− 2013/3 八丈島&青ヶ島編 その7 大凸部から青ヶ島の全貌を俯瞰し、さらに尾山展望広場へ




やったー、島の全貌が見渡せました!最初に展望が開けた地点にて。

とはいえ稜線に出てから大凸部までは緩やかな起伏の道を少し歩くのですが、好展望に恵まれているのですから何の苦にもなりません。また、訪問前から期待していた「おやつ」もたくさんありましたから(笑)。それは‥


野生のグミ。旅行前に青ヶ島発のブログを読んでいたら「グミができはじめました。今年は当たり年みたい。」という記載があったので「栽培ものかな野生種なのかな」と思っていたのです。が、日当たりのいいところにはけっこうどこにでも自生していたので「青ヶ島の山の恵み」をタンノーいたしました。食べたあとにやや渋みが残りますが(特に成熟直前の若い実)、これぞ青ヶ島の味と考えてけっこうほおばりました。そして食べる以外にも(以下後述)。



ここが最後の階段。登った先には座って大人数の会議が開けそうな展望施設が(でも座っちゃうと景色が見えない)。

なお、当然ながら三角点も設置されていますが(右上画像マウスオン)、絶海の孤島の三角点なのに三等三角点なんですね。ま、わたしゃ三角点マニアではないのでどうでもいいんですが。では、あらためて大凸部頂上からの景色を見てみましょう。


カルデラの内側を池之沢地区といいますが、その昔「青ヶ島に飢餓はない」と言われたそうです。というのも、この平坦な土地を利用してさまざまな作物が栽培でき、また太平洋を吹く強風(台風の時などは特に)も、外輪山が天然の防風壁となってくれるので被害は最小限に抑えられたからです(今でも、台風が直撃しそうな時などは島の人たちは車をここ池之沢に避難させるのだとか。外輪山の外側では軽自動車も転がされてしまうのだそうです)。

しかし、現在の青ヶ島村の集落は外輪山の外に形成されています。ここから見えている池之沢地区の建物は工事用の事務所だったり農業用施設だったりまぁいろいろとありますが(もちろん畑もある)、皆さん集落から通いで来ており池之沢地区に定住している村民はいないはずです。なぜなら‥


前のページで書いたとおり、天明の大噴火で全島民避難に至った時の火山(丸山=別名「お富士様」)が上画像の右上に見えています。すぐ上で「飢餓はない」云々と書きましたが、それはこの大噴火の前のお話であり、今でもこの池之沢地区では噴気帯があちこちにあります(なお、島では噴気口のことを「ひんぎゃ」と呼びます)。「還住」を果たした村の人も、過去の教訓を忠実に守り「池之沢地区を利用してもいいが住んではならない」と考えているわけです。

なお、丸山の斜面を見ると縦縞模様がありますが、これは人工的な模様のようで椿が植林されているのだとか(樹高の低い部分が椿らしい)。なお丸山をぐるりと回る遊歩道もあるようです(さすがに1泊2日なのでそこまでは歩けなかったんですが次回は是非歩いてみたい‥っていつになるやら?)。さて、今度は視線をカルデラの外に向けてみましょう。


島の北端に近いわずかな平地(実際は全然平地でもないですが)を利用して集落が密集(というほどでもないか)しています。でも、カルデラの外側だから安全だということは全然なくて、実は右上画像に見えているヘリポートの奥にも「ひんぎゃ(噴気口)」があったりして、火山島ゆえどこで活動が活発化するかは地震同様長期的には全くわからないわけです。


別角度には海に面して「とてつもない規模の法面安定化事業そのもの」が見えていました。村の生命線はヘリではなく港です。そして島の港は現在ただ1つ「三宝港」があるだけです。さらに、そもそも集落が標高200-270mに位置しているのは「島の周囲全体が断崖絶壁」だからなのです。

その意味で集落と港を結ぶ道路はまさに生命線、というわけで離島振興関係の補助金を最大限に利用してライフラインの維持を図ったわけですが‥


いろいろと是非はあると思いますが、少なくとも「青ヶ島村の存非を決する」存在である三宝港関連の整備事業には、120億円もの巨費が投じられていたそうです。「いた」と書いたのは、今なお三宝港での工事は続いているから。でも「人口200人の島に120億円!」と聞いて「そんなの無駄だ、補償金を払って還住ならぬ移住をさせたほうがいい」という意見があるとすればわたしは決して首肯できないのです。

