− その2 再開通した浜通り国道6号を目指し、まずは常磐道北上で富岡まで − はい、本日目指すのはこちらの湯でございます。東鳴子は赤這温泉阿部旅館さん。 |
(2014年10月11-13日) |
(原発建屋との距離は多少誤差があるかも知れませんがせいぜい100mくらいのものでしょう)。 |
自分としては、「2015のGWまでに常磐道を全線開通させる」と公言した首相の言葉を「南北の交通路は必ずや必要だし、でも6号を通すわけにもいかないだろうからその判断は妥当だな、あとは工事のスピードだ」と思いながら聞いていましたから。 |
|
そんなわけで一気に三郷から常磐道を北上です。三連休の初日ですが、常磐道沿線では紅葉にもまだ早い時期だからか交通量は普通の日曜日並みでした。日立から北は上記画像の通りこれまたいつもの日曜日並みだったんですが、おやおや磐越道はいわき三和から先が事故通行止めとはご愁傷様です(性格悪)。 |
|
料金所を抜けてまずは富岡駅方面へ。この区間は以前川内村から県道で走ってきたことがあるので記憶があります。沿道沿いには当然まだスクリーニング場(復興関係工事担当者や関係車両が放射線量検査を受けるポイント)が機能しています。この手の施設は規模の変更はあっても今後とも長く存在し続けることになるのでしょう(右上画像マウスオン)。 |
|
直進すると帰還困難区域との境界ゲートにぶつかります。南相馬方面へは左折なのですがここは右折して市街地の道路へ。この道は2014/3にも通ったので覚えています。常磐線がすぐ左脇の切り通しの下を走っているのでこの道沿いにフェンス等はありません。ここにも桜並木が続いているんですが、「あるじなしとて春な忘れそ」だよよろしくね(今度は桜に挨拶)。 |
(上画像マウスオンで拡大画像に変わります) |
この橋の部分は2014/10現在「居住制限地域」であり、宿泊はできませんが日中の立ち入りは誰でも出来ます。とはいえその境目にいながら「こっち側は大丈夫だもんね」と言うつもりはありません。この線路のすぐ先には夜ノ森駅がありますが(本当なら上の画像でもホームが見えているはず)、2014/9現在、駅周辺の放射線量は地上1cmで5.93μSv/h、地上1mでも5.27μSv/hだったようです(富岡町の発表データより)。 |
駅の方向に向かう道はもはやジャングル。看板もご覧のとおりの有様です。 |
法も危険も冒すつもりはないので、帰還困難区域の外側沿いに進んでいきます。そして、住所でいけば「夜ノ森南3丁目と4丁目の境の交差点」を右折してみると‥ |
夜ノ森といえば春の桜が有名なことは震災以前から聞き知っていましたが、訪問したことはありませんでした。そして震災後、ある年には町の職員氏?が設置したライブカメラで満開の桜を見られるようにしたこと、そしてこの地域にお住まいだった方々にとってこれらの桜が誇りであったことも、皮肉にも震災と原発事故を契機として知ることとなりました。でも、まさかその桜並木の通りがここにあったとは! |
これにはびっくりしました。その理由は2つありまして、1つはもちろんこんな町中を日中からキツネが堂々と闊歩しているという事実(このキツネがいるのは民家の駐車場内です)。そしてもう1つはこのキツネがわれわれを(車から降りてはいませんが)全く警戒することなく行動していたということです。 |
と思ってしまうわけです。ちなみにこの日は三連休の初日でしたが、ここ富岡町内では作業員の方々以外の姿はほとんど見ることがありませんでした。でも乗用車や軽トラの姿も見ましたから、たぶん皆さん少しずつ‥と、数年前に役場機能を地域に戻した川内村や広野町のことを思い出します。あちらだってまだまだなんだから‥(そう思うことにしましょう)。 |
|
そう思いつつ誰も歩いてもいない(壊れたままの商店も多い)商店街を進んでいくと、国道6号との交差点すぐ手前に営業中の商店発見!(右上画像)。金物屋さんなのでしょうが、「水まわりエクステリア 防犯対策 住宅改修承ります」とあります。 |
|
基本的に駅前は何も変わっていませんでした。津波に流されたまま放置された車も、ひどい被害を受けた駅前の中華料理屋さんの内部も手が入れられた様子はありません(お店の前の傾いた自販機だけは撤去されていましたが)。あと、駅前に放置された屋根材?に新たなステッカーが貼られていたことを除いては(左上画像マウスオン)。 |
|
地域への立ち入りが可能になってからそこそこの時間が経過しているはずですが、駅からすぐのエリアにはまだ「あの日のまま手つかず」の住宅が幾つも見られました。左上画像の二階建て住宅の一階にはあろうことか軽トラが突っ込んだまま(左上画像マウスオン)。 |
いつか常磐線がこの区間で運行を再開するとしても、それは間違いなく内陸側に新設されるであろう新線を経由することになるでしょう。再びこのホームに列車がすべり込むことはほぼ考えられません。かつては特急停車駅でもあったここ富岡駅ですが、たった3年半でここまで荒れてしまうという現実を目にすると、自分たちのいう文明社会なんて所詮「砂上の楼閣」に過ぎないのだなとあらためて実感します、いやそう考えざるを得ない現実がここにあります。 |
剥がれかけた乗車位置標識。長いあいだありがとう、もう靴で踏まれることもないからね(また挨拶)。 |
さてしかし、われわれはここからいよいよ国道6号を北上します。この交差点を右折してほんの1kmも進むともう警戒区域(帰還困難区域)なのです。 |
|
|