− 2013/3 八丈島&青ヶ島編 その13 八丈富士に登っちゃえ!−



あれれ工事車両に行く手を阻まれ‥いや、何やら矢印が?(上画像マウスオンで拡大)。

というわけで登山口を出発したのは13:45。夏の北アルプスとかだったらもうキャンプ地か小屋に到着して冷えた缶ビールのプルトップをプシュッ、んぐんぐ、ぱふーとやっている時間なのですがね(笑)。ま、この日は夕立が来る気配ゼロでしたし天候が急変してもすぐに下山できるので問題はないかと。


で、この工事はどうやら登山道の整備中らしく、すぐ上には結構頑丈なゲートがありました。ここから下は牧場なのでゲートがあるのはわかるのですが、牛の進入禁止(Cattle Stop)のためにここまで高いゲートは要らないのではないかと‥もしかしてビジターセンターから逃げ出した「抜けキョン」でもいるのでしょうか?(笑)。

ちなみに房総半島ではかつての行川アイランド(閉鎖)から逃げ出したキョンが半島内で大増殖しているのだとか。すでに数万頭?効果的な捕獲法はなくその数は増えるばかりだそうで、今はまだ半島部にいるからまだしも、この生息域が千葉−大網ラインを突破すると大変なことになるような予感が‥。


さて緩やかな階段を登り始めますが、階段って結構疲れるんですよね、それではすぐ脇のスロープ状のところを‥え、いや、ダメなのね(苦笑)。どうやら今回の登山道の整備箇所は、階段本体ではなくこのスロープそのもののようなのです。


登山道の脇にはところどころ左上画像のような深い穴が見受けられます。これも1万年前の火山活動の名残なのでしょう。で、中間地点までやって来ましたが、手すりが階段の2/3を占領していて歩きにくいよ(笑)。

で、そこからもう少し進んでいくと「工事現場」に到着しました。




(何だかんだいって結構乗り物大好きTakemaです。モンゴルでは「トナカイ」にも乗りましたっけ)

まぁさすがに「乗せてください」「いいよ!」という流れになるわけもないので指をくわえて見ているだけでしたけれどね(笑)。それにしてもこのスロープだけに手を入れているのはいったいなぜなのだろう?工事終了後は登降に階段ではなくスロープを使う人が増えそうです。あ、もしかしたらこれまでもそうだったからスロープの表面が劣化してボロくなったのを補修していたってこと?





かなり標高を上げてきたあたりからは傾斜もゆるみ、そしてもちろん景色もよくなってきました(左上画像マウスオンで三根地区およびフェリーの港画像に変わります)。そしてそこからすぐに外輪山の縁に到着!



そんなわけでそれぞれに「ヤッタネ!」のポーズ。「年甲斐もなく」という言葉は禁句です(笑)。



さてここからは外輪山の縁を左に行けば八丈富士へと到着します。が、このあとわれわれが向かったのは旧火口内部にある浅間神社でありました。ま、ここには元々行こうと思っていたしね。


そんなわけで浅間神社へと下っていく途中で、後ろから結構な勢いで追いついてくる登山者あり。右上画像の標柱あたりで道を譲ろうとしたら、あれれ白人さん。でもフツーに「こんにちは!」と発していたところをみると、さては中学高校の英語補助の先生かなと推測。

で、その彼は浅間神社とは全く別の方向へと進んでいきました(謎笑)。で、まぁわれわれは所期の目的通り浅間神社を目指したのであります。


案外じっとりとした土壌や池の存在にちょっとびっくり。だってここは火口内だから火山灰土=水はけがいいというか良すぎるはず、のエリアですからね。

ただしここは外輪山という天然の壁に守られた仙境、雨が多くなおかつ台風などの強風からも守られているわけですから植物にとっては絶好の生育環境なのです。最初こそ貧栄養にもがき苦しんだであろう植物も、やがて有機物が堆積し、今や樹木の繁茂を見るに至っているわけです。その証拠に外輪山の縁にはいまだに樹木はなく、吹きすさぶ風に耐えられる草だけが何とかしがみついているばかりなのですから。