拙サイトはあくまで旅行記サイトなのでここでは詳しく述べませんが、少なくとも「ふるさとへの思い&愛着」を金銭で斟酌することは出来ないと思います。それは福島県浜通りに住まわれていた方々にも共通することだと思います。お金は何も解決しませんから。

で、右上画像の説明に進みます。現状では集落と三宝港を結ぶ道はこれしかありません。ただし、尾根を越えて来る道は現在使われておらず、その代わり平成4年に「外輪山をぶち抜く」平成流し坂トンネルが開通しています。

そして現在でもいろいろな場所で整備事業が行われており、その結果「人口200人弱の島なのに」ダンプ他の大型車とすれ違うことはかなり多いです。火山灰土に覆われたもろい地質の青ヶ島ゆえ、南北大東島とは違ってこれからも継続的に大規模な公共事業が行われていくことでしょう。これについては‥


というのがわたしの立ち位置スタンス(同じでしょ)です。さーてこれ以上書くと各方面から喧嘩を売られそうなのでジャンプ画像等でごまかすか(笑)。




そんなわけで青ヶ島の頂上で飛んでみたり伸ばしたりしてみました(苦笑)。このあとは来た道を戻っていきます。で、例の神社分岐まで降りてきて‥(実はかなり下りました)。さてここからは神社の参道を登ります。が!


最初は玉石じゃなかった気がしますし(埋もれていただけかも)傾斜も「へっへへー楽勝!」レベルだったのですが進むにつれてどんどん傾斜が急になってきました!(要は下からは上が見えなかったのですよ)。そして‥




青ヶ島の年平均湿度は85%というとてつもない数値のようですが(70%という話も)、この日は「さわやか青ヶ島」そのものという感じで湿気の多さを感じることは全くありませんでした。だから玉石の表面も完全に乾いていたし苔の上に足を乗せても全然滑らなかったし‥でもこの東台所神社への直登参拝路は‥



そんなわけで東台所神社へ。翌日に訪問した神社もそうだったんですが、なぜか青ヶ島の神社には五洋建設がいろいろと関わっているようです。でも五洋建設といえば総合建設カンパニーであるわけで、なぜ青ヶ島の小さな神社改修工事に関わっているんでしょうか?とこの「いるんで」までタイプしたところでふと思い出した大規模巨額の工事。あちらのおまけということなのかな?でも「島の小さな工事」もきちんと請け負ってくれる姿勢はいいのかなと。

さて実際の東台所神社はあまり整備もなされておらず(左上画像の鳥居は湿気ほかのためかしいでいます)、本殿もご挨拶程度に拝礼した次第でした(もちろん儀礼はちゃんとやりましたが)。でも帰宅後に調べてみたら‥「祟り神」だって?だからあまり手入れされていないのか?

と思っていたら、祟り神となった(というか死後勝手に祀られた)「浅の助」は、親族から彼を想う女性への恋愛感情の放棄を強制され(相思相愛なのに)、彼女にあえて「わたしの服を縫うのはいいから、先にあなたの服を縫いなさい」と言い、それを「浅の助さんとわたしの恋は成就できない」と思ってしまった彼女は思い詰めて首つり自殺(うわー)。

それを知った浅の助は逆上し、結婚を許さなかった親族その他に危害を加えることとなり‥一度は逃げたが自首した浅の助に対し、父であり名主である七太夫は彼を磔にし、村人全員に一槍ずつ突かせたということなのだとか。それにより祟り神として祀られたとか‥でも!


