− 北大東島・南大東島旅行記(2013/2) その12 笛吹おしんこどんのあとバリバリ岩、シュガートレイン線路跡など −


続いては一気に海岸へ出て西本場という場所へ。ここは特に港でもプールというわけでもないのになぜか海岸まで下りられるちょっと珍しい場所。いいかえれば南北大東島の場合、一定以上の必然的理由がない限り海岸への道は開削されていないということでもあります(それだけ幕上(はぐうえ)の外側は急峻なんですよ)。ん?ということはこの場所もかつては何かに利用されていたのかな?

と、ここでおしんこどんが勇んで取り出したのがわざわざここまで持ってきた篠笛。これまでなかなか吹く機会がなかったけれどここならいいよね?もちろん!だぁれもいませんから他人への迷惑など考えるまでもありません。大東の海に響けおしんこどんの笛の音っ!(笑)。


「おしんこどん、大東の海の神にお囃子を演奏奉納!」

ただ単に吹きたかっただけかも知れませんが(笑)。


でも、わざわざここ大東諸島にまで笛を持参するその根性たるや立派です!よーしとことん吹きなさい!(あ、彼女はアイスランドとかニュージーランドにも普通に持参していましたけれどね)。


ところで動画をごらんになっていただけたならおわかりでしょうが、ここ西本場の海岸はほぼ島の北端ゆえ昨日までいた北大東島の全景が見渡せるのです。ただしこちらを含めた両島ともどちらも「のっぺり」していますからわかりにくいですけれどね。というわけでズームしてみると‥おお、灯台が見えてます。あのすぐ真裏がハマユウ荘ということでしょう。

さてそんなわけでさらにドンドコばりばりといきましょう。というわけで次なる目的地は「バリバリ岩」。「何だそりゃ?」とお思いの各方面の方々もおられることでしょうが、洒落でも何でもなくこれが正式名称です。だってですね、




そういえば南北大東島それぞれを巡っていて、道路事情として一番違うのはこのような看板というか標識の有無ですね。北大東島にはこういうポール式標識はほぼ見なかったもんなぁ。やっぱり居住人口の違いとかが関係しているのかも知れません。もっとも人口の多い南大東島でも島民は1292人/2010年ということですが(北大東島は665人/2010年)。

なおこのデータを調べていて思ったんですが、南北大東村ともに人口の流出=過疎化には一定の歯止めがかかっているようで、2005年比で南大東では-1人(十分に誤差の範囲ですね)、そして驚くなかれ北大東では+77人というデータがあります(by wikipedia)。各村の公式発表とは多少数字が違いますが(というか公式ウェブサイトのデータが古い)、この数字はすごいですねぇ。本土(本島)から飛行機でも1時間以上かかる島で人口が維持 or 増加しているってなかなか他島にはありません。これも「観光に頼らず産業の自立を図る」という島の姿勢の成果なのでしょう。ただ‥(以下後述)。

さてそんなわけですっかり話はそれちゃいましたがバリバリ岩です。右上画像のように駐車場からのエントリー部分こそなぜか手すりが付いていたりしますが、別にバリアフリーなわけでも何でもなく、結局はずんずんと未舗装の階段歩道を降りていくことになります。この時期はいいですが夏はつらそうだー(もっとも、南北大東島における観光客入り込み数が一番多いのはこの時期=2-3月であるという情報をどこかで見た記憶が(笑))。でもこの日この場所に他のお客さんは皆無でしたけれどね(大笑)。


最初は左上画像のようにまだ上部が開けた感じの狭隘部を進んでいきますが、やがてその道の先には‥


拙コンテンツをお読みのみなさま、一番最初に島の概要については書いたつもりですが、途中にいんぐりもんぐり、いや違ったインガンダルマとか地底湖ゴロゴロとかのネタを挟んだ関係でお忘れの方も多いと思いますのでここで改めて申し上げます。この大東諸島(南北大東島&沖大東島(無人島))の起源は4800万年前のニューギニア界隈、そこからプレートの境界か何かを利用してここまではるばる北上して日本までやって来た島だというのですよ。

