のお昼の営業は‥」と伺ってみると、

「少し時間はかかりますけれどどうぞ中で座って待っていてください」というお言葉に甘えていざ一番乗りで店内へ。ん?何だか前回と店内の様子が違うような?

左上画像にマウスオンすると2011年1月訪問時の店内画像に変わりますが、壁一面に張られたメニューの紙々がなくなっただけでなく、何だか全体に明るくこざっぱりとした雰囲気に変わったような?そしてさらにはカウンター上には「食べログ」のベストセレクション店に選ばれたことを示すミニ看板も。「食べログ」の方はまぁいいとして、お店の方(奥様?)にこのリフォームについて伺ってみると‥

というようなことをおっしゃっていたそうです(おしんこどんからまた聞き=Takemaが用足しに行っている間の会話内容)。



しかし豊富なメニューは今も健在!刺身盛り合わせの記載はありませんが、頼めばもちろん作ってくれることでしょう。

おしんこどんはしっかり日本酒を注文し、Takemaは運転者の悲哀にうちひしがれていたわけですが(笑)、そうこうしているうちに前回同様注文した「海幸刺身定食」がどどんがどんのどっこい大作で到着いたしましたーっ!




(矛盾する表現であることを、海よりも高く山よりも深い心でお許し‥アレ?)

これで1600円ってやっぱり信じられませんよね!(ちなみにこの「海幸刺身定食」の下位メニューとして「刺身定食」1000円也もあったりしますので念のため)。しかし従業員の方(大将にあらず)と話しているうちに予想通りというか、「いわきの置かれた現実」を如実に示すお言葉が返ってきました。それは当然のごとく原発関連の話となってくるわけで‥
Takema
従業員の方
Takema
従業員の方

このあと女将さんとも話をする時間があったのですが、「たとえば今入っているメヒカリなんかは千葉沖のものなのよ。メヒカリは結構どこでも獲れる魚なんだけれど、ここらあたりのは骨も柔らかくて美味しいのよ。でもそれが手に入らなくなっているのが現実なのよね」。

原発事故により「豊饒の海」から一転してしまった福島浜通りの海ですが、いつか以前のような豊かな海が戻ってくることを希望するばかりです。そういえば、北茨城沖合のコウナゴから基準を超える放射線量が計測されたというニュースもありましたが、その一方で大洗所属の漁船により先日最初の漁が行われたシラスは基準値を「大幅に」下回っていたのだとか。しかも「獲ったはいいが風評被害で値段はどうか、アブラ代も出るかどうか」という漁師さんの不安をよそに、市場では例年並みレベルの買値がついたそうです。

もちろん放射線量の測定は今後とも必須でしょうし検査してもらわなければ困ります。しかし抜き取り検査ではなく全量検査を徹底することは、それだけ「現物の安全性」に対する客観的な証明になるというのもまた事実。また海の場合は農産品と違って「食物連鎖による生物濃縮」の問題も関わってくることでしょう。今後とも長期にわたる検査をしていただき、一定レベル以下の海産物のみをしっかりと供給し続ける態勢を早く構築することが求められると思います。

もっとも「それでも原発近くの太平洋で獲れた魚なんて食べられない」という方もおられるはずですし、それはそれで各自の個人的見解でありお互いの意見を尊重すべきです。やってはいけないのは「何であそこの魚を食べない(or 食べられる)の?それって信じられない!」というような「ヒステリック系自意見の押しつけ」なのであり、個人は個人の考えに基づいて食べたり食べなかったりすればいいだけの話なのです。そしてわたしは「検査済みの地魚は食べる派だ」というだけのことです。

さてどうしても原発絡みになると話が長くなりますね(苦笑)。このあとは温泉‥と行きたいところですが、今日の目的地である福島市の高湯温泉まではまだ距離があるのと、さすがにGW初日ゆえこの先郡山JCT−福島西IC間はすでに「酷い渋滞モード」になっているようなので、その区間を避けて下道区間を使うというルート取り上、今回はいわき湯本の湯はパスいたしました。前回(4/9)には旅館こいとさんの湯に入れていただきましたが、そういえば先日の毎日新聞がこんな記事を載せていたようです。えらいぞ旅館こいとさん!

湯本温泉は3月11日の地震で断水、ガスは停止し、28軒の旅館はすべて休館に。さらに12日の水素爆発で、宿泊客からキャンセルの連絡が殺到した。そんな時、いわき湯本温泉旅館協同組合の理事長で「旅館こいと」の主人、小井戸英典さん(55)に、原発復旧作業にあたる会社やガス会社などか ら宿泊依頼が舞い込んだ。「100人お願いしたい」「20人を2カ月間頼む」。作業員はいわき市内の事務所で風呂にも入れず雑魚寝している状態だった。

地震の影響で地下の温泉水位が下がっていた。温泉をくみ上げるポンプが空回りすると損傷してしまうため、一時は湯を出せなくなった。こいとの従業員も避難などで35人から一時は3人に減った。

それでも小井戸さんは「誰もいないと街が荒れて治安が悪くなる」ととどまった。残った人々も「どうせおいらはいわきしかねえから」と励まし合った。避難先から温泉街の人々も戻り始め、3月26日にようやく作業員の受け入れを始めた。

こいとは宿泊代を通常の半額ほどの5000〜6000円に引き下げた。「普段のもてなしはできないけど、お湯に入って息抜きをしてもらいたい」と小井戸さん。旅館には、「がんばっぺ!」など作業員をねぎらうメッセージがあちこちに張られている。小井戸さんは温泉街を活性化するために作業員に夜の街を歩いてもらおうと、営業を再開した飲食店の地図を手作りした。風評被害にあう福島県産品も料理で使おうと検討している。

「食事処おかめ」のおかみ、伏見栄子さん(65)は夜、食事に来た原発作業員と話す。ある作業員は「生まれたばかりなんだ」と今は会えない孫の 写真を見せてくれたという。伏見さんは「張りつめた作業をする中で、ここでほっとする瞬間があるのでしょう。作業員がいないと現場の復旧は進まない。栄養 を付けて、作業を頑張れるように料理を出している」と語る。

まだ、原発事故の影響は払拭(ふっしょく)できない。こいとにはリピーターから宿泊の申し込みがあるが、観光客は受け入れていない。小井戸さん は「原発事故が収束しないと安全だと言えない。だから宿泊客を呼べない」と悔しがる。温泉街を歩いていた男性作業員(55)は「温泉気分なんて一切ない。 大変な現場なんだから」と宿に急いだ。
毎日新聞:当該記事ページはこちら


そんなわけで再びいわき湯本ICから常磐道へ入り、すぐさま磐越道経由で北上です。しかし郡山JCTの2つ手前の船引三春ICで高速を下ります。実は渋滞の回避のみならず「とある湯」をも目指すという「趣味と実益」を兼ねた行動なのですが結果やいかに?(笑)。



道路看板は「このまま直進すると双葉町」と示していますが、現在はもちろん双葉には入れません。原発に近くなってきました。

だいたいこのあたりで福島第一から直線距離で40kmくらい。もっとも放射線の問題がある地域はもっと北側なのでここいらの測定値はさして高くもないようです(本当に「あの日その時たまたまの風向き」で、原発から等距離であってもこんなに状況が違うとは‥)。ちなみにこれから向かうのはその北側方面なのではありますが(苦笑)。
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