− その2 再開通した浜通り国道6号を目指し、まずは常磐道北上で富岡まで −



はい、本日目指すのはこちらの湯でございます。東鳴子は赤這温泉阿部旅館さん。
(2014年10月11-13日)

さて世の中は体育の日絡みの3連休。しかし連休後半には超弩級サイズの台風19号接近により大荒れ必至といういやな予報が出ていたのでありました。しかし早々と9月上旬に「連泊でーすお願いしまぁす」系の予約を入れていたTakemaは初心貫徹&湯治を完遂すべく常磐道を北上したのでありました(要はせっかくの休みなのでただ温泉に行きたいだけ)。

ただし今回は初めての北上ルートをとりました。常磐自動車道は安倍政権のいわば「国策」により2015年GW前までの全線開通を目指して工事が進められていますが、それに先立ち、一般国道たる国道6号線が何と2014/9/15から警戒区域内を含め再開通したのです。

もちろんエリアがエリアですから一定の条件はあります。まず外気に直接触れる可能性がある(というか必ず触れる)バイクや自転車、そして歩行者の通行は不可、車の場合もエアコンは内部換気にすべきこと、そして警戒区間内における駐停車は不可ということのようです。

しかしこの通行規制解除についてはそこそこおったまげました。というのも、

(原発建屋との距離は多少誤差があるかも知れませんがせいぜい100mくらいのものでしょう)。
自分としては、「2015のGWまでに常磐道を全線開通させる」と公言した首相の言葉を「南北の交通路は必ずや必要だし、でも6号を通すわけにもいかないだろうからその判断は妥当だな、あとは工事のスピードだ」と思いながら聞いていましたから。

ただ、このニュースを耳にしたときに自分の中で動いたものがありました。それは、「だったら一刻も早く通ってみようじゃないのさ」というごく単純な思いです。考えてみれば、原発事故後警戒区域の区割りが変更されるごとに「では行ってみよう」というのがいつものパターンでしたし。

そんなわけで一気に三郷から常磐道を北上です。三連休の初日ですが、常磐道沿線では紅葉にもまだ早い時期だからか交通量は普通の日曜日並みでした。日立から北は上記画像の通りこれまたいつもの日曜日並みだったんですが、おやおや磐越道はいわき三和から先が事故通行止めとはご愁傷様です(性格悪)。

でもそういえば、震災後長らくはあの赤ランプ点灯は必ずや本線表示の方に点灯していて「広野−常磐富岡 災害通行止め」だったんだよなぁ。最初見たころは「このランプが消える日などくるのだろうか?」などと悲観的に思うこともあったように思います。まだまだ収束には長い長い長い時間がかかるはずですが、状況は少しずつですが変化しているというわけです。

さて間もなく常磐富岡到着です。実は、広野−常磐富岡間を走行するのはこれが初めてでした。双葉郡エリアにはあまり気になる温泉がなかったこともあってついつい後回しにしているうちにかの原発事故となってしまったというわけです。しかし常磐道全通後は仙台以北へ向かう際はたぶんこの道が自分のメインルートとなることでしょう、今後ともヨロシク!(道路に向かって挨拶)。

料金所を抜けてまずは富岡駅方面へ。この区間は以前川内村から県道で走ってきたことがあるので記憶があります。沿道沿いには当然まだスクリーニング場(復興関係工事担当者や関係車両が放射線量検査を受けるポイント)が機能しています。この手の施設は規模の変更はあっても今後とも長く存在し続けることになるのでしょう(右上画像マウスオン)。

直進すると帰還困難区域との境界ゲートにぶつかります。南相馬方面へは左折なのですがここは右折して市街地の道路へ。この道は2014/3にも通ったので覚えています。常磐線がすぐ左脇の切り通しの下を走っているのでこの道沿いにフェンス等はありません。ここにも桜並木が続いているんですが、「あるじなしとて春な忘れそ」だよよろしくね(今度は桜に挨拶)。

と、警戒区域の南端に出たのか、橋を渡って反対側に渡れる交差点に出たので左折。橋の上から常磐線の線路を見てみると‥



(上画像マウスオンで拡大画像に変わります)

この橋の部分は2014/10現在「居住制限地域」であり、宿泊はできませんが日中の立ち入りは誰でも出来ます。とはいえその境目にいながら「こっち側は大丈夫だもんね」と言うつもりはありません。この線路のすぐ先には夜ノ森駅がありますが(本当なら上の画像でもホームが見えているはず)、2014/9現在、駅周辺の放射線量は地上1cmで5.93μSv/h、地上1mでも5.27μSv/hだったようです(富岡町の発表データより)。

わたしの住む千葉県市川市ですと日々変動はありますがだいたい0.06-0.10μSv/h。2014/9時点でたとえば福岡市発表のデータだと香椎で0.08μSv/hとありますから基本的に変わりません。それよりも、各市町村が公表している公式データと原子力規制委員会が発表しているモニタリングポストの数字が福岡と福島それぞれでやけに違うところの方が気になります。福岡と福島の各ポイントの数字がぐんと下がっているのに千葉は同じってどういうわけ?ま、その辺を突っ込んでみても不毛なのでやめておきましょう。


駅の方向に向かう道はもはやジャングル。看板もご覧のとおりの有様です。
法も危険も冒すつもりはないので、帰還困難区域の外側沿いに進んでいきます。そして、住所でいけば「夜ノ森南3丁目と4丁目の境の交差点」を右折してみると‥



夜ノ森といえば春の桜が有名なことは震災以前から聞き知っていましたが、訪問したことはありませんでした。そして震災後、ある年には町の職員氏?が設置したライブカメラで満開の桜を見られるようにしたこと、そしてこの地域にお住まいだった方々にとってこれらの桜が誇りであったことも、皮肉にも震災と原発事故を契機として知ることとなりました。でも、まさかその桜並木の通りがここにあったとは!

帰宅後調べてみると、桜並木だか桜祭りのメインは夜ノ森公園。しかし公園は完全に警戒区域(帰還困難区域)内にあります。現在のところ、夜ノ森の桜のトンネルで立ち入り可能な場所はどうやらこの区間だけだったようです。花はなくとも、うっすらと色付き始めた桜の紅葉をしばし楽しませていただきました。ありがとうございました(桜のトンネルに挨拶=今回はこればっかり)。

さてトンネルを抜けて県道に合流し商店街方面へと進んでいきますが、ここで何やら前の方を動物が横断したぞ?車を止めて見てみると‥





これにはびっくりしました。その理由は2つありまして、1つはもちろんこんな町中を日中からキツネが堂々と闊歩しているという事実(このキツネがいるのは民家の駐車場内です)。そしてもう1つはこのキツネがわれわれを(車から降りてはいませんが)全く警戒することなく行動していたということです。

いわき−南相馬の区間では生活者が減った or いなくなったことによりイノシシなどの野生動物の数が増えて問題になっているということです。実際われわれも以前国道6号を日中から堂々と横断するイノシシの姿を目撃しましたし、そもそも駆除できる状況ではないわけですから野生動物の生息数はここ数年でかなり増加していることでしょう。ということは‥

と思ってしまうわけです。ちなみにこの日は三連休の初日でしたが、ここ富岡町内では作業員の方々以外の姿はほとんど見ることがありませんでした。でも乗用車や軽トラの姿も見ましたから、たぶん皆さん少しずつ‥と、数年前に役場機能を地域に戻した川内村や広野町のことを思い出します。あちらだってまだまだなんだから‥(そう思うことにしましょう)。

そう思いつつ誰も歩いてもいない(壊れたままの商店も多い)商店街を進んでいくと、国道6号との交差点すぐ手前に営業中の商店発見!(右上画像)。金物屋さんなのでしょうが、「水まわりエクステリア 防犯対策 住宅改修承ります」とあります。

今すぐには戻れなくとも、戻る気持ちのある住民のために同じ地元として応援するのだと拝察します。お店の名前も確認できないままでしたが、いち早く前に進んで下さりありがとうございます。

さて国道6号を越え海側に位置する富岡駅へと向かいます。この先は津波による被害が顕著な地域です。そして今年の3月にもやってきた富岡駅へ。

基本的に駅前は何も変わっていませんでした。津波に流されたまま放置された車も、ひどい被害を受けた駅前の中華料理屋さんの内部も手が入れられた様子はありません(お店の前の傾いた自販機だけは撤去されていましたが)。あと、駅前に放置された屋根材?に新たなステッカーが貼られていたことを除いては(左上画像マウスオン)。

なお、今回より7ヶ月前の2014/3にもここ富岡駅を訪問していますので状況を比較なさってくださいませ。当時のレポートはこちらです。

さてこの地域の放射線量は夜ノ森地区に比べ相対的にかなり低いので(地上1mで0.71‥ほんの数kmで線量値が全然違うというのも原発事故の特徴なのでしょう。その時の天候・風向きがすべてなのかも知れません)、前回は行かなかった駅の南部側を少し歩いてみることに。

地域への立ち入りが可能になってからそこそこの時間が経過しているはずですが、駅からすぐのエリアにはまだ「あの日のまま手つかず」の住宅が幾つも見られました。左上画像の二階建て住宅の一階にはあろうことか軽トラが突っ込んだまま(左上画像マウスオン)。

その隣の部屋の欄間あたりには何やらの賞状が飾られたままになっていました。そして、干してから相当長い時間が経っているように見える立てかけられた畳‥。このあたりの住宅のすぐ裏は山になっていますから住民の方々は高台に逃げて助かり、津波が落ち着いたあと自宅に戻って最初の整理を始めたところで原発が‥あぁ、当事者でもない自分が勝手な想像をしてしまい申しわけありません。

完全に道路をふさいだままの右上画像家屋も気になります。何がって、壁には無数のペイントがありますからね。それが何を意味するのかはよくわからないんですが、勝手な想像が間違っていますように(以下略)。

ちなみにこれらの家屋のすぐ隣には常磐線富岡駅のホームが延びていました。もはや境界フェンスなどないのでホームに立ち入ってみると‥



いつか常磐線がこの区間で運行を再開するとしても、それは間違いなく内陸側に新設されるであろう新線を経由することになるでしょう。再びこのホームに列車がすべり込むことはほぼ考えられません。かつては特急停車駅でもあったここ富岡駅ですが、たった3年半でここまで荒れてしまうという現実を目にすると、自分たちのいう文明社会なんて所詮「砂上の楼閣」に過ぎないのだなとあらためて実感します、いやそう考えざるを得ない現実がここにあります。


剥がれかけた乗車位置標識。長いあいだありがとう、もう靴で踏まれることもないからね(また挨拶)。
さてしかし、われわれはここからいよいよ国道6号を北上します。この交差点を右折してほんの1kmも進むともう警戒区域(帰還困難区域)なのです。

それでは、ここまでの様子をダイジェスト版車載カメラ動画でふり返ってみましょう(見たい人だけどうぞです。要所要所でテロップが入ります)。今日のお宿まではまだまだ遠い‥。




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