− その19 小川元湯で身体も山着もお洗濯 −
駐車場ゲートを出たのがすでに13:00近くだったので、富山市内でお昼ご飯を食べておくことに。このあとは短い区間とはいえ高速に乗っちゃうので、何とか富山ICの手前によさげなお店がないかなぁとキョロキョロしていたわけです。
おおありましたありました。われわれのお出かけランチといえば相当の確率でお蕎麦なんです。
そんなわけでお蕎麦屋さんにピットイン。普段はそんなに「蕎麦食い人間=人類は麺類」系ではないTakemaなんですが、やっぱり旅先で食べるお蕎麦はいいです(右上画像マウスオン)。というか旅先で食べるからこそ「非日常という名のテイスト」を隠し味として食べているのかも知れませんね。
富山ICからは北陸道で朝日ICまでワープし、そこからはR8を親不知へと進みます。途中郵便局に寄って所用をこなしたりしながら進んでいくと少々長めのスノーシェッド&トンネルへ。すると‥
まぁこれはしょうがないですね。もちろんトンネルから出たらすぐに回復しました(そりゃそうだ)。で、そこからちょこっと進んでいくと懐かしい場所に到着です。駐車スペースがあるので車を止めてと。
わたしも四半世紀のその昔に踏破したこの栂海新道、白馬岳から縦走してきたのですが長かったぁ。特に犬ヶ岳の避難小屋手前で水がなくなり、あまりの渇きにわが○(漢字一字)を飲んだのはこの時の一度きりです(苦笑)。さわがに山荘も水場が遠くて、たまたま先に着いていたどこぞの大学ワンゲル部の皆さんにポリタンを託しちゃったんだっけ。
そしてこの場所まで降りてきたとき「ふはー着いた‥」とへとへとモードになっていたら、たまたまカニ直売の車がいて、Takemaの疲れぶりを見ていた販売員のおいちゃんが「お疲れさん、これでも食って元気出しな」と、カニの足を2本くらい渡してくれたんですね。あのカニ、本当にとてつもなく旨かったよなぁ。食べ終わるとほぼ同時にバスが来ちゃったのでお礼もそこそこにこの場を去ったわけですが、あの時のおいちゃん、本当にありがとうございました!(今さら遅いんですが)。
このあとはR8沿いの展望パーキングでちょいと休憩。北アルプスの北の端がまさに日本海とせめぎ合っているこの場所は、江戸時代の書には「親は子を知らず(子どもが大丈夫だか確認する余裕もなく)、子は親をかへりみず(親に頼りすがることもできず)‥」というような記載があります。どの書だったかわからないのは、実はTakemaが初めて中学時代に古文の文章を習ったのがこの「親不知」のくだりだったのをただ覚えているからです(笑)。
そんなわけで僅かな波打ち際に交通インフラが集中しています。左上画像は最後に出来た北陸道が「もうスペースないからしょうがない、ボクは山に入ります」という感じでトンネルに突入してますが、右上画像では走行中の県道(旧国道)のお隣に北陸本線、その奥のやや低い高架橋がR8、そしてさらに高い高架が北陸道というわけです。奥の高架2つは完全に海側に追い出されているということですね。
あ、勘の鋭い皆さまは上2枚の画像をご覧になって「あれれ?」と思われたかも知れません。なぜなら‥「海の向きが完全に逆」なのですから。そう、右上の画像は「親不知の道の駅まで行ってカニを買って戻ってきた」時のものなのです。道の駅の販売品がお値段高めなのはわかっていますが、カニとサザエを購入したんですよこの日の夕食用に。
再び朝日町まで戻ってきてスーパーで追加の買い出しです。要はこの日の宿「小川元湯 不老館」は湯治宿ゆえ原則食事なし(食堂は朝夕とも事前予約した場合のみ利用可能)なのですから。ちなみに各部屋にはガスコンロもシンクもありますが炊事用具はなし(宿で貸し出してはくれますが)。だったら「海の幸にちょっとお金を使ってもいいでしょ」と考えたわけです。だってさ、
そのかわり部屋にはエアコンが無くてこの時期(8月上旬)は暑かったです。扇風機はありますが日中は‥(ただし山あいゆえ夜になると涼しい)。
さてここでわれわれの新たなるミッション遂行タイムがやってきました。ほぼ1週間の山旅をこなしてきたとなればそれなりに汗にまみれた服も多いわけで、この宿泊時に一気に洗ってしまい‥
(はーいここで初めて明らかになりましたね、このまま北の大地に直行しようということが。)
湯治宿なのだから当然洗濯施設も完備‥と思っていたのですが、チェックイン時に洗濯希望の旨を申し上げると‥
無理にお願いしたわけではないのですが、従業員用さんのものをお借りするとなると恐縮します。もちろんこのあとしっかり利用させていただいたわけですが(洗剤は自前で持っていたので問題なし)、従業員向けの忠告掲示なんかもあってちょっと楽しかったかも。もちろんここに書ける内容ではありませーん(笑)。