そんなこんなで歩いていくうちに(途中には木道もあり)、ようやく鳥居が見えてきました。


浅間神社に到着です。と、ここで「八丈島界隈の信仰」に対して思いを新たにしたのが右上画像。そこに置かれていたのはやっぱり玉石。玉石はそもそも海岸の石が長年の浸食により角が取れることによって成形されるものですから、ここ火口内に自然に存在するはずがありません。ということは「奉納」するために人々がわざわざ担ぎ上げたわけであり、地元八丈の方々が玉石に特別な思いを持っていることは間違いないようですね。

それにしても石を担ぎ上げるって自分もその昔丹沢の塔ノ岳でやった記憶があるぞ‥あ、あれは信仰のためじゃなくて単なる歩荷(ボッカ)訓練だったか(笑)。思い出すなぁ、登山道沿いに立て看板があって、そこには「ボッカをされる皆さんへ:石は花立付近で下ろしてください。登山道築造用に利用します」と書かれていたんだっけ。でも結局頂上まで背負い上げさせられたよなぁ(笑)。

ところでこれら玉石の中でひときわ目立っていたのが「TEPCO」とペイントされた玉石(左上画像マウスオン)。これはもしかして、八丈の発電所勤務の方々が福島第一原発事故の収束を願って担ぎ上げ奉納したということなのでしょうか?

なお八丈富士の頂上部分は青ヶ島と同じく二重火山になっていまして、この浅間神社はカルデラ火口内部の中央火口丘の縁にあります。というわけで神社のすぐ脇には‥





いやぁこりゃなかなかすごいわ。ちなみにこの火口は噴火活動の終了時に火道からのマグマ供給が止まったことにより陥没して形成されたのだとか。なるほどねぇ。






このあたりには池も多く湿気たっぷりということで、サルオガセもたくさん付いていました(右上画像マウスオン)。

さてこのあとは来た道を戻っていよいよ頂上へ‥へ?おしんこどん?さっきの白人さんが行った方にも行ってみようだって?気乗りはしなかったTakemaですが、まぁいいかと思って進んでいくと、これがとんでもない悪路。


どうやら中央火口丘の最高地点まで続く道だったのかと思いますが、「ハムスターのトンネル」みたいな道が続き始めたあたりでいい加減嫌気がさして右上画像地点で「終了」。おしんこどんはもっと先まで行きましたが、Takemaが来る気配がないのであきらめて戻ってきました。だってハム道は小枝大枝がデイパックに引っかかって、時には前に進めなくなるんだもん。

なお右上画像の谷は割れ目噴火の痕でしょうかね。あの谷の向こう側には小さな山上池があったということが、このあと稜線から眺めてわかりました。


再び外輪山まで戻る途中にはここにも噴火の痕跡を示す穴が開いていましたが、内部を眺めると何やらうすぼんやりと光っているように見えるんですよね。これって‥以前なら「謎です」とタイプしてハイ終了というところでしょうが、2013/2に南大東島で同じような光景を見ていますから「おそらく水滴が光っているだけ」だと思われます。なお左上画像マウスオンで南大東島鍾乳洞内画像に(見にくいですが、金色に光っているのは全て水滴です)、そして右上画像マウスオンで本画像と同じ場所のフラッシュ撮影画像に変わります。

えっちらおっちらと登り返して再び外輪山の稜線へ。ちなみにこの外輪山の直径は約400mということなので、単純に計算すれば外輪山のお鉢めぐり歩道は400*3.14=1256mということになります(ふと気づけば円周率を使った計算なんて20年以上やったことなかったぞ)。でもですね‥




こうやって頂上への登山道を見ると、とぉっても長閑な散歩道というかプロムナードという感じなのですが(同じだって)、この先頂上の手前あたりにはそこそこのやせ尾根部分もあるので、斜面を駆け上がってくる強い東風を横から受けながら頂上を目指すのには時折気を遣いました(そりゃ、冬山の稜線ほどじゃないけどさ=身体が浮く)。

あ、でも、外輪山東側の最高地点である八丈富士頂上ですが、考えてみれば‥


ただ、この時点ですでに15:00をとうに回っており、お鉢めぐりには休憩抜きで1時間くらいかかるということなのでまぁしょうがなかったかなと自己判断を正当化しておきましょう。そのあと登山口まで下りも20分くらいはかかるだろうし、この日の泊まりは島の東端の末吉地区だったりもするし云々。