そして現在も島は1年に5cmずつ沖縄本島側に向かって動いているといいます。まぁそういう地殻の変動があるからこそ悲しき地震も起きたりするわけですが、こればっかりはこの国に生まれたわれわれがそれとして受け止めるべき宿命なのでしょう。ただ、その「大地の動き」はここ南大東島本体にも当然影響を及ぼします。その一例がこのバリバリ岩地形なのだというわけです。

でも実はここの入り口付近を歩いていたこの時点では、「ふふーん、いわゆる『南大東島の○○』という感じなんじゃないかな」と思っていたんです。そしてそのようなサブタイトルが付いている場合、「本家の○○が腰を抜かすようなチンケなものである」ことが往々にしてあるわけです。しかしここバリバリ岩の場合は全然違いました(笑))。

幅2mくらいの岩の割れ目をゆく道はどんどんと細くなり、上のトンネルを越えるとさらに一気に下るようになります。何だか2012夏の北アルプス水平歩道を思い出したりもしますが、はっきりと違うのは垂直に近い壁の「ど真ん中ではなく一番下を歩いている」ことであり、そのため少なくとも落石さえなければあとはただの閉塞感しかありません。

で、その谷あいを歩いていたら「よくぞまぁここでここまで」系のダイトウビロウの大木が出てきました(左上画像)。出芽から幼年期少年期、そして成人期に至るまでわずかな光=命の糧を何とかつないで生きてきて、そして今やっと何とか人並みに(ビロウ並みに?)生きているこの木、こいつは頑張ってるよなー。樹高は20mくらいあるでしょうか。あ、でもこの地形なら「命の水」は結構豊富に吸収できていたはずだし、台風の時なども風の来る方向はどう考えても一定だし、そもそも木の一番上でもバリバリ岩の割れ目より下なんだから風に揺らされることもなく‥もしかして今のキミの生活はピカピカにパラダイス?

ま、そんな景色を眺めつつ、トンネルを越えてさらに下へと下っていきます。実はこのあたりから傾斜角が強まり、結構な下り坂です。ただしさすがに入り口には看板や駐車場があるような「観光地」ですから、そこそこ整備はされています。でもここが観光地たり得る条件として一番大切な条件ともいえる「他の観光客の姿」をわれわれが見ることはついぞありませんでした(笑)。でも、南大東島を訪れたなら是非とも訪れてほしい場所であることだけは確かです。


さてダイトウビロウを真下から見上げたりしながらさらに歩を進めていくと、両側の壁はさらにその高さを増し、右上画像のようにもう全然上が見えないくらいです。そしてその先は洞窟のようになっていて(この先はまだバリバリと割れてはいないというわけです)。その内部をうかがい知ろうとしても‥(左上画像マウスオン)うーん、まったく見えませんね(笑)。

そこで文明の利器懐中電灯‥なんてモノは持ってきていないので(「岩の裂け目」ということは知っていたけれど、最後が洞窟になっているなんて知らなかったので)、カメラのフラッシュで代用することにしました。


上画像がバリバリ岩の最終ポイントです。ここから奥に進むことはできませ‥せ‥ん?何と斜め方向に洞窟が続いているようです。そこでそちら方向にカメラを向けてパシャリと撮ってみると(左上画像マウスオン)‥ん?ありゃ何だ?


一瞬「どこかの阿呆どもがあそこで宴会だか花火だかをやってゴミをそのまま放置したのか?」と思いましたが、それにしてはこの段ボール周辺にゴミの散乱などはなさそうですし、しかもあそこにまであの箱を運び入れるのには何らかのポジティブな目的があるはずです。もしかしてあの星野洞のように、あの箱の中には「中学卒業と同時に島を出る子供たちの成人式用に泡盛が入っている」のかもしれません(まさかですがね)。

ま、いずれにせよ現実的事象の根源を解明しようとせず多少はミステリアスな部分を残しておいた方が面白いと思うのでこれ以上近づくのはやめにしました。「カメラのフラッシュ=一瞬の光だけでは基本的に真っ暗なので怖じけづいて進めなかった」わけでは断じてありませんので念のため(苦笑)。