しっかり乾燥機も利用させていただき(こちらは有料)、八分方乾いたところで後は部屋干し。そんなわけで部屋の中は怒涛の洗濯物満艦飾モードとなりましたが画像はなしね(笑)。
このあとは持ち込みのカニとサザエをおつまみにお部屋宴会を開始しました。ハフーしあわせ。
ちなみにこちらのお風呂は地域の共同湯的な位置づけにもなっていて、地元の方々がお風呂セットを手にして続々とやってきます。したがって浴室画像が撮影できず、明朝に勝負をかけることにしました(笑)。
さて翌朝7:00過ぎ、別の場所にある露天湯を目指します。隣接するホテルには結構な数のお客さんが泊まっているようでしたが、7時過ぎという時間はおそらく宿の朝食タイムとかぶるだろうから人も少ないに違いないと予想しての行動設定です。
ホテルより奥の林道は遊歩道となっていて車が入れませんのでテクテク歩いて行くわけですが、この時間はまだ太陽が山の向こうに隠れてくれていたので涼しくてラッキー(帰り道には早くもアブラれまくりでしたが)そんなわけで数百mをテクテクと。
途中にはずいぶん懐かしいベンチが置かれていましたが、見たところ年代物の割にはあまり劣化が進んでいない気がします。風雨のあたらない場所に置かれていた期間が長かったのかな?そういやわたしが中学生のころ、それまで「20枚撮り」が普通だったフィルム業界に旋風を巻き起こしたのがこのサクラカラーの24枚撮りフィルム。欽ちゃんが「4枚お得っ!」って言ってたCMを思い出しました。その後すぐに他メーカーも追随して24枚撮りフィルムになったんだよなぁ。
さてそんなノスタルジックなつぶやきなどはどうでもいいとして、まず気になるのが「蓮華の湯 女性専用露天風呂」。こちらはおしんこどんにカメラを渡して撮ってきてもらうことにしました。先客の姿はなく余裕の撮影だったそうです。ラッキー。
半屋根付きの露天風呂ですが、アブ対策で蚊帳が設置されています。無粋といえば無粋ですが、これなしだと大変なことになる(=マッパーでアブたたきダンス大披露)と容易に予想されるので仕方がないですね。奥の堰堤から流れ落ちる沢水が涼しげでロケーションはなかなかという感じです。
さて続いては、ここ小川元湯名物の「天然洞窟風呂」なんですが‥こちらもすごいことになってます。
うはー、洞窟全体が完全にシースルーの白布で覆われちゃってます!ここまでやるか!という感じですね。でも中に入ってしまうとあまり気にならなくなるから不思議です。というのも中では湯口の方ばかりに目が行ってしまうので布とは反対方向を向いてしまうからなんですけれど(笑)。さてそんなわけでご本尊の洞窟温泉はというと‥
析出物コテコテの岩にささった3本のパイプから湯が打たせ湯系で注がれています。実はこの湯には今から25年以上前にも浸かったことがあるはずなのですが(朝日岳から下山し、その時も今回と同じ不忘閣に泊まった)、ここの湯の記憶はほぼ全く残っていませんでしたのでこの光景は新鮮そのものです。
それにしても岩の内部から湯とは、この岩自体がそもそも析出物の集合体(石灰華)ということなのでしょう。パイプがなかったらてっぺんからオーバーフローしつつさらに成長していくように思われます。
浴槽自体もかなり広くて快適です。ここは混浴なのでおしんこどんも湯浴み着なしでやってきました。
湯温を計測すると、ほほぅ程よい感じですね。湯尻に近いほうは多少ぬるくてこの時期快適です。
炭酸水素塩泉ということですが浴槽内部は析出物でたっぷりコーティングされまくっていてみごとです。
そんなわけで「朝練」終了でお宿へと戻ります。道端では弱肉強食の掟が静かに進行しており大型のバッタがハチか何かの昆虫を捕食しておりました。それではわれわれもというわけでそのバッタをつまんでパクリ‥いやいやそんな食物連鎖はいやなので(笑)、前日のうちに買っておいたフルーツとサンドイッチとおにぎりの朝食です。
続いては昨夜からの懸案事項である内風呂へ。先客さんが1人おられましたが出て行かれるのを待ってパチリ。
朝日が差し込む明るい内湯、湯の特徴はあまりないですが、これはこれでよいかも。
お湯は岩から落とされていて飲泉コップもあり。特段の風味は感じませんでした。
お隣の本家たる「ホテルおがわ」には行きませんでしたがわれわれにはこれで十分ですのでそろそろ出発しましょう。
さてこれからの予定ですが、この日の翌日10:30に新潟から船が出ますんで、その出航時間を考えると今日の泊まりは新潟市内が無難かなという感じです。でも周辺部の温泉が第一希望なのですがどうなることやら。
そんなわけでここからは海沿い快適ロードを新潟市内に向かって走っていきます!
もっともこのまま直行じゃ面白くないのでいろいろとねうふふ。