− その20 栃窪鉱泉でまったり、越の誉酒造で避暑がてら今宵の宿検索 -



いい感じに鄙びていてかなり楽しかったです。

サブタイトル通りこのあとは栃窪温泉へと向かいました。ナビにお任せだったんで苦労はしませんでしたが、R8からの分岐の先とかは地図だけだと結構苦労しそうです。最近バイクで遠出していないTakemaだったら勘所がなくなっているので途中で道を間違えて往生したかも(笑)。



国道の分岐に比べればローカル細道の看板は丁寧です。というか国道の看板が案外目立たないだけなんですが。

途中には「あばれ井戸の湯」という、これまたレアな温泉があります。鉱泉とともに湧き出す天然ガスを加温に利用しているらしく、一部の温泉ファンの方々には有名なはず。しかしここは週末等しか営業していないんですよね。平日ど真ん中のこの日はむなしく通過するしかありませんでした。このあたりにはなかなか来られないから結構残念ですがしょうがありません。

で、そこからさして遠くない場所に目的の栃窪鉱泉がありました。この日はとても暑く気温は35度近くまで上がっていたのではと推察されますが、こんな時こそお湯に浸かってさっぱりしたいものですわ(入浴後はどうせ玉の汗全開モードになることでしょうが)。

それにしてもこちらの湯小屋風情はすごくイイっ!



何でも、築90年を優に超える湯小屋なのだそうです。

外から見る限り「何だか今にも崩れ落ちそう」にも見えますが、それは手前に突き出た部分がぼろぼろなのでそう見えているだけで、湯小屋の内部はまだまだしっかりしています(でも手前部分には手を入れた方がいいかもしれませんね=余計なお世話)。

で、母屋からこの湯小屋に続く渡り廊下がまたイイっ!というわけで、まずは入浴をお願いしましょうかね。

正面玄関を入ったすぐ先には「栃窪鉱泉のサービス一覧」が掲示されておりました。源泉持ち帰りも有料で可能のようです。そんなわけで入浴料600円をお支払いしていざ湯屋へ。



雪国なのに窓をふさがず開放式にしているのはどうしてなんでしょうね。吹雪の後などは吹きだま‥あ、そうか冬には雪囲いをしちゃうはずだから特に問題はない‥のかな?(詳細不明)。ちなみに左側奥の木々の間には源泉施設とおぼしきコンクリ小屋がありました(右上画像マウスオン)。ここの源泉からも天然ガスが上がってくるとのことですが、この湯小屋の裏側には薪を使ったボイラーがあるのだとか。ガスは使っていないのかな?

そんなわけで湯小屋までやってきました。建物の北側は最近手を入れたのか新しめの壁材になっています。男女別の脱衣場&浴室ですが、天井部分は吹き抜けになってますから話し声などは筒抜けです。

脱衣場入口の反対側にはかなり古そうな木板の源泉分析表(左上画像マウスオン)とお地蔵様が鎮座なさっておりました(右上画像マウスオン)。左上画像の分析表よりも新しい分析表によると源泉温度は13度、泉質はナトリウム塩化物泉ということですが、「新しい」とはいっても昭和36年のものなのでたぶん今では成分量や比率なども変わっているのでしょう。さてそんなわけでいよいよ入浴の儀とまいります。




(実際には湯冷め防止のため湯船にはフタがされています)

先客さんとほぼ入れ違い(一部重複タイムあり)だったため、湯のフタは開いたままTakemaに引き継がれたというわけです。湯の色はご覧の通りで、湯船右側部分の湯が薄く見えるのは、湯船そのものが南側の女湯とつながっているため日差しが間接的に注いでいるためです。

溜め湯状態ではありますが、「熱い時は源水で‥」と書かれているので遠慮なく源水を投入します。飲泉コップもあるのでこれまた遠慮なく飲んでみると‥金気味はしますが塩味はほんのちょっぴりで、ちょっと土っぽいにおいもしたような‥。

色は黒茶系と書きましたが、浴槽自体の色も影響しているのかなという気もします。ただし黒い湯花も少し舞っていました。浴感はどちらかといえばつるすべ系ですね。湯上がりには当然のことながら汗が止まらず難渋往生極楽記でありました。

再び渡り廊下を通って母屋へ。真夏の陽気ゆえ休憩室内も暑かったのですが、扇風機の風が心地よいです。宿の方が冷えた麦茶ポットを持ってきて下さったのもありがたく、気がついたら全量飲み干しちゃってました(笑)。

そんなわけで栃窪鉱泉を辞し、海岸沿いを一路新潟方面へ。海岸沿いのR6は流れも良いのでそのまま一気に柏崎へと向かいます。柏崎市内に入ってしばし、おしんこどんが何かを見つけたようで突然次のようにつぶやきました!