登るにつれて、さっきハムスター道でいやになって戻った中央火口丘が見えてきました。なるほど、さっきはあの「プリンの端っこ」まで行って戻ったわけね(笑)。うーん、あそこで短気を起こしたのは間違いだったかな、だって割れ目谷を乗り越えた先には(左上画像マウスオン)‥


たぶん間違いないでしょう。北アルプスの雲ノ平とか芸能人にもいえることですが「遠くから見るからこそ美しい」というのはある種の真理真実(「まりまみ」じゃないよ「しんりしんじつ」だよ念のため)なのです。

さて右上画像マウスオンでいよいよ頂上の氷柱いや違った標柱が見えてきました。しかしここからがまだ長かった‥なんてことは全然なくて予想通りすぐに到着!(意味なくくどいですな)。


よぉっし、今回の八丈島観光最大の大目玉嶺上開花ハッパフミフミ赤字覚悟の出玉サイコー松竹梅が猪鹿蝶系アクティビティ、これにて要求貫徹満額回答です!(いつものことですが何のこっちゃ感を抱かずスルーしてください)。


山頂からは八丈島空港やその北側(画像左側)に広がる三根地区、滑走路の向こう側の大賀郷地区、そしてその奥には三原山(大島にも三宅島にもありますがここ八丈島にもあるんですよ@標高701m)も見えています。あちら三原山は10数万年前からの火山、そしてこちら八丈富士はせいぜい1万年前からの活動という「若い火山」なのだそうです。

前に書いた浅間神社奉納の玉石ですが、それこそ海岸にある普通の石(というか元は溶岩なのでしょう)が現在の玉石になるためには数万年単位の時間がかかると聞きました。そして古い火山である三原山側には腐葉土からなる粘土質の層が形成されているのでいろいろな作物の栽培に適しているが、こちら八丈富士側の土壌は水はけが良すぎて作物の栽培にはあまりよろしくないのだとか(まぁだから土壌改良はしているんでしょうが)。


ええっと、話がそもそも文系まっしぐらのTakemaとしてはかなりキビシイ方面系のネタになってしまったので、ここらで「デスラー艦来襲、取り舵いっぱいヤマト反転!」で頂上でのお話に戻します(またも意味なきデスラー艦)。

左上画像の奥には八丈小島が頭をのぞかせています(左上画像マウスオンで拡大)。で、右上画像マウスオンは言わずと知れたおしんこどんの笛画像、ただ風が強くて笛吹きは結構大変だったようです(時々音を外してた=普段は滅多に外さない)。では頂上からの景色&おしんこどんの演奏奉納をご覧下さい。





このあと外輪山を歩いて戻りますが風はかなり強かった。海はすぐ近くに見えますが標高差はまだ800m近くあったはずです。

外輪山からの下山路入口到着は15:45でありました。仮にお鉢をぐるりと巡っていたら、この地点への到着はおそらく16:20くらいになっていたはずで、うーん春の3月末とはいえそんな時間まで山上で行動しちゃいけませんね(何かトラブルがあったら一気に遭難事故ですから=行かなかったことへの言い訳を理論武装)。てなわけで登山口に向けて下り始めます。


下っていくと、往路でも見た登山道整備の工事はまだ行われていました(おそらく17:00終了)。右上画像は表面に微小サイズの石を撒いているところ、右上画像マウスオンでそれを平らに広げている画像に変わりますが、ふと思ったのが‥


という疑問でありました。1年365日のキビシイ日差しと年間降雨量が3200mmにも達する激しい雨、さらには台風襲来時には港の防波堤すらもっていかれるというとてつもない気象条件。このような過酷な気象条件の中、「この工事の成果」はいったい何年保つのかな?それに完工後はさらなる試練=登山者の踏みしめテンションにもさらされるわけですし。結果としてせいぜい数年でぼろぼろになるような気がするんですが。

もちろんこの疑問はこの日現場で働いておられた方々に向けるものではありません。ただふとそう思っただけですので念のため。


そんなわけで駐車場到着は右上画像の通りでありました。もうすっかり日も傾き、やっぱりこの時間に戻ってくるのが「健全なるタイムリミット」だったかも。

ではではこのあとは島の反対側(東側)の末吉地区@本日のお宿=民宿大吉丸さんへと向かいます。考えてみればこの旅行の初日最初に向かったエリアなんですけれどね。ということでこの続きは次ページにて。

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