さてそんなわけで来た道を戻ります。それにしても何とも不思議な自然の造形です。では帰り道を動画でふり返ってみましょう。


「バリバリ岩は結構傾斜も急だったりする」

でも危険はないし天気がよければ是非行くべし!。


底部分にも多少の植物が生えていました。右上画像のおしんこどん、それは恥じらいを知ったイヴをモチーフにしているんでしょうか?しかしTakemaの行動はさらに謎というかあまりにもわかりやすいというか、要は願望をはっきり行動で表したわけですね(大笑&左上画像マウスオン)。

さていつものように自虐系で〆たあと再び駐車場まで戻ってきてみると、すぐ脇のサトウキビ収穫後の畑には‥。


到着時にはおられなかった皆さんが何やら笛の合図をもとに何やら訓練中でありました。消防団員かなと思ったのですが、結局は聞けないままだったので結局は謎のままです。それにしても「ライ麦畑でつかまえて」じゃなくて「サトウキビ畑で訓練して」というのは、やっぱり場所柄キビキビと動けるからなんでしょうかね(何のこっちゃ)。

このあと南大東漁港の見学を断念し(反対側からアクセスしたがやっぱりだめ)、そろそろ時間も押してきたので在所の宿方面へと向かうことにしました。もっともまだ寄り道はするんですけれど(最後まで未練がましさ満載)。


そんなわけで交差点まで戻ってきました。ここには道路表示板があり、しっかり「バリバリ岩」も一人前に案内されています(左上画像マウスオン)。

ところで右上画像は簡易型の貯水タンクで、おそらくは貯水池などで汲んできた水を給水車でここまで運んできて畑の散水に利用しているのだと思われます。このような設備は北大東島では見られず南大東のオリジナルだと思われますが、表面積が大きいこともあり夏などは蒸発してしまう量も結構すごいのでは?

それはともかくとして、サトウキビ畑の中をのんびりと進んでいくとちょっと不思議な気分にさせられます。それはつまり‥。





少し強めの風にサトウキビの花が揺れています。葉や茎が擦れ合う音が「ざわわ」。それ以外には何の音も聞こえません。2月だというのにこの光景は春の気配バリバリ岩そのものの大東島なのでありました(苦しいな)。


こちら南大東島でも当然大型のハーベスターが活躍しておりました。で、道ばたの刈り取りを終えた畑をよく見るとサトウキビの新たな芽が出ていました。がんばれーと言いたいところですが、おそらくこのあとは畑の畝造りから始めることでしょうから、この根もはぎ取られちゃうんでしょうか。それとも残った地下茎をそのまま再利用?

このあとは「南大東空港」へと向かいます。え?まだ宿に荷物が置いてあるのに何でそのまま空港へ?いや実はこれから向かうのは旧空港施設でして、その跡地を利用した様々な施設(ビジターセンター、ラム酒工場、そして村営住宅も)が造られているのです。となれば‥






旧空港の元待合室とおぼしき部屋は(株)グレイスラムの事務所兼売店となっていますが、運用当時の掲示物等も極力そのまま残されているところがいい感じです。南西航空とか、懐かしい響きだなぁ。

この日は祝日ということで工場見学などはできませんでしたが(いや、そもそも見学できるのかどうかも不明(笑))、製造工程などの掲示はありました(右上画像マウスオン)。とりあえずお土産に赤ラベルと緑ラベルをそれぞれ1本ずつ購入。

なおこの近くには「島まるごと館」なる施設があるのですが、行ってみたらこの日はまるごと閉館中でありました(祝日なのに)。このあたりは北大東同様「観光?なにそれ?」系ですね(笑)。そんなわけでそろそろ宿に戻って荷物をピックアップしなければ。でもちょっと寄りたい場所があるのでちょっと遠回りでぐるりっと。


案外あっさりと目的地に到着です。周辺には看板も何もありませんが、道路を横断する線路ですぐにそれと知れます。


あくまで旅客用ではなく貨物専用の鉄道でしたが、それでも当時の島の子どもたちは親から「やっちゃダメだよ」と言われつつも走る列車につかまって移動したりしていたんだとか。ま、ある種その親御さんたちもその昔同じことをしていたのかも知れませんが(笑)。

しかし1983年にその運行を終えたあとはどんどん鉄路も撤去され、今では島内に数カ所しか線路の遺構は残っていないようです。実はこの日、地図上に記載されていた別の場所でも線路を探してみたんですが結局は見つけることができませんでした。今残っている線路だけでも「島の歴史の生き証人」として保存し続けてほしいものです。



道路を横断した鉄路はどこまでも続くサトウキビ畑の片隅で途切れていました。奥には電柱がどん!と。



ねじ曲げられた線路の末端は朽ちかけています。この鉄路がリアルな状態でここにあり続けることを祈ります。


そんなわけで保存への祈りを込めて無意味にジャンプしたところで(右上画像マウスオン)話を先に進めよう‥ん?何だかこんな感じで道路のど真ん中ジャンプってどこかでもやったような気がするぞと思ったら、2008年の南アフリカ、道路上を横断する南回帰線の上でジャンプしてました(左上画像マウスオン)。まぁ何ともどこでもジャンプしてるのねというか継続は力なりというかナントカの一つ覚えというか(笑)。

さて町の中心部へと戻ってくると、島の経済エンジンともいえる製糖工場と町役場が見えてきました。


製糖工場には高い煙突があるのですぐそれとわかりますが、その煙突には次のようなスローガンが記されておりました。それは‥(左上画像マウスオンで拡大)。


そうなんです。南北大東島ともサトウキビ関連事業は島最大の独自産業であり経済の屋台骨を支えています(この場合公共事業がらみの土木業は除きます)。そしてそこには、産業を成り立たせるべく多額の補助金が公庫から拠出されているわけです(これは南北大東島に限った話ではありません)。

そして、最初のページでも書きましたが、この絶海の孤島大東諸島の存在により、沖ノ鳥島と合わせて日本のEEZ(排他的経済水域)は格段に広大になっているわけで、いわば「島の存在自体がわが国の安全保障および経済的利益に貢献している」ともいえるわけです。

このスローガンは、島を島たらしめるべき決意を表現したものでしょう。現在の南北大東島は、これだけの離島であるにもかかわらず人口減少は起こっておらず経済規模も縮小していない(と思う)、いわば「離島の優等生」です。しかしそれを支えているのがサトウキビ産業や公共事業である以上、それらを回す油としての離島振興補助金や農業補助金は欠かせないでしょう。そしてその油こそが、周辺域の安全保障にも大きく関係してくるということも。

そんな両島にとって、いま巷でうわさのTPPをめぐる情勢は最大の関心事でしょう。役場前の幟には「TPP交渉への参加反対」云々と書かれていましたし、仮に砂糖関係の関税が完全撤廃されたら島はひとたまりもありませんからこの主張もわかります(もっとも、それに対する一切の国内対策が行われないということもあまりに考えにくいのではありますが)。

TPPについてはいまこのページをタイプしている2013/3においても現在進行形であり今後どうなるのかはわかりませんが、はっきりと感じたことを1つだけ。

離島というハンディキャップを背負っているが故に、両島が補助金なしで完全に自立するということは不可能です。でも、他に目を移してみると、「湯水のようにじゃぼじゃぼ補助金をつぎ込んでも人口減少と高齢化に歯止めがかからず生産活動そのものが先細りになっている」地域が一体どれだけあることか。

この島は離島でありながら人口規模を維持し生産活動も向上させ、しかも日本農業の問題点である小規模自営から脱却し先進的な農業活動を維持しています(その一方で、社会インフラの整備事業はこの先そろそろ一段落なのかなという気もしますが)。となれば‥


まじめな話、この両島滞在時には「離島らしい」うらぶれた雰囲気をあまり感じませんでした。それは両島が「元気」であることの証左だと思うのです。TPPにおいても製糖関係については他国(というかアメリカ)も「関税撤廃の例外」にするよう求めているとか何だとかと耳に入ってきますが、政府に対し「縮小均衡でやっているところをこれを機に改革する」ような方向で臨んでくれるよう切に求める次第です。

あー、何だかまたくそまじめになっちゃいました。さてそれではそろそろ島を離れる時間が近づいてきましたがこの続きは次ページにて。


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