なるほどそりゃ気になりますねぇ(笑)。というわけでUターンして行ってみると‥





正面入口には特大の杉玉が吊されておりました。ここが酒蔵であることの証左です。

2007年に起きた中越沖地震により大きな被害を受けたという原酒造さんですが、そこから奮起して再起を図り、この酒彩館は2010年に完成したのだそうです。この日は平日の昼間だったこともあり駐車場はガラガラで「やっているのかな?」とも思いましたがしっかり開館中。エアコンの効いた館内はとっても快適、ふぅここから出たくないぞ(笑)。

直売スペースには隣接する工場から直に運ばれたとしか考えられないお酒が陳列されています。さてしかしここのコンセプトは「直売所」ではなくあくまで「日本酒ミュージアム」、確かに右上画像のように普通酒と純米酒に使われるお米の寮の違いなども紹介されています。しかしこれだけで 「ミュージアム」を名乗るにはちょっと無理がある?いやいや!

しかしそれは同時に次のような切ない意味合いを内包しています。つまり‥

ハイハイわかってますよ、すでにこの敷地内に入ったときからその覚悟は出来ていましたのでノープロブレムですよ。屈葬!(変換ミスではなく、拙サイトにお越し下さるのがハイソな御方々であることを考慮し御下品な言葉を使わないよう歴史用語で代弁する次第です、ハイ。=でも同音なのだからほとんど意味なし芳一)。

そんなわけでおしんこどんによる試飲タイムスタートです(屈葬)。季節限定の大吟醸まできっちり飲ませていただけるというのでうらやましんこどん(笑)。わたくしTakemaはこういうコトもあろうかと普段から鍛錬を欠かしていないのに嗚呼(笑)。

と、ここで思い出したる「とある重要ミッション」!このあと北の大地に渡ったあとは小清水町から小平町に引っ越された「くまげらさん」のお宅を訪ねることになっているのですが、計画&準備時には登山のことばかり考えていたのでお土産を持ってきてナイ!ないったら無い!

そんなわけで、「越の誉 もろはく」を購入(左上画像マウスオン)。何でも日中国交正常化記念式典における乾杯酒だったそうですのでこれがいいかなと。あ、別にこれでくまげらさんと関係正常化を図ろうというわけではありません、そもそもお世話になってばっかりだし(笑)。
それにしても2012/9の尖閣諸島国有化に端を発した中国国内の「デモという名のテロ」はこちらの原酒造さんにも影響を及ぼしたらしく、問屋さんからはこの「もろはく」の「日中云々の記載をなくしてほしい、そうしないと売りにくいし売れない」という意見が多く出ていたそうです。尖閣問題についてここでとやかくいうつもりはありませんがとにかく「残念な話」であることだけは間違いありません。
さてこの時点で午後3時を回っていましたのでそろそろ今宵の宿についてバンバンしておかなければなりません。幸いこのミュージアムには休憩用の椅子テーブルが完備されており、じっくり検討するにはベストのポジションなのでいろいろとピックアップしてみることにしました。しかーしこれが一筋縄ではいかなかったんですよ。

この翌日の10:30に新潟港から小樽行きのフェリーに乗船します。となればその2時間前には港に着いておく必要があるでしょう。となれば8:30着。でもその時間なら新潟市内の味気ないビジネスホテルよりも、近隣の温泉宿からでも高速利用を前提にすれば十分に間に合うはずだと考えてターゲットをマーキング。せっかくなので行ったことのない&湯の素性ゆえ前から気になっていた咲花温泉にロックオン!

というわけで咲花温泉のめぼしい宿に電話をかけ始めたわけですが‥

何軒目かに掛けたお宿からその真実が明らかになりました。何でもインターハイの開催に伴い学生団体が軒並み宿を埋めつくしているそうなのです。くはぁヤラレタっ!

そんなわけでこちらの店員さんに明日の予定を申し上げた上で「どこかいい宿ないですかねぇ」と身体をくねらせ甘えた声で伺ってみると(大うそ)、まさかビックリどどんがどん、思いもかけない「凶報」を聞かされたのであります(笑)。それは、

うゲゲの鬼太郎ネズミ男が猫ににらまれたらどうなる!(いつもの通り意味不明)。そ、そんな話聞いてませーん!(調べもしていな かったのであたりまえ)。もしかしたら咲花温泉のインターハイ学生軍団も新潟市内の宿が確保できずにスポーツ難民化して咲花に押し寄せたのかも知れない ぞ‥ん?もしそうだとしたらわれわれこそ「宿泊難民」に?(苦笑)。

ま、車なのでいざとなれば車中泊もありなのでね(好きじゃないですが)。と、ここで店員さんが「知り合いのところにちょっとあたってみましょうか?」とわざわざ弥彦界隈の宿にコンタクトしてくださったのですが‥ハイ、予想通り満員でした!

となれば、いかに観光客でごった返す新潟市内といえど総キャパシティを考えればどこかに空きはあるはずと考え、この際温泉は諦めてお泊まり場優先でビジネスホテルに飛び込みでバンバンすることを決意した次第です。
ちなみに親鸞聖人ゆかりの湯宿まで北上すれば空いているはずという根拠なき確証はありましたが、「そこまでネタ系に徹するのもいかがなものか」と考えて連絡しなかったのはここだけの公然のヒミツです(笑)。
さてそんなわけで新潟市内を目指して海沿いのR402を東進します。柏崎市から刈羽村へ進むと、そこにあるのはもちろん‥

そう、柏崎刈羽原発です。この時点(2012/8)は完全に発電を停止していましたし、今後どうなるかもわかりませんし拙サイ トはあくまで旅行記サイトなのであまり政治に絡む意見は述べたくないのですが、あえて申し上げるなら「原発については廃止に向けたソフトランディングしかないだろう(ただしダラダラ先延ばしは反対)」と思っています。

仮にここ柏崎刈羽ほかすべての原発を即廃止と決定としたら、「資産がいきなり負債と化す」各電力会社及び「原発があることを前提に行政サービスを進めてきた」立地及び周辺自治体は即座に立ちゆかなくなるはずです。原発を導入し事業を推進してきた以上、即時撤退することはあまりにも多くの「これまで考えられなかった様々なきしみ」を生むと思われます。

わたしが思うに、今の日本はある意味で「エネルギー政策的にものすごく羽ばたける可能性がある」状況にあると思うのです。かつての自民党政権下で国策として進められた原子力推進政策が地に墜ちた今、ドイツのように「原発の廃止を打ち出しながら実は安定的供給を原子力大国であるフランス等他国からの融通に頼る」のではなく、「電力の国内自給を強いられるという地勢的制限があるからこそ出来る新たなエネルギーの開発」、これを是非やってほしいと思うのです。だからこそ経○連とかの「目先の意見」(まぁ彼らは彼らなりに目先にとらわれざるを得ないので仕方ない部分もありますが)に政治が乗ってほしくはないのです。

2012/10現在民主党が政権政党ですが、今後自民党側に政権が移動したとき一番恐いのが「原発うやむや正当化」への逆戻り。現段階で安部総裁が選出されていますが、自民総裁選挙演説でも各候補者は原発の将来について「封印」(というか玉虫色発言に終始)してましたし‥。コレハイヤダ。もちろん現政権下でもいやな流れになってますが‥。

その一方で、現実に起きてしまった「福島第一」関係の自治体にはある種の「判断というか決断」も必要になってくるのかと。「仮の町」構想は早急に実現してほしいことなのですが、問題はその先です。川内村が帰村宣言を出して役場を村に戻しても、帰村なさった方々は15%を下回っているようです(2012/8現在)。被災町村が威信というかプライドをかけて勝負に出てもその先はどうなるものなのか。地方自治体そのものの存否‥ああ、もうやめましょう(ちょっと書きすぎました)。

同じ原発立地地域であっても、事故さえなければあまりにも爽やかな夏の海を左に見ながら快走します。この海がこれからもずっとこの姿であり続けますように。それは原発云々というより「大地に対する祈り」なのです。

さて寺泊の市場は車窓から見るだけで通過しました。本来なら必ず寄り道するところなのですが、今宵の泊まり場問題が解決していませんからねぇ。そんなわけで今宵の宿はこれ如何に?
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