というのがTakemaの個人的見解です。もちろんそれを正当化するつもりもなく、「何だか自分はこう思うんです」というだけです。なお今では「縁結びの神様」という位置づけもなされているのだとか。よかったね浅の助さん!(なお名前については「朝の助」との表記もあるようです)。

さてここからは整備された歩道を尾山展望広場に向かって歩いていきます。この日は湿気も少なく山上でも風はそよ風程度の「さわやか青ヶ島」。運がいいなぁ。


柵付きの階段歩道を歩いていくと突然ベンチのある小さい広場に出ました。が、ここで休む人ってどれくらいいるのか謎です(島の人たちは用もないのにここまで上がってこないでしょうし、観光客も展望広場だけの往復ならばここまで足を延ばさない)。整備自体はもうしばらく前に行われたようですがちょっと過剰整備のような気が‥そして、その思いは展望広場に到着したときさらに強いものとなりました。


何だか「デザイナーズ展望広場」とでも呼びたくなるようなオブジェや円形広場があったりしますが、全体として統一感がなく「何を表現したかったんだろう?」と不思議な気持ちにさせられます。もっとも展望はよく(そりゃ当然ですが)集落からも近いので、時間がないときなどは大凸部よりこちらに来るほうがお手軽かも知れません。でも自分は大凸部派だなやっぱり。

ここからは一気に下っていくのですが、途中から寄り道してコンクリ道を一気に上っていきます。こちらには広大な「ある施設」があるのです。


その施設というのがこれ。広大な山の斜面がコンクリートで固められ、緑のペイントか樹脂でコーティングされています。しかも鉄条網で囲われていて一般人が内部に立ち入ることは認められていません(だから娯楽施設ではありません)。さてそれでは何の施設なのでしょう?ハイ考えてくださいね。ほらそこのキミ、すぐに下部を見て答えを知ろうとしないっ!(笑)。



(上記ロゴにマウスオンすると答えが表示されます)

絶海の孤島青ヶ島。年間降水量は2359mmにも及ぶ多雨の島ではあるのですが、小さな島でありまた地形の急峻さと火山灰土による水はけの良さから、降った雨はすぐに流れ落ちてしまうかしみこんでしまいます。昔から水が貴重だったこの島の水不足を根本的に解消すべくこのような取水施設が造られたのだそうです。

ちなみにこの施設関係による給水開始は昭和54年だそうで、それまでは各戸とも天水を利用していたそうです。そういえば今でも稜線上の山小屋などでは普通に天水を利用しているところがありますからね。

さて、この施設の一番上まで登ってきたところでお弁当タイム第一弾(おにぎり編)といきましょう。画像はないんですがいやぁおにぎりが本当に美味しかった!ただ、座っているところがそもそも斜面なのでちょっと落ち着きませんでしたが(笑)。下手におむすびが手からこぼれたらまさに「おむすびころりん実践編」だし(いきなりここだけ「おにぎりじゃなくておむすび」なのはご愛敬)、冗談抜きにペットボトルなんかを転がしてしまったら大変なスピードで落下してしまいそうなので細心の注意を払いましたよ、はい。

なおここにはドコモの基地局もありました。島内ではドコモはどこも通話通信圏内ですが、英雄とやわらか銀行の通話可能範囲は集落内だけとのこと(小さな基地局しかないのね)。だからわたしはこれからもドコモだけ!(ドコモさん何かサービスしてよ)。ただ、やわらかい方は池之沢でも何とか通じたという情報もあります(わたしゃ当然未確認)。


さて一気に下ってくるとまたグミの木の群生が‥ん?おしんこどんがなぜか斜め上方をうかがっているように見えますが、これは何をしているのかというと‥


というわけで青ヶ島村の方ゴメンナサイ、道路上にグミの種を多数放置してしまいました(陳謝)。して勝負は‥たぶんTakemaの優勢勝ちだったということにしておきましょう。


さて取水場まで降りて来ました。後日調べたところによるとこの貯水施設の容量は何と1万t!人口約200人弱の青ヶ島ですから1人あたり500L!いや違いますね相変わらず計算弱いですね、母数がトンなのですからちゃんと計算しましょうね、すると‥「満水の場合1人あたり50トン」ということになります。

でもこの数字を見て過剰設備だとかオーバースペックだとかいうつもりはありません。これは「万が一にも枯渇したら島民の生命に関わる」重要設備であり、また生活用水だけでなく建設現場や農業などにも利用されるであろう水の量を考えれば理解できます。ちなみに少し前まで青ヶ島村の広報誌には毎月の貯水率が掲示されていたそうです(最新の2013/3広報誌にはその掲載がありませんでしたが、それが「島の水事情はもはや日常的に逼迫する状況にはない」という判断に基づくものであれば何よりです)。

そういえば右上画像のような看板、以前はよく見ましたが最近はとんと見ませんね。この当時に収益をはき出しちゃった施策を講じた責任者、まさか褒賞を受けたりしていないだろうな(受けてるって絶対)。と、ここでちょうど正午の鐘が鳴りました。間に合わなくて最初だけ切れちゃってますが、ちょっとだけ青ヶ島気分を味わってください(笑)。




島の歌「池之沢」

東海孤島の青ヶ島 緑も深き池ノ沢
赤い椿のうるわしさ 芭蕉の葉陰で月を見る
青ヶ島 青ヶ島 われらの青ヶ島



坂道を下りきったT字路のすぐ近くには、天明の大噴火の後40数年後に「還住」を果たした立役者である佐々木次郎太夫氏の墓所がありました。おそらくは「まさかこんなことになるとは‥」と故郷を奪われ、そしてその数十年後に島民の帰還を果たした次郎太夫氏を、かの民俗学者柳田國男は「青ヶ島のモーゼ」と評しています。

柳田氏が「モーゼ」と表現し帰還事業を「還住」と書いたことの意味は大きく、今も八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の名は「還住丸」ですし、おそらく船が代替わりしてもこの船名は受け継がれることでしょう。それだけ「重い歴史」を背負った島なのですから‥。



「青ヶ島のモーゼ像」は小ぶりでしたが島の心の拠り所のはず。なのにあーあ、やっぱりやっちゃったのねTakema(右上画像マウスオン)。

さてそんなわけで島の周回路に向かって降りていくと大きな建物=公共施設=小中学校が出てきました。


それにしてもすごいなー渡り廊下の下に海が見えるって!(それだけその先が急峻ということなのですが)。離島や地方の学校施設が立派だというのはよくあることですが、この学校に通う生徒は何人くらいいるんだろう?

でも、前にも書いたように高校のない青ヶ島では「15の春」が青ヶ島とのお別れ時期なのです。それは同時に親兄弟と別れての「独り立ち」を意味するわけで、かえってそれは青ヶ島出身の子どもたちを強くするのでは?まぁよくはわかりませんが。

さらに宿に向かって歩いていくと、何だかいろんなものを目にしました(笑)。


左上画像はあるお宅に設置されていた何の変哲もないプロパンガスボンベなのですが、よく見てみるとわたしが住んでいる「千葉県市川市」の文字が!え?青ヶ島は東京都なんだしガスも都内から運んでいると思っていたんですが!(ちょっと驚き)。

で、右上画像は島にあるもう1軒の商店「十一屋」あたりに貼られていた掲示です、「青ヶ島はガソリン40円引き」。どうやらこれは民主党政権時代に離島振興策の一環として導入された期間限定の施策のようです。ただこのあと借りたレンタカー屋さん(兼車輌整備工場兼ガソリンスタンド兼おそらく十一屋さんも兼務)によると「たぶんこのあとも(実は3月末で期限が切れる)自民党が引き継いでくれるんじゃないかと期待しています」というような感じでした。「公的な施策で一度下げちゃった価格はもう戻せない」という見本ですね(苦笑)。ちなみに「八丈島より1円安いはずですよ」とのお言葉。バトルしてるなー(笑)。


フクイチ後散々叩かれている東京電力ですが、当然この島にも東電の発電所が島の電力を一手に引き受けています。原発事故のことで東電を一手に悪者扱いしている輩もいるようですが、原発も含め「やれるようにしかやれない」のが実際のところだと思いますし、こういった離島など「どう考えても単独採算が合うわけのない」地域においても安定供給を果たしてきたのがこれまでの電力会社でもあります。だからですね(以下略)。

あ、エネルギーも大切ですがわれわれの夜のエンタメも大切ですよね(あのね)。ちなみに島内にはこのページトップで紹介した居酒屋もんじのほか、右上画像には民宿杉ノ沢併設の居酒屋(右上画像)があります。いずれも集落内からは歩いて移動できる距離ですが‥


ちなみにTakemaは「中里」さんのフルボリューム夕食にノックアウトされましたんで青ヶ島の居酒屋デビューを果たせませんでした。悔しいなぁ。

このあとは文明の利器レンタカーを利用して機動的に島の各地へと進みます!

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