− 北大東島・南大東島旅行記(2013/2) その8 しつこく北大東島2周目後半編(苦笑)−



うわーい、これぞ「大東ブルー」でしょっ!

 

江崎港からは時計回りに島の周回路を進みますが、ここから西港を経て北港までの区間は島の道路の中でも特に整備が進んでいる区間です。カーブは緩やかに切られ直進路も多くしかも西港周辺を除いては途中に建物もほとんどないため、場所によっては「何だよここ、北海道の天塩−稚内を結ぶ道道106号とそっくりだ!」というデジャブー系の感覚が味わえます(笑)。ただしこの島に自分のバイクを持ち込むのは至難の業ですので念のため(原付なら借りられますけれどね)。

で、昨日その大規模さにぶったまげた漁港まで再びやってきました(とはいえ江崎港から車なら4分です)。昨日は気づきませんでしたが手前に見学ブースがあったんです。





 

ここにはちゃんと工事手順の流れを写真付きで紹介した掲示板があり、漁港建設のため道路を付け替えた際に出た廃アスファルトを本島の工場で処理したこと、発破を用いて開削したときの様子などが詳しく記載されています。でも地元の人は何度もここを訪れるはずもないし、そもそも少ない観光客も、この場所に気づいて立ち寄る人はほとんどいないでしょう。やっぱりちょっとモッタイナイかも。

 

さてその現場からまた3-4分走ったところにいわゆる「クリーンセンター(要はゴミ焼却施設ね)」があるのですが、そのほぼ真向かいに何かがあったのを見つけて急停車、バックで戻りました(笑)。これまた昨日は気づかなかったぞ。

駐車スペースに車を止めて掲示を見てみると、どうやらここが大東島開拓の祖である玉置半右衛門氏一行が上陸した場所なのだとか。あのー、看板とかないんですか?(ほとんどないのが特に北大東島のデフォルトです)。

海岸に下りる手前の平地には、あずまやと「開拓百周年」の記念碑がありました。ただし玉置氏一行が北大東島に上陸したのは明治36年(1903年)ということですから、今年はちょうど110年ということになるわけですね(右上画像マウスオン)。

この園地から海岸に下っていく歩道があります。この島で一般人が普通に海岸に下れるのは沖縄海とここしかないのでは?

 

あらためて見てみると、何だか囚人服みたいな上下で写っていたことがわかって反省(笑)。



はしゃぐおしんこどんはなぜか岩の上に上ってご満悦の様子です(笑)。


ページトップにもあるこの画像地点が最初の上陸地だったそうで、たぶんその当日はこの日のように波も穏やかな感じだったのでしょう。実は当時島の上陸は何度か試みられたということですし、「ここしかない!今日なら行ける、行くぞ!」という感じだったのではないかと。

 

なぜかゲートが閉じられている北港を通り過ぎ、どうせあとで来る空港はスルーして再び「沖縄海」へ。右上画像がその分岐ですが、珍しくここには看板があります。だから昨日もわかったんですけれどね(右上画像マウスオン)。

さて「あと1000m」と記された道ですが、基本的には舗装されているのになぜか途中大小3ヶ所、舗装がない場所が。これってやっぱり波の仕業なんでしょうかね、だとしたら台風の時にはとてつもない波が来ていることになりますが‥たぶん来るのでしょうすごいのが。


「沖縄海への道」

一番手前が結構荒れてます。進行左側は空港のフェンスです。
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そんなわけで快適道中で沖縄海へ。今日は安定しているんじゃないかと期待しつつ上から眺めてみると‥

 


(右上画像マウスオンで、おしんこどんはどこにいる?クイズの解答が表示されます)

実はまだこの段階では体のだるさから完全回復していなかったため下に降りていかなかったTakemaです。で、おしんこどんが上がってきたところで(聞けば「この真下でオジサンが何やら昼食中、釣った魚を鍋料理で賞味中か?」ということでした)昨日も写真を撮影した最東端のモニュメントへ。しかし昨日と大きく違うことが1つ。それは‥

 


(あ、実際にはちょこっと過ぎてましたが。でも日時計の方も微妙に針がずれてます。右上画像マウスオンもお忘れなく)

このあとは再び内陸に入り(ほぼ1周完了)、確か昨日空港から送迎してもらった時に通ったいわば「メインロード」を進んでいきます。サトウキビ収穫直後らしく道路に葉っぱが散らばり放題の区間を徐行し、再び加速しようとしたところで「あれ?」と思ってそのまま停車。

 

はい、ヤギです。南の離島にヤギが多いというのは、その昔外洋航海船が「いつか難破してこの島にたどり着いた船人のために」ヤギを放ったからだという話を聞いたことがありますが、ここ大東諸島でも野生のヤギはわずかながら生息しているらしい?でも、ここ大東島でもヤギは食用に供されますから決して安住の地ではないですね。つまりキミたちもいつか‥。

 

その先には製糖工場がありました。ちょうどお昼休みのタイミングなのか外から見た工場は静かなものでしたが、ここは島の農業の核心的施設、しかもこの冬の時期のみ集中操業ですからね。ここに集められたサトウキビの茎は、絞った糖液を加熱して濃縮し、でも黒糖のように固体化させる前のすんでのところで止めた状態で船に積み込んで沖縄本島に出荷します。

ふと思ったんですが、沖縄といえばイメージするのが黒糖ですよね。でももしかして、これまで自分が口にしてきた黒糖って実はこの島の産品だったのかも?と思うと何だか嬉しい(ま、その可能性云々についてはさておいてね)。

ちなみに製糖工場沿いの道を挟んで真向かいには赤池(右上画像マウスオン)がありました。周囲を「長幕」に囲まれた中央部に淡水の池とは、この島は何と恵まれて‥いや、話はそう簡単ではないのです。でもこのネタの種明かしは南大東島編まで先送りすることにしましょう(性格悪)。

 

製糖工場のすぐ先(南側)には北大東村の心臓部ともいえる役場(左上画像)や消防署に派出所、そして観光案内所や小中学校があります。でも、そのど真ん中を突っ切る道といえば右画像の通りとってものんびりしていたりするわけです(ま、この日が日曜日だったせいでもあるとも思いますが)。

ちなみに役場は見たところ無人にもかかわらず入り口が開け放たれていて、極端な話わたしが役場のPCに勝手に触ることも可能な状態でした。もちろんセキュリティコードによる管理はなされているはずですが、空港に掲示されていた「車の鍵をつけっぱなしに云々」という警告はある種役場そのものにもあてはまってしまうのではないかと‥(苦笑)。ただ離島に共通していえるのは「出入りがほぼ確実に把握できるので悪さは出来ない」ということなんですけれどね。われわれも、役場の玄関まで進んだところで退散しました。

 

そしてこれまたおおらかなのが役場の隣にある観光案内所です。でもここもまたゆったりとやる気のなさを示すがごとく‥


(右上画像マウスオンで「ご自由にご覧下さい」画像に変わります)

もっとも、はるか古代に性善説を唱えたお方を輩出したかの国で同じことをやったらたぶん数時間のうちに室内の調度品は全てなくなるのではないかと思われますが(苦笑)。

でもそれはともかくとして、たとえば孔子や孟子にしろ、仏教キリスト教イスラム教にしろ、また宗教ではなくても個人主義や合理主義のような思想に至るまで、その考え方や教えや価値観に共通するのは「要はその当時それらとは真逆の状況で世の中が動いていたからこそそれらが生まれた」ということですよね。

となれば戦後の日本が物質的な充足を「豊かさ」と定義づけ、その達成に向けてひた走ってきたその裏で、それとは別定義での「豊かさ」を標榜する新たな思考や行動の流れが出てきてもいいのではないかという気もします。いや、それはもう始まっているのかも知れません。

 

さて、そんなこんなで島の2周目終了です。結局2日間の走行距離は52km、周囲13.52kmちょい(ただし海岸線長だと18.3km=wikipedia)の島にしてこの走行距離は多いのかどうなのか、ま、気持ちよく走れたのでやっぱり車を借りてよかったかなと。

そしてお昼ご飯をハマユウ荘でいただきます。ちなみに先客さんのお膳を見たら何だかご飯もおかずも結構な量だったのに恐れをなして、Takemaは沖縄そばを注文。おしんこどんはチャレンジャーだなー(笑)。この丼物も結構高さがあるんですよ。

 

レセプション内には島のお土産品やレンタル自転車などが並べられています。北大東空港のおみやげ屋さん(兼喫茶店)の品揃えはあまり多くなかった気もするので、やっぱりここで買っておくのが一番かも知れません。

で、ふと右上画像の掲示物に目がいきました。画像が小さくてよくわからないと思いますので説明しますと、これまではドコモの携帯電話を利用する際、「北大東島発信−無線アンテナで南大東島へ伝送−人工衛星経由で沖縄本島へ伝送」していたので通話品質等に若干の問題があったが、2012年3月27日より南大東島−沖縄本島間の海底光ケーブルの運用が開始され、いろいろと具合がよくなったよというようなことなのです。本島と大東諸島とは320kmほど離れていますから、超長距離のケーブルを敷設したというわけで、いやはや関係者の皆さまお疲れさまでした。

なお、大東諸島はこれまでソフトバンクが全面圏外だったようですが一応近々エリア内になるのだとか。わたしゃ一貫して「人口が少ない場所で一番使える」という点から完全ドコモ派ですので来島前にもエリアの下調べはしませんでしたが、ソフトバンク派の方はこういう時に気を遣うんだろうな(うふふ=性格悪)。

 

まだ送迎車発車の14:00までには少し時間があるのであたりをお散歩。宿のすぐ近くには右上画像のような民俗資料館があったりするのですが、こちらの開館時間ときたら「北大東村の観光に対する姿勢を象徴するがごとくだいぶ困ったちゃん」なのです。だって開館時間ときたら‥



担当は教育委員会らしいのですが‥地元の人が行くわけじゃないし、どうせすぐ近くなんだからハマユウ荘に鍵を預けて委託しちゃうとかいう運用は不可能なんでしょうか?このあたり、是非とも善処をお願いしたいところです。われわれもそうですが、こういう施設を見学したがる観光客の多くは週末絡みで島を訪れるのですから‥。

とまぁ最後に一つだけブツブツとつぶやきましたが、まぁ「島に何しに来たの?観光?何それ!」と島の方々につぶやかれてもおかしくない「何もない島」ではあります。でも、だからこそ来てみたいと思って来たんです。結構楽しめましたよここ北大東島っ!

そんなわけで、このあとはお隣の南大東島へ移動すべく空港へと向かいました。

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