− 2014/3福島お出かけ その3 都路から川内村経由で富岡町へ。まだまだこれからだ‥。−



あの日以来、誰一人として座ることもなく清掃されることもなかったはずのホームのベンチ。でも妙に綺麗でちょっとビックリ。

さてここからは富岡町を目指します。というか、かの原発事故後、富岡町に普通に入れる日がこんなに早くやってくるとは正直思ってもいませんでした。いやもちろんいまださまざまな課題を抱え続けている原発被災地なのですが、原発事故後しばらくは「常磐道の全線開通は自分の生きているうちにはあり得ないだろうな」と完全に諦めていたのに、ええっと、「2015年のGWまでに全通させる」と先日安倍首相が断言しましたよ。

もちろん事故現場がまだまだ予断を許さない状況であることに変わりはありませんし、少なくともタテマエ上は民間会社であるはずのネクスコ東日本の工事に首相自らが口を挟むというか断言するというのもどんなものかとは思います(あ、今調べてみたら株式会社じゃなくて特殊会社なんですね。え、でも特殊会社って何よ?

そう思って底抜け脱線ゲーム的に調べてみたら、名だたる元公営有名企業が名を連ねてました(天下りとかたっぷりありそうだなぁ、だって特定法律に基づく企業なんだから)。と‥ここでちょっと微妙な予感が。


JR各社にしても、経営状態のいいJR東海や東日本は完全民営化しているのに、北海道や四国九州は特殊会社のままのようです。もとより事故収束の行動を東京電力だけに一任すべきではありませんが、なんだかなーと。

まぁそんなことはさておきまずはかの工房のあった都路地区へと向かいます。ここからはいち早く「帰村宣言」を出した川内村を経由して、まさに福島第一原発から数kmしか離れていない富岡町方面へと進むわけですが、川内村中心部の放射線量は田村市都路地区よりも相対的に低かったようです。だからこそ早くに帰村への動きが進んだのでしょう。とはいえ、たとえば広野町の住民の約8割が戻っていないのと同じように、こちらでもなかなか帰村へのハードルは高そうです。そしてその手前の都路地区にも同じことがいえるでしょう。


そんなわけで都路地区にやってきました。しばらく前、関東にも大雪を降らせたあの低気圧の影響なのでしょうか、道路の脇には結構な雪が残っていました(このあたりは本来積雪こそ少ないものの浜通りに比べて気温が低いから溶けないのかと)。

でもしっかり道路の除雪はなされていましたし問題はなし。川内村に続く幹線道路だし当然かなと思っていたのですが、この夜に「まさかこの日この地にあの人が!」とのことを知ってびっくらこいた次第です(この段階でははまだヒミツということで=自分も知らなかったし)。


そんなわけで川内村にやってきました。あーしまった、新たに葺き替えた茅葺き屋根のお宅の場所を聞いておけばよかったと思えど後の祭りです。庁舎の屋上には「負けないぞ!!かわうち」の横断幕があり、このエリアが「原発事故と戦っている最前線」であることをうかがわせます。警戒区域に入ったこともある方からは「公開されている放射線量、あれは全然うそだよ、低く表示されているだけ!」とかの話も聞きましたが、それが仮に事実であるとしてもわたしは特に気にはしないかなと(その方がそれでも入域しているのと同じように)。

それにしても、このエリアにあった高圧電線の鉄塔。おそらく間違いなく福島第一原発に接続されていた電線でしょう。フクイチには何系統もの電線が接続されていたそうで、せめてその1つでも「あの時生き残っていたら」今に至る状況は大きく変わっていたのでしょうか?それとも、津波によるごちゃごちゃでいまだにはっきりしませんが、「実は電源があってもやっぱりダメ」だったのでしょうか?

これについて、「フクフタ(福島第二原発)」についての記録ページが参考になります(該当ページはこちら)。フクフタだってぎりぎりのところで最悪の事態を逃れたということがわかります。要は人間が作り出した「科学」に「絶対」などあり得ないということなんですよね。今後はそのことを前提にして物事を考え、また取り組んでいくべきなのでしょうが‥人間ってわすれやすい動物なんですよね。また歴史からも結局は学べないのかなと。


さて、役所のお隣には村唯一の温泉施設「かわうちの湯」があります。前回来たときは「GW期間中にもかかわらずその日だけがお休み」というツキのなさ(その時の様子はこちらから)。ではこの日(3月8日の土曜日)は‥といいますと、実はやっぱり入れないのであります(右上画像マウスオン)。そう、「3月中旬まで改修工事で休館中」なのでありました。そのことについては事前に情報を得ていたため、この場で「ぬゎんですとおぉー」とわめき叫んだりのたうちまわったりするようなことはありませんでしたが、何だかここの湯はTakemaにとって難攻不落だったりするなぁ(笑)。


さてここからは県道36号経由で富岡町へと向かいます。先月(2014/2)に常磐道の広野−常磐富岡IC間が再開通しました。ただ、少しずつでも前に進んで‥いるのかどうかについては‥うーん(後述)。


沿道では除染で出た廃棄物の集積作業が行われているようでした。これだけを見れば「進んでいる」のでしょうが、一方で周辺にはまだまだこの廃棄物がその場に置かれたままで、この作業自体がまだ始まって間もないことがわかります。長い間警戒区域に指定されていて手が付けられなかったということなのでしょう。

そして車はさらに進んで夜ノ森駅へと‥。う、わ、あ‥。






常磐線が切り通しで下を通る橋の手前にバリケードが。そう、ここから先は許可を得た関係者以外立ち入ることはできません(関係者の方も、指定された日時以外に立ち入ることは不可)。橋の向かい側には夜ノ森駅の駅舎があるのですが、今となっては何と遠い場所にあることでしょう。

域内は当然放射線量も高く、現段階で公表されている最新データ(富岡町発表)によると、夜ノ森駅の線量は「6.46マイクロシーベルト/h(地上10cm)」ということでした(2014年1月15日現在)。ちなみに2013年1月のデータだと「9.51」のようですからだいぶ減ってはいます。ただそれは除染による効果ではなく自然減衰、おそらくは物質が雨水に流されたため地表面での量が少なくなっただけなのでしょう(当然それらは溝などに集積していると思います)。そもそもこの帰宅困難地域内では拠点ポイントを除き除染そのものが行われていないようなのです。


そんなわけで駅舎とは反対側の線路沿いの道を進んでいきますが、このあたりの線量も当然一定程度高いはずです(このあたりは原発から直線距離でおよそ7kmに位置しています)。というか常磐線の切り通しが物理的な区域閉鎖にある意味都合がいいからこそそこを境にエリアが区切られているわけで、「こっち側だから安心」ということは毛頭あり得ません。もっとも、この線量値&短時間の滞在ですぐに何か影響が出るなんてことはないと思っている自分なので、車を降りて普通に撮影行動しました。駅の看板もまるで現役なのですが、ここにはもう3年も電車が入線していないのですよね‥(右上画像マウスオン)。


この道路沿いにも桜並木が続いているのですが、なぜか切り倒されてそのまま放置されたままの株がありました。線路側の柵が変形しているところから考えるに、台風か何かで倒れたんでしょうか。

また、おしんこどんがしみじみと「(右上画像のような)ひこばえは、人の手が入っていたらすぐに切られちゃうはずだよね‥」。そうなんですよ。こちら側とて「居住制限地域」であり、人が立ち入れるのは日中だけで夜間の宿泊は今でも禁止されています(町内全域)。そのことからわかること。それは‥


夜ノ森駅手前のゲートの先には、あの有名な夜ノ森の桜並木があるはずです。今年も人知れず満開の花を咲かせ‥いやネット経由で見ることは今年もできるはずですが、現地の風に吹かれながらの花見ができるまでにはまだまだほど遠いです。リアルであることの意味は、ネットの普及によりかえっていっそう重要になってくるような気がします。


このあとは富岡駅方面へと進みますが、途中までは帰還困難区域沿いを走行することになります。人の姿は全くなくコンビニも閉鎖中。広野町が「開いた」直後の2011/6に入ったとき、「地区には入れても人や店がやっているかとは別問題なんだ」と実感しましたが(それまではそんなことすらもわかっていなかったのです)、あれから3年近くを経てもなお、このエリアではあの日のまま時が止められていました。


駅近くの商店街も状況は同じで、おそらくは事故のあと道路上の落下物等は片付けられてはいても、各建物内部の整理まではほとんど行われていないようです。



誰一人として歩いていないメインストリート、そして看板のとおりには決して進めない現実がここにあります(右上画像マウスオン)。


さて、坂を下りて富岡駅前を目指します。もともと今回の訪問地として事前に富岡駅に行こうとは思っていたのですが‥何と!



いや、別にだからといってどうということもないんですが「どちらも結果的に後追いになった」ことをちょっと悔しく思った次第です(笑)。ただしちなみにそのあと民放でやはり富岡駅前に拠点を置いた放送があったので、これには勝ったなと(あのね勝ち負けじゃないですよ)。

そんなわけで国道を左折して坂を下り、富岡駅前まで来てみると‥




(マウスオンで別角度からの画像に変わります)。


この車は所有権か何かの問題で今も撤去できないままここに残されているのでしょうか。そしてこの車がある場所にコンクリートの基礎があることを考えれば「ここには駅舎があった」ことが容易に推察できるわけです。


上画像の左側に手すりが見えてますからあそこがもともとの改札口だったのかな。で、上画像ではわかりにくいんですが、ホームの屋根から吊られている4枚のうち右側の2枚は陸側にねじ曲げられていました。一方でホームの屋根、特に半透明の波板部分が無傷であることを勘案すればこのエリアの津波の高さが想像できます。

ここ富岡駅の標高を調べてみたら「8.76m」とありました。それプラスホームの屋根下までの高さをプラスすると‥うーんやっぱり12mくらいの高さはあったのかな‥。なお、上画像にマウスオンすると出てくる架線柱の折れは津波じゃなくて別の引っ張り力によるものじゃないかと思います。

 

ホームには、「津波の直撃を受けながらも何とか耐えて残ったゴミ箱」が。駅舎さえ破壊した津波のパワーに負けることなくその場にあり続けるって、何だかすごいことのように感じるのですよ。どんな固定の仕方だったんだろう?もしや地震工学の常識を打ち破るような画期的な施工方法が?(笑)。


駅前の商店は被災当時のまま残されていました。こんな光景を、震災後3年がたとうとするこの日に見ることになろうとは‥。ちなみにやはりこの付近に押し寄せた津波は建物1Fの屋根あたりまでのようです。また、右上画像に見えている道路はここから先上り坂になっており、ほんの100mも進めば津波の被害を受けなかったごく普通の家並みが連なっています。でも‥住めないんですよねぇ。

ここからはR6経由で広野ICまで南下します(再開通した高速区間を使うことはありませんでした)。


ここで左上画像にご注目。画像ではとーってもわかりにくいのですが、前を行くダンプのブレーキランプが点灯しています。何とこの時、左側の斜面からイノシシが道に飛び出そうとしてきたのです。イノシシは結局道に出ることはなく再び斜面を駆け上がっていったわけですが‥


震災前には狩猟による駆除も行われていたでしょうし、人が住んでいればイノシシも警戒して町中まで出てくることは町中まではそうそう出てこなかったと思うのですが、白昼堂々、頻繁に車が通る国道沿いにまで出没するとは‥。

また、地表を掘り返して食べ物を探すイノシシゆえ、彼らが放射性物質を体内に取り込んでしまっているのも事実でしょう。彼らがそのことについて「気づいていない」ことだけが、せめてもの慰めなのかもしれません。


途中の楢葉町でちょこっと寄り道をして天神岬へ。その途中からは広野の火力発電所が見えました。こちらも震災後は全機運転を停止しましたが、電力供給量の逼迫で緊急に復旧工事を行い、5機全てが発電を再開したのは真夏を間近に控えた2011年7月16日(総発電量380万kW)。ここ広野火力の復旧がなかったらあの夏が乗り切れただろうかと考えると本当に広野火力さまサマです(さらに2013年には新設の6号機も運転を開始しています)。

今は休館中の道の駅ならはでトイレに立ち寄り(一部施設は双葉警察署の臨時庁舎として利用中)、Jヴィレッジのすぐ横を通って広野ICへ。

 

ここからは高速で直接いわき湯本ICを目指すわけですが、ん?ETCゲートの手前に何やら電光掲示板が?(右上画像マウスオン)。ふむぅ、常磐富岡−広野区間の放射線量表示ですね。当然念入りに除洗したうえでの再開通だと思うのですが、それにしてもまだ高めです。まぁしょうがないか‥。

さてさて、ここまで辛気くさい話ばかりが続きましたが、ここから先は温泉、そしてお楽しみの夕食と続きます!

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