− その9 高曇りなれど視界良好の蔵王お釜を見学後、不忘の湯経由で亘理まで −



蔵王のお釜はまだ凍っていました。でも実は初めての訪問だったので結構満足。

そんなわけで上記の通り蔵王エコーラインを上がっていったわけです。まだ夜間通行止めにはなっていましたが、路面は完全にドライでバイクなら気持ちいいぞぉ!曇りでしたが風はほとんどなく気温も高めです(この標高にしては)。



そして早い時間だからか通行量もまだ少なくて気分がいいです。核心部は多くが追い越し禁止だけに‥。

で、ほぼ頂上まで上がってきました。さらに上がるにはいまだに有料の蔵王ハイラインで蔵王刈田岳の山頂駐車場まで上がるか、それとも登山リフトでお釜近くまで上がるかの2択が考えられるわけです。たまにはリフトに乗車してみるのもいいかなということで後者を選択しました。が‥




(右上画像マウスオンで建物内の画像に変わります)。

蔵王って、もっともっと観光化が進んでいると思いこんで47年間生き続けてきたTakemaでありましたが、この「お洒落の洒の字もない」実用一点張りの登山リフトにはかなりびっくりしました(ついでにトイレも旧態依然系)。でもまぁ、ここで流行りの音楽でも流された日にはムカっとくるのがTakemaでもありますので、ここまで徹底した昭和風情であればこれはこれでいいかなと何だか妙に納得(笑)。

そんなわけでおしんこどん母と3人で往復チケットを購入しました。リフトもまた昔ながらの雰囲気で、決して高速系ではありませんが、ここが高速リフトである必然性は皆無なので問題なし。で、乗ってすぐ先のところで記念写真を撮られることとなります。バンジーサイトなどだとよくあるやつですし、そういやディズニーランドだかシーでもありますね。Takemaの場合バンジーではまず間違いなく買いますが(特権的なアングルからのジャンプ撮影なので)、これはただ乗っているだけだしなぁ。しかしこのあと事態は急転直下したのでもあります(謎笑)。

しかしこうやって昔ながら系のリフトでのんびり上がっていくのも悪くはありません(風雨のさなかだったら悲惨そのものでしょうがこの日はここでもほぼ無風)。ふと思ったのが「登山リフトって、登山道のように過度の通行によって土壌が流出することもないし、案外自然にやさしいのかもしれないよなぁ」ということでした。そりゃリフトエリアの下草は刈りますが、根が残れば土は流れ出さないわけだし‥でもさ!(左上画像マウスオン)、

どうもこのあたりの感覚が「蔵王が輝けずに中途半端にもったりしたまま」に見えてしまう所以なのかも知れません。「昔からこうだったし」の感覚は捨てて、「新たな蔵王を生みだすため」動いてください蔵王観光に携わる各団体各氏!

さて3人で稜線まで歩いてきましたが、ここからお釜への道はグザグザの雪道下り道。完全な街靴でお越しになったおしんこどん母にはかなり困難な状況なので(そもそも那須岳もそうでしたしここも「Takemaが思いつきで訪問していましたので」、おしんこどん母には申し訳なかったです)、その辺で適当に景色を眺めていてもらうことにして(これもまた那須岳同様ひどい話ですが)、われわれはわっせわっせとお釜展望台まで行ってきました。



お釜の氷結湖をバックに足を上げる角度が違うのはご愛敬というか、そもそもおしんこどんが特殊なんです。



お釜内側には巨大な雪庇が(いつか崩れるんだろうなぁ)。その反対側には歩いている人も。そしてお釜内にも(右上画像マウスオン)。



そんなわけでそれぞれおバカ画像を撮りましたが、このあと「ツボ足エリア」にて難渋したことはいうまでもありません(苦笑)。

「お釜周辺ぐるり展望(曇りでイマイチ)」

そんなわけで再び下山リフト乗り場まで戻ってきました(おしんこどん母おまちどおさま)。ちょいと一服した上で「安楽下山」と相成ります。



緩やかな傾斜の中をのんびりと。こらこらTakema、年代物なんだから迂闊に搬器を揺らしちゃ駄目だって(右上画像マウスオン)。

そんなことはともかくとして、往復中にとっても気になったことがあったのです。それはある種意味ありげな看板。まずは下の画像を見て下さい。

あらためて確認しますが、われわれは山形の蔵王温泉から宮城との県境に向かって来たわけです。そしていよいよ県境稜線を越えるべくこのリフトに乗ったわけですよね。そうすると出てくるのが左上画像の看板「ここから山形県」ん?

そして稜線から山形側に下って行くリフトには右上画像のように「ここから宮城県」とあるわけです。完全に逆のイメージなんですが‥実はこのリフト、立地上は確かに「宮城県から山形県へ」とつながっているようなのです。これってかなり面白い!

ならば!せめてこのあれれトリビア系情報をどこかに記載して or 「この謎はいかに?」系でリフトの売りにすればいいのに?しかし、そのような「商魂」は首肯できないということなのか、今日も刈田リフトは地道に動いているようなのです。ま、経営が成り立っているのであれば余計なお世話なんですが。

ちなみにリフトを下車後、そこに掲示されていたのは例の記念フォト。おしんこどん母が「せっかくだしね」というのにつられ、気がつけば3人全員購入しておりました。これで蔵王の観光にだいぶ貢献したはずですな(左上画像マウスオン)。そんなわけで宮城側へと下り始めます。



「遠刈田への下り道」

でもGWならではの風景を満喫し(曇っているので暗めですが)、そのまま遠刈田温泉へと下ります。しかし温泉街中心部の神の湯には入るつもりもなく、しかも最近は下調べのパワーが激落ちで‥うーんまぁどうでもいいか。そんなわけで壽の湯の存在も知らないまま遠刈田温泉通過。ここ遠刈田の湯にはまだ1度も浸かってませんが、まぁ今回もしょうがないということで。

そんなわけでTakemaが考えたのが「そういやあそこに入ってみようか」と思いついた孝の湯共同浴場だったのでありますが‥



どうやら揚湯ポンプの故障ということでしばらく前から休業しているようです。うーむ無念‥2010年後半から休業らしいということは、費用の関係もありもう復活しないのかもしれません。そうだとしたら至極残念無念であります。

そんなわけでこのあたりの未湯として蔵王開拓温泉を考えたりもしましたが、あそこはまた今度と考えて既湯の不忘の湯に再訪。しかしこういう「湯断」で孝の湯入浴を不可能ならしめたんじゃなかったっけ?(全然学習してません)。

こちらはちゃんと営業していました。関係の建物も増築されておりやる気満々です。係の方に伺ってみると「基本はDIYなのでゆっくりやっていきますよ」とのことでした。別荘の分譲地なので周辺には「かなりお洒落な別荘」も散見されますが、Takemaは別荘持ちたい派ではないので「すごいなぁ」と思うばかりです。そんなわけでお風呂へ。

板で仕切られた手前の浴槽はかなりぬるい!というわけで源泉投入側の浴槽へ。こちらは問題なしの適温でしたがそれでも場所によってかなりの温度ムラがあります。これもまた手作りの良さとするか、お金を払っているのに快適性に難ありとするかについては意見が分かれるところだと思いますが、Takemaとしてはもちろん前者派です。後者派の皆さんが集う浴槽は下手をすればジャグジーとかもあってかえって落ち着かない気もしますんで。

湯ったりしたあとに外で涼みます。しかしまだGW前半だというのに(そしてここは標高が高いのに)この時の気温は23度もあってたまげました。ちなみにこの文章をタイプしている6/16、千葉県市川市の日中の最高気温は21度でした‥。こちらの温泉猫は近寄ってきてゴロゴロをねだるほど人慣れはしていませんでしたがそれでよし。なつくばかりが人生ならぬ猫生ではありません(そういやNZのMaruia温泉の猫もそんな感じだったな)。

ここからは白石方面を経由して、亘理方面へと向かいます。自分たちにとっても震災後石巻よりも南側の海沿いに行くのは初めてですし、ましてや普段奈良在住のおしんこどん母にとっては実際の津波被災地域を見るのは初めてのはず。だからこそ直接ご覧になって感じたことを、関西の方々に伝えてほしいと勝手に思っていました(笑)。



山を下ってくるにつれまたも桜満開エリアへ。大河原町では散り始めてましたがまだまだ十分綺麗。

そして亘理町へと入っていきました。市内の中心部メインロードには「ここまで浸水」の掲示がありました。ここはまだ大した深さの冠水ではないですが、でもただの増水と違うのは「その水分が基本的に塩水」だということです。となれば市街地の被害はもちろん大変ですが田畑はさらに大変。がれきを除去すれば復旧作業に入れた市街地と違い、残った塩分はそのまま。しかも排水設備は機能していないままなので流し出すのも大変なのだそうです。

阿武隈川の河口付近の堤防はいまだに応急措置のままでした。県道10号から外れて何とか海岸まで行ってみたいと思ったのですが、工事車両以外通行止め。しかし、まばらに生え残った防潮林に当時の津波の激しさを理解できます。そして現在の現地状況が復興にはほど遠い状態ではあっても、被災直後から比べれば雲泥の差といえるほどにがれきの撤去が進んでいることも‥(わたしが初めて津波被災地を訪問したのは震災から2ヶ月後のいわき市海沿いエリアでした)。

しかし再起への道のりはまだまだ遠いことでしょう。田畑は塩分を含んだ水に浸かり(右上画像では道の両側に田んぼが広がっていますが、これらは代掻き後に水を張ったものではなく、おそらく「震災後手つかずの塩水だまりの田んぼ」なのだと思われます。そして集落の高台移転問題。しかしご覧のようにここには高台などなく‥地域コミュニティまでもが崩壊の危機に直面しているというべきなのでしょう。

そしてこのことは、海に囲まれた日本の海岸沿いであればどこにでも起こり得る問題であるということも肝に銘じなければならないでしょう。第二次大戦後の日本は高度経済成長によってもたらされた果実を食べることに慣れ、いわば「われわれがエデンの園」にいることを忘れていたのかも知れません。しかし、「楽園」から追放される日がいつかやってくるかもしれないという、そんな覚悟だけはしておかねばならないことを今回の地震は教えてくれたような気がします(あ、ここでは「禁断の果実=原発」だと意味づけるつもりはありません)。

さて、ここまで随分とのんびりしてしまったのですでに午後2時を回ってしまっています。そんなわけで仙台空港ICから高速道路で一気に石巻へと向かいます。ちょっと残念ですが、下道経由ではどれほど時間がかかるかわからないので